7.灼眼の虚人


 その日、闘技場から戻ってきたミカナムは、三人と口を聞こうとしなかった。


 お節介という点ではノーマークだったラファムすら、世間話の段階で拒絶されたほどだ。

 偶然と言うにはあまりにも皮肉なタイミングで中断された告白は、あとで三人が知った所によると、たった一日で埋め合わせるには重すぎ、そして核心に寄りすぎていた。

 捕り逃した魚ほど大きいとはまさにこの事だ。


 そして事態は進展どころか若干の後退を強いられ、ついに刻限の日、刻限の大試合を迎えるのだった。



 ***



 木組みの客席がすり鉢状に取り囲む、白砂敷きの闘場。

 大陸晴れの陽光の下で、胴元であり興行師のロゴブという男が中央に歩み出す。


「見るからに怪しいよねあの男」


 ラファムのつぶやきに、ヴェクは酔っぱらって居眠り寸前の観客を押し退けながら肯いた。


 痩せぎすで色黒、落ちくぼんだ瞳がいかにも狡猾そうなロゴブが、居並ぶ観衆を前に、金かがりの派手なローブをゾロリと引きずって両腕を上げる。


「紳士淑女の皆様、お待たせいたしました! これより本日のメインイベント、世紀の一戦が始まります!

 まずは上手より紹介いたしましょう、本闘技場の若手最強であり、今期十二戦無敗の可憐なる戦姫いくさひめ、ミカナ――ム・ラトナー!!」


 闘技場のゲートが開き、笑顔と闘志を振りまきながらミカナムが入場してくる。

 控え室にいた時よりさらにうすぎぬを減らし、もはや腰と胸をわずかに覆うだけの艶姿。日焼けした肌が日の光と汗に彩られ、客席からはまるで輝いているようにも見える。


「なるほど、そういう人気もあるわけか」


 客席の最後列から、ヴェクは興奮した男性客たちが鼻の下を伸ばして口笛を吹くたびに、辟易とした視線を下げる。


 とはいえ際どい演出は私営闘技場の華でもある。客が何を楽しみに来ていようが、金さえ落とせば文句は言わず、むしろ積極的に迎合するのが草の根の強みだ。文句を言う方が無粋だろう。


 ヴェクは隣にいるラファムとソシアを確かめるが、二人ともミカナムの格好に目を白黒させ、かと思えば周囲のエロ親父たちに噛みつかんばかりの顔を向けたりもする。

 少女たちにはまだ早すぎる世界だったか。


「続いて下手、今回は挑戦者としての登場だ!」


 ロゴブの声に、ヴェクは再び眼下の闘場へ意識を戻した。


「鉄面の素顔は誰も知らない! 語るべきは全て拳で語る! 前年度の当闘技場覇者にして、戦姫に雪辱を誓う恐るべき肉壁、まさにくろがねの城!

 皆様拍手でお迎えください!」


 ミカナムとは対面のゲートが開くと同時に、ズムッという重い足音が闘場を揺らす。


「〈無敗の男バオツ・ガケフ〉ゥゥゥゥッ――――!!」


 闘技場を揺さぶらんばかりの大歓声に包まれ、鉄鎧の大男が白砂を踏んだ。

 観客など見えぬとばかりの一直線の歩みでミカナムの正面まで進み、そこでただ一回、両の拳を打ち合わせる。


 煽られた観客の「バオツ!」という大合唱に思わず耳を塞ぎながら、ヴェクは今一度、奇妙な大男を子細に観察する。

 全身鎧に皮の内着。肌の見える場所はどこにもなく、見るだにこちらが暑さで倒れてしまいそうになるその格好。おおよそ拳闘士としては異常だが、溢れんばかりの筋力の誇示としては効果的に過ぎる。


「銃でも正面切ってやり合いたくないな」


 ヴェクの独り言に、ラファムが薄く肯く気配。ミカナムは心配だが、それでも彼女の代わりでなくて幸運と思う二人だった。


「さて皆様、勝ち札の購入はお済みか? 未だなら今すぐ近くの者へ!

 …………さあよろしいか、では世紀の一戦、とくとご覧あれっ!!」


 ロゴブが痩せた身体に似合わぬ大声を張り上げ、合わせて銅鑼が打ち鳴らされる。それを合図にミカナムが距離を図りながら横へ飛び、大男は腕を掲げて応じる姿勢を取った。


 いよいよ試合が始まった。この瞬間までミカナムへの妨害や危害の気配はない。

 となれば、ヴェクは緊張に唇を舐める。


 脅迫者がミカナムを「シメて」くるとすれば試合の最中、もしくは終わった直後が濃厚な線だ。

 心をへし折るには、相手の得意の舞台にいる間がもっとも効果的であるから。


 一番の警戒事項は銃による狙撃。

 動き回る相手を撃つのは難しいが、なんならあの鎧男と結託して足止めしてもらえば済む話だ。

 三人は観客席に紛れつつ、隠した魔銃にそれぞれ手を這わせる。


 警戒を優先しているため、試合の行方は途切れがちにしかヴェクの目に入らない。しかしそれでも、ミカナムの不利は一目瞭然だった。

 そも鉄鎧に対し革の具足という点が不公平にみえるが、ヴェクの懸念はそこにはない。

 鉄鎧は見た目に反し、厚さにもよるが素直に打撃を内に伝えてしまう。最も効果があるのは斬撃か刺突を相手にしたとき、それも銃の前には屈する。全身鎧が近年急速に廃れたのはそれが原因だ。

