16袋目 いざ、ラクシュミーの街へ
「おーい! 起きろ~!」
声に反応して、意識が“ぎゅるん”と一定の方向に向く。
「昨日は言ってなかったけどさ! 今月のラクシュミー行きの定期馬車は今日だけだから! 早めに
声は窓から聞こえるようだ。
俺は上半身を起こし、首が緩くまだ寝ぼけている顔をそちらに向ける。
焦点が定まらない状態で窓を見やると、薄ぼんやりとトンガリ帽子のシルエット。
「おはよう、先に席取っておくからね。はやく着替えて、朝ごはん食べてから走ってきてね! 東門にいるからね~!」
要件だけ言って、声の主であるベルガモットの気配は遠くへ離れて行った。
俺は
「・・・・・・ここ、二階だぞ・・・」
机に置いてある腕時計に手を伸ばす。掴み取って目の前まで持っていき、短針と長針の組み合わせを見てため息をつく。
「しかもまだ5時すぎ・・・・・・ここの住人は皆早起きすぎんだろ・・・」
夜明け前。
窓のカーテンを開けると、やっぱりここは宿屋の二階。どうやってベルガモットは二階から俺に声をかけたのだろうか。
「・・・着替えるか」
考えても埒が明かないので、言われたとおりにする。
ベッドから降り、倍増袋から着替えを取り出す。靴も取り出す。営業マンになってから続けている、朝起きてすぐの状態、まだ目が覚めていなくても無意識で着替えられる、無駄に洗練された早着替え技術を駆使する。
袖を通してベルトを締めた時、着替えた衣服の冷たさが表面を覆い、鼻で大きく息を吸えば、背に一本筋が通った気分になる。
ある程度眠気が覚めた時、「あ」っと気づく。
元の世界で着こなしていたビジネススーツに着替えてしまった。
朝な朝なと繰り返してきた東京での習慣が、未だ異世界に馴染んでいない事を暗喩していた。
こんな格好で街を出歩いたら、怪しまれると思うのだが、朝起きたばかりで判断力のまだ鈍い状態で、急ぐ約束もあるのだ。
「・・・・・・まぁいっか・・・」
これからラクシュミーの街へ行って砂金を換金する。いわばこれは
部屋の中にある私物をすべて回収し、部屋を後にする。ラクシュミーの街で商談が決まり、この街に戻るまでの日程は不明なので、いったんこの宿をチェックアウトする事にしている。
階段を下り、1階フロントで女将さんが起きているか確認する。台所から女将さんが都合よく出てきて、俺と目を合わせた。
「おやぁ、今朝は早いんだねぇ?」
「昨日言った通り、ラクシュミーに行きます。さっきベルガモットに起こされて、早く馬車に来いってさ・・・」
「あー、そうなのかい? 朝食はどうすんだい? まだ仕込みの最中だし・・・」
「いや、これがあるから大丈夫ですよ。」
俺がポケットから、スニッカーズを取り出し、女将さんに見せる。
スニッカーズ(Snickers)。
俺が元いた世界から持ち込めた物品の一つ。歩き回る営業マンの必須アイテムの一つ(独断)。メインの食事ができない時に食べる携帯食、行動食としておすすめできるチョコレートバー。
ピーナッツ入りソフトキャンディ、ヌガーの上にピーナッツを並べてキャラメルを絡め、ミルクチョコレートで覆った棒状の甘い菓子。糖質、脂質などのエネルギーがこれ1本で約250キロカロリー摂取できる。
チョコが溶けない限りは保存がきくし、非常食にも軍用レーションにも最適。
学生時代から食い続けている俺の好物だ。
「なんだいそりゃ?」
女将さんの怪訝な顔に、つい営業マンモードで説明しようとする。
「スニッカーズ、中はチョコとピーナッツとキャラメルと・・・」
ベリベリとパッケージを破り、中を見せる。
「ちょこ?キャラメル? ピーナッツはわかるけど、他は知らないねぇ」
「――――ああもしかして、チョコはないのか・・・?」
チョコレートは発酵させたカカオの実を焙煎し、細かく粉砕した粉末状のカカオパウダーに砂糖と牛乳などを混ぜ合わせたものである。
16世紀、コロンブスがスペインにカカオをもたらしたとされる。
この世界でカカオがあるかどうか解らない状況でチョコなんて見せても、未知なる物体としか目に映らないだろう。
「知らないねぇ・・・とりあえず、食えるんだね?」
「まぁね。おひとつ、いかが?」
濃い茶色の短い棒を女将さんに差し出すが、女将さんは手を挙げて拒否する。
「よく解らんもんは受け取らないのが賢い選択さね」
