15袋目 ベルガモットおねーさん

 早春そうしゅん朝陽あさひは色を淡く、草木は後先を待たず緑を伸ばし、時の流れをかんずる者をはやし立てる。見渡す一帯の景色は最後に訪れた人を置き去りにして、季節の巡りを知らせてくれる。



 砂金採りへの道筋はすっかり踏み慣らされ、歩きやすくなったものだ。

 ポケットに手を突っ込んで、呑気のんきに薄く広がる空の色を眺めながら、砂金採りの作業場に赴いている。

「は~、なんか久しぶりに感じるなぁ・・・」

 小春空こはるぞらにはまだはやい向春こうしゅんの空と雲の境目がおぼろげに見えるのは、季節柄どこか危うくなりつつある自分の変化を、慎んで受け止めた結果なのだろうか。

 あの悪夢じみた、沸騰するにかわ状の不快な液体を頭からぶちまけられたような、つかみどころの無い出来事は音もなく過ぎ去っていた。

 性質の悪い風邪から復帰した俺は、都合4日ぶりに職場に復帰する。

 その道程の中にあって、俺はあの時のことを思い出そうとする。しかし思い出そうにも、どうしてもかすみがかかって不明瞭だった。これから久しぶりの仕事だというのに、現実感のない、ふわふわとした落ち着きのなさを感じる。

 エリンからお礼と称して譲り受けた?このに関することには、どうも深く考えることができなかった。意味不明と切り捨てるのにはまだ早いと考えつつ、理解するのを諦めているようだ。

「・・・もう、グダグダ考えるのはよそう」

 もう何度もこの台詞をつぶやいている。堂々巡りするばかりで嫌気がさしていた。

 それから切り替えるように俺は――今朝けさ倍増袋の中を確認した時から――ある計画について考えを巡らしていた。すばり、砂金を他所よそで売って金にしようとする計画である。

 パルペイア氏の錬金魔法によって一つにまとまった砂金の大きさはBB弾1個分。それを倍増袋に入れたのはロミオがジュリエットへの手紙を書く前の夕方の事だったから、魔狼の件が終わって夕日を見た時に2粒。

 二日後で川に流されていたセレスティナを助けて、エリンから“お礼”される前に8粒。

 風邪で三日休んで64粒。

 そして今日の夕方の時点で128粒になる予定だ。

 砂金1粒は倍増袋で増えていた1円玉で天秤にかけたところ、5枚で丁度良く釣り合い、約5グラムだと分かった。それが128粒あった日には約640グラム。その価値を18金相当とし、相場は(憶えている限りは)約3500円として、総額224万円 なり

 しかし、こんな計算をしても所詮は皮算用。異世界では金貨数枚。いや、大銀貨十数枚だけで換金されてしまうのではないかと、あれやこれやと推量する。

「いや待て、だがしかし、ふっふっふ・・・」

 それでも俺は大金を手にした後の事を考えてしまう。あわよくば贅沢しようとよこしまに口元が歪むのを、後ろについてくるエリンは見逃さなかった。

「?・・・」

 しかし首を傾げるだけだった。


 そうこうしている内に、作業場が見えてきた。砂金採りに励む面子もすでに揃っており、いくつか輪のようなグループを形成してくっちゃべっていた。

 リーダー格のトーマスさんが何時も仕切っているので、俺かトーマスさんが号令をかけないとまとまらないのがこの作業場だ。当のトーマスさんはガハハと大声で談笑していた。

 久しぶりに聞く明朗な笑い声に、俺はつられて笑ってしまう。

「ん?・・・おお!! エイトじゃねぇか!!」

「トーマスさーん!」

 互いに右手を挙げてあいさつし、そのままハイタッチ。エリンも続いてトーマスさんとハイタッチする。

「今日から復帰か! 待ってたぜぇ!」

 朝の陽ざしのように朗らかに接するトーマスさんに恐縮してしまい、ついお辞儀をして「どうもご迷惑を掛けまして――」と頭を下げる所作を遮って「ああイいんだよそれくらいよ!」と肩に手を回し、空いた手で複数のグループを指さす。

「あそこと、あれと、あっちは昨日と一昨日から砂金採りに加わった新入りだ。噂を聞きつけて遠くからやって来たから、こことは言葉が違うんだよ。見よう見まねでやらしてたけどよぉ。いろんな言葉喋れるエイトが居りゃ心強い! 今日はあいつらに色々教えてやってほしいんだ!」

