lovers' tiff



aoi:今日こそ絶対行くから! 17:25

saori:はいはい 一応待っとくよ~ 17:26


 メッセージアプリを閉じ、窓に目をやる。向かいの窓から沙織が手を振っていた。私もそれに手を振り返し、帰り支度を済ませて席を立つ。

 エントランスを出て大通りへ。適当なタクシーを捕まえ、運転手に指示する。「一番近い駅までお願いします」

 揺れる車内で携帯端末に目を落とす。表示された地図には×マークが縦に幾つも並んでいる。そこに新たなマークが足されるまで、そう時間はなかった。

 電車、バス、どちらも収穫はなし。駅に併設するアミューズメント施設は言わずもがな。途方に暮れて外へ出ると空が暗くなっていた。


saori:やっぱり駄目そう? 18:08

aoi:待たせちゃってゴメン…… 18:09

saori:適当に残業しとくから九時くらいまで大丈夫 18:09


 気を取り直し、周辺のアーケード街を回ってみる。一軒ごとに密着した通りの入口はまるで束ねたストローのよう。縦に進むことを強制し、横への通行を認めない。それらを尻目に歩いていると、突き当たりにビル。結局、×マークが更に増えただけ。

 どうやっても×マークの列から西側へ行くことができない。沙織に会いに行こうとすると必ず壁かビルに阻まれる。

 交通の要となる駅でさえ、出入口は必ず東側に面していて、西へのアクセスを拒む。色んな人に訊ねてみたけど、誰も知らなかった。境界はどこまで行っても東西を隔て続けていた。


aoi:沙織は道、知らない? 18:52

saori:まだ使ったことないけど、東に向いてるトンネルがあった 18:56

saori:会社の前から四つか五つくらい先の通りだけど 18:56


 沙織の言葉に従い、地図を確認してみる。言及された通りには確かにトンネル入口があり、東側にも対応するように入口がある。全く別のトンネルという可能性もあるけど、まぁ、その時はその時だ。

 再びタクシーで向かう。近くの交差点は混んでいたものの、トンネルに入ると途端に車通りが少なくなる。その時点で私はやや落胆した。もしこれが西側に繋がっているとしたら、ここ一帯では唯一の経路になる。もっと渋滞していなきゃ不自然だ。

 私の予感を裏付けるように、車道は緩やかにカーブし、徐々に南へ進んでいく。やっぱりこの街はおかしい。明らかに意図して東西が隔てられている。


aoi:今トンネル走ってる 19:18

saori:もし今日会えたらさ、どこ行きたい? 19:18

aoi:とりあえずご飯食べにいきたい! 19:18


 文面でだけは強がってみせる。きっと今日も会えない。そう仕組まれている。

 高速で過ぎていくオレンジの残像が一連なりの線に見えた。まるで立ち入り禁止のテープ。見えない壁となって私たちを引き離す。


saori:近くに美味しいイタリアンあるよ 19:49

saori:予約取っておくから 19:50


 沙織の無邪気な期待が胸に痛い。こっちはもう諦めかけているというのに、そうさせてくれない。

 窓に視線を戻すと、光芒に紛れて唐突に紛れ込む黒い塊。何だろうと振り返って確かめる間もなく、タクシーを強い揺れが襲った。運転手が慌ててブレーキをかけ、同様に急停止した他の車と軽く接触する。

「ごめんなさい降ります」

「ちょっと! 危ないよ」

 代金を強引に押しつけ、釣りも貰わず飛び出す。まだ少し揺れているけど、構いはしない。ついさっき見えた黒い塊のもとへと駆ける。

 このトンネルは恐らく境界に沿って造られている。西側の壁にもし扉があるとすれば、少なくとも今までで最も向こうの街に近付ける地点のはず。外に出られるとは限らずとも、望みがあるなら何でもいい。

 果たしてそれは扉。それもスチール製の安い造りだった。開いて奥へ進むと、地下へと階段が続いている。まばらに設置された照明のせいで仄暗い。


aoi:なんか揺れた。そっちはどう? 19:55

メッセージが送信できません


 トンネル内は問題なく通じていたのに、ここでは圏外になっているらしい。進むにつれて奥から不気味な轟音も聴こえてくる。いよいよ入っちゃいけない所に忍び込んでいる気がしてきた。

 やがて轟音の反響で自分の足音すら聴き取り辛くなってきたころ、また新たな扉。それを躊躇いなく開いた私の前に、広大な空間が現れた。

 二十階建てのビルが優に丸ごと収まるほどはある。まるで怪獣の巣。そして最奥の壁は、よく見ると地面からせり出し、天井を貫いて上昇し続けていた。

「あ、困るなぁ。民間の方? 迷い込んできちゃったか」

 呆然とする私のもとへ、作業服を着た中年男性が駆け寄ってくる。私は適当に、避難通路と間違えて来たと嘘を吐いておいた。

「まぁ結構揺れたし仕方ないか。いまごろ公表されてると思うけど、こっから西の方は切り離して別の航路を行く船なんよ。で、シャッターを展開する準備でちょっと地区が揺れちまったわけだ」