「・・・ですよね」
言われてみれば、そう――――
「スニッカーズうめぇ・・・」
「ん?」
目線を下げ手元を見た時、エリンが俺の手を両手でしっかり握って、スニッカーズに
「ああコラ! エリン!」
女将さんがエリンを掴み、引っ張り上げる。
「お客さんの食べ物を食べるんじゃないよ! それもよく解らないもんを!」
「んー・・・でもあまぁーくて・・・おいしいよー・・・もっとよこせー・・・」
「あーはいはい」
俺は念じながら倍増袋を開き、袋の中でぎゅうぎゅう詰めになっているスニッカーズをもう一本取り出す。
この異世界に来た日数から算出してだいたい512本か1024本、もしくは2048本スニッカーズが増えているはず。
・・・なんかもうここまで来ると、数えるのが面倒になる。
「とりあえず歯を磨けば大丈夫だし、まだまだありますから。それにこの子にはお世話になりましたし、なんだかんだで」
「・・・そうかい? 体に合わないものじゃなきゃいいんだけどねぇ」
「(ああそうか、アレルギーとかも考慮しないとだな・・・)」
「エイトー・・・もっともっとー・・・」
俺はもう一本、パッケージを破ってエリンに手渡す。エリンは受け取ったチョコバーを両手でしっかりと持って、小走りで近くのソファに座り、ハムスターのように食べ始める。
「じゃあ俺、チェックアウトしますので。ラクシュミーで商談が成立するまで帰れないかもしれませんから。部屋の中は一応片付けました」
「ああそうかい? ちょいと寂しくなるね。あとの手続きは私がしといてやるから。念のために言っとくけどさ、中途解約の時の宿泊料のおつりはないよ。だってあんた、銀貨1枚しか払ってないからね」
「はははは」
俺は笑いながら宿屋を出た。スニッカーズの他にカロリーメイトもある。歩きながら携帯食を数本取り出し、食べながら東門へ向かった。
宿屋から顔だけを出して、女将さんが見送る。
「――――しっかし変な人だったねぇ。うちの娘が懐くんだから悪いやつじゃないんだけど・・・砂金を採る仕事が軌道に乗ったと思ったら、砂金採る労働者たちを扱き使える美味しい立場を自分から手放すなんざ、損とは思わないのかねぇ・・・?」
トラトスの街、東の門前。
ここに来て俺はある見落としに気づき、どうしたものかと悩む。
「ノリスに頼んだオセロの駒と盤・・・どうしよう」
東門の前で腕を組み、一旦宿屋に戻ろうかどうか考え込んでしまう。
オセロの道具の注文をしたのは、5日前エリンに“お礼”される日だったから時期的にはもう納品されてもおかしくないはず。
このまま
これは今度の事を考えても信用問題に発展しそうだ。非常にまずい。
「女将さんに
見上げれば東の空は城壁の上辺から朝日が射し、白んだ空に新しい一日を報せてくれる。この世界に来て初めての、自分の足で街を出て冒険をするにはぴったりの日和だと思うが、一抹の不安が一点の
ベルさんには悪いが、いったん戻ろうとしたその時、門の向こうから声がした。
「開門ー!」
「ん?」
東門が大きく開き、その隙間から風が吹き込む。
乾いた血と磨かれた鉄、
多くの情報を風に乗せて、鎧をまとった大型の馬に騎乗した武装集団が入ってきた。
「アポロン騎士団か・・・」
次に騎乗せず徒歩で入り込む鎧の騎士たちも姿を見せる。
俺は脇に退いて道を譲る。騎士団は隊列を乱さず門をくぐる。
黙して悠然と、しかし疲労の色を隠せないでいる様子。
一言も発していないのに、歩くたびにガシャガシャと、鎧などの金具、馬の装具などから“やっと帰ってこれた”とか“早くこの鎧を脱ぎたい”という金擦れと歩行音に混じって、なぜかモノ言わぬ者たちの本音が聞こえたような気がした。
「(やっぱ、戦争とかあるんだろうな・・・)」
まだ想像の域を出ないが、騎士団があるってことは、争いがあるわけで。元の世界に戻る為には、この世界の大事にも関わってくるかもしれない。
それはどう考えても争いに関する事だと思うし、その時になって俺は、この世界に生きる人間たちと戦えるのだろうか。
それにこの前の魔狼の時のように巻き込まれるのは嫌だなぁって思っていた時、見知った人物が目に留まる。
「あ、イーサンだ」
魔狼の件で知り合ったアポロン騎士の一人。歳の近いフリムジークとよくペアを組んでいる、音吐朗々とした青年騎士。
