14袋目 悪夢未来視

 悪夢とは、この世のものとは思えない悲惨な光景を指すのではない。

 この世のすべての常識に反する、不条理である。

 調和が無く、滑稽で、理不尽なものだ。



 4日目。俺はついに目を覚ます事が出来た。


「うおっ、なんか普通に戻ってる・・・!」

 少々頭痛が気になるが、視界に入るすべての情報に、幻想的な要素は皆無だった。両手を見つめて疑似神経が走っていない事を確認すると、今度は毛布を取り払って下半身の異常を確認する。しかし昨日までそこにあった混沌の蟲達に飲まれた俺の脚はすっかり元通りで、翻弄される叫び声もついに聞こえなくなり、コメカミに貝殻がぶつかる音もない。何を言ってるのか解らないと思うが、これらの不思議な体験はリアルな記憶としてまだ保存されている。

 部屋の隅で俺を見つめる目々めめもない。モナリザの絵画のようにずっとこっちを見ているという錯覚も解消され、俺が宿泊している部屋は静かな物だった。

 あの日、エリンにされた後の3日間は、とにかく意味不明な出来事の連続だった。ツタのような原子植物が全身と部屋中に無節操に生えてくるわ。無地の虫たちがこの部屋のドアで巣作りを始めるわ。窓を開けて空を見上げたら超巨大な魔法陣の片鱗と端っこが幾重にも、機織り機で形作るように運び営まられて世界の秩序を保持している仕組みを理解しかけるわ。ええと、あとなんだっけ・・・?

 嗚呼そうだ。この街の外に出た夢も見ていたんだった。思い出そうにもエピソードがまるで思い出せないが、「旅に出ていた」という事実のような確信がある。

「うーん・・・思い出せない。風邪ひいた時に見る夢だったか・・・?」

 夢というのは、一つの物語としてみるモノではない。同時に複数存在し、視点や意識によって夢を多発的に体験する。夢と判断して記憶に保持され、覚醒した時に忘却され、瞬時に想起。夢の内容をイイ加減に再確認し、うすぼんやりと再記憶する。だから大抵の夢は段落なんて関係ない、荒唐無稽かつ意味ありげなものたちばかりなのだ。だからすごい疲れるんだ。

「そうだ、外の様子は――――」

 俺は立ち上がり、平衡感覚も戻っていることにちょっと感動しつつ、窓を開ける。暗い部屋に光が射し、俺は眩しさにクラクラするのを我慢して空を見上げる。

 何もない、青々とした空。昨日と同じく雲一つない、けど多重に張り巡らせた超巨大魔法陣が存在しない、いつも通りの空に戻っていた。

「嗚呼・・・・・・なんか感動している・・・」

 窓を閉めて、俺は倍増袋を取り出す。そういえばこいつだけは何も変化がなかった。ただそこにあって、手を伸ばせばいつも通り俺の手元で袋でいてくれる。奇妙な話だが、こいつが袋であって良かった。送り主がアレじゃなければだが。

 倍増袋から着替えを取り出して素早く着替える。この3日間、吐瀉物にまみれないように床に這いつくばって苦しんでいたから、体中ほこりまみれだ。元の世界の日本での生活で、掃除洗濯の類がどれだけ便利な時代に生まれたかを思い知らされる。

「・・・・・・今日は俺の仕事あるかな」

 流石に3日間仕事を休んでは、俺の分の仕事はもうないんじゃないかと、今になって心配する。仕事を細分化すれば誰にもできない仕事は無いのだから、俺の分の仕事は仕分けられて、それぞれできる人間に振り分け直されているかもしれない。

 部屋を出てすぐ空気の移り変わりを鼻で感じ取り、扉を閉めて深呼吸する。ここで俺は、もうこの世界に馴染み始めているのだな、と現状を呑みこみ、受けて入れている事に気づく。

 階段を下りて1階に着くと、エリンが俺に気づいて歩いてくる。

「エイトー・・・」

「ああ、おはよう」

 なにかエリンに言いたいことや聞きたいことが山ほどあったのだが、それが何なのか、エリンの顔を見た途端失念してしまい、その場で固まってしまう。

「もういいのー・・・?」

「――――ああ、心配かけたな」

「朝ごはん・・・待ってねー・・・」



 3日目。エイトは無理やり目をつむってやり過ごしている。もう視界に何もかも映さないため、必死になって目をつむっている。もしバッグの中にセロハンテープがあったなら、喜んでそれを取り出して両目を封印していた事だろう。残念ながら俺の筆記用具にはテープの類はない。