 辛うじてパリィ、つまり滑らせての回避には使えるが、それを言うなら滑り止め優先のミカナムの革具足は最適解に近い。


 では何が不利かというと、単純に体格の差、それも筋肉の差だった。

 拳闘における筋肉は、それ自体がひとつの鎧だ。大男の分厚い筋肉を通して鋭い痛撃を見舞うためには、ミカナムの軽い体重では全力の攻撃が必要となる。

 大技狙いでは手数が絞られ、拳闘で一番厄介かつ有効なスタミナ削り、打撃の蓄積が封印されてしまう。試合も序盤ながら、上から見る限りすでにミカナムは一方的にやりこめられていた。


 ――しかし、あのデカブツも変だ。


 拳闘を知るヴェクとしては鎧男の立ち回りにも疑問が湧く。彼は恵まれた長身を生かそうともせず拳を闇雲に振るばかり。拳の交換に全く駆け引きがない。

 正直なところ、ヴェクには到底これだけの観衆を沸かせる存在には思えないが――。


「……重すぎます」


 何かに気付いたソシアが遠眼鏡テレスコープを取り出し、闘場の中央で殴り合う二人を観察しはじめる。

 ヴェクが視線を追うと、それはどうやら二人の足下を見ているようだった。


「どうしたソシィ」


「あの大男、軸足のめり込み方が重すぎるんです。まるで馬かそれ以上の重さがある感じの」


 ソシアがヴェクに遠眼鏡を貸そうとするが、辺境育ちのヴェクには必要ない。

 言われてみれば確かに鎧男の軸足は深く砂にめり込んでいる。砂というのは案外上からの圧力には強いものだ。巨体に全身鎧の重量を加味したとしても、果たしてあそこまで靴が潜るものだろうか。


 ――そういや昨日はビビってそれどころじゃなかったが、アイツ、飛び降りただけで石畳にヒビ入れてやがったな。馬車の揺れも重すぎた。どういう事だ?


 直後、大男の拳がミカナムをガードの上からなぎ払う。十数歩の距離を吹っ飛ばされたミカナムが白砂に血を吐くのがヴェクにも見えた。おそらくアバラが折れたはずだ。


「――行こう!」


 突然立ち上がったラファムが観客を押し退けようとするのを、ヴェクは辛うじてシャツの裾を引っ張って止めた。


「行こうっておい! 私営とはいえ闘技に手出しはマズいぞ!」


「でも今の見たでしょ! このままじゃミカさんが殴り殺されちゃうよ!」


「その前に勝負がつくだろ――今のだけでも立てるかどうか……おいおいおいソシィまで」


 二人が悶着する隣で、魔銃の布包みを解き始めたソシア。彼女は最後にもう一度遠眼鏡を覗くと、キッパリとヴェクに告げる。


「私はこの試合そのものが『重大な事態』と見ました。ヴェクさん、あなたもあの男はおかしいと思いませんか?」


「そりゃ、確かに変だが」


 直感に従うなら止めに入るべきだろう。

 だが証拠はないに等しい、もし違ったら? いや、銃士なら捨てるべきは薄い。

 それよりもミカナムだ。あの拳を二度受ければ、真剣に命に関わるだろう事は想像に難くない。

 なるほど、試合の中で殺人をする気なら止めにはいるのが銃士だ。ヴェクは疾く迷いを捨てた。


「……しゃあねぇな!」


 吠えるや両の銃を抜き、銃剣と組み合わせるヴェク。

 前ではラファムが待ってましたと銃剣一体の得物を掲げ、それにソシアが封印を解いた長銃ライフルを打ち合わせる。


「民生銃士です! 退いてください!」

「オラ退きな! 怪我しても知らねえぜ!」


 ヴェクらの手に輝く魔銃を見て、観客たちが慌てふためき道を空ける。

 即席の急階段を駆け下りた彼らは、その勢いのまま闘場へと飛び降りた。


「な、なんの騒ぎですかな!?」


 脇の審判席からロゴブが血相を変えて飛び出してくるが、それをソシアが正面から止める。


「私たちは民生銃士ギルドから派遣された銃士です。この試合に不正な動きがあると判断し、銃士権限で試合の即時停止を要求します!

