6.鉄鎧の大闘士


「アレか……」


 丸太で組まれた骨組みに、白茶けた麻布を壁代わりに張った粗末な私営闘技場建物。その裏玄関の柱の陰から、ヴェクは近づいてくる馬車を見つけて一人つぶやく。


 闘技場の稼ぎ頭、少女拳闘士のミカナムを巡る脅迫事件が進展もなく九日目を数えたこの日、ついに事態を動かすかもしれない人物が闘技場に帰ってくる。

 巡業に行っていたという、ミカナムと戦う予定の闘士だ。


 二頭立ての、幌が全体にかぶせられた馬車が裏玄関に止まる。

 御者台からネズミ色のローブを着た男が飛び降りるのを待って、ヴェクはすばやく彼のそばに寄った。


「あんたが、明日ミカナムとやりあう相手かい?」


 ローブの男は目深に被ったフードの奥からヴェクを見返し、静かに首を横に振った。


「私ではない」


 男は消え入りそうなか細い声でそう答えると、馬車の荷台に左手をかざす。


「〈無敗の男バオツ・ガケフ〉なら、今出てくる」


「へぇ、そいつはまたご大層なあだ名で……っておい!」


 馬車が軋む。それも床板がどうのこうのではなく、車軸や車輪までもが一時歪むほどの勢いで。

 それはヴェクから軽口の勢いを削ぐには充分すぎる、異質な振動だった。


「こいつは馬でも入ってんのか!?」


「失礼な。彼こそ数多の闘技場で常に勝利を得てバオツ・ガケフきた巨躯の英雄なるぞ」


 果たしてローブ男が言い終わらないうちに、馬車の幌が内側からめくれ上がる。


 荷台に立ち上がったその男は、確かに信じられないほどの巨漢だった。

 全身を覆った鉄の鎧を陽光に燦めかせ、その男は緩慢に馬車から地面へと飛び降りる。着地の衝撃は小さな地震かと思えるほどで、事実、彼の足下では石畳に亀裂が走った。


 ――おいおい頼むぜ砂漠の怪物レアカ・シェアルじゃねえんだからよぉ。

 顔を引きつらせ、ヴェクはその〈無敗の男バオツ・ガケフ〉なる闘士を見上げて声のない呻きを上げる。


 並んでみると本当に巨大だ。

 人に会えば長身と言われる|ヴェクすら上回る身の丈は、おそらく七足寸ヴィル(約2メートル)は楽に越えていよう。

 鉄鎧の下にどんな筋肉が潜んでいるのか、肩と太ももはビール樽ほどにも膨れ上がり、手首ですら子供の腰回りと同じ太さがある。


 巨漢の闘士は何を言うでもなく、ただヴェクを威圧するように見下ろしてきた。

 ヴェクとしては視線と表情を探りたいところだが、残念なことに大仰な面鎧バイザーが顔面を全て覆い隠しており、隙間からチラリと赤い輝きが漏れるだけだ。

 さぞ鼻息が荒そうな巨躯にもかかわらず、息づかいすら感じさせない。


「ま、まぁいいぜ。ところで〈無敗の男バオツ・ガケフ〉さんよ、俺はこういう者なんだが」


 コートの下から飾り帯と魔銃を見せて、ヴェクは質問を切り出す。


「ミカナム・ラトナーさんにちょっと問題が持ち上がっててな、アンタ、何か知ってる事はねえか?」


 直球で相手の動揺を誘おうとしたヴェクだったが、見事に肩すかしを食らう。鎧の大男は微動だにせず、ただ沈黙のままに立ちつくすだけだ。


「えっと……聞こえてねえのか? 兜が邪魔なら脱いでくれよ――」


「無駄だ」


 大声になったヴェクの前に割り込んだのはローブの男。


「彼は巡業で喉を痛め、今は話せん」


「アンタは?」


「彼の代理人だ。お前は見たところ銃士のようだが、話せる事は何もない。ミカナムとやらについても全く見当はないな。わかったらそこを退いてもらおう」


 怪しいとはいえ、これ以上の露骨な聞き込みは逆に危険だ。ヴェクは柱に寄り下がり、呆れるほどの巨躯に道を空ける。

 鎧の男はローブ男に先導され、ドスリ、と足音を響かせながらヴェクの前を横切る。

 と、その時だった。


「……マ」


「マ?」


 鎧の下から微かな、それこそ亡者の吐息のような声がわずかに流れ、ヴェクはおうむ返しに鉄の背中に問う。

 だがローブ男が二人の間に割り込み、左手を鎧男の胸に当てる。


「余計な事は言うな。銃士さんもお引き取りを。彼はまだ疲れている」


 フードの下から覗く黄色く濁った瞳が、ヴェクを鋭く牽制してくる。

 ――どこかで見覚えのある色だ。と彼は思ったが、詮索する暇を与えず相手が踵を返したので、結局は何も聞けないまま、丸太柱に背を預けるしかなかった。


「……どっちにせよ、アレとガチ合うってのは……ヤベえぞ」


 彼は仲間の元へと歩き出す。



 ***



 場所は変わってミカナムの控え室。


 何かあるなら試合前日の今日しかないと、護衛は三人体制になっていた。

 ヴェクが対戦相手への聞き込みに出た後は、ミカナムの訓練の相手をするラファムと、手持ちぶさたに鑑別道具を磨くソシアが、ときおり外の足音を確認しに行く程度の動きしかない。