「おーい!イーサン!」
手を振って呼び止める。前に見た時と同じ馬に乗って行軍の最後尾(後押さえ)にいたイーサンは、俺の声に気づいてこっちに振り向いてくれた。
「――――――――」
最初は疲労の色をした顔が見る見るうちに消え失せ、次にはよろけて見せて、慌てて手綱を握り直したら、行軍を外れて俺の前まで来てくれた。
「――――行軍中につき馬上にて失礼いたします。いかがなさいましたか?」
「ん?」
丁重な姿勢でこちらに向かってくるイーサン。普段と仕事とのギャップに唐突の感は否めないが、先に用件を言っておこう。
「ああ・・・これからラクシュミーの街へ行こうと思っていたのですが、石工職人のノリスに依頼していたオセロの盤と駒を受け取る約束をしていたのを、ついさっきまで忘れておりまして」
「ノリスといえば、宿屋の大部屋に住んでいる青年のことですね」
「ええ。ラクシュミーへ商談で数日滞在を予定しておりまして、商談がまとまるまでは約束の品を受け取るのは難しく、ずっと職人に預からしておくのは心苦しい。そこで――――」
「わかりました。我ら騎士団が責任を以て、預からしていただきます」
「えっ」
寸暇を置かず、イーサンが真面目な顔で応えた。
俺はただ「迷惑料として追加の報酬を支払うから数日待ってほしい」と最後に言おうとしていたのだが、なぜかアポロン騎士団に預かる事になってしまった。
「ああ、いや・・・それはありがたいのですが。――――いったいどうしたんだよイーサン。いつもと調子が違い過ぎて、その、困る」
いつもの調子というのは、砂金採りの時、見回りの兵士たちに混ざってやって来る時の事だ。
アポロン騎士団は砂金採りの労働者の警護は行っていないが、(暇を持て余して)自発的に参加する者もいる。彼のその一人だった。
他の騎士と違うやや砕けた言い方と、子供でも知ってる(俺は知らない)騎士道物語の言葉を引用して労働者を労ったり、吟遊詩人が作った新しい英雄の歌を
とにかく彼は『夢見る少年』みたいな男だった。
そんな男が、今までにないくらい
「いえ失礼ながら、そのお召しになっているものは異国の物にしては上等過ぎます」
「ああ・・・これ?」
俺は左手でラベルホールのあたりをつまんでスーツを見せる。周囲の人間達とは明らかにちがう、スクエアショルダースタイルの細身シルエットのスーツ姿は、イーサンから見たら只者ではないのだろう。
「きっとどこかの貴族の使者、いえ大使クラスの方かと・・・」
「いやいや、それだったらこの街に働いてないよ」
イーサンの見当違いの推理に茶々に近い否定をするが、彼の態度が軟化することはなかった。絶対的な階級社会を感じられるやりとりをしている。
「では此度の聖覇戦争から長々と続く、聖王国の領地争奪戦から逃れた彼奴等の御一人では? 今も多くの聖王国に連なる貴族共が雌伏し再起の時を待っているそうです」
「はえ~そうなのか~」
イーサンの言葉の端々に、無意識ではあるが、聖王国の貴族に対する評価と偏見が垣間見える。
事情や背景を知らない俺でも、聖王国の貴族には良い印象があまり無く、むしろ嫌われるような家柄が多く存在していたのだろうなと感じた。
商談がまとまったら改めて、この世界の事を詳しく知らなくてはと、強く思った。
「――――とにかく俺は貴族ではないし、その関係者でもありません。ただ言葉遣いや礼儀作法を学ぶ機会があって、こういった物を着て仕事をする立場だったってだけです」
このままではラクシュミー行きの定期馬車に乗り遅れてしまうと思った俺は、早口でこのやりとりを切り上げようとする。
「馬車に遅れるといけませんので、これで失礼させていただきますね。ノリスに頼んでおいたボードゲーム。よろしくお願いしますね」
踵を返して、東の門へと歩きだす。振り返りはしないが、「ハッ、どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ!」と、背を向けた俺に言ってきたので、きっと敬礼なんてしちゃったりしてるんだろうなと思った。
この誤解、後で正さなくては、まずいことになりそうだ。
この倍増袋を持たされて 梅田志手 @touchstone
★で称える
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