「(なんだろう、この仰向けになったまま動かない感じ。確か・・・)」

 20代後半に患ったインフルエンザの時分を思い出す。季節を先取りするかのように11月末に吸い込んでしまった、たった1個のインフルエンザウイルス。俺の体の中で2, 3日潜伏しただけで100万個に増殖し、増殖を抑える為に白血球を大量に作り出す。高熱にうなされた俺は脱水症状にならないように点滴を初めて受けた。肘に注射した状態で1時間、片方の腕を曲げずに仰向けでじっとしていた時は、どうしようもなく退屈で、まだ残る体の節々の痛みと疲労感が眠気を妨げていた。幸いだったのは自分が若くなく、17歳をピークに少しずつ短くなっていく体感時間のおかげで、1時間を感じる時間は短く済んだことだ。

「(そして今も、時間の進みが早く感じるから、今日もなんとか・・・)」

 だが瞼の裏に見えるのは、幾何学な模様と立体的に展開する陽光の花弁だった。白とも黒とも赤ともつかない瞼の裏の世界は減色的に広がり、ネガティブな7色に彩られる。もやもやとした視界の中をじっくりと見続けるのはいつ以来か。閉じた世界は外の光に呼応してジワジワと変化する。

「(緊張して眠れなかったのは中1の夏大会以来かな・・・?)」

 心が弱ると、人は思い出を拠り所にするらしい。エイトは過去の自分を想起させ、苦痛を薄めるために回想にふける。

 しかし相変わらずエイトの足元には混沌とした虫のような生き物たちが蠢いている。静電気でビリビリとわずかに感じるそれは蟲の動きに合わせて肌を這い上がっていき、エイトはその不快感と温もりがベッドの中で自身の代謝を以て暖めたモノなのか、この色も輪郭も陰影も失った無地の蟲たちによる摩擦熱なのか、冷たい頭痛と針を刺したかのようなだるさで判断ができなかった。

 エイトはこのまま無抵抗に幻覚と風邪に似た症状に追い詰められるのだろうか。



 2日目。俺は昨日よりも最悪な状況下に、声にならない絶叫を上げようかと思う。

 まず、自分の手の平の上には、自分の手があった。右手の上には左手の、左手の上には右手が合わさる感触があった。目を凝らして視れば、自分が今まで意識していなかった神経の並びが見えてくる。それに余計な枝が分かれていくように、疑似的な神経が奔っていることを視覚と触覚で解する。


 ざりざりざりざりざり・・・


 ダメだ、これはダメだ。俺はムズムズする体をなんとか制御しつつベッドに入り込む。すると蟻が、無数の蟻が体中を這いずりあがる感覚が芽生える。

「――――――――」

 この宿には虫はおろか鼠一匹も見かけた事が無い、ちゃんとした宿だ。ましてや二階の個室には従業員が必ず断りを入れてから清掃作業をしていたはずなのに、なぜ今、このベッドの中で蟻が入り込んでいるのだ。

 ザリザリと無数にある毛穴をる感覚にむず痒くなりながら、安物の毛布をまくり上げる。無地側の蟲のような生物が、俺の足回りをびっしりと覆い尽くして、反射的に動いた足から逃げるように出入り口へ疾走。そのまま蜘蛛のような献身さで巣作りを始めていた。

 驚いて声を上げる前に貝殻がぶつかる音がする。それもコメカミに。


 ざりざりざりざりざり・・・


 挙句の果てには、ツタの様な原始的な植物?が、部屋中に生え、最終的に俺の前身に巻き付いて、頭の中でけたたましい悲鳴が聞こえる。嬲り者にされる最中でそれは間違いなく、俺に向かって叫んでいたし、その様をじっくりと観察する視線を感じ取ったのだ。

