狐耳メイドのご主人様自慢

橋立 読虫

両親への手紙

お父さん、お母さん。お元気ですか。ルナールです。


一三の時に銀狐族ぎんこぞくの郷から成人の旅に出て一年。私も王都でようやくちゃんとしたお仕事を見つけることが出来ました。手紙と一緒にお給料の一部も預けていますので、配達人から受け取って下さい。


私は今、カナタ様という素晴らしいご主人様の下で、住み込みのメイドとして働いています。女の人の使用人を、カナタ様の故郷ではこう言うそうです。


カナタ様は私たちのような青い瞳ではない、黒い髪と瞳をした異国出身のお方です。私と七歳しか違わないお若い方なのに、王国でも指折りの大商人です。カナタ商会という大商会を運営され、王都にあるとても大きなお屋敷にお住まいになっています。


どうしてそんなお偉い方にお仕えするようになったのか、驚かれている事でしょう。私は、カナタ様に救われたのです。


成人として世界を学ぶために、私は王都に向かいました。しかし人間の町である王都での獣人に対する風当たりは強く、不定期で、お賃金の安い仕事しか任されませんでした。獣耳と尻尾があるだけの違いなのにと憤りを覚える事もありましたが、それでもなんとか半年前には、肥満した中年男が店主の小さな商店で雇われる事が出来ました。


喜んだのもつかの間、すこしすると私を見る店主の目つきがおかしい事に気づきました。王都に最初に来たとき迷い込みそうになった、裏路地の男達がしていたような目つきです。いやらしい、まとわりつくような視線。僅かに身の危険を感じながらも、他に継続して雇ってもらえそうな所はなかった為、私はそこで働かざるを得ませんでした。


それから数日後の閉店間際。店主から店の模様替えをするからと、棚に飾ってある商品の壺を運ぶように命じられました。店の商品の中でも高い品で、私は慎重に運ぼうとしました。ですが壺に手を掛けたその時、表面が不自然なまでに滑り、そのまま壺を落として割ってしまったのです。


店主は激怒し、折檻すると言って私の長い銀の髪をつかんで店の奥に引き込もうとしました。何本か髪の毛が抜け落ち、痛みに呻きを上げました。助けを求めるように周りを見渡すも、他の店員は既に帰らされており、店の前に集まっていた野次馬も関わり合いになりたくないと目線を逸らして誰も助けてくれません。高価な商品を壊してしまった事で動転していた私は抵抗できず、おそらくそのまま連れて行かれていたら辱めを受けていた事でしょう。


そこに颯爽と駆けつけて下さったのがカナタ様でした。旅装に身を包まれていたカナタ様は野次馬をかき分けて店に飛び込み、店主の腕を叩いて私の髪から手を離させました。


邪魔をされた店主は私が店の大事な商品を割ったと言い、店の事に口出しをするなと醜く歪んだ顔で叫びます。しかしカナタ様は全く動じず、壺の代金を払えばこんな無体をやめるのかと尋ねられました。


店主はそんなカナタ様の態度が気にくわなかったのか、壺に法外な値段を付けました。店の商品を在庫を含めてすべて買えるほどの値段です。カナタ様がその値段に驚き、引き下がるのを楽しみにしているようでした。質素な旅装の若い男性という、外見に対する侮りもあったのでしょう。


その店主の足下に、無造作にずっしりとした重さの皮袋が投げられました。落ちた衝撃で中身が袋の口から溢れ、暗い店内の中で黄金の輝きを放ちます。それは銀貨や銅貨などでは無く、遙かに価値の高い小粒金でした。腰を抜かした店主にカナタ様はこう言い放ちます。


――これで十分に足りるだろう。壺はもらい受ける。それに、大事な商品を壊す店員など店には不要だろうから、私が雇わせてもらう。文句はないな。


店主は床に這いつくばって散らばった金を集めながら、なんどもなんども首を縦に振っていました。カナタ様は壺の破片を集めて別の革袋に仕舞った後、私の手を引いて店を出ました。そして驚きにざわめく野次馬の数人に声を掛け、そのまま彼らと一緒にその場を離れたのです。


カナタ様に連れられたのは、王都にある衛兵の詰所でした。壺を割ってしまったばかりでしたから、私は引き渡されてしまうのかと怯えていました。そんな私の不安を感じ取られたのか、カナタ様は私の頭を撫でて落ち着かせて下さいました。


門衛がカナタ様を呼び止めようとしましたが、そのお顔を見て慌てて敬礼を行います。随分と顔を知られている様子でした。


カナタ様はそのまま勝手知ったるといった風に詰所に入り、そこで私にしばらく待つよう伝えられました。受付に何事かを囁かれると、間も無く上等な制服を着た三十前後の男性――衛兵の隊長さんだったそうです――が奥から出てこられ、二、三言葉を交わされていました。カナタ様が皮袋からツボの破片を取り出し、ついて来ていた野次馬の方々も話をすると、隊長さんは武装した部下を連れて急いで出て行きました。


