第18話 『勝負』
「3人で出かけませんか?」
本格的に夏の日差しが照り始めた7月。
エアコンが休む間もなく作動している涼しい部屋で、輝が元気よく提案した。
その楽しげな提案に対して、アイスを片手にレポートを作成している千無と、ラフな格好でベッドに寝ているリンは返事をしない。
「ピクニックに行きませんか?」
聞こえていないと思ったためか、再度提案する輝。
またも千無とリンは露骨に無視を決め込む。
少なくとも、この大学生2人は暇である。
千無のレポートは期日までまだ遠い。リンにいたっては全ての課題を終えたため、悠々とだらけている。
それでも無視を続けるのは、提案内容が炎天下確定となったためだろう。
呆れた輝が、ベッドで大の字のリンに近づく。
「それなら1つ、ゲームをしませんか?」
「へ?」
輝の唐突な言葉に、貫いていた無視を忘れてしまうリン。
新しいアイスを取りに行こうと立ち上がった千無も、その面白くなりそうな発言に耳を傾ける。
「私が勝ったらピクニック、リンさんが勝ったら家でゆっくり、という条件でゲームをしましょう」
「…面白そうじゃない。私にゲームで挑むことの意味を分かっていないようね」
リンは多くのゲームに精通している。
その腕前によって、千無の所有しているゲームのほとんどが記録を塗り替えられてしまったほどだ。結構やり込んでいたつもりの千無にはとても衝撃だった。
そんなリンにゲームで挑むなど、正気の沙汰ではない。
実は輝がゲームをやり込んでいるというなら話は別だが、そんなこともないだろう。輝は、リンがゲームをプレイする様子に、いつも目を輝かせているのだから。
「…それじゃあ…『ストロークファイター』で…」
「トランプはどうだ?」
そのことを理解したうえで、リンは格闘ゲームを提案しようとする。
だが、そんな大人げない意見を遮り、千無がトランプゲームを提案した。
トランプなら勝てる…ということはないが、格闘ゲームに比べれば幾分かマシだろう。
非難するような千無の視線に圧され、リンも渋々了解する。
「…分かったわよ。トランプでいいわ。…その代わり、あなたも参加しなさいよ」
「まあ、そうなるよな。多分、俺たちの目的は同じだろうし…」
リンを遮ったものの、千無も彼女と同じくインドア派である。輝の勝ち筋を生み出したところで、それを願っているというわけでもないのだろう。
ゆえに千無は参戦する。
ピクニックを賭けた、ポーカー対決に。
3人でもプレイでき、ルールも比較的分かりやすく、勝負の余地があるゲーム。そういった点から種目は決められた。
(絶対に勝つわよ)
(分かってるよ)
互いに言葉を交わさず、目配せのみで会話するリンと千無。
本来であれば個人戦であるこのゲームも、大人の汚い思惑によって、2対1の構図が作られているようだ。
「千無さん、絶対に勝ちましょうね!リンさんも連れてピクニックです!」
そんな事情などいざ知らず、千無に向かって元気よくガッツポーズする輝。
彼女の可愛らしい行動を見て、千無はどう思ったのだろう。なんとも微妙な笑顔を浮かべている。
「ルールはいわゆる日本式。手札の交換は1回まで。持ち点は3点で、勝利すれば勝った人数分+1点、敗北は-1点。降りた場合は-0.5点。親が1周した時の持ち点で勝敗を決める。…何か質問は?」
首を横に振る輝と千無。
それを確認したリンがトランプの箱を開封する。
小気味良いヒンズーシャッフル。その音が、3人の気持ちを切り替えるスイッチとなった。
【親:神崎凛 全員:3点】
シャッフルを終えたリンが、3人の手札が5枚になるまで1枚ずつカードを配っていく。
裏側で渡された手札をそれぞれが確認。…いや、この表記では語弊がある。
リンだけは自分に向けた手札を見ることなく、他のプレイヤーの表情を真っ先に確認していた。
ポーカーフェイスという言葉が出来るほどのゲームだ。感情を表情に出さないことがこのゲームの定石である。
そのことを理解しているのか、千無は露骨に無表情を装おうとしている。
しかしそんな彼からも、目の動きや口の結び方から、多くのことをリンは読み取った。ゲームでなくとも普段から行っているリンにとって、千無の感情を読み取るなど慣れたものである。