「――――そうですか、わかりました」

 一瞬だけ、考えを巡らしてから返事をする。やはり俺は異世界の言葉を複数使い分けて喋っているようで、その後もトーマスさんは俺の語学力について褒めてくれた。が、これは俺が努力して手に入れた能力じゃないから、嬉しくなかった。

「(これはアレか? 異世界に転移される際に付与される“特典”的なモノなのだろうか・・・?)」

 この肌身離さず持っている倍増袋以外にも、なにか俺の身に変化があるのだろうか。


 トーマスさんは俺たちから離れて、「よしっ」と一回手を叩いて仕切りはじめる。

「さてっと、それじゃあそろそろ作業に―――ああ、そうだ。あの子にも挨拶しおけよエイト。お前さんと入れ替わる形で参加してるんだ。あの子もいくつか言葉を使い分けているし、錬金魔法も使えるから助かっているんだ」

 そう言って、トーマスさんはその人を指さして俺を促した。複数のグループの中で、明らかに雰囲気が異なる少女を見つけて、その子だと確信する。

「えっ――――」

 少女の姿を確認した途端、面食らった。少女は魔法使い然とした、つばの長いとんがり帽子。暗色系の外套にミニのワンピースドレス。帽子や外套がいとうはともかく、ワンピースだけは年頃の女の子らしい可愛らしい柄だ。

 黒のニーソックスとの組み合わせでふとももが少しだけ見える。その太ももは骨格が先んじて細く伸び、成長期特有の少女のものだと分かる。

 髪の色は金髪と赤毛の混じったストロベリーブロンド。その長さはあえて切らずに手間暇をかけて手入れをした長い長いもので、朝日に映えて燃えるような生命力を感じる。

 少女がこちらに気づいて振り向き、目を合わせる。その目は琥珀色で、くりくりとしていてまだあどけなさが残る。しかしその愛嬌とは裏腹に刺すような観察眼を俺に向け、好奇心を満たす為に行動する傲岸不遜な猫を思わせた。

「アンタがエイトっていう・・・最近ここにやってきた人だねっ」

 少女はまっすぐ歩いてくる。警戒心のかけらもない歩調は活発さを物語り、相手の表情が読み取れる間合よりも一歩大きく踏み込んだ距離感が、大胆さを表していた。

 少女は俺の顔を覗き込むようにやや前かがみになる。

「ふ~~ん・・・・・・思ったより年上なんだね。それに顔立ちもここら辺の人と全然違うね。傭兵みたいにな感じしないし、かと言って行商人って感じもしないし、どこから来たの? ていうか言葉通じてる?」

 まくし立てる少女に、俺はどう対応すべきか考える。見るからに魔法の類が使えそうな格好だし、子ども扱いするのは不味いだろう、と直感する。

 ――――ていうか絶対、あの魔法使いの爺さんの関係者だろ。

「あー、待ってくれ。ちゃんと自己紹介させてください。私は永戸永人ナガト エイト。行商人ジキルの馬車でやってきたサラリーマンで、今は砂金採りに従事している」

「サラリーマン? なにそれ聞いたことない・・・」

「ん、ああ・・・サラリーマンは和製英語だから通じないか」

 和製英語どころか、ここは異世界なので、存在すらしないだろうが。

「ビジネスマンって言ったほうが近いかな? 商売の企画や経営とか・・・」

「あー、なんか行商人と取引するタイプの商人ってこと?――――まぁいいや。ねぇ、その子ってアンタの子? ゼンゼン似てないんだけど」

 少女の好奇心が俺から逸れ、エリンに向かう。

「ん? アア、こいつは宿屋の娘だよ。俺の後ろについて回るんだ」

「ふーん」

 今度はエリンの前で屈んで、目線を合わせる。

「ねーねー、名前なんていうの? あたしはベルガモット」

「・・・エリン・グリムロック・・・」

「そうか~女神エリン様から名前を貰ったんだね。かわいいね~!」

 ベルガモットはエリンの頭をなでなでした後、手を腰に当てて立ち上がり、トーマスさんに向かって大声で「そろそろはじめましょうよ!」と言い、それに応えるように初期から従事している面々が集まり始め、俺も続けて号令をかける。

 新しく参加したグループにも届く声で呼ぶ。



 不意に、ベルガモットがこちらに振りむいて、驚きの顔を見せる。

 俺を異様な物で見るような眼。好奇心ではなく――琥珀から不純物を取り除いてもなお重合するその瞳の奥には――探究心とかしこに優れた才女の一面が、こちらを覗き込んでいる。