様々な事が立て続けに起きた私は、カナタ様が何をされているのかその時は分かりませんでした。ですが、話を終えて私のそばに戻られ、もう大丈夫だと声をかけて頂いた時、お父さんやお母さんといた時の様な暖かさを感じ、不安がかき消えていくのを感じました。


後日分かった事ですが、店主が私を手篭めにしようと、壺に油を塗っていたそうです。それに気付いたカナタ様が、証拠と目撃者を集め、通報されたのでした。店主は隊長さん率いる衛兵に捕まり、手にした金を使う前に牢獄に入ることとなりました。


こうしてカナタ様に救われた私はお礼を申し上げ、恩返しがしたいと申し出ました。何も持たぬ私でしたが、一生懸命働く事は出来ます。カナタ様は少し迷われていたようでしたが、行き場のない私の境遇を哀れまれたのか、屋敷のメイドとしてお雇い下さいました。


私はその後、カナタ様と一緒に馬車でお屋敷へと伺いました。詰め所の前に回されてきた馬車は、貴族の方が乗るような立派なもので、同乗させていただくのをためらってしまう程でした。


驚きはそこでは終わりませんでした。馬車の窓から初めてお屋敷を見たときの私は、あんぐりと口を開けていたそうです。でも、仕方が無いのですよ? お屋敷は王都の中でも貴族や、最も裕福な方々が住まわれる北部の高級住宅街にあり、その中でも一番広い敷地を持っていらっしゃったのですから! 一つの区画すべてが高い塀に囲まれた敷地で、門前ではその端が見えない程でした。


場違いな所に来てしまったと身を震わせながら門を抜けて敷地に入ると、遠くに大きなお屋敷が見えてきました。夜の闇に浮かび上がるような、くすみ一つ無い真っ白な壁と、不思議な緑色の屋根を持つ素敵なお屋敷でした。


馬車は館の正面に止まり、それと同時に両開きの扉が開きます。まばゆいばかりの明かりに照らされたエントランスホールが見え、そこには使用人らしき方々が頭を下げてカナタ様を迎えていました。男女とも白と黒で統一された服装――燕尾服、メイド服を着た彼らの出迎えにカナタ様は軽く頷き、私が新たにお世話になることを伝えられました。


カナタ様が頭をもう一度撫でて下さり、ご自身のお部屋に戻られると、私は年配のメイド長ミランダさん――ふくよかで、おっとりとした方です――からこの家のしきたりを教えてもらいました。


一つ目は、必ず身体を清潔に保つこと。私が最初に連れて行かれたのは屋敷のお風呂でした。屋敷の地下には使用人用のお風呂があり、私は髪と身体をそこでしっかりと洗いました。お風呂場に置かれていた、ボディーソープという液状の石鹸を使うと、肌から汚れがたちまち落ちていきました。


そのあとは髪と狐耳、尻尾をシャンプー、コンディショナーという髪用の石鹸で洗い流します。こちらは汚れが落ちるだけでなく、尻尾の毛先に至るまで花のようなかぐわしい香りと、輝くような艶めきを持ち始めたのでびっくりしてしまいました。身体を拭くようにと渡された布も雪のように白く、肌を包み込むような柔らかさでした。


お風呂を出た私は、同様に真っ白な下着と、メイド服を着させられました。これがもう一つのしきたりでした。カナタ様のお客様は大富豪や貴族の方も多く、こちらの屋敷まで来られることもよくあるとの事でした。屋敷の品格を保つために衣装を統一し、皆身ぎれいにしているのです。


下着やメイド服には可愛らしい装飾が施されており、肌触りも良いので、なんだかお姫様になったみたいでした。くるくると回りながら少し膨らむスカートの動きにはしゃいでいると軽く咳払いが聞こえ、慌てて止まると正面に口に片手を当てたミランダさんがいました。


怒られる、と覚悟を決めていましたが、あたしも年甲斐もなくはしゃいだもんさと、苦笑しながら諭され、私の狐耳の前にフリルの付いた髪飾りを付けて下さいました。ホワイトブリムと呼ばれるそれはとても可愛らしく、脱衣所にあった鏡に写る自分の姿を見て、思わずにこにことしてしまいました。


着替えを終えた私はミランダさんに連れられ、二階のカナタ様のお部屋まで挨拶に伺いました。ソファーに座られていたカナタ様もお風呂に入られたのか、先ほどの旅装から白いガウンに着替えられています。その周りには執事とメイドが控え、いつでも指示を受けられるよう待機していました。


最初にお会いした時から堂々とされた方だとは感じておりましたが、こうして立派な使用人の方々に傅かれながら平然とされているのをみると、改めて自分とは違う世界の方なのだと実感し、悲しくなってしまいました。


頬を一筋涙が伝い、それに気づいた私は慌てて顔を伏せました。これだけ良くして頂いたのに泣くなど、銀狐族の面汚しです。涙を流しながらも再びお礼を申し上げ、顔を見られないように頭を下げました。そんな私の様子を、危うい目にあった事を引きずっていると考えられたのか、カナタ様は優しい言葉を掛けて下さいます。それが又申し訳なく感じ、私は涙をこぼし続けたのでした。