 俺は余りにも不条理で理不尽な幻に耐えきれなくなり、ここで意識が途絶える。



 1日目。エイトの違和感は眼を開くより早く感知した。

「んっ――――なんだ?」

 ベッドから慌てて起き上がり、部屋を見回す。

 朝だというのに、窓から差し込む光には力強い、銀の粉をちりばめた曙色。体の中まで浸透しそうな眩しい日光は、朝の雰囲気には不釣り合いだった。

「――――――まさか遅刻っ?」

 体内時計はまだ朝だが、陽射しは明らかに昼の強さ。エイトは窓に向かい、外を見上げる。

 暫しの沈黙―――否・・・否、度胆を抜かれ、動揺さえ許されない異常事態。窓を開けて空を見上げれば、そこにはエイトが思い描く「異世界」のイメージを超えた光景が写っていた。

 始めに認識できたのは、文字。あまりにも巨大ゆえ記号として呑みこむには少々時間がかかったが、それは一定の記号による組み合わせによって穏やかな曲線に沿うように文章化している。絵文字や句読点が存在しない、見た事もない文字群。

 次に呑みこめた事実は、それらは空いっぱいに広がり、時計まわりと反時計回りの円陣を、幾重にも重ねて運行されている事。

 連鎖的に認識したのはそれらの曲線に沿った文字群は、ファンタジーでおなじみの魔法陣であると、やっとエイトは理解したのだった。

「え・・・あっ・・・ぅえぇ・・・?」

「なーに呆けてんだよ、ダンナァ」

 口を大きく開けて狼狽えていたエイトに、男の声。目線を声のした方に向けると、正面に男が立っていた。

 宿屋の二階だったはずなのに、いつの間にか宿は1階だてになり、窓の外は不自然なくらい広い大地が広がっていた。

 エイトはここで、現実とは地続きではない、夢ではないかと疑い出す。だがこの夢の流れの中にあってエイトは、川の流れに逆らう藁に等しかった。

「――――――あ、ああ。わりぃ」

 エイトはさも当然の如く、男の呼びかけで正気に戻り、部屋にあった倍増袋に手をかざして、袋を飛び寄せる。男はニヤッと笑って見せて、エイトに手を伸ばす。

 男は見知らぬ風貌の、呪われた男だった。

「ほらよ、旅はまだ長いんだ。最初っからダラけてたら帰れないだろ?」

「そうですよ」

 今度は後ろから声がした。しかも女性の。エイトは振り返ると、女性は両手でエイトの背中を優しく押していた。

 この女性もまた見知らぬ風貌の、神秘的な女だった。

「途中で羽を休めても、道草を食うのも構いませんが、帰ると決めたのでしょう?」

「あ、ああ・・・・・・そう・・・だな」

 なぜ、この二人はエイトに親しげにしているのか。

 なぜ、この二人はエイトの元の世界にかえる帰る目的を知っているのか。

 なぜ、この二人を見たエイトは安堵して、心に近い距離を許しているのか。

 エイトはそんな疑問さえ思い浮かばず、夢の中で旅を再開する。

「そうだ・・・そうだよっ、次の目的地は――――――」



 静かに、場面が移り変わる。見た事ある天井。わずかに湿り気を感じさせる空間。枕から外れて奇妙な体勢で寝ていた頭は、少しずつ現実味を取り戻し、鼻で浅く息をしてから、カッと口を開いて起き上がる。そのままの勢いで俺は倍増袋を取り出し、携帯電話のスケジュール表を見る。スケジュール表では今日の日付を黄色字で表示されるので、俺はさっきまで眠っていた目をコスって起こし、小さな画面を凝視する。

 日付は、1日しか経っていない。時計は午前7時を回ったばかりだった。

「・・・・・・・・・」

 俺はこの4日間の不可解な記憶を思い出す作業を、携帯電話の設定画面で、すべての設定が間違ってないか確かめてから掘り返していた。

 まず俺は、最初の記憶が4日目の風邪が治ったリアルな夢から、1日目のよく分からない夢までの、日付を逆行していた事に戦慄する。

 だが戦慄してどうだというのだ、と思う。

 夢と言うのは普通(世間一般で言う普通とは異なると思うが)意味をなさない。この魔法が遍在している異世界に飛ばされて、困難な状況が続いて、それが夢に反映されたんだと、無理矢理納得させるしかないのだ。