ゆえに、リンにとって肝心なのは輝の存在だった。普段は表情をころころと変える女の子だが、ゲームとなると話が違うのではないか、能ある鷹は爪を隠しているのではないか、という不安があった。
だが、全てが杞憂だった。
輝は自分の手札と、苦々しい顔でにらめっこしている。自分の手札が悪い役であると、リンに見せびらかしていたのだ。
(演技…には見えないわね。幸いこちらには良い役が出来ているし…)
千無と輝の表情を確認したリンは、悠々と自分の手札に視線を移す。
そこにあったのは『ダイヤの3、ハートの10、ハートの5、スペードの5、ダイヤの10』。つまり、ツーペアである。
このままでも十分に勝負が出来る手。初手の確率から考えて、ほぼ確実に勝てる手だろう。
注目すべきは、敵が何枚交換するか。
「俺は全部、5枚交換かな」
親の右隣、千無が交換枚数を宣言する。
5枚交換は、愚策のようで厄介。最初の役から180度変化した役が作れる。ワンペアを大事にしていた場合は得られない、強役を手にする可能性があるのだ。
…と言っても、その可能性は限りなく低いため、リンは千無を眼中から外す。
「私は…4枚交換です」
リンを驚かせたのはこの言葉。
輝が行った4枚交換。常識的に考えれば、ワンペアも作れていなかった手札の1枚だけを残す、およそ定石とは言えない行動。
リンが輝を、千無より不気味な存在と認識した瞬間だった。
しかしその認識は、またも容易に崩れる。
相変わらずのノンポーカーフェイスを、輝がまたまた浮かべてしまったのである。
確率、表情から考えて、千無も輝も強い手を作れていない。リンの中に、その結論が生まれた。
「私は…1枚交換かしらね…」
最後に、自信たっぷりと宣言したリン。
ダイヤの3のみを交換すれば、ツーペア以上の役が保証される。そのことを読み取って欲しいという、威圧にも似た強気な宣言。
それを千無と輝がどう捉えるのか。
「ベット…かな」
「降ります…」
「コールよ」
千無とリンは勝負、輝は降りるという選択。
5枚交換で何か役を作れたからこそ、千無は勝負を選択したのか。それとも、リンの行動をハッタリと呼んだのか。どちらにせよ、強気な選択である。
だが、実際にツーペアを手にしているリンにとって、その行動はあまりに愚かだった。
(初手で作れた私が言えたことじゃないけど、ランダムな5枚でツーペアが作れる確率はかなり低い。私の裏をかいたつもりかもしれないけど…甘かったわね。…私の…勝ちよ)
同時に開示された15枚のカード。各々が、自分の役が分かるように提示する。
ツーペア、ノーペア…そしてフラッシュ。
リンが自信を持っていた役より、遥かに強く作りづらい役が、そこにあった。
降りたはずの、輝の目の前に。
「ノーペアとツーペアだから…リンさんの勝ちですね」
親であるはずのリンが呆けているため、輝が代わりに結果発表を行う。
いつも通りの、純粋さが滲んだ明るい声色。それが、リンに1つの結論をもたらす。
「輝ちゃん、その手札…」
「環君」
輝に何かを伝えようとした千無を呼び、目配せで何かを訴えるリン。
その何かを読み取ったのか、千無は遮られた言葉を続けない。
(この短期戦で、罠を張る余裕を見せるなんてね…。悪いけど、私は環君ほど甘くはないわよ)
いい大人が、たかがゲームに対して、本気になった瞬間である。
【親:速水輝 リン:4点 輝:2.5点 千無:2点】
拙いシャッフルを終えた輝が、3人の手札が5枚になるまで、丁寧に1枚ずつカードを配っていく。
裏側で渡された手札を確認する際、リンだけは先ほどと同じく、他のプレイヤーに目を配る。
(う~視線を感じるな~)
第1ゲームでは気にするほどでもなかったリンの視線が、輝に対してのみ強くなっている。
さっきはゲームを降りただけの輝にとって、その視線の意味が全く分からなかった。
一方の千無は、自分の手札とにらめっこした後、思い出したように他のプレイヤーに目を配り始めている。その安心するような普通さが、輝にとっては心地好かった。
リンの鋭い視線を一心に浴びる輝の手札は、『クローバーのJ、ダイヤのA、ハートの2、ダイヤの9、クローバーの2』。つまり、ワンペアである。
ワンペアの中でも最も弱い2のペア。勝負するとしても、少々心許ない。
「私は…3枚交換するわ」