 男性はヘルメットの上から頭をぽりぽりと掻いている。その光景があまりにも間抜けで、話がさっぱり耳に入らなかった。

 トンネルに戻ると、ぐちゃぐちゃに停止した車の中で、誰もが報道に耳を傾けていた。



 百二十年前、新天地を目指し地球を発った船。私たちの住む街。

 いくつもの船が連結し航路が分岐するポイントまで同乗していた。私の生まれる前にはその大半の分離が済み、残すところはあと一つ。

 予め切り離しを想定した筋書通りの都市計画、経済活動、メディアの統制。

 誤算があるとすれば、事業関係者の世代交代に伴うゴタゴタ。そして私と沙織が互いの会社の窓越しに知り合って仲良くなるという、極めてミクロな出来事だけ。



 乗り捨てたタクシーにまた運ばれ、四時間前に出たばかりの会社に帰ってくる。

 午後九時二〇分。約束の時間はとうに過ぎている。しかしデスクから眺める窓の向こうには、携帯端末のライトに照らされた沙織の姿があった。


saori:予約、取り消しといた 21:23

aoi:ごめん 21:23

saori:葵が謝ることないよ。昔から決まってたこと 21:23

saori:知らなかっただけ 21:24


 二枚の窓を隔てた沙織の小さな顔は、すっかり諦めきったように苦笑している。それに私は今、どんな顔で返しているんだろう。

 ほどなくシャッター展開の再開を報せるサイレンが鳴り、街が揺れ始める。

 何かやり残した事はないか。せめて今やれる事はないか。必死に考えるけれど、そもそも何も始まってないからやり残す事すらない。


aoi:あ、まだ沙織の声聴いたことない 21:26


 苦し紛れに思いついたのはそれくらいだった。ふたり揃って窓を開き、街が放つ轟音もものともせず大声を上げる。

「沙織ーっ! 聴こえてるー!?」

「葵っ! 意外と声低ぅーい!」

「そういう沙織はアニメ声っぽーい!」

 こんな時に私たちは何をやってるんだろう。ふいに我に返って互いに吹き出してしまう。

 その間も徐々にシャッターはせり上がっていた。既にここから五階分ほど下まで来ている。

「迎えに行けなくてごめん! でもさ沙織! ぶっちゃけ沙織って待ってるばかりで、なんかズルくない!?」

「えっ、それ今言う!? 仕方ないじゃん! 葵の方が上がるの早いんだし!」

 何か言わなきゃ、伝えなきゃ。気持ちが逸るあまり抑えていた本音が口を突く。こんな時くらい、穏当な言葉だけでいいのに。

「そりゃ一緒にご飯行きたかったけどさ! なんか私だけ必死になってるみたいで虚しいんだけど!!」

「こっちまで来てくれたら、今度は私が頑張ってもてなすつもりだったの!!」

 シャッターは容赦なく上がり続ける。私たちの口論の終わりなど待たず、真下の階もじきに覆われてしまう。

「今そんなこと言ったって! 結局私なんてどうでも良かったかもしれないって思っちゃう!」

「それこそ今更過ぎ!! じゃあどうすればいいっての!」

「私は沙織と会いたかった! 沙織はどうなの!」

「はあ!!?」

 私自身、馬鹿げてると内心後悔しながらも口走っていた。もうすぐ離れ離れになるというのに、よりによってこんな下らない八つ当たりで終わりなんて。

 轟音は徐々に近くなっていく。窓枠と同じ高さにまで達したかもしれない。私は思わず目を瞑って、確かめる勇気もなかった。

「こら、目開けて葵!」

 叱咤する沙織の声。さっきよりもずっと近くて、輪郭もはっきりしている。

 恐る恐る目蓋を開くと、シャッターを乗り越えて宙に飛び出した沙織の姿があった。

「手! 手!」

 せり上がるシャッターの風圧で聊かだが降下速度が遅い。考える暇もなく差し出された手を掴むと、自分の全体重を後ろへ傾ける。

 なんとか沙織をオフィスに引っ張り入れ、馬乗りされる形で尻餅をつく。

「な、なんで!? もうシャッター上がりきっちゃったけど!?」

「葵が煽るからいけないんでしょ! あーもう! 辞表とかなんにも準備してないし!」

 突然のことで混乱する私をよそに沙織は怒り狂っている。論点がずれているなんてものじゃない。

 街中のスピーカー、テレビ、あらゆる端末から船体の分離完了が報じられる。そうやって取り返しのつかない事態だと説得されるほどに、どんどん馬鹿馬鹿しくなっていく。

「じゃあ葵! さっさとご飯食べにいくよ! 今日の私はイタリアンの気分だから、そのつもりで!」

「本当にバカじゃん」

 呆れ尽して、しばらく二人とも笑い続けていた。

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