 右手で顔を覆い深いため息をつくと、ノック音。俺は不意にエリンが起こしに来たのかと思い、その瞬間、先日エリンとのやり取りを鮮明に思い出したのだった。

「エリンか?」

 だが扉をゆっくりと開けた人物は、意外な人物だった。

「ほっほ・・・随分とやつれておるのぉ」

 それは魔狼の長の一件で世話になった墓守の魔法使いだった。俺の指をくっつけた時と変わらぬ、魔法使い然とした好々爺だ。愛嬌のある顔つきに、俺は深刻にしていた心に隙間ができたことで息をつくことができた。

「墓守の・・・じいさん?」

 こんな朝早くの来客に俺は困惑したが、墓守の魔法使い、老ベルデュランの後ろにエリンがいた。昨日と変わらずぼーっとした顔だった。

「この子に頼まれてのぉ。

 助けたお礼と称して、とんでもないモノを授かったそうだの?」

「ん?」

 俺は不意に両手で目の周りを触る。それから俺はベルデュランと目を合わせる。

 ベルデュランは顎髭をなぞり、細かい皺が寄って小さく見える目をカッと見開く。

「これは――――なるほどの」

 その時のベルデュランの表情は、なんといったらいいか。思いがけず長年探し求めていたお宝に出会ったベテランの冒険者か。はたまた自分では持て余す伝説の武器を手に入れた、未熟を自覚する戦士か。いや、ここはストレートに昼と夜の光を逆転させる、そんな強大な魔法の儀式を書き記した書物を手に入れた、魔法使いの心境か。

 求められるように、俺はベッドを離れて椅子を掴み、部屋の真ん中に座ってベルデュランを待つ。老魔法使いは俺の前に立ち屈んで俺の目を診察する。エリンは真似るように俺の目をボーッとした顔のまま覗き込む。

「うぅむ――――」

 小さく唸り声を上げ、俺の下まぶたを指でずらして、さらによく調べようとする。

「これは――――」

 一瞬、ベルデュランは左上を空視し、記憶の中から該当する目の状態を検知する。

「まちがいない」結論を言うと思いきや「とりあえず、封印じゃな」と、俺の右目に向かって両手を十字に重ねて、何かつぶやく。

「んぎゃ――――!!」

 痛みは無いが、なにかよく解らない薄い膜状の物が目の中に入った感触があった。

 続いて左目にも十字で重ねた掌に、俺は歯を食いしばって、またあの衝撃を食らう。今度は変な声は出さなかったが、途端に全身にけだるさが襲いかかってくる。

「んん?・・・おぬし、風邪をひいとるようじゃの」

「・・・ついでに治してくれねぇか?」

「何を言っとる。風邪に利く魔法はない。養生するんじゃよ」

 そう言って、そそくさと帰ろうとする老魔法使い。

「あっ?! チョ、ちょっとまってくれ!」

「眼の事は心配せんでもええ。その子からもらった眼は善意によるもの。ただ・・・有効に活用できるまで多大な時間を要する。つまり、時間経過で段階的に解除する、そういった封印を施したでの。自分の両目に何が起こったかは、自分でよく確かめて、理解した後はすべての人々を助けるくらいに一杯活用するといい。

 ――――では、朝食がまだなのでこれで帰らせてもらうかの・・・」

「んー・・・ありがとねー・・・」

 エリンがゆっくりと扉を開けて、ベルデュランは帰宅した。

 俺は事態が呑みこめず、とにかく全身をけだるさと神経的な鈍痛に襲われていることに我慢できず、ベッドにもぐりこむ。

「エイトー・・・」

「・・・・・・意味わかんねぇ・・・意味わかんねぇけど・・・俺は風邪で休むって皆に伝えといてくれ。――――も~~ヤダ。もう1回寝る!」

 そう言って俺は口を噤んでエリンと会話するのを拒否する。無理やり寝ようとするが、頭の中では自分の身に起きたことについて考えを巡らせていた。

 おそらくだが、お礼と称してエリンから何か“目に関するモノ”を貰って、それによって悪夢を見た。・・・いや、風邪を引いた時に見る悪夢と混ざって、未来で起こる出来事とセットになってみていたのだろう。

 ほら、よく創作物であるじゃないか。眼に関する特殊能力。「未来視」が。

「(俺はそれを見たんだ。風邪を引いたコ〇ン君が酒を飲んだ時みたいに・・・

 最悪の組み合わせで、悪夢を見る未来を意味不明な順番で見てたんだ・・・)」

そう自分に言い聞かせて、俺は改めて3日間、仕事を休むこととなった。


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