親の右隣、リンが交換枚数を宣言する。
3枚交換。ワンペアは確保されており、それ以上の役を作りたいという意図が読み取れる選択。初手確率から見て、最も多い選択肢だろう。
どんな意図であれ、リンの無表情からそれを読み取ることは難しい。
「俺は…1枚交換かな」
続く千無は1枚交換を宣言した。
ツーペアが確保されているのであれば、フルハウスを狙える選択。ツーペア自体が、初手としては強い力を持っているため、牽制目的でも使われる選択である。
だが、千無の表情には、ツーペアを確保しているような自信は見えない。演技の可能性もあるが、おそらくハッタリだろう。
「私は3枚交換します」
最後に、元気よく輝が宣言する。
たとえ最弱の2と言えど、ノーペアより強い役を崩すことは得策ではない。そのことは理解している輝が、新たなカードを山札から3枚引く。
引いたカードは『ハートのK、ダイヤの2、スペードのK』。つまり、ツーペアが成立した。
微妙だった手札が、とても良い手札に変わった。悪いのは、輝がそれを表情に出してしまったこと。
「…ベットよ」
「…俺は降りようかな」
「コール…です…」
リンと輝は勝負、千無は降りるという選択。
輝の表情を見てもなお勝負に出たということは、リンも相当いい手が出来たのかもしれない。
(…う~ん。間違えたかな~。リンさん凄い自信あるみたいだし、降りたほうが良かったのかな?…でも、2枚ずつ揃うって凄いことだと思うし…)
輝の不安をよそに、同時に開示される15枚のカード。
ツーペア、ワンペア、ノーペア。
当然ツーペアが一番強く、それを所持していた輝の勝利である。
その結果に最も驚いたのは、ワンペアを所持していたリン。輝の表情をしっかり確認し、それでもなおワンペアで勝負を挑んだリンが、再び呆けてしまっていた。
「えと…ツーペアとワンペアだから…私の勝ち…ですね」
今度こそ、親である輝が結果発表を行う。
少しばかりの戸惑いが滲んだ声色。
彼女の声色を変化させた要因のリンは、なにやら千無を睨みつけている。
(さっきから、目だけで何かを伝えてるみたい。2人とも仲良しなんだな~。私には、まだ難しい…かな)
純粋な心には、汚い心の声も、清らかに聞こえるようだ。
【親:環千無 リン:3点 輝:3.5点 千無:1.5点】
やっとのことでシャッフルを終えた千無が、3人の手札が5枚になるまで、適当に1枚ずつカードを配っていく。考え事で上の空だったため、シャッフルの間に何度もトランプをまき散らしてしまっていた。
裏側で渡された手札を確認する際、相変わらずのリンの視線が刺さる。
(確かに露骨すぎたか…。リンに諭されてばかりで、少し情けないな)
千無は、リンと同じ目標でゲームに参加している。それは、このポーカーが始まる前に確認していた。
リンは上手いこと隠しているみたいだが、千無はこういったことに不慣れであるため、どうしてもボロが出てしまう。
現在最下位、千無の手札は、『スペードのQ、クローバーの7、ハートの5、ダイヤの3、ダイヤの3』。つまり、ワンペアである。
最終ゲームで、最下位の千無が降りるわけにはいかない。千無が勝負するには悪くない手札だが、露骨な調整を続けるわけにはいかない。
「私は…4枚交換します」
親の右隣、輝が交換枚数を宣言する。
4枚交換。第1ゲームでも見せた輝の選択である。
意図が読めず不気味であったが、先ほどの2回目のゲームで、千無は完全に理解した。
「私は…1枚交換よ」
続くリンは1枚交換を宣言した。
ツーペアは確保している、ということだろうか。
そうだとするならば、千無の選択は…。
「俺は3枚…かな」
残された千無の、最後に相応しい宣言。
千無が3枚のカードを山札から引き、役を確認する。同時に、輝にバレないよう、リンと目だけで意思疎通を行う。
「…降ります」
「…ベットよ」
「コール…かな…」
輝にのみ許された、降りるという選択肢。良い手が作れなかったなら、当然行使するだろう。
リンと千無は点数の関係上、勝負をするしかない。
(ここまでは、完璧な御膳立てが出来ている。あとは…)
それぞれの思惑が渦巻く中、同時に開示される15枚のカード。
ワンペア、ツーペア…そして、スリーカード。
スリーカード、つまり、3枚目の3を手にした、千無の勝利であった。
