エピローグ

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 ピンポーン。

 次の朝、私は少し早起きして、莉子ちゃんの家まで行った。莉子ちゃんちは、うちから歩いて五分のところにあるアパートの二階の一室だ。

「はい。……あら、美優ちゃん。おはよう。」

 ドアを開けたのは、莉子ちゃんのママだった。てっきり莉子ちゃんが出てくると思ったから、ちょっとびっくりする。

「おはようございます」

「ちょっと待っててね。莉子! 美優ちゃんよ! 早くしなさい!」 

 莉子ちゃんママ、久しぶりに会ったけど、少しやせたみたい。

 すぐに、むす、とした莉子ちゃんが出てきた。あとから、莉子ちゃんママもついてくる。

「急いで。忘れ物はない?」

「ないない」

「これはいいの?」

 莉子ちゃんママは、片手に莉子ちゃんの運動着袋を持ち上げた。莉子ちゃんは、無言でそれをひったくる。

「気をつけていくのよ!」

「わかってる。行こ、美優」

 莉子ちゃんは靴もはきかけのまま玄関を飛び出した。

「美優ちゃん、莉子をよろしくね」

 振り返ると、あきれたように笑った莉子ちゃんママが手を振っている。

「莉子ちゃんママ」

「なあに?」

 私は、少し戻って莉子ちゃんママに顔を近づけた。莉子ちゃんママも、私が何か言いたいことを察して少しかがんでくれる。

「あのね、莉子ちゃん、あんなんだけど、本当は莉子ちゃんママの事大好きなんだよ?」

 小さい声で言うと、莉子ちゃんママの顔がくしゃりとゆがんだ。それが泣きそうな顔に見えて、私はどきりとする。

「うん。知ってる」

 そう言うと、莉子ちゃんママはすごく嬉しそうに笑った。



「なにやってんのよ、行っちゃうよ!」

 階段を下りると、じたじたと足踏みをしながら莉子ちゃんが待っていた。

「珍しいね、莉子ちゃんママの方が遅いの」

 莉子ちゃんママは、市内の別の小学校の先生をやっている。だから、いつも家を出るのは莉子ちゃんの方が遅いんだ。

「……昨日、帰ってから私すぐ寝ちゃったから、具合が悪いと思ったんだって。今朝起きて元気だって言ったら、そうならそうって言えってまた怒られた」

 不機嫌そうに言った莉子ちゃんだけど、少しだけ、その口元が笑ってる。

「そっか。莉子ちゃんママ、莉子ちゃんのことが心配だったんだね」

「だったら、朝から怒らなくてもいいじゃない。ホント、うるさいったらありゃしない」

「莉子ちゃん」

「ん?」

「大好き」

 振り向いた莉子ちゃんが、にこにこする私に向かって、べえ、と舌を出した。構わずに私は続ける。

「昨日、あのあとね、恵さん、先生に怒られてた。恵さんも、わかってくれたよ。さっちゃんと一緒に、今日謝るって」

「さっちゃん、悪くないじゃん」

「そうだけど……恵さん一人じゃ、謝りにくいんじゃない? そういうところ、莉子ちゃんと似てる」

 げ、と莉子ちゃんが思いきり眉間にしわをよせた。

「颯太も心配してた」

「颯太が心配してたのは、私じゃなくて、美優のことじゃないの?」

「へ? なんで?」

「……なんでもない」

 なぜか、はあ、とため息をつくと、ぷい、と莉子ちゃんは前を向いて歩き出した。

「美優、ありがとうね」

「なに、急に」

「昨日、夢を見たの」

 莉子ちゃんは、前を向いたまま言った。

「よく覚えていないんだけど、なんだか、とっても怖い夢。黒いものに飲み込まれそうになって、私、このまま死ぬのかなあ、なんて夢の中で思ってた。でもその中で、美優が泣きそうな顔しながらずっと、負けないで、って応援してくれていた。もしこれで私がいなくなったりしたら、きっと美優はまた泣くんだろうな、って夢の中の私はぼんやりと思ってた」

