You-Remind-me
空国慄
内気な不審者
どうやら私はストーキングされているらしい。
会社終わりの帰り道に違和感を覚えたきっかけは、足音だった。
夜八時を過ぎると極端に人通りの少なくなる住宅地。いつもなら私一人の足音だけが寂しく響くような道なのだが、ある時、その響き方に不自然なディレイがかかっていることに気づいた。
私のハイヒールにぴったりと合わせるように、しかし明らかに違う足音が重なる。
それだけならまだ無視もできた。たんに歩調が被ってしまっただけの別の通行人、という可能性もあるのだから。
ところが二日続けて、一つの淀みもなく合わせた足音が聞こえてくるとなると、流石におかしいと思う。
試しにわざと躓いて歩調を乱してみると、慌てたように歩数が増える。おそらく物陰に隠れでもしたのだろう。
私を尾行していることは明白だ。
ひとけのない夜道を女性が独りで歩いていれば、そういう手合いにとっては恰好の標的になるだろうと自覚もしている。
だからといって恐怖を感じることはない。並の男性が相手なら容易に退けられる自信があった。空手は三段、ジークンドーならインストラクター資格を持っている。
仮に相手が走って距離を詰めて来ようものなら、凶器を手にしていたなら。すでに応戦手段について複数のシミュレーションを組んである。
問題はむしろ、相手がこちらに危害を加えない限り何もできないこと。
現状こちらには何の実害もない。警察もこの段階では対処してくれないだろう。さりとて先制して仕掛けるなど、段位持ちの武道家として出来るわけもなく。なにより万が一にも冤罪だった場合が居た堪れない。
そのため今は相手の出方を窺うのが精々だった。
次の日の帰り道も、やはり足音はつけてきた。
いよいよ疑惑が確信へと変わる。
相手の目的が何なのか不明である以上、どんなタイミングで来られるかも分からない。故に万全を期すためにも、まずは対象を観察することから始めようと思い立った。
そこで今日はいつも以上に厚着をし、まだ大して寒くもない季節なのにカイロを全身に貼って、汗をかきやすいようにした。化粧崩れを気にするふりをして、手鏡越しにストーカーの姿を検めるのだ。
本来なら帰りに化粧を気にする必要などない気もするが、そこは演技力でカバーするしかない。
袖で汗を拭う。ふと頬に手をあて、指を注視。何度か繰り返して、肩を落としながらコンパクトを取り出す。今のところ小芝居は完璧だ。
そうして鏡越しに初めて目にしたストーカーは、想定していたよりも聊か小柄だった。
裾の長いトレンチコートに、これまた長いつばのハットを目深に被っている。靴はブーツと、とことん肌を隠したコーディネート。私は不審ですと言わんばかりの風体。
体形を隠そうとしてはいるものの、肩にまで届く柔らかな髪と毛先の質感は、どう見ても女性のものだ。
とりわけ気になるのが身体つきに対する服装のボリューム感。コートの長さ自体は背格好に合っているはずなのだが、どうもサイズが余っているように見える。特筆すべきはコートの裾からブーツにかけて覗く生足だ。不自然なほど寒そうに股を寄せており、下に穿いているはずのスカートがさっぱり顔を出さない。
おそらくあのトレンチコートの下は一糸纏わぬ全裸だ。信じ難いがそうとしか考えられない。女性の露出狂、それも同性が標的とは珍しい手合いに遭遇したものだ。
見たところ凶器らしい凶器も持っておらず、いざという時に押し負けるとは考えにくい。
露出だけが目的なら早々に見せびらかすなり何なりすればいいのに、何故あんなにも時間をかけてストーキングするのだろうか。
警戒心が緩んだことも相まって、気がつくと私は声をかけていた。
「そこの貴女。見せたいならさっさと見せたらどう?」
「ひっ……」
前触れもなしに私が振り返ったことが相当に意外だったのだろう。ストーカーは驚きのあまり、尻もちをついて転んでいた。その拍子に隠れていた顔が露わになる。まだあどけなさの残る面立ち。
次の瞬間、続けて告げようとした言葉は霧散し、私は率直な感想を口走っていた。
「結構、若いのね……」
「……」
身なりから察するに大学生くらいの歳か。顔立ちだけを取れば、もっと鯖を読んでも違和感はないだろう。
瞳は大きいが、一重のまぶたで印象が薄れる。理容師かはたまた当人のセンスが悪いのか、紙一重でお洒落さを損なっている野暮ったい髪形。
進んで美少女と言える容姿ではない。今時の子の基準からすれば地味なほう。飾りたて方次第では輝きうるかもしれないのだが。
「えーっと、どうしてそんな格好をしてるのかしら?」
