第2話 中年騎士団長、雄っぱいに翻弄される。

 その生き物と出会ったのは、俺の副官が出張に行きやがった二週間後のことだ。

 その日はとにかく忙しく、訓練で部下が調子に乗って怪我なんぞして始末に追われていた。おかげで週に一度の報告書作成する時間がほとんど残っていなかった。

 確かに書類作成の仕事を溜め込んでいる自分も悪いが、何も今日じゃなくてもと八つ当たりしたいのを必死で抑え、怯える部下達に見送られ執務室に戻った。

 大量にある書類を前にて途方に暮れていると突然ドアが開き、謎の物体が部屋に入ってきた。威圧を放つが微動だにしないため疲れのあまりに見た幻覚だろうと再び書類に手をつけようとしたところ、目の端で何やらもそもそ動く生き物。

 再び「それ」に目を向けてギョッとする。


 全裸の女⁉︎

 そしてなぜ勢いよく後ろに一回転⁉︎


 酷く混乱した俺は顔を上げられないでいた。それでも一瞬見えた白い肌と黒い髪が網膜に焼き付いて離れない。ガタイの良い騎士専用に作られたデカい机の向こう側に彼女はいる。

 暗殺者ではないだろう。それなら奴ら特有の臭いがする筈だ。俺はそういう嗅覚に長けていて一時王族の護衛をしていたくらいだ。まぁ、色々とあって今は騎士団長という地位にいるが。

 ふと目を向けた先には机の端から覗く黒髪に黒い瞳。その目は興味津々といった様子で俺を見ている。未だ見える白い肌に気づき「何か着ろ」と言うと、謎の皮のようなものを身につけていた。一体何だそれは。


 その後、生き物もとい彼女は、俺の執務室に週二回来ている。

 彼女の持ってきたデンタクという道具で、騎士団での経費の計算が数時間で終わるのだ。俺が使うと壊しそうだから彼女に頼んで計算してもらっている。

 さらに彼女からの助言で「シワケ」というものを教わる。

 これは俺も驚いたが、副官である奴ならもっと驚くだろう。まず部下からくる経費の報告から項目ごとに分けて提出をさせ、ここでは最終の確認をする流れだ。細かい計算はデンタクがしてくれる。


 俺は彼女の来ない日は外勤、彼女が来る日は内勤をすることにした。

 これで副官が戻っても文句を言われないだろう。俺に死角はない。

……そう思っていた時期が俺にもあった。

「労働の報酬を頂きたいのですが」

 もう見慣れた謎の皮を身に纏う彼女は、俺にそう言った。

 報酬については考えていた。彼女が手伝ってくれたおかげで終わりの見えない仕事ではなくなった。

 金貨何枚になるだろう。金に困っているわけにはではないが俺の懐から出すから限度がある。

「今の手持ちは少ないが必ず用意する。金貨何枚だ?」

「お金は要りません」

「何? 宝石か?」

「いいえ、その、あの、えっと」

 不意に頬を赤らめた彼女の恥じらう姿に、俺は心臓が鷲掴みにされたような錯覚を起こす。何だ、何かの呪いか?

 固まる俺に構う事なく彼女はその大きな黒い瞳を蠱惑的に光らせ、モジモジしながら俺を上目遣いで見てくる。

 ますます彼女から目が離せなくなる。

 ゴクリと生唾を飲み込む音が、いやに大きく響く気がした。

「欲しいのは団長さん、です」

 な、なんだってー!?