「――――今、なにやったの・・・?」

「ん?」

「・・・い、いや。解んないなら、別にいい・・・」

 ベルガモットは帽子のつばをつまんで俯く。

 俺は少女の態度が少々腑に落ちないなと思いながら、打ち合わせの輪の中に入っていく。


 打ち合わせが終わり、複数の班に分かれて、今日の砂金採りが始まった。

 俺は言葉に不自由している人たちの間に立って、作業を教える仕事を始めた。それはとても奇妙な物で、俺からしてみれば日本語を日本語のまま言葉を繰り返すだけで、つまらないものだった。

「(なんというかさぁ・・・“やりがい”ってもんが無いよなぁ・・・)」

 元の世界、日本での営業マンの仕事は、学生時代の時分には“ノルマと接待”のイメージが強かった。だが実際なってみると、地味も地味。

 毎日足を使って訪問し、関係部署に根回ししたり、現場に何度も通って聞き込み。

 会社に戻ったら書類・書類・書類。

 いつの間にか達成しているノルマ。

 接待は時々上司に連れ回されるだけで、自分からやったことはない。

 お世辞を言うと嫌味に聞こえるらしいから言う必要はない。

 残業は・・・まぁする。元々資料作成や見積もりとか、書類作成が苦手で時間をかけてしまうから、これは仕方がない。

「はぁ、いかんいかん」

 俺は元の世界での仕事を思い出すのをやめて、これからの事を考える。

「(元の世界へ帰ろうっていう、どう考えても無理難題な目標をち上げちまったんだ。こんな辺境と言っていい場所で金策に励んでも高が知れているし、もっと人と情報が集まる場所を目指さないと・・・)」

 しかし、考えれば考えるほど、自分はまだ何も知らずに手探り状態が続いていることに不安を抱く。元の世界なら事前に情報収集ができたはずだ。主にインターネットや専門に扱う業者。営業マンになってから、他所へ赴いてそこでいろいろ聞いて回る事も躊躇しなくなった。

「(いや、社会人になってから培ったスキルで仕事を見つけたし、ラクシュミーっていう街に行けば金が工面できそうだって情報を手に入れたわけだし・・・)」

 考えがまとまらず、また堂々巡りしていると気づき、ふと顔を上げて、岩をどかす作業をする男たちに目が留まる。

 岩の大きさは周りの岩たちとは一回りも大きく、男たちは苦戦していた。

 男たちの中に、さきほどの少女が入り込み、下がらせる。それから少女は懐から何かを取り出して、岩にサインする。すると岩はたちまち独りでに微動してからと一回だけ転がった。

「――――ええ!?」

「うっし、こんなもんでしょ」

「おおー・・・」

 思わず声を上げてしまう。近くで見ていたエリンが小さく拍手している。エリンを見たベルガモットが得意げに人差し指だけ立てて横に振る。

「ふふーん、ベルガモットおねーさんにかかればこれくらいどうって事ないし。

 この調子でどんどんどかしてさ、じゃんじゃん砂金採っちゃいましょ」


 新入りの作業者たちに一通り仕事を伝えた俺は、皆から少し離れた所に立って“慣れ始めの危ない作業”をしていないか監視状態に入っていた。仕事に慣れ始めた時間帯が一番危険なのは、皆承知していたが、誰かが近くで見てやらないといけないのだ。だから俺がしている。

「・・・・・・やっぱマニュアルが欲しいな」

 そう呟いているときに、つば長帽子の少女が「何の話?」と近づいてきた。

「ん、いや・・・作業の方法が書かれている物が作れたらなって」

「魔導書みたいな? デモみんな字が読める訳じゃないんだよ?」

「皆が読めれば、じゃなくて・・・たとえばトーマスさんみたいにずっとここにいる人が解ればいいわけだし、そのトーマスさんが責任もって新人に教えてくれればそれでいいんだ。とりあえずは・・・」

