5.調合の銀匙


 ヴェクたちがミカナムの護衛を買って出てから、はや六日が過ぎようとしている。


 今のところ彼女の周辺に不穏な動きはない。

 闘技場も今のところは、常のとおり貨幣と信用書き、そして血と汗の飛び散る興奮と怨嗟のるつぼであり「深刻な事態」など影も形もない。


 ちなみに三人が勝手に始めた身辺警護であったが、ギルドからは意外にもすんなりと許可がおりていた。

 もとが研修半分で最初からギルドの頭数に入っていなかったのもある。ヴ

 ァルーシャなどは事情を聞くなり二つ返事で了承し、挙げ句の果てには「ヒマそうだし私もいっていい?」などと嘯く始末だ。

 無論、居合わせたスタッフによって諫められたが。


 もちろん他の銃士団員に助っ人は頼めないので、ヴェクたちは変則的な交代制を敷いて人手不足に対処していた。

 具体的には常時二人がミカナムに貼り付き、一人がその間宿舎で休息する手筈である。

 それぞれ休息をずらして日の三分の二を見張るという、ややきついスケジュールだが、その程度なら苦労にも数えないのが、我らが王立大の新士たる者だ。


 夜もまだ明けきらぬ早朝のこと。

 城壁にほど近い安宿の集まる地区の、さるうらびれた下宿の三階にラファムがひょこっと顔を出す。


「うーっす、交替だよ」


 聞こえるか聞こえないかの声が、作り付けの質素な竈と小さな食卓しかない、漆喰と木の梁が剥き出しの貸部屋にそろりと入り込む。

 続く寝室の前で椅子にもたれ静かにうたた寝していたヴェクは、ラファムの気配に気付いたときからずっと起きていた風を装い、声に続いて姿を現した彼女にドアの向こうを示す。


「ソシィなら、いまミカの横に付いてるぜ」


「ミカさん、調子悪いの?」


「昨日の夜試合は凄かったからな、ちょっとした手当ってやつだよ」


 三日目にして愛称で呼び合うようになったヴェクたちとミカナム。

 馴れ合いというわけではないが、お互いに頼る部分も出てきている。試合で傷だらけのミカナムに、ソシアが簡単な治療を申し出たのもその一環だ。


「しかしまぁ魔法ってのは、人を治すのにも使えるんだな」


「ま、ね。王立大じゃ攻撃や防御の講義しかなかったでしょ。でも知識と魔力さえあればいろいろできるらしいよ。私には真似できないけど」


「そこは、まったくソシィ様々さ。……にしても重そうだな。どれ、呼んでやるよ」


 今になってラファムが背負う重そうな背嚢に気付き、ヴェクはミカナムの寝室のドアを微かにノックする。

 すぐにソシアが顔を出し、交替の旨を了解すると額の汗をぬぐった。


「やはり氷を作るのは大変ですね。夜通しやってたからもうヘトヘトです」


「心配は?」


「何もありません、軽い打撲と裂傷でした。今ある氷嚢ひょうのうがなくなったら、あとはそのままで大丈夫です。それにしてもミカさんは頑丈な方ですね。ほとんどの傷が皮膚で止まってました」


