魔女の流儀

ふぐりたつお

魔女の国

 雪がちらつく宵の口。

 石畳……と呼ぶのもはばかられるような、ぞんざいな舗装で泥まみれの旧市街。

 その片隅に、荒くれ男たちの集まる酒場がある。


 いや、そんな酒場などはそこにもここにも、どこにでもある。


 それでも<死んだ黒猫>と名付けられたその酒場にはいつでも人が溢れている。


 酒は水で薄めた粗悪品だし、得体の知れない材料を煮込んだ看板料理の鍋はとても料理と呼べる代物ではなく、翌日の腹痛を気にせずに口にできるのはふかした芋くらいのもの。建物ばかりは歴史を感じさせる立派な石造りだが、それが戦後の混乱に乗じてかつての礼拝堂を勝手に占拠し改装したものだということは一見すれば誰でもわかる。ガスが通っていないから明かりは壁と吊り燭台のロウソクだけである。


 そんな有様でも男たちが集まるのは、酒や料理のためではない。

 顔もろくに見えぬ店内で、裏稼業の男たちがその所属にかかわらず情報交換をする……それももちろんこの店の重要な役割の一つだ。しかし彼らの最大の目的はそれでもない。


 勿体ぶらずにいえば、この店では魔女を抱けるのだ。


 例えば今、壁際のテーブル席で顔を突き合わせ、政治について大げさに議論を交わしている二人の男がいる。一人は禿げ頭、もう一人は気取った色眼鏡をかけている。揃って大陸風の高価そうなスーツに身を包んでいるものの、品格よりは威圧感を感じさせる砕けた風体。どこにといわず体のあちらこちらに勲章めいた傷も見え……要するにいずれも極道ものだ。


 その二人の横に密着するように寄り添い、甲斐甲斐しく酒を注ぐ女たちがいる。

 一方は胸と腰回りだけしか隠せていない飾りばかり派手で露出の多い踊り子のような服、もう一人は透けるほど薄い白地の長衣に身を包み、下着はつけていない。年のころはいずれも二十代半ばかそこらである。

 共通しているのはどちらもウェーブした黒髪が腰のあたりまであるのと、指の関節一つ分ほど伸ばした爪を、やはり真っ黒に塗っているところ。


 そしてテーブルの下では、男たちの節くれだった手は当然のように女たちの衣服の下に滑り入り、撫で、割り込み、かき混ぜる。その指に追いすがるように女の手が重なり、指をつかんだり捻じったりトンと軽くたたいたり、奇妙な動きをする。男も同様に応じ、女もまた返し……しばらくその応酬が続く。これは符丁である。


 テーブル上では議論と給仕が平然と続いているが、水面下では女の身体に対して支払われる金額を決める生々しい交渉が行われているのだ。


 彼女らと同様の女が混雑する店内に十人ちかくいて、やはりテーブルの下で屈辱的な交渉戦を繰り広げている。そしてそれと同じくらいの数だけ、二階のベッドもない絨毯敷きの大部屋で客と「休んで」いる女もいる。


 彼女たちのうち半数は数合わせの売春女であるが、もう半分は正真正銘の魔女である。


 魔女といえば、かつて「魔女の国」と恐れられたアハリア帝国の重要な軍事力であり、貴族とは別の独自のヒエラルキーを形作る、皇帝直轄の特権市民であった。ただそれもということであり、兵力の供出と引き換えに裕福な暮らしを約束されていたのは魔女団を率いる一部の上級魔導士に限られていたが、下級魔女でも一度兵として魔導府の軍隊に参加すれば長きにわたっていくばくかの俸禄を得ることができた。


 そのおかげで、土地を持たない魔女たちは傍から見れば種馬代わりのような婿を取って養い、数百年にわたって女系継承の社会を形成することができていたのである。


 しかしアハリアは先の大戦で大敗を喫した。


魔女の国の再興と報復を恐れた連合国は、アハリアからその芽を摘むべく、戦後発足した新政府に大いに介入した。結果、軍事力としての魔女社会は滅んだと言っていいだろう。


 皇族がすべての実権を失うと同時に、各地の魔女団を統括する魔女社会最高機関たる帝国魔導府も解体され、全国の魔女への俸禄も予告なく停止された。また平時の魔女の副業であった呪いやまじないの請負も新法で禁じられた。軍事魔術の使用も当然禁止され、これが発覚すれば死罪とされた。

 上位の魔導士たちはコネクションを利用して上級社会に潜り込んだが、軍事魔術や大規模呪術だけがとりえの下級魔女たちは路頭に迷うこととなった。


 飼いならしていた婿が一念発起して雑用でもなんでも職を得てくれればそれは幸運なケースで、長い間魔女社会で安楽に養われてきた男たちは学も意欲もなく、頼りになるどころか逃げるか安酒におぼれてお荷物になるのが常だった。


 であれば魔女たち自身が何らかの形で収入を得るしかなかったが、魔女社会の外で女が真っ当な職に就くことは簡単ではなかった。


 物々交換や行商がうまくいったのはもともと商才のある魔女だけ。生まれつき平民たちから魔女様、魔道士様と恐れられてきた彼女たちの多くは、そもそも腰を低くして客商売にいそしむなど、我慢ができなかったのだ。しかしその誇りが状況をさらに悪化させた。


 裏社会で呪術を再開する者がいた。闇市で劇薬や麻薬を売るものも出た。魔術を用いた事件も起きた。結果として魔女社会出身者は社会悪の烙印を押され、現代社会に順応しようとしていた魔女たちまで、締め出しを食う羽目になった。