「ふぅん・・・確かに、トーマスさん熱心だよね~」

 二人でトーマスさんを見やると、視線に気づいた彼が手を振ってくる。


 ここで不意に俺は、この隣にいる少女と協力すれば、いろいろできるのではないかと直感する。


 本当に不意の事で、自分でさえ戸惑いそうになるほどだった。

 衝動的に声をかける。

「なぁ、ベルガモットさんはこの国の字は書けますよね?」

「え、何よ急に・・・」

 ベルガモットが半歩引いて俺を見る。

「今日会ったばっかの人に“さん”付けされるのも気持ち悪~い。ベルでいいよ」

「じゃあベルさん、紙と筆はあるから、口頭で伝えている仕事をより正確にするために基本的な事を書いてほしいんだ」

 俺は倍増袋から白紙のコピー紙とボールペンを取り出す。

 真っ白で上等な紙を一枚ずつ渡しながら、書いてほしいことを列挙する。

「個人の役割分担、各工程フロー、禁止しなきゃならない危険行為、緊急時の対応に文官パルペイア氏への定期連絡に、あとそれから・・・」

「えぇ~~! ちょっと待って待って! ナニこの真っ白な紙ぃ! こんないいもので書くって贅沢しすぎだって~!」

 ベルガモットが困惑するのもお構いなしに、俺は最初の作業から最後の作業までのあらましを矢印で順序立てたラフ絵を書き上げる。

 俺の手に持ってるボールペンを見てベルガモットが驚愕する。

「ちょっとそれって! 中にインクが入ってるペン!? これ帝都の錬金術師が試作してるヤツとデザイン違うよね?! あんた一体、本当に何者なのよ!」

 ベルガモットの眼は、魔法使いが当然持つ魔力を視覚で感じ取る為の訓練を幼い頃から受けており、エイトが持つペンが魔力の無い普通の実用品であると看破した。

 看破したからこそ、そのペンが持つ精密さと品質に驚くのだ。

 ペン先の金属製極小ボールの高精度加工技術と固定技術。滲み出るインクの粘度が、従来の物では考えられないほどの高粘度で、文字が均一に書ける。

 均一な線を描き続けられると言うのは、書き手の技術に依るで、これだけ均一な線を掛けるのは、自分の姉くらいなものだ。

 しかしこれは至極簡単に、均一な線を書けていた。

「ちょっと貸して」

 ベルガモットはボールペンを借りて、コピー紙にサインし始める。最初は戸惑うようにペン先を慎重に走らせていたが、すぐに使いこなす。

 基礎的な帝国語アルファベット。十進記数。魔法に関する古代言語の走り書き。南部の民間魔法のまじない文字。逆さ文字に逆順線引きの毛羽けば立ち文字。最後は細かい装飾を付け加える産毛字。これをものの二分で書き続けた。

「おお・・・何だかよく解らないがすげぇ・・・カリグラフィだな」

「ふふーん、これぐらいわね・・・」

 コピー紙いっぱいに書き終え、クルクルとペンを回す。

 得意げな顔が真顔に変貌し、何かを思案する。

「う~ん・・・・・・よしっ」

 “ピッ”とベルガモットがペン先をエイトに向ける。

「アンタ、ビジネスマンっていう商人なんだよね? これから何か商談とか、採った砂金を元手に商売とか始めるつもりない?」

「ん? ア、アア・・・・・・砂金を売って旅の資金にするつもりだよ。

 ラクシュミーって街に行って・・・」

「うんうん、ラクシュミーなら砂金をすぐ金貨と交換してくれる金座があるね!

 じゃあ決まりだね!」

 “パッ”と明るい顔になるので、釣られて顔を引き攣る。

「――――なにが?」

「明日ラクシュミーへ行きましょう! それであんたと一緒に商売始めるの! このペンとか絶対貴族お抱えの研究者に高く売れるよ! コレ以外にも何かスゴイの持ってるんでしょ? フフン、このベルガモットおねーさんに任せなさい! この街に帰ってきたときには、私たち億万長者だよ!」

 この少女から発する魔法使い然とした姿からかけ離れた、すごく俗っぽい言葉に、俺は眩暈を覚える。

 しかし、俺はさきほど感じた直感は正しいとも思った。もしかすれば彼女と行動をともにすれば、なにか大きな進展があるんじゃないかと。

「う~ん、この世界を知らない俺と手を組んでくれるんだし・・・金儲け位なら協力するのも・・・いいかな・・・?」

「?」

「ああイヤ、わかった。明日だねベルさん。トーマスさんにもそう伝えるよ」

「決まりだね! じゃあ今日中にマニュアル作っちゃおうか!」


 こうして俺は、思っても見なかった形で新たな異世界の協力者を得た。彼女の名前はベルガモット。14歳。後で聞いた話では魔法使いの卵が集う学校を飛び級で卒業した才女らしく、自身の魔法研究の金策の一環で、俺と手を組む事を決めた。

 マニュアルをトーマスさん達監修のもと突貫工事で書きあげたのが夕方で、パルペイア氏にラクシュミーへ行く旨を伝えた後は宿屋に戻った。


 宿屋の女将にラクシュミーの街へ行くことを告げると女将は渋い顔になる。なんでもあそこは欲望と情念うずまく、あまりいい話を聞かない歓楽街だからだそうだ。

 俺はその事を聞いて不安を感じつつ、早めに就寝した。

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