「でもなきゃ拳闘士なんてやってられんだろう。刃物相手に素手でやり合う事も多いらしいぜ」


「それはそうですが、ちょっと気になる点も……ふぁ」


 昨日の昼からの疲れが、ソシアの口からあくびとなって漏れ出る。

 荷物を床に置いたラファムが親友を気づかう。


「いいから、ソシィは帰って休みなよ。あとは私にまかせて」


「おい、俺は?」


「はぁ? ヴェクは居眠りしてたじゃない」


 お見通し、と指を額に突きつけられては言い逃れのしようもない。

 ヴェクは肩をすくめてソシィを労うと、階下に下がっていく背中を見送った。


 ラファムが小さな食卓につき、ヴェクにジトリと目を向ける。


「……いや、見張られなくともお前が相棒じゃおちおち寝てられねえ……だから冗談だって。それよりその荷物は? やたらと持ってきたみたいだが」


「ああ、これ。寝過ごしちゃったから道具と材料を全部持ってきたの。今のうちに〈魔装弾ゴッツォティーフ〉を作り置きしなきゃ、次いつ腰を落ち着けられるかわかんないし」


「そういや得意なんだっけか。ソシィに聞いたぜ」


 ラファムは答えなかったが、少しはにかんだ顔で背嚢から中身を出しては机に並べていく。


 集光鏡のついた手元用のランプに、弾薬用の小型万力、調合用の秤と繊細な銀の匙のセット。乳鉢にるつぼに薬皿に空の薬莢と弾頭。

 さらに道々で買い込んでいた火薬と何かの材料――紙袋の山が、たちまち彼女の前に積み上がった。


「……多いな」


「みんなの分作るんだから、これでも必要最低限だよ。ヴェクのは自動拳銃オート用の三番径で弾は合ってたよね」


「おぃ、俺の分もか?」


「自分で作りたいなら止めないけど。でもラファムさん印の弾の方がいいと思うけどなぁ。いざというとき役に立つよ、きっと」


 点火したランプの灯にニタリと笑うラフィに、ヴェクはやれやれと軽く相づちを打つ。


「へいへい、そんなに言うならお任せしますぜ」


「試しに一発作ってみるから、気になるところ教えてね」


 彼女は懐から取りだした一眼鏡モノクルをつけ、ものの数秒も置かずに集中した様子で匙を操り始める。

 就寝中のミカナムに神経を半分配りながらの横目ではあったが、ヴェクはラファムの鮮やかな手さばきと集中力に早くも舌を巻く。


 〈魔装弾ゴッツォティーフ〉は近年になって編み出された特殊な弾薬で、その名の通り〈魔法〉を弾薬に込めて撃てるようにしたものだ。

 使用者の魔法の素質を問わず、そのうえ様々な魔法が撃てるとあって一時は人気を博したが、その全容が知られるにつれて流行はすぐに下火となった。


 まずなんといっても材料の入手に難がある。

 魔装弾に魔力と魔術を供給するのは、火薬に混ぜられた砂粒大の織魔水晶オビナーシュ――魔砂晶オビヌ・コツムだが、これの産出地域は非常に限られる。

 そして魔装弾以外の使い道がほとんどなく「出会った時が買い時」と言われるほど流通量が少ない。


 そして次に、調合が鬼のように難しい。

 今もラファムが細心の注意を払って、それこそ砂粒単位で計量しているが、調合には呆れるほどの正確性が求められる。

 ほんのわずかに量を違えただけで望んだ魔法が発動しないばかりか、ひどい時には銃が爆発する事もある。とても安定した量産は望めないのだ。


 最後に、これが一番の問題だが、撃てる銃が限られる。

 魔装弾は銃に高い負荷をかける。それが熱や衝撃ならまだしも、凍り付く事すらあるのだ。そんな常識外れの弾丸を使用可能な頑丈な銃はそう多くない。実質的には魔銃限定といってもいい。

 そして魔銃を持つ銃士なら、わざわざ魔装弾に頼らずとも魔法には長けているのが普通だ。


 結局、魔装弾は一部の物好きな銃士の、いわばお遊びとして生き残っているに過ぎない。


「でもみんな、わかってないんだよね」


 赤い魔砂晶を丁寧に篩いながら、ラファムが独り言のようにつぶやく。


「王立大でいろいろ作ってて思ったんだけど、コレって魔法の代わりだと思っちゃダメなんだって。確かに効果は少ないし、考えて作らないと役にも立たない。でも魔装弾にしかできない事もあるんだよ」


