シャイン

柊らし

Shine

 入学直後のホームルームは、自己紹介のために充てられる。まだお互いを知らない一年C組の中学生たちは、出席番号順に立ち上がり、内心自意識過剰に、傍から見れば凡庸に、挨拶の言葉を済ませて座る。

 男子番号が一巡し、女子の番が訪れる。この時点でホームルームの平穏は事実上終わっている。出席番号十四番(女子一番)は自己紹介をするつもりがない。

 赤坂佐奈は凛として立つ。彼女は前世を発表する。

「わたし、今はアカサカサナだけど、昔はアカサカサナじゃありませんでした。昔っていうのはつまり、ゼンセのことです。

 わたしのゼンセは、深海で暮らす、フルーツインゼリーみたいな生き物でした。体長は五センチくらい。皮膚はうすくて、半透明をしてました。明るい場所で透かしたら、心臓がゼラチンの中に閉じこめられた果肉みたいに、プカプカ浮かんでいるのが見えただろうと思います。今ふりかえってみれば、あのときのわたしは、クラゲの仲間だったのかもしれません。あるいはクリオネとか、そういうの。

 でも、その頃のわたしは自分がナニモノかなんて、ぜんぜん考えたこともありませんでした。わたしが考えていたことはひとつ。それは神さまのことでした。

 神さまっていうのは、太陽のことです。さっきも言ったとおり、そこは暗い海の底でした。ほとんど一筋の光も届かない世界で生きるわたしたちにとって、太陽は神話の中だけに登場する、全知全能の神さまそのものでした。わたしたちは日がな一日、闇のしじまに揺れながら、辺り一面に満ちあふれる光ってどんなのだろう? と想像しては甘美な憧れに浸っていました。光が口の中まで入ってきたら、それはどんな舌ざわりがするのかな、って。考えるだけで胸がきゅんきゅんなりました。

 ある日、神さまはやってきました。

 水深一○○○メートルの水中に太陽は降臨しました。わたしたちは驚喜しました。祈れば夢は叶うんだ! って。

 その海域は聖地と呼ばれ、深海には、神さまに拝謁するための行列ができました。水圧と暗闇に心とからだをゆがめられた、たくさんのかわいそうな生き物たちの列です。行列は地球のいちばん深い場所から、降臨した神さまが浮かんでいる深度まで、えんえん上に向かって伸びていました。まるで海の中に突如出現した、天国への階段みたいに。

 わたしは最後尾に並んで、ときがくるのを今か今かと待ちわびました。

 何時間も、何日も、何週間もかけて列はじりじりと進み、とうとうわたしの順番が訪れようとしていました。辺りにはこれまで感じたこともないほどの強い光が満ちていました。前のサカナの輪郭が、滲んだように輝いていました。海藻の色が見分けられました。ひかり、ひかりだ。わたしは恍惚となりました。すごい、明るい、気絶しそう。

 神さまの前に立ったとき、わたしは固く目をつむっていました。太陽を直接見たら、目がつぶれてしまうと思ったからです。

『よく来たね、わたしの可愛い子』

 目を閉じたままのわたしに、神さまはいいました。

『おいで。もっと近くに寄ってもいいんだよ』

 はい、神さま。わたしはおずおずと進み出ました。おそるおそる薄目を開けると、牙の生えた大きな口が、すぐ目の前にありました。神さまはわたしにキスしてくれるつもりなんだ。わたしは泣きそうになりました。

 そのときです。神さまがげっぷをしました。びゅう、とからだを撫でていく臭い泡を浴びた瞬間、こいつちがう、とわたしは悟りました。百年の恋から醒めるみたいに、きっぱりと。

 だって神さまがげっぷなんてしたら――だめじゃん!

 チョウチンアンコウの歯が、バチン! と閉じて、わたしの下半身は食いちぎられました。それでもわたしは残った上半身だけで、きびすをかえして逃げ出していました。チョウチンアンコウは追いかけてはきませんでした。堂々と神さまのふりを続けて、参拝客を喰らい続けているほうが美味しい、と判断したのでしょう。

『あんなの放っておいてもすぐにくたばるだろうしな』って。

 たしかにわたしはくたばりました。でも、すぐっていうわけじゃなかった。昇ってきた道を逆戻りして、もぐってもぐって、海底の岩盤の影に身をひそめて、失ってしまった下半身を抱きながら、わたしはゆっくり命をなくしていったのです。別に痛くはなかったです。そんなに高度な神経、なかったですから。

 わたしの目はキラキラ輝いていました。胸は興奮でいっぱいでした。動悸が止まりませんでした。死に瀕していたのとは別の理由で。

 あんなの、ありなんだ!

 網膜に焼きついたあの悪魔――チョウチンアンコウの姿を思い出しては、わたしの原始の魂は、どきどき、ときめいたのです。

 思いつかなかったなあ、自分で光るっていうアイデアは。

 夢、叶わなくたって。自分が夢になれるんだ。

 素敵。

 わたしは意識を集中して、祈って、祈って、祈りました。わたしも光りますように。わたしも光りますように。祈りながら息絶えました」

 話の途中から既に、アカサカサナの体は発光をはじめている。それは拡大する。心臓から出発し、外の世界に突進して、女の子の夢はとどまるところを知らない。

 目もくらむような強い光に当てられて、クラスメートたちは失神してしまう。職員室から、異常を察知して、サングラスをかけた教員たちが駆けつける。アカサカサナは一瞬取り押さえられそうになるが、オトナの腕が少女の体に伸びた途端、彼女の光は質量を持ってそれを押しかえす。

 ピカピカピカピカ。女の子の夢はとどまるところを知らない。


 一年C組の教室が、光の中に、溶けた。


(おわり)

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シャイン 柊らし @rashi_ototoiasatte

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