episodeー6

 行ってどうするとか、まず何を話すとか、取り留めのない自問自答の間にも一哉いちやの足はステージの袖に向かって進んでいた。

 女子大生に囲まれている常陸ひたち目指してただ只管ひたすら歩いた一哉は、勢いのまま常陸の右腕を掴んだ。


「このお兄さん、ちょっと借りてくよ」

「え、ちょ、わた……」

「あ、着ぐるみのお兄さんも一緒にどうですか? 私達これから……」

「ごめんね。お兄さん達これから二人で大事な話あるから」


 女子大生を振り切って常陸を強引に連れ出した一哉は、人気のないあの水族館の裏手を目指して黙々と歩いた。

 後ろからただ黙って手を引かれるままに付いて来る常陸は、浴衣のせいもあって歩幅が合わないとばかりに足取りが少し覚束ない。


「あの、ちょ……綿貫わたぬき君……」

「それ、止めてくんない? 普通に一哉って呼んでただろ」

「……そう、だっけ? 久しぶりで忘れちゃっ……」

「じゃあ、思い出して」


 水族館の従業員入口の壁に常陸を囲う様に追い詰め、一哉は驚いた常陸の唇に触れる直前で動きを止めた。


「良いの? 抵抗しなくて」

「……何?」


 大きく見開かれた常陸の目は、少し怯えている様にも見える。

 それでも、そこから固まった様に動けない常陸に言葉を返す前に一哉は唇を寄せた。

 十年ぶりの感触。重なった柔らかな肉片を確かめる様に押し当てる。

 熱を持った薄い唇を舌先で舐めると、常陸の肩がビクリと一瞬震えた。

 躊躇いながら薄く開かれた隙間に、熱を押し込んだ一哉はそのまま常陸の細腰を自分の方へと抱き寄せた。


 浴衣の胸元を握り締めていた常陸の手が、確かめる様に一哉のTシャツの胸元を躊躇いがちに握り締める。

 距離を取りたいのか、縋りたいのか、常陸の内心を探る様に一哉は常陸の背筋を下からなぞって項を片手で抱え込んだ。


 熱気を含んだ海風が互いの熱を上げる。

 ただ今は、それ以外の事が出来ない。

 堰を切った様に溢れてしまう感情を宥めるには、衝動に任せるしかなかった。

 鼓動は高鳴っているのに、溜飲が下がって行く様なアンバランスな感覚に一哉は一旦常陸から離れる。


「……何で……こんな事するの?」

「じゃあ、何で拒否らなかった?」

「そ、れは……」

「何で嘘ついた? 何で名前じゃ無くて苗字で呼んだ? 何で、俺におめでとうなんて言わせたんだよ!」


 常陸の両肩を掴んで揺さぶる様に問い質す一哉は、多分今も十年前と変わってない。

 好きだから――。

 その一言が欲しくて、言葉を知らなかった十八の一哉は逃げた。

 言葉の少ない常陸の気持ちをただ確かめたくて、十年前より少し上手に言葉が使えるようになっても、常陸の前では十八のままの衝動が起き出して来る。

 

 ただ好きだと言われたい。


 花火の一投目が咲いた。

 常陸のひとみに橙色の星が映り込む。

 一哉は諦めた様に目線を逸らした常陸の眸を、その合わない目線を睨み付けた。


茜雫せんながバラしたの……?」

「いや、委員長から聞いた」

「そっか……。やっぱり香坂こうさかにはバレちゃうんだな……」

「どっちみち、バレるだろ……そんな子供だましの嘘なんか」


 常陸は一哉が地元に帰って来ると知った茜雫からこの茶番を提案されて乗っかった、と白状した。

 茜雫はただ一哉に嫌がらせがしたかった様だが、常陸は自分に都合が良かったから、と俯く。


「だってもう……好きになりたくない……」


 常陸は、震える様なか細い声でそう呟いた。


「また置いて行かれたら、もう……耐えられない……。それなら、最初から遠い所にいた方が、良い……」

「じゃあ何で、俺を試した? おめでとうって言わせて俺の気持ちを図った?」

「い、一哉だって、十年前に僕の事試したんじゃないか!! あんな風に何も言わずに忽然と消えておいて……今更、自分だけ忘れてないとか……バカみたいじゃないか……」


 自分の言った事で思い出したのか、握り締められていたTシャツの胸元をグッと押し戻される。

 

「うん、ごめん。ごめん……常陸」


 常陸の頭を抱える様にして、一哉はその首筋に顔を埋めた。


「置いて行かれて、息苦しくて、それでも君が幸せになるならって……そう思ってたのに……帰ってくるとか……」


 甘える子供の様な声。

 多分、誰も聞いた事が無い常陸の鳴き声。

 うん、と後頭部を撫でて一哉は滑らかな白い首筋に唇を押し当て息を吐いた。


「俺はお前が女がダメだとか思ってなかったから、俺に流されてるだけだとしたら、お前の将来に響くと思った。だから……ごめん……」

「聞きもせずに逃げるとか……狡い……」

「うん、ごめん。常陸、好きなだけ責めて良いから……好きって言って」

「そう言う所が狡い!! 何で僕ばっかり……」

「言われたい。お前から、好きって言われたいんだ」


 十年前からずっと――。

 花火の音に掻き消されない様に、一哉は常陸の耳朶に唇を押し当てる様にしてそう呟いた。

 夜空に花が咲く度に歓声が遠く聞こえる。

 空を叩く火の花の音は空気を震わす程響いて、暗がりの中の二人を探し当てる様に光を放って来る。


「どうしようもないんだ……好きで……仕方がない」


 一哉の肩に押し当てられた額と頬に触れる細く柔らかな髪が少し震えていた。

 降参とばかりに常陸の口から力なく零れたその一言に、一哉の鼓動は大きくもう一度始まりの音を打つ。

 背後で響く太鼓を乱れ打つ様な音と遠くに聞こえる歓声が途絶えたような錯覚を起こして、一哉は一瞬、常陸の眸を覗き込んだ。

 磯の香りに混ざる火薬の匂い。

 初めてキスをした、あの日見た夢の続きが二人だけの狭い世界をグルグルと廻り出す。


 一哉は常陸の膝の間に自分の膝を割り入れて、肌蹴た裾から片手を滑り込ませた。

 何かを堪える様に膝を閉じようと抗う常陸の足に一哉の片足は囚われ、女より少し硬い太腿に片手を這わせる。


「ちょっ……と……い、一哉!?」


 身を捩る常陸を引き寄せて耳朶を食んだ。


「俺も……好きだ。好き……」

「君は、ホントに狡い……」

「もう他の誰にも触らせないで。アメ車の男にも、茜雫にも……誰にも……」

「な、ちょ、耳元っ……」

「じゃないと嫉妬で狂いそうだ」


 一哉は顔を逸らした筋張った常陸の首元を甘噛みしてそのまま吸い上げた。

 その瞬間短く甘い声で呻いた常陸の白い肌に紅い花が咲いて、一哉はそれを愛おしげに舌先で舐める。

 てらいなく外で男を抱き締める程度にはもう狂っている。

 嫉妬も執着も、自分を狂わせるのは常陸だけだと、もういい加減分かったから廻り続けるしかない。


 これが明けない夜の覚めない夢だとしても、君がいない世界に用は無い。

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回遊魚は覚めない夢を見る。 篁 あれん @Allen-Takamura

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