 言われたところで基礎知識しかないヴェクにはピンと来ない。


「具体的にどういう事なんだ?」


「そうね。例えば今作ってる炸裂弾エクスプローダーだけど、同じ事を他の手段で再現するのは難しいよ。相手の身体の中で爆発を起こすのはソシィも大変って言ってたし。普通の火薬を弾頭に詰めても魔装弾ほどの威力を安定しては出せない」


 その点、とラファムが配合済みの装薬を乳鉢に移しながらウインクする。


「このコは量さえ間違えなければ間違いなく、それも決まった力で爆発してくれるよ」


「なるほど……再現性があるわけだな」


「ヴェクにしちゃ難しい言葉知ってるじゃない。そう、再現性。

 あとは混ぜる魔砂晶の種類で、思わぬ効果を引き出せる時もあるしね。そういう組み合わせと発見って楽しくない?」


 言いながら嬉々としてラファムが万力を締め上げる。

 バイスの間では、魔砂晶で加工が施され、赤い蝋で封のされた弾頭が薬莢へとねじ込まれていく。


 ――楽しいって、まぁ細かさと物騒さを除けば、やってる事は子供の絵の具遊びと変わらんか。こいつなら好きろうな、そういうの。


 闊達さばかりが目立つラファムだが、ヴェクはこのひと月の間で、彼女についていくつか意外な発見をしていた。


 料理や裁縫など細かさと創意が要求される技能について、彼女はサバッとした見かけによらず上手かつ凝り性だ。

 ソシアの華奢なドレスの保守は彼女の担当だし、二人が野宿の料理をする時などは必ずラファムが先頭に立つ。

 そしてそのどちらでも、どこか凝ったひねりを入れてくる。かぎ裂きを洒落たステッチでお洒落なデザインに変えたり、ほんのわずかに隠し味を仕込んだり。


 なるほど、そんな性格なら弾薬作りも楽しめたりしてしまうのだろう。

 と、ヴェクは彼女にわからないほど薄く肯いた。


 やがてできあがった弾薬を矯めつ眇めつ確かめて、ラファムがニカッと歯を見せて喜ぶ。


「うん、ひさしぶりにしては上出来」


 そしてヴェクに、彼の魔銃専用の炸裂弾エクスプローダーを投げ渡してきた。


 キャッチして近くのランプにかざしてみる。

 手で装薬し直したとは思えないほど仕上がりは丁寧で、銃士ギルドで扱ってる正規の弾薬にも劣らない。

 装填して、遊底スライドを引いて飛ばしたり弾倉マガジンに詰めたりを繰り返すが引っかかる様子ははない。莢底リムなど彼の銃にあつらえたかのようにピッタリである。


「合いはイイ感じじゃねえか。あとは撃ってみねえとわからんな」


「ここでは撃たないでよ、すっごい音が鳴るから近所迷惑だし。それじゃ残りはその寸法で仕上げるね。今作れる種類を、それぞれ一弾倉分用意してあげる」


「今からか? もうすぐ夜明けだぜ」


「大丈夫、間に合うから。

 …………それよりヴェク、ソシィと嗅ぎ回ってる事、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」


 手だけはテキパキと動かしつつ、ラファムがヴェクをジロリと睨む。


「私が顔に出やすいからって、二人して詳しい事を黙ってるでしょ。いくらなんでも仲間はずれはひどいんじゃない?」


「あー、うん……別に悪気があったわけじゃねえが、スマン。とはいえ推測が多すぎてな、お前が突撃していったらと思うと俺もソシィも気が引けてな」


「もう、私だって最初の一回で懲りてますよーだ。いいからちょっと聞かせてよ」


「しゃあねえ、じゃあ推測八割だが……」


 ヴェクは観念して、この数日ソシアと手を組んで集めた情報をかいつまんで説明する。


 まずは事件の背後関係。

 これに関しては二人が暇を見て闘技場のスタッフに当たっているが、依然として不明のままだ。過去に類似の事件もなく、スタッフの誰一人として心当たりを口にする者はいなかった。