「終わ……った……」
少女は見る見るうちに青ざめていき、足腰をがくがくと震わせはじめる。やがて陸に上げられた魚のようにのたうちながら逃げ去っていく。
容易に追いつける速度だったが、黙って見送ることにした。その後ろ姿があまりに不格好で、哀れみの情すら湧いてしまう。
次に彼女と遭遇したのは休日の街角。
その日は特に当てもなく商店街へ繰り出し、目についた喫茶店を何軒か渡り歩いていた。そうしてやってきた三軒目のカウンター席に偶然、彼女がいた。
マンデリンコーヒーを啜り目を細めている。嫌というほどまざまざ見せつけられたあの情けない背中が、ここでは妙に気取った雰囲気を放っている。どうやら常連らしい。
私のほうは入店直後に気付いたが、彼女は位置関係もあってか気付いていない。先日の件について問い質すなら、不意を突ける今こそ絶好の機会。
しかし相手が露出未遂のストーカーとはいえ、ティータイムを邪魔するのは幾ら何でも無粋すぎる。今日は気付かないふりをして、見逃してやるべきか――――と、普段の私なら考えるところなのだが。
「こんにちは。このお店、来慣れてるの?」
この子に対してだけは好奇心が勝ってしまった。
店主に注文を伝えた後、笑顔で彼女の隣に座る。当然、逃げられないように肩をがっしりと掴んでやる。
振り向く顔は冷や汗に塗れ、引き攣っていた。
「あの、人違い、では……」
「そんなわけないでしょう?」
努めてにこやかに答える。それが余程恐ろしく映ったのか、既に相手は半泣きだった。無論、威圧感は意図的に演出している。最初に立場の優劣を示しておくのは重要だ。
「落ち着きなさいな。ただ少し、お話を聞いてみたくなっただけだから」
こんどは優しめに、落として上げるように誘導したつもりだが、当の彼女は核戦争の開幕でも見たのかというほどの面持ち。もはや観念したものと見て良いのだろうか。
絶句されてしまっては困るので、少し強めに背中を叩く。
「わかるわね。話す方が貴女の身の為って、わかってるわね? 当然ね」
「はっ……は、は、はい……はい……!」
瞳孔の開いた目で震える彼女を見ていると、なんだかこちらのほうが悪党のような気分になってくる。
まあ悪党でも構わない。正当性はこちらにあるのだ。権利は振りかざすためにある。
「貴女珍しい趣味をしているわよね。何なのかしら、性癖?」
「いえ、あの、あっいや、はい、恥ずかしながら……」
「ふぅん。詳しく教えて貰っていい?」
「そんな、マッ……ほ、本当に、お耳汚しでしか、はい」
「私、気になるなぁ。そういう心理、興味あるけどなぁ……?」
「話します! 話しますので!」
こちらが圧力をかければかけるほど、彼女の喋りは余裕を失い、たどたどしくなっていく。それが楽しくて目が離せない。
ふと客観視したとき自分自身で引くほど、いつの間にか私の中の嗜虐心は膨張していた。
「その……衝動的なものではあるんですけども! 特定の何というか、欲求的なのがすごく……すごく、はい。そんな感じ、です」
「どんな、感じ、なの?」
「えっ、え、えっと! なんと言いますか、何でも良いってわけではなくて、ですね。別に見せびらかして回りたいわけではない、みたいな」
「だから、それがどういう心理なのか訊いてるの」
「ぅ………………」
ダメ押しの質問を受けてとうとう彼女は黙り込んでしまった。
ここまでは話さなければ警察に突き出されるという焦燥から言葉を繋いできたようなのだが。それでも口を噤むということはどうやら、本気で明かせない核心がそこにあるらしい。
となれば強引にでもこじ開けてみたくなるのが性というもの。
そろそろ頃合いと見て、今日一番の優しい微笑を作ってみせる。
「あのね。別に私は貴女を追い詰めたいわけじゃないの」
実際は追い詰めるのが楽しくて仕方ないのだけど。
「これでも結構ね、純粋に興味深く思ってるのよ? この間の様子から察するに、きっとああいう事をするのは初めてでしょ。しかも私一人を何日間か追ってたみたいで、つまり私を狙うことに何かしらの理由があったんだと思うし」
「……仰る……通り、です」
連日の洞察から得られた根拠をもとに歩み寄ってやる。
一定の包容力を覗かせつつ、寄り道を許さないよう追い込んでいく。我ながら詐欺師の手口のようだ。
やがて彼女はなけなしの決心を絞り出すように口を開く。
「実は、えっと。ある時お姿を見……拝見してから、しまして。その瞬間からそれはもう、もの凄く、もの凄く……気になってしまいまして……」
「一目惚れ的な?」