 そうなるともう、魔女らは悪に徹するか、魔女の矜持を捨てて落ちるところまで落ちるしかなかったのだ。


 ……と、現代における魔女たちの事情を顧みている間に、テーブル席の面々の交渉がまとまったようである。


 二人の極道ものは席を立ち、それぞれ女を脇に侍らせて店の奥の階段に向かう。色眼鏡の男は露出女の尻を撫で、禿げ頭のほうは長衣の女の胸を鷲掴んでいる。その手つきの卑猥さはあたかもすでに愛撫が始まっているようだが、それは実際にその通りである。


 二階から満足げに降りてきた炭鉱夫風の男が極道に気圧されて思わず道を開け、四人がそれを気にも留めず階段を上がっていく……ちょうどその時だった。


「……御免」


 よく通る、若い女の声が店内に響いた。

 ドアが開いて人が入ってきたことなど誰も気に留めず、客の多くはその時初めて、ドアの前に黒づくめの魔女が立っていることに気が付いた。


 そう。

 それはどこからどう見ても、まごうことなき魔女だった。


 足元まである暗色のローブに揃えの生地の短いマントを重ねるのは「二枚羽織り」と呼ばれたアハリア魔女の正装だ。それに長い黒髪。ベルトの左腰に魔術棒を収めた鞘袋がぶら下げてあるのも、かつての魔女であれば当然の装い。


 興ざめな小娘の闖入にも、男たちから文句をつけたり囃し立てる声は上がらなかった。

 それが魔女だったからだ。軍隊と経済から排除され、形骸化した身分とはいっても、魔女は魔女。相手が魔女としての矜持を示すつもりならば、表面上は敬意を払わねばならないというのが平民たちの共通認識だった。


 もっとも、最近ではそんな魔女はめったに見ない。黒づくめの少女は一種異様だった。


「この店に魔女が多くいると聞いて参ったが……」


 少女らしからぬ古めかしい口調で言いながら、魔女はしんとなった酒場を睥睨するように眺めまわすと、浅くため息をついて首を振った。


「なるほどしかいないようだ。とんだ期待外れだった。邪魔をしたな、失礼する。」


 そして吐き捨てるようにそういうと、音もなく身を翻して出ていこうとした。しかし、それで終わり、というわけにはいかなかった。


「待ちなよ


 図体のでかい荒くれ男たちの間から、ずかずかと進み出た女がいた。ついさっきまで極道ものに乳を弄ばれていた、あの薄衣の女だった。


「気に入らないねぇ。ずいぶん知ったようなことを言うじゃないか」


 敵意がむき出しになったその女の声を、黒い魔女は微動だにせず背中で受けた。


「時代遅れの二枚羽織りでお魔女様をやっていられるくらいだ。貯えがあったのか、旦那を馬車馬にしてるのか……いずれにしてもいいご身分だが……。あたしらに言わせれば茶番だね。駄々っ子さ。魔女の国なんてもうないんだよ。あんたが見っともなくしがみついてるもんは、もうとっくに終わってんのさ」


 黒い魔女は黙って聞いていた。


「ひきかえ、あたしらはどんなにみじめでも生きようとしてる。生きていこうとしてる。新しい世の中をね。それをあんたに見下されるいわれはこれっぽっちもないね。……いいかい。


 チン、と鋭い金属音が響いて、次の瞬間には黒い魔女は身を反転させ、腰を落として左手を鞘袋に、右手はそこから頭を出した魔法棒の柄に添えていた。


 ここにきて、おおっとどよめきがおこった。

 金属音は鞘袋の口金の音であり、魔女文学のなかでは決まって決闘の火ぶたとして描かれるものだ。


「やるってのかい。街なかで軍事魔術はご法度。ここでぶっ放したら言い逃れできやしないよ」


「低出力の古流魔術は禁じられていない。落ちぶれた魔女一人葬るだけならそれで事足りよう」


「へ〜ぇ……」


 露悪的な挑発を受け、長衣の魔女の瞳にも怪しい光が宿った。

 観衆のざわめきがいよいよ高くなる。


「およしよお前っ。お金を貯めてやり直すんだろう? こんなことで……」


 そう金切声をあげたのは恰幅のいい女店主だ。しかし長衣の魔女は耳を貸さない。ゆったりした動作で髪飾りに手をやり……。


「あっ」


 そこで間の抜けた声をあげたのは、黒い魔女の方だった。

 黒い魔女は急ににキョロキョロと周囲を見回すと、恥じたようにうつむいて鞘袋に魔法棒を押入れ、口金のチンという音が再び響いた。


 拍子抜けした観衆の落胆のため息とともに場の緊張は解け、男も女もそれまでの交渉に戻っていった。黒と白の魔女だけがその場に残って対峙していたが、長衣の魔女が何か言おうとする前に、黒い魔女が床に片膝をついて胸に手を当てた。魔女団の敬礼にあたる仕草である。


「誠に失礼した。未熟者ゆえ、頭に血が上った。この店の惨状を見たら……しかし貴殿らに何も咎はないというのに。どうか無礼を許してほしい」


 そう言ったきり、魔女の威厳などかなぐり捨てた慌ただしさで立ち上がると、表へ駆け出して言ってしまった。


「おい、待ちなっ。大見得切ってそれで済むと……ああくそ、ねえ女将、ちょっとだけ出てくるよ」


「こら、やめときなっていうのに……」


 女店主の制止も振り切って黒い魔女を追ったのは長衣の女。哀れなのは放って置かれた極道男の片割れだが……。


「だいじょーぶ。あたしが二人いっぺんにしたげるよ」


 と露出女に絡みつかれて、まんざらでもなさそうである。よってこの夜の一件は表向き、これでおしまいである。

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魔女の流儀 ふぐりたつお @fugtat

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