 そこに、ランプの灯りを揺らしてヴェクが風のように滑り込む。


「おかえり、どうだった?」


 開口一番そう訊くラファムに、思い出すだけで恐ろしいとばかりにヴェクは首をすくめる。


「冗談じゃねえやい。ありゃあ化け物シェアルよりも化け物だぞ。肝心の話は聞き出せず、顔色ひとつ変えやがらねえの。つって、顔すら見てねえが」


 ヴェクは手短に対戦相手の様子や、彼と交わした会話などを三人に報告する。

 それを聞いて真っ先に小首を傾げたのはミカナムだ。


「彼とは対戦した事があるけど、そこまで無口じゃなかったわ。

 それにその代理人、私にはまったく心当たりがないのよ」


「まさか別人とか?」


 思いついた風のラファムを、ヴェクは意図せずミカナムと揃って否定する。


「それはないわ」

「ねえなぁ」


 確かに人相風体の別がつかない服装なので成り代われなくはないが、同時に否定する理由は明白だ。

 天をつく大男が、それも普段から鉄鎧を着られるような筋肉の塊が、この世にほいほいと二人も揃うとは考えにくい。


「最悪、あの全身鎧を着ただけで足が砕けちまうぜ」


「うーん、そうかなぁ」


 なおも考えのある様子のラファムを置き、ヴェクはソシアに顔を向ける。


「ソシィはどう思う?」


「……腑に落ちない点があります」


 何か思いを詰めた様子の彼女が椅子から立ち、指をミカナムに向けて訊ねる。


「ミカさん、過去にその〈無敗の男バオツ・ガケフ〉さんと戦った時の戦績は、どう考えても楽勝ではありませんでしたよね?」


 静かに首肯したミカナムにソシアが続ける。


「聞くだに化け物じみている相手ですから当然でしょう。しかしそうだとすると……脅迫する理由も微妙なものになりますよ」


「なるほど、な」


 の闘士を間近に見たヴェクも納得する。


 一番簡単な筋書き、すなわち相手闘士が試合で負けそうだから脅迫した、という可能性は、堂々たる体躯の〈無敗の男バオツ・ガケフ〉にはどう考えても当てはまらない。

 放っておいても分が悪いのはミカナムだからだ。

 しかし正直なところ、ヴェクもソシアもそんな筋書きはとうの昔に放棄していたはず。裏は単純ではあるまいとラファムと語ったあの朝には、すでに二人とも件の闘士の事は容疑者から除外していた。


 ――なぜ今「腑に落ちない」って……あぁ、そういうことか。

 ソシアの青い瞳を油灯りに確認して、ヴェクはそこに、機を見た、という彼女の意思を読み取った。


 事が単純でないというなら、複雑な内幕を知っているであろう人物が、この場に一人だけいる。

 そう、ミカナムだ。

 彼女が何かを隠しているのは充分すぎるほど確かであり、それは事件の不可解な部分におそらく直結している。


 そして隠し事を暴くタイミングとしては、今を置いて他にはない。

 ソシアはその糸口として対戦者が姿を現したという事実、そこから導かれた不整合を使う気なのだろう。


 ヴェクは彼女の無言の提案に乗っかる。


「怪しさ一番星の対戦者があの調子なら、脅迫者は別にいるって事になるな。勝敗や星取を別にしてミカに危害を加える事そのものが、あるいは――」


 言いながらふっと脳裏に浮かんだ推測。

 確かめずに置くには惜しい、そして事態の核心であるような気がして、ヴェクは言葉尻に更に付け足した。


「ミカに『言う事を聞かせたい』ってのが目的なんじゃねえのか」


 他者を支配しようとする人間にとって、撥ねつける人間ほど厄介なものはない。それが周囲から支持を得ているなら尚更だ。

 ミカナムは闘士やスタッフからの人望が厚く、そして人格的には真っ直ぐと来ている。もし誰かこの闘技場で不正を働いてる人間がいるとして、辺境言葉で言うところの「シメる」――すなわち見せしめに支配すべき相手を一人選ばせたなら……結果は明白だ。


「ミカさん、もし心当たりがあれば、そして、できる事なら隠すことなく、私たちに教えていただけませんか? この事件の首謀者が誰なのかを」


 すいっ、と詰め寄るソシアに、ミカナムが唇を噛んで一歩あとずさる。


 ヴェクはミカナムが口を割ると確信して見守り、ラファムもそれに参加する。

 彼女との信用を築くための八日間、そのための護衛だったのだ。


 もう少し、あと少し。彼女が唇を薄く開いた、その瞬間。


「ミカちゃん、そろそろ上に来てくだせぇよ。もうカタが付きそうなんで」


 ひょっこり現れた闘技場の案内役が全てをフイにした。

 ミカナムが黙ってソシアを押し退け、逃げるように控え室通路の闇に消えていく。


「ひひっ、お勤めご苦労さんで……ヒェッ、あ、あっしがなんかしました?」


 どうしようもない、運が悪いとわかっていながらも、ヴェクも、ラファムも、そしてソシアすらも、出っ歯剥き出しのひょうきんな小男を睨まずにはいられなかった。

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