二日目、第一試合、後編
その言葉を口にすると同時に、アイを中心として前方に半球状に衝撃波が放たれ、アザトはとっさに飛び退ってそれを避ける。その隙に、アイの姿は大きく変わっていた。服や髪、目などの黒かった部分がすべて真紅に変わり、前髪が一房メイドカチューシャの前に立ち上がる。
「ハイスピード・アイ、見参!」
それまで、かろうじてアザトが勝っていたスピード。それを遙かに上回る素早さを得たアイは、先ほどまでのアザトのお株を奪うかのごとくに、超高速の連撃を開始する。
それは、もはや観客の目には止まらぬ異次元の攻撃。アイのナイフに全身を切り刻まれ、アザトはその命を失った……はずだった。
(……死なせない)
守護霊の声が脳裏にひびくと同時に、アザトは自分が生きていることを知った。
無傷で立つアザトを見て、アイはつぶやく。
「ついに……動きましたか」
高次元の存在。現実に何をなそうとも、それをすべて書き換え、無かったことにできる存在。ゲーム機のリセットボタン……いや、チートツールに例える方が正しいかもしれない。
アイの方が上回ったはずのスピード。しかし、それは既に意味をなさなくなっていた。アザトの速度がさらに飛躍的に上がったからだ。
アザトが求めた圧倒的な速度。それを彼の守護霊は与えたのだ。それが『アザトの望み』だったから。
再び百撃必滅の攻撃を繰り出すアザト。もはや、アイの方にも余裕はない。全力でしのぎ、かわし、異空間収納から取り出した銀のトレイで受け、かろうじて致命傷にはならないよう防ぐ。
それでも何とか体への直撃は回避していたアイだったが、既にメイド服は擦過傷でボロボロになっていた。
「お姉さんにそんな姿をさらさせるのは俺の本意じゃない。さっきとは逆に俺が言おう。まだ続けるか?」
一度拳を止めてそう問うアザトに、アイは静かに答える。
「先ほども申し上げました。わたくしはご主人様のためにこの大会に優勝するつもりですので、ここで負けるわけにはいかないのです」
そう答えながらも、アイは必殺の一撃を繰り出すタイミングをはかっていた。アザトの守護霊が本気を出した以上、まともな戦闘方法ではアイに勝機は無い。
しかし、アイはスキル『
だから、そこを突くべく、アイは再び攻めに転じる。もとより、アイの速度を上回るスピードを得たアザトを捉えることは困難だ。だが、アイの狙いはそこには無い。アザトが回避、あるいは反撃をしようとして、意識をそこに向けたときに、言葉による致命的な一撃を与えること。そして、それによってアザトが止まったときに必殺の一撃で戦闘不能に追い込む。そうすれば、アザトは敗北を認めるだろう。
その結末を導くべく、アイは異空間収納からモップを取り出して、誘いの攻撃を繰り出す。守護霊が目覚める前なら、それこそ必殺になったであろう神速の突き。だが、それは今のアザトにとっては止まっているも同然の速度でしかなかった。そして、一見すると全力を出しているかのように見える突きは、カウンターを入れるには最適の隙とアザトには見えた。
それを油断とは呼べないだろう。アザトはあくまでも一介の高校生にすぎない。その割には高い戦闘力をもっているが、誘いの隙を見抜くほどの戦闘経験は積んでいなかった。
モップの先端を紙一重でかわし、カウンターで全力の右拳を叩き込む。さしものアイも、これで終わるだろう。そう確信をもって繰り出されようとしたアザトの一撃。
それに対してアイが放つのは、物理的な反撃ではなく、言葉による必殺の一撃……そうなるはずだった。
そのプランを崩し、覆したのは、観客席の最前列から聞こえてきた、大きな声だった。
「やめるんだ、アイちゃん! 俺はこんなこと望んじゃいない!!」
それは、それまで一分の隙も無かったアイの動きを止めるのに充分な衝撃。彼女にとって最も大切なご主人様の声。それが、彼女の戦いを否定したのだ。
棒立ちになったアイの隙を、アザトが見逃すはずもない。その必殺の右拳は、正確にアイのみぞおちを貫いて戦闘不能に追い込む! ……はずだった。
ゴォン!
「うぐあぁぁぁぁぁぁっ!!」
不可解な金属音。そして、男の悲鳴。アザトのものではない。その声は、今し方観客席から聞こえてきたのと同じものだった。
アイの前に立って、金属製の盾を体の前に構えた男。その金属の盾を貫通したアザトの右拳は、男の腹部を深くえぐっていた。
「試合に参加する権利の無い関係者の場内侵入と助勢により、アイ選手失格。一ノ瀬アザト選手の勝利となります」
そう告げるアナウンスに場内が騒然となる中、アイは必死になって彼女のご主人様に回復魔法をかけていた。
「……うぐ……ああ……内蔵が破裂したみたいだったけど、治ったかな。何とか痛みも引いてくれたか。アイちゃん、ありがとう。怪我は無いかい? 瞬間移動の魔法が何とか間に合ったようだけど、俺の体を貫通してアイちゃんまで届いたんじゃないかと思えるような凄い攻撃だったからね」
そう言う男に、アイは思わず問いかけていた。
「ご主人様、なぜ、このような無茶を……」
それに、男は苦笑いしながら答える。
「俺がアイちゃんに誤解されるような態度をとったせいで、こんな無意味な試合をさせるハメになったからね。こんな馬鹿馬鹿しいことでアイちゃんに怪我して欲しくなかったんだよ」
「誤解……ですか?」
「そうさ。俺はカクヨム杯なんて欲しくない。俺は、ある人の心を変えたいんだ。ただ、それは自分の力でやらないと意味が無い。何でも望みがかなうからって、そんな装置で人の心を変えるのは間違ってるからね。俺が、俺自身の力で、その人に認めてもらわないと意味が無いんだよ」
「そんな……わたくしとしたことが、ご主人様のお気持ちを間違えて理解していたとは」
うなだれるアイの肩を軽く叩いて、男は軽い調子で言う。
「俺が変に誤解させるような態度を取ったのが悪かったんだよ。アイちゃんのせいじゃないさ。さあ、帰ろう」
それから、悲しげな眼で2人を見るアザトに向かって、頭を下げて謝った。
「一ノ瀬アザトさんでしたね。真剣勝負の邪魔をして申し訳ありませんでした」
「謝っちゃだめだ。そうしてでも守りたかったのなら。……成程最高の主人だ」
「?」
アザトの言葉の意味がよくわからず少し不思議そうな表情をした男だったが、謝罪ではなく別れの挨拶の意味で軽く頭を下げると、アイを促して退場口へ向けて歩み去っていった。
退場する二人に向けて、場内から大きな拍手がわき起こる。試合としては反則負け。賭けも行われているのだから、本来ならば大ブーイングが起こってもおかしくはない。それにも関わらず拍手が起こったのは、男がアイに向けた思いが真剣なものだったと、観客にも伝わったからだろう。
去りゆく二人を見ながら、アザトは思わずつぶやいていた。
「あなた方の愛は本物だ。互いが互いを想い、互いのためにそんなにも必死になれる。俺は試合には勝った……だが、最愛の人を殺した外道の俺は、その愛には絶対に勝てない」
そんなアザトに、彼の守護霊は何も語りかけようとはしなかった。
そして、アザトもまた踵を返すと、自らの退場口に向かって歩み去っていった。
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