episodeー5

 止まったら、死ぬと思っていた。

 でも、案外止まっても普通に生きている。


 祭の当日、言いだしっぺがどうとか、良い様に委員長に言われて学生達が用意したと言う猫の着ぐるみを着せられた一哉いちやは、スタンプラリーの景品配布場所で子供達に3Dメガネを配っていた。


「だぁ! あっつぃ!!」

「お疲れ、お疲れ! 交代するから休憩して来て良いよ。本部の裏手に簡易のシャワールームあるから、汗も流せるぞ」


 交代要員に白羽の矢が立ったシゲが冷えた水のペットボトルを持って来て、やけに楽しそうにしてやがる。

 一哉は絞ったら滝の様に汗が出そうなTシャツを脱ぎ捨て、下半身の毛皮を剥ぎ取る。

 ひと回りくらい痩せそうな汗の量だ。


「ったく、委員長のヤツ、もっと若い奴にやらせろってんだよ!」

「まぁまぁ、良いじゃないの! 祭は楽しまんと損するべ。浴衣美人眺めて来いよ」

「いやもう、帰りてぇわ……」


 あの日以来、常陸ひたちとは一言も口をきいて無い。

 ステージの傍でイベントの進行をしている常陸と即席の猫には今日も全く接点は無かった。

 このまま祭が終わって、連絡を取り合う事も無く気持ちだけがわだかまって行くのかと思えば、もういい加減ケジメを付けなければと言う大人としての正しい選択も頭では分かっているのだ。


 半裸のまま一哉は本部の裏にあると言う簡易のシャワールームに向かい、ザッとシャワーを済ませて、大学生達が祭の為に作ったTシャツを一枚買って着替える。


「ワ、タ、イ、チッ!」

「いっ……て!」


 団扇の角で肩を叩かれた。

 委員長は紺地に菫色の牡丹の柄の浴衣に銀糸の刺繍の入った帯を締め、装いは淑やかだが、中身は通常運転らしい。


「委員長か。似合ってんじゃん、浴衣」

「ワタイチも着ぐるみ似合ってたよ」

「サイズさえ合えばだれでも似合うんだよ、あんなもん! 俺もう、帰って良いか? 流石に疲れた……」

「セラヒタと花火見て行かないの? 花火の間は職員も仕事無いから、今の内に誘ってきなさいよ」

「バカ言うな。結婚間近のカップルに水なんか注せるかよ」

本物バカだったのね……あんた」

「はぁ?」


 呆れた、と言わんばかりに額に片手を当てた委員長は「来な」と顎を癪ってステージ袖から死角になる広場内のベンチへと一哉を連れて行った。

 ステージでは大学生達のダンスサークルの公演中で、爆音の響く会場では結構な盛り上がりを見せている。


「ほらあそこ、セラヒタ頑張ってるねぇ」


 ステージの袖で藍染の浴衣を着た常陸が出待ちの学生に囲まれている。

 そう言えば市役所員は全員浴衣だった、とその初めて見る浴衣姿を一哉は遠目に眺めた。


「そんな愛おしげに見る程度には、まだ好きなんでしょ? セラヒタの事。下手な嘘に騙されて、周りが見えてないのに粋がってんじゃないわよ」

「嘘……? でも、常陸の口から結婚するって……俺は、そう聞いた……」

「結婚!? あっは! セラヒタも大胆な嘘つくねぇ。その内バレるって分かってるだろうに……。あんた、茜雫せんなに騙されてんのよ。あの人、あんたにフラれたの根に持ってるから……」

「ちょ、ちょ、ちょっと待て! 何で嘘だって言い切れるんだよ?」

「あんたと違って、セラヒタは生粋のゲイだからよ」


 一瞬、ダンスミュージックが途切れて完全な沈黙が鼓膜を通り過ぎた。


「は?」

「セラヒタは男じゃないとダメな真正なのよ? なのに、天然水で純粋培養されたセラヒタにあんたみたいに男も女も齧れるわけない。まして結婚なんてあり得ないわ」

「……でも、あいつは男、いるだろ」

「アメ車に乗ってる長身で黒髪の、ちょっとS気の強そうな……?」

「そう、ソレだ。この前、偶然見た……」

「セラヒタが付き合う男って皆、似てるのよね。容姿って言うか、雰囲気って言うか……優男風なのにS気が駄々漏れててあっちの手管もネチこそうな」


 委員長は「あんたにソックリ」と一哉の方へと視線を寄越した。


「手管て……」

「当たってるでしょ?」

「当たってねぇわ! 別に俺はSじゃねぇ……」

「黙って音信不通になって、追い掛けて来るのか試す様な人間がSじゃなくて何だって言うのよ? 結局、当てが外れて十年も回り道して……面影を追わされてる方は堪ったもんじゃないわよね」

「俺は別に試してなんか……ただ、俺と一緒だとあいつは幸せになれないと思っ……」

「セラヒタが追い掛けて来たら、突き放せなかった癖に。ダサい言い訳するんじゃないわよ。あんたはセラヒタに求められたかっただけでしょ」


 もし、常陸があの時追い掛けてくれていたら、突き放す事なんて出来たハズが無い。

 それが分かっていたから、遠くに逃げる方法しか思いつかなかった。

 いつか来る、どうしようもない別れから逃げる方法はそれしかなかった。


「でも男同士の不毛がどんなものかを良く知っていたセラヒタは、女も抱けるワタイチを追い掛けたくても追い掛けられなかったのよ」

「何で委員長はそんな事まで知ってんだよ?」

「そんな事も分からないから、セラヒタの下手な嘘に騙されるんでしょ? ヤリ方だけ覚えて恋愛は素人なんて、人の皮被ったただの猿よ」


 呆然としていた一哉の唇に、委員長の濡れた唇が一瞬だけ重なった。

 伏せられた睫毛に現状を把握して、一哉は慌てて身を引く。


「なっ……にして……」

「相談料に貰っといてあげる。セラヒタが下手な嘘までついてあんたを遠ざけるのは、そうでもしないと惹かれてしまう事を知っているからよ。良かったわね、愛されてて」


 意味あり気にニヒルな笑いを浮かべた委員長の後姿を、一哉は返す言葉もなく無言で見送った。

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