「莉子ちゃん……」

「私さあ、こないだの読書感想文で『泣いた赤鬼』書いたじゃん?」

 莉子ちゃんが、急に話を変えた。

「うん」

「青鬼ってさあ、赤鬼が泣くって、わからなかったのかなあ」

「え?」

「だって、自分が悪者になってもいいって思うくらい青鬼は赤鬼の事好きだったんだよ? なのにさ、赤鬼が人間と仲良くなりたいからって、赤鬼になんの相談もなく自分が悪者になって消えるなんて、青鬼って、すごい自分勝手じゃない? 人間と仲良くなるのが赤鬼の願いだったとしても、自分も赤鬼の幸せの一つだって思ってくれてんの、わかんなかったのかな、青鬼」

「そ……そういう話だっけ?」

「まあ私はそう思うってだけなんだけどね」

くるり、と莉子ちゃんが振り向く。

「昨日の夢の中でも、私、美優を泣かせたくなかった。だから、私は元気にならなくちゃ、って思ったんだ。私、間違っていた?」

 あの闇の中で。

 莉子ちゃんは、そんな風に思ってくれていたんだ。

 きっぱりと言い切った莉子ちゃんは、なんだか前より頼もしくなっててかっこよかった。

「ううん、間違ってない」

 私は、嬉しくて泣きそうになりながら莉子ちゃんに笑った。

「莉子ちゃんは、私を守るために戦ってくれたんだね」

 そういうと、莉子ちゃんはちょっと恥ずかしそうに笑って、また前を向いて歩き出した。

「しょせん、夢の話だけどね。昨日、あんなことがあったから、変な夢みたのかなあ。でも、朝目が覚めたら、なんだかすごく気分がさっぱりしてた。ママとパパのことでずっといらいらしてたけど、決まっちゃったものは仕方ないもんね」

「そうだね」

「ママがね」

「うん」

「今朝起きた時、ごめんね、って謝ったの。多分、あれ、離婚の事。ママも私に悪いって思ってるんだなあ、って思ったら、もうどうでもよくなっちゃった」

「うん。莉子ちゃんママ、莉子ちゃんのこと心配してたもん」

「だいたい、そう思ってるんなら思ってるって、はっきり言えばいいのにね。わかりにくいのよ」

「きっと、大人にもいろんな事情があるんだよ」

「めんどくさいなあ、大人って」

「ねえ」

 ふふ、と笑ったとき、後ろから明るい声が聞こえた。

「おはよう、美優ちゃん、莉子ちゃん」

 ふりむくとそこにいたのは、なんと、ランドセルを背負った萌ちゃんだった。

「おはよう、萌」

 驚いて声もでない私の代わりに、莉子ちゃんが挨拶を返す。

 え? え? どういうこと?

 かわるがわる二人の顔を見比べる私に構わずに、莉子ちゃんは当たり前のように萌ちゃんと話し始める。

「萌、今日の放課後、遊べる? 久々に三角公園に行こうよ」

「莉子ちゃん、今日の午後から雨って言っていたわよ?」

「少しくらいの雨なら平気だよ!」

「やっぱり遊ぶの? 風邪ひくわよ。ねえ、美優ちゃん」

 萌ちゃんは、私を見て、にこりと笑った。

 ああ、そうなんだ。萌ちゃんは、戻ってきたんだ。そうだよね。これから私、萌ちゃんに天使の指導をしてもらうんだもんね。

 藤崎さんも、これからいろんな準備をしていずれ私たちと暮らすことになるらしい。藤崎さんはすぐにでも一緒に暮らしたいらしいけれど、なにか立場がどうの仕事がどうのってママに怒られてた。

 十年も離れていたわりには二人が一緒にいる空気はとても自然で、とても仲がいいんだってことは見ていてよく分かる。この二人が私の両親なんだなあ、って思ったら、なんとなくくすぐったいような幸せな気持ちになった。

 私にパパができるって今の莉子ちゃんには言いづらい。けれど、話したらきっと、一緒に喜んでくれるんじゃないかな。

「そうだね。萌ちゃん」

 これからもよろしくね、と頭を下げた私を、莉子ちゃんは不思議そうに見てた。

「何?」

「ううん、なんでもない」

「ふーん? ……あ、もうこんな時間!」

 莉子ちゃんが、信号の向こうにあった時計塔を見てあわてた。

「遅くなっちゃった。いこ、萌。美優」

「うん」

「行きましょう」

 私たちは、学校へ向かって足を早めた。





Fin


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はんぶんこ天使 いずみ @izumi_one

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