「…俺の…勝ちなんだけど…点数を見れば、1位は…」
これでゲームは終了。勝敗は最終所持点で決まる。
つまり、3点を手にしている輝の勝利であった。
当然のように輝は舞い上がり、千無に抱き着こうとする。しかし、あと数センチの距離で彼女が我に返ったため、千無は伸ばした腕の行き場を失ってしまった。
ゲームに負けたことからか、千無は盛大に悔しそうな表情を浮かべている。
一方のリンは、信じられないといった表情。
そんなリンが悟った通り、この時点で、炎天下ピクニックが決定されたのであった。
「楽しみですね~千無さん、リンさん。ピクニックですよ!ピクニック!!」
ポーカーの興奮冷めやらぬまま、ハイテンションで喜びの声を上げる輝。
見ている千無も嬉しくなり、優しい微笑みを浮かべている。
一方のリンは、うつろな瞳に、引きつった笑顔。ある意味ポーカーの余韻をいつまでも噛み締めていた。
「お前、いつまで負け犬の真似をしているつもりだよ。終いには輝ちゃんがマジで心配するぞ」
「あなたは…ずいぶん呑気なのね…」
屍のような返事をするリン。そんな彼女を、千無は大いに感心する。
「そこまで演技できるのもすごいな。俺はわざと負けようとすると、どうしてもボロが出そうになったし…。最後も輝ちゃんにバレないよう、ギリギリを上手く探って…」
「は?」
「本気で勝ちたかったに決まってるでしょ!」
ポーカーの翌日、大学の食堂で気持ちを吐露するリン。
食事時から外れているため、利用する学生は少ないものの、その少人数の視線を集めてしまう。外では気丈に振る舞う彼女も、この話題になると興奮せざるを得ないらしい。
地雷を踏みぬいた千無も、しまった、という顔を浮かべる。
「何度も言うけど、普通は年下の女の子相手に、マジになると思わないじゃないか」
リンは勝利してインドアで過ごしたかった。千無はインドアで過ごしたい気持ちを抑え、輝に花を持たせたかった。
ゲームが始まる前から、2人の気持ちは食い違っていたのだ。
「なるわよ!たかがゲーム、されどゲームだもの。…まあ結局、輝ちゃんを測り間違えていた時点で、私に勝利はなかったんだろうけど…」
ゲームの内容においても、リンは思い違いをしていた。
輝の底知れぬ純粋さ。それがもたらす全ての行動に、リンは意味を見出し、深読みしすぎたのだ。
フラッシュという役を知らなかったこと。適当に4枚交換を行うこと。感情を表情に出すこと。
その全てに意味などなく、輝はただゲームを楽しんでいた。
「まあ腹を括って、ピクニックの準備を始めるべきだろうな。どうせ家にいてもダラダラしてばかりで、輝ちゃんにくどくど言われるんだから」
千無よりも優位な立場で踏ん反り返れる。同居が始まる前はそう思っていたリンにとって、輝の存在は脅威となった。
リンは家事が出来ない。他のことは基本的に要領よくこなす彼女が、家の中でゴロゴロする要因の1つだ。大抵はゲーム・アニメ・マンガの3パターンを繰り返している。
学校に通わず、家のことを一任されている輝からすれば、リンは良く映らない。
家で課題に追われている千無も家事の手伝いはするため、余計にリンは息苦しい毎日を送っているのだ。
「はぁ…そうなのよね。最近の輝ちゃん、また一段と口うるさくなってるし…」
「叱られるのが嫌なら、家事を手伝ったりゲームは控えたり、家での態度を改めたらどうだ?」
「そんなことするわけないでしょ。怒ってる輝ちゃんは可愛いんだから!」
リンからすれば、千無が恐怖した輝の怒りも娯楽になるらしい。
敵わない。千無はそう感じ、大人しく遅めの昼食に手を付ける。
「…んぐっ……ほどほどにしとけよ…。それで、週末のピクニックだけど…」
「あら千無君、ピクニックなんて行くの?」
そして、千無にとって敵わない存在がもう一人。大学の食堂だというのに、巫女服を着たまま、神社をほっぽり出して来た人物。
千無が知る中で、最もこの手の話題を聞かせたくない相手。
鬼塚笑愛が、鬼のような笑顔で千無を見下ろしていた。
神があたえた一つの恵み -Fine Line- 鍵田紗箱 @keydasyabako
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