 思わず叫びそうになるのを必死に止める。俺を? 彼女が? 馬鹿な。俺のような筋肉ムキムキ中年オッサン騎士を彼女が求めるわけが……。

「あの、最近男性と接することが少なく、そこで今回の報酬に、その、だ、だ、抱きしめていただくというのは……」

「は? 抱きしめる?」

「はい! その逞しいお胸もとい、筋肉に包まれたいのであります! 団長!」

「そ、そうか、そういうことか。な、なるほどな」

 とりあえず腕を広げると、トタトタと駆け寄ってきた彼女は俺の胸に飛び込んできた。

 温かい。柔らかい。そしてこの謎の皮の触り心地たるや……ふわりと良い匂いがする。香水とは違う甘い香りは、きっと彼女の匂いだ。

 彼女は俺の盛り上がった胸の筋肉と腕の筋肉に挟まれているにも関わらず、苦しそうにすることもなくにスリスリと頬を擦り寄せている。

 俺の胸元に何度も触れてはため息を吐き、時折匂いを嗅ぐような鼻息が聞こえる。なんだ? 俺は臭いのか?

「はぅ……至福……おっぱいおっきい……」

 何やら呟く彼女の蕩けるような笑顔を見て再び俺は固まる。何だ。一体何なんだこの小さな生き物の愛らしさは。俺の体が固まるのは何故だ。やはり呪いか?

 妙な事を考えているうちに存分に「肉体」を堪能した彼女は、少し紅潮させた顔に満面の笑みを浮かべて俺からそっと離れた。少し残念などとは思っていない。絶対に思っていないぞ。

「これだけで、いいのか?」

「はい! あ、でも」

「何だ? やはり金貨か?」

「いえ、定期的に報酬を頂きたいなと」

「今のを、か?」

「はい!」

 何という……何という欲の無さだ。この娘は己の価値というものを分かっていない。

 どうやらしかめ面をしていたらしい俺に、彼女は申し訳なさそうな顔をする。

「やはり分不相応な願いでありますか?」

「い、いや、そうではない。もっと他にもないのか」

「え? もっと良いのでありますか? なら、膝の上に乗せて抱っことかいやいやそんな強請りすぎ……」

「いいぞ」

「マジすか! ヒャッハー!」

 そう言うや否や歓声(?)をあげて、椅子に座っている俺の膝に乗る彼女に思わず腰を引いてしまう。さっきの抱擁で心も体も盛り上がっていた事に今更ながら気づいたのだ。危なかった。少しズレていたら大惨事だった。

 それにしても彼女は小さく軽く、柔らかく良い匂いだ。

「あ、ごめんなさい。重くないですか?」

「平気だ。軽すぎるくらいだ」

「ですよね! 太腿も岩みたいに硬くて逞しいし、さすが鍛え方が違う!」

 嬉しそうに俺の膝の上で上下に体を揺する彼女。それによって、彼女の体の柔らかい部分がよく分かってしまう。そして危ない。先程鉄の意志で治めた俺の分身が盛り上がっていく。

「おい、よせ、危ない」

 彼女の動きを止めようと体に腕を回すと、ふにょんと何かが当たる。

 そう。彼女は皮一枚身につけているのみで、基本は全裸……

「ブハッ‼︎」

「うわっ、団長さん⁉︎ 急にどうしなすった⁉︎」

「き、きにするな、ゲホッグフッ」

「気になるよ! めっちゃ気になるよ!」

 少しむせただけなのに異様に慌てる彼女。どうにかしようと思い彼女を再び抱きしめる。 おお、大人しくなった。これは何だか面白い。さっきは普通だったのに今は顔が真っ赤になっている。

「も、もらいすぎであります……団長さん……」

 思わずニヤけそうになる顔をどうにか無表情に戻しつつ、俺は彼女の言葉が聞こえなかった振りをして、彼女が自分から離れるまでそのままでいる事にした。


 信じられないことに、そんな自分がこの不思議な生き物にプロポーズしたのは、副官が戻って来る三日前のことだった。そしてプロポーズから三日後に新たな騒動が起きるのだが、それはまた別の話だ。

 今はこの小さな愛らしい生き物が、自分の腕の中にいる事を堪能しようと思う。

「あにょ、もういいれふ、はひゅ……」

 すまん。やりすぎた。


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