 動機の線からも手繰ってみたが、これも芳しくない。

 ミカナムはすこぶる真面目な娘で、周囲の評判も良く、少なくとも怨恨という線は無さそうだ。

 闘技場という勝負が前提の世界だから、闘士の中には恨む声があるかと思ったが、意外にもミカナムと対戦したものは口を揃えて「あんなにいい試合はそうそうできねえ」と語る。

 ただ一人怪しいのは問題の試合でミカナムを相手にする闘士だが、その人物はまだ巡業中でコンスナファルツに戻っていない。


「ひとつだけ、引っかかる話があってな……」


 賭客からの不確かな噂ではあるが、ミカナムの勤める私営闘技場には二つのレート表が、つまり裏賭博があるらしい。

 曰く一戦ごとの賭けではなく総合勝敗を競うもので、掛け金は高く還元率もいいらしいが、ときおり不自然に勝率表が動く事があるという。

 もちろん、それだけで即お縄頂戴という話ではない。裏賭博は私営の闘技場にはままある話だし、不正が証明できなければギルドや銃士に出る幕はないのだ。


 ただヴェクの勘としては、間違いなく件の闘技場には裏賭博があり、それも誰かの意図で賭けの公正さが損なわれている可能性が高い。

 とすればミカナムの破竹の勢いにケチをつけるには充分すぎる理由になるし、棄権しろという要求にも筋が通る。


「ただ当のミカがあの調子でな。

 どうも胴元付近が焦臭いんだが、それについてはひと言もいわねえんだ。不正がある事を知ってて潰されたくない感じか。まったく変な雲行きだぜ」


 ミカナムとはそれなりにうち解けたとは思うが、どうやら彼女にはまだ、彼らには明かせない事情があるらしい。


「変な、って言うなら」


 万力からライフル用の弾薬を外しながら、ラファムが器用に首だけで部屋を示してみせる。


「闘技場で大勝ちしてる拳闘士が、なんでこんな安下宿に住んでるんだろ」


「そこについちゃソシィが聞いてくれたぜ。なんでも賞金のほとんどを故郷の家族に仕送りしてるらしい。十数人の大家族だとよ、一から十まで真面目な娘だよな」


「ふぅん……あ、思いついたんだけど、ミカさんが裏賭博隠してるのって、闘技場を潰されたくないからじゃない? そういうのって不正がバレたら施設ごと閉鎖でしょ。仕送りが出来なくなっちゃうよ」


 聞くだけ筋は通るように思える。

 しかしヴェクは首を横に振ると、窓から家々の屋根越しに見える大きな闘技場を指す。


「ミカほどの拳闘士なら、それこそあんなケチな私営闘技場じゃなくて、この街の、ほら、あの立派な公営闘技場だって充分稼げらい。

 俺なら、ヤバくなったらしがらみごと裏賭博をギルドに売っちまって、とっとと公営の方に移籍するぜ」


 その発言に、ラファムは露骨に顔をしかめる。


「ヴェクってそういうところが野盗っぽさ抜けてないよね。もっとほら、恩義とか事情の斟酌とか、そういう心遣いみたいな発想ってないの?」


「無いとは言わねえが、辺境の連中は恩義に命のやり取りまで含まねえからな。

 特に人を利用してる奴、そういうカラクリを動かしてる奴は、必ず恩義なんて目じゃない、ゴツい鎖で人様の命を縛ってくるもんさ、そう決まってるんだ」


 ヴェクの半ば独り言めいた言葉にラファムが奇妙な顔をするが、隣室の衣擦れの音に気付いて口をつぐむ。


「起きたみてえだな。おい道具片付けな。もう時間切れだ」


「へへっ、間に合ったね」


 彼がふり返ったところで、ラファムが得意げにずっしりとした革袋を投げ渡してくる。開けば都合四十発ほどの魔装弾が、真鍮の輝きを朝日に輝かせていたのであった。

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