 ラフィ、ヴェク、ミカナムさんの確保を!」


 言われる前に二人とも動いていた。ヴェクがミカナムと大男の間に駆け込み、ラファムが倒れたミカナムに駆け寄る。


「あなたたち、なんで……」


「問答は後! こっちへ」


 ラファムがミカナムを助け起こしたのを横目にし、ヴェクは両手の魔銃剣を大男の胴体に向けて啖呵を切った。


「おおっと動くなよ! 悪いが勝負は預からせてもら――ってうわぁぁっ!?」


 あり得ない事が起こる。大男は魔銃に怯むどころか、銃士たるヴェクの命令を無視して殴りかかってきたのだ。

 たたらを踏むヴェクの目の前で地面を拳が打ち、なんとすり鉢状に砂を吹き飛ばしてみせた。


「いやおい、そりゃ人間ワザじゃねえだろうが」


 ヴェクの心の中で相手を見る目が切り替わる。

 こいつは俺の命を狙った、つまり――こいつは敵だ!


「治安執行妨害たぁ、上等だこの野郎ぁ!」


 手加減無用で放たれた弾丸が大男の腕鎧を割り砕く。

 だがあり得ない事は続くものだ。大男は痛みに呻くどころか息ひとつ上げずに砂から右腕を抜き、その手で再びヴェクを、その手に持つ魔銃剣を狙ってくる。


「拳でやる気って、そりゃいくら何でもありえねぇ! こいつの肉は何でできてんだよっ!」


 とっさに回避するヴェクに大男の拳が空を切る。

 と、後ろからラファムが叫んできた。


「ヴェク下がって!」


 足での回避が間に合わないと瞬時に判断し、ヴェクは身体を丸めて横へと飛ぶ。


 その刹那、ラファムの銃が高いうねりで吠えた。

 普段なら見えないはずの火線が、ヴェクの目にはハッキリと見えた。炎の尾を引いた弾丸が大男の左腕を捉え、強固な腕鎧を下の革服ごと、火球を伴った爆発で吹き飛ばす。

 並の弾丸ではない。おそらくこれが、彼女お手製の炸裂弾エクスプローダー



「ひゃははっ、すっげぇ威力――――は?」

 どんなに強固な肉体も焼き焦がされれば崩れ落ちる。二度と左腕は使えまいが、銃士あいてに拳を引かなかったのだから泣き言は――


 喝采と同時に成されていたヴェクの思考は、しかし鎧下から無傷で覗いた大男の素肌によって無理やり止められる。

 無事だった事が問題ではない。

 その色と質感が、彼から声を奪い、思考を混乱へと突き落としたのだ。


 青白く輝く、つるりとした金属の肌。


 ガヤついていた観客の声が静まり、それ以外の音もヴェクから遠ざかる。

 およそ人ではありえない、いや、それ以上に誰もが忌避と恐怖に関連づけるその色。


 月光肌ムーンシャイナー・スキン


 それを持つのは唯一の存在、ならばこの大男の正体は――。


虚人フュナーブ!」


 ヴェクの絶叫じみた言葉を、キンと耳をつんざく、そしてジリリと不快にざらつく〈音〉が遮った。


 一瞬の燐光となった火線がヴェクの背後から大男の頭部に突き刺さり、続いて轟風と衝撃がヴェクの身体を叩く。

 風の中心にいた大男の身体からは鎧と鎧下が引きはがされた。


 全身白黒まだらの月光肌。

 人の筋肉を歪に模した巨人が、一瞬の痙攣の後、頭から赤い破片を散らして地面に倒れ伏す。

 それは血の赤でも臓物の赤でもない。ジリ、ジリリ、と火花を散らす、赤く燃える水晶。大男の頭部はそれ自体が、瓜ほどもある水晶玉だった。


「〈竜の咆吼ハイン〉…ソシィか?」


 起き上がったヴェクが痛む耳を押さえながら仰げば、闘場の端で膝を立てて狙撃姿勢を取ったソシアが見えた。

 彼女は濃い黄色の織魔結晶オビナーシュを口にくわえ、魔銃の、本来閉じられているべき下面の隠し蓋を跳ね下げた格好で、まだ照門を覗いている。


 上の観客席では客たちがざわめきはじめ、すぐに恐慌を来して出入口に殺到しだした。本来なら客をなだめるなり導くなりするスタッフたちも、我先にと逃げ出そうとする始末だ。


 それほどの恐怖が、動かなくなった巨人に、いや虚人フュナーヴにはある。


 ヴェクたちですら狙いを解けないほどの恐怖が。



 ***



 かつて、といってもほんの五十年ほど前の話だが、フレアヒェル大陸は未曾有の戦火にみまわれたことかある。


 それはあまりにも大きな、そして変革を伴った戦争だった。


 その変革の中でも、とりわけ人々を恐怖させたものがある。

 もたらした被害の大きさと惨さから禁忌の怪物とされ、戦後に徹底的に狩り尽くされたそれは、全てに共通するおぞましい特徴からこう呼ばれる。


 ――虚ろの人、虚人フュナーブと。




第三話 「虚人、闘技場に現る」 終幕、次話へ続く

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Bullet!! ~新人銃士、荒野に発つ~ じんべい・ふみあき @Jinbei

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