「……そ、そう……です……でもお綺麗ですから、きっと素敵な男性と既に交際されていたり、するんだろうなぁと。なのでお知り合いになろうなどとは思わず、ただせめて一度だけでも……み、見て貰えれば、本当にそれだけで満足で……」
「え、待って。そこちょっと繋がらないんだけど」
唐突に飛躍した気がするぞ。どういうことだろう。
気になる人がいて、でも高嶺の花っぽいから諦めておこう、せめてちょっとの接点だけ持てれば。ここまでの感情はまだ理解も及ぶ。
だがなぜ露出しなきゃならない。その妙な度胸があればもっと他にやれることがあるだろう。
「私のことを全部知って欲しい、というんでしょうか。本当に、身勝手なことを言っているとは思いますが……心までは見えなくても、身体だけなら、なんて……」
「な……なんつうアホ……」
思わず本音が口を突いて出てしまった。
要するに何か。この子にとっては自身の全てを曝け出すことが、唯一にして最大の愛情表現で。どうしても成就し得ないならば、文字通りの露出によって小さな留飲を下げると。
そんなの、歪んでいる。
互いに心を許した相手だから身体を許せる。それこそが本来の正しく順序を踏まえた愛情表現。それが逆転してしまっている。
「……言わせてもらうけどね。心と身体は等価じゃない。全く別のものなのよ。もっと自分を大事にしなきゃ。貴女のやってることはおかしいの」
「わかってます! わかってるけど……!」
柄にもない説教が逆効果だったか、彼女は顔を真っ赤にして席を立つ。そのまま会計も済まさず店を出てしまった。
店長の視線が私の背中に刺さる。ちょっと待て、私が払わなきゃいかんのか。
喫茶店での一件から数日が経ち、帰り道にストーキングされることはさっぱり無くなった。
つかつかと私の足音だけが夜の住宅街に呑まれていく。
これで良い。これが本来の私の日常。
そのはずなのに、未だにあの子のことが気掛かりでならない。
既に違う相手を見つけて恋をしているなら上手くいって欲しい。でも心配だ。
もし根の腐った最低な男にでも騙されていたなら。
私自身、なんだか物寂しい気持ちになっていた。
手段として非常識であることは置いても、一世一代の勇気を以って私にアプローチしようとしたのは事実。その気持ちをあまりにも無下に扱い過ぎていたのではないか。
もう一度会うことがあるなら、私も相応の態度で向き合いたい。
そして次の日。
再びもうひとつの足音が帰り道にこだました。
私の歩幅にぴったり合わせて追随している。距離は五メートルほど。
足音の主はきっとあの子なのだろう。ここ数日ストーキングをやめていたのに、今になってまた来たということは、もう一度勇気を出してくれたのかもしれない。
だが私は決して振り返らない。
気付いてもらえないことに業を煮やしたのか、追う足音は徐々に歩幅を縮め、早くなっていく。
やがて足音は私の背後、隣と、追いついてくる。
遂に追い越して前方に立ち塞がった彼女は、最初に声をかけた時と同じトレンチコート姿だった。
「……いいの? この間あんなこと言っちゃったけど、また私に?」
「あれから色々考えました。でもやっぱり私、言葉よりもこれじゃないと伝えられないと思って」
懲りない子だ。けど私はその愚かさをこそ待っていた。
「ちなみに質問。あなた、過去に好きになった人にもこんなコトしてたの?」
「初恋ですから安心してください!」
言いきるなり、彼女は勢いよくトレンチコートを開く。
露わになった身体は夜道にあっても眩しいほど白く、貧相というより慎ましいと形容すべきプロポーションだった。
「綺麗な肌。初恋って本当なのね」
すかさず私も着込んだコートを開け放つ。
それを目にする彼女は露出した状態のまま目を剥いていた。
私もまた全裸だったからだ。
「えっ…………これは……えっ……一体……」
「また来てくれて嬉しいわ。私も、あなたに正面切って向き合おうと思ったの」
裸身を見せつけようとした相手が逆に露出し返してくる。こんな状況、唖然とするのも当たり前だ。
コートを開けっ広げた私はずい、と一気に間合いを詰める。縮地――接近を悟らせぬ古式の術理に基づいた歩法だ。
剥き出しの膝と膝が触れる。外気に晒されて互いに冷たい。
「ちなみに私、女の子は大好物よ」
一転して彼女の表情が驚きから戦慄へと変わる。
彼女の腰を抱き、コートも閉めきらないまま強引に自宅へと引き連れていく。
その夜、彼女の嬌声が止まなかったことは、言うまでもない。
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