カナタ様は私が泣き止むまで傍にいて下さり、その後ミランダさんに私を専属メイドの一人にすると仰いました。他の方は驚かれていましたが、ミランダさんはお人好しな旦那様だと言って肩を竦めただけでした。そして私の教育係を買って出て下さいました。


翌日から私は、ミランダさんの指導の下、カナタ様のお世話をすることになりました。私はカナタ様のお部屋を掃除したり、お茶をお淹れする仕事などを任されました。簡単な仕事のようですが、高級な調度品の掃除や、本当においしいお茶の一杯を淹れる事が、こんなに難しいものだとは思いもよらないことでした。ミランダさんの指導は的確でしたが厳しく、毎日くたくたになるまで掃除や練習を行いました。それでも屋敷に戻られたカナタ様がお部屋でくつろがれ、私のお茶をおいしいと言って下さると、そんな疲れも吹き飛んでしまいました。


カナタ様は屋敷を留守にされることが多く、十日の半分は屋敷に戻られません。いつの間にかふらりとどこかに出かけられ、そして戻られた時には、他では見たことのないような商品を仕入れてきていらっしゃるのでした。


カナタ様の扱われる商品は多岐にわたります。私がお風呂で使わせていただいたシャンプーなどもその内の一つでした。お屋敷でカナタ様が商談をされている際に偶然耳にし、危うくお客様にお出しするお茶をこぼしかけてしまうほど驚きの値段でした。それでもいらっしゃっていた貴族の奥様は喜んで買われていきました。お偉い方の美に対する思いはここまでのものかと、目を丸くしたのを覚えています。


美容に関する品だけではありません。芳醇なワイン、遙か東方から取り寄せるといわれる黒い香辛料、最高級のオリーブ油、すさまじい切れ味を持つ包丁といった食に関するもの。どのようにして着色したか分からないくらい色鮮やかな器や壺。まるで息づいているかのような精緻な彫刻など芸術品も取り扱っています。貴族だけでなく王室から注文が来る程に見事な品々ばかりです。


今お手紙を書いているこの紙も、ワシと呼ばれる商品です。故郷を離れた私が手紙を書けるようにとカナタ様が下さいました。十分なお給金を頂いているのに、こんな立派な紙まで受け取れませんと申し上げたのですが、カナタ様の故郷では使用人に物やお金を下賜されるボーナスという風習があり、それの替わりとの事でしたのでありがたく頂戴しました。庶民向けの日用品など、扱われている商品は他にも沢山ありますが、ここでは書き切れないので割愛します。


専属として働いているため、カナタ様の事を色々と知ることが出来ました。商売を始められたのは、ほんの数年前だそうです。最初は流れの商人だったそうですが、先ほど紹介したような商品は他では手に入らないものが多く、すぐ王都に店を持つまでになりました。


急激に名を上げたカナタ様を妬み、嫌がらせをしたり、財力を活かしてその仕入れ先を乗っ取ろうとした同業者もいたようでしたが、そのすべてが失敗に終わりました。


店頭で嫌がらせをされても、ここにしかない商品を求めて客は引きも切らない状態であったそうです。その時衛兵の隊長さんも買いに来ており、嫌がらせをしていたごろつきが捕らえられる事態になったとか。それが縁でお二人はお知り合いになり、それからは良く一緒にお酒を飲まれているそうです。


仕入れ先に関しても誰も突き止めることが出来ず、悪徳な同業者らの奸計は打ち砕かれました。そして自業自得ではありますが、妨害を試みた商会にはカナタ様の商品は一切出回らなくなり、質で負けた彼らは逆に王都から撤退する事となりました。


勿論カナタ様には敵だけでなく、信頼出来る味方もいます。まずは私たち使用人があげられるでしょう。他とは比べられないほど待遇が良いため、皆カナタ様に深く恩義を感じています。


とくに私のように拾われた使用人達はそれが顕著です。たとえばカナタ様の護衛を務める赤狼族せきろうぞくのルー姉さん。カナタ様と同い年で、燃え立つような赤い髪と、御影石のような黒い目を持つとても綺麗な方です。元は王国との戦に敗れた隣国の軍人で、戦争奴隷として王都に連れてこられたそうです。


奴隷市場で売りに出され、下劣な貴族に買われそうになったとき、カナタ様が割って入りました。そしてカナタ様に競り落とされた後、すぐ解放され、護衛としてスカウトされたのです。奴隷からの解放、自らの力を見込んでくれた勧誘にルーさんは感激し、自身の剣を捧げることを決めたのだといいます。


そしてカナタ商会の取引相手であるオレオール商会の主人アレクサンドル・オレオールさんに、そのご息女クロエお嬢さん。アレクサンドルさんは王都とその近郊で長く商売をされていた方で、カナタ様が扱われる商品の良さにいち早く気づき、最初の取引相手になった大きな商店でした。カナタ様が店を持たれてもその関係は続き、カナタ商会はオレオール商会が開拓していた販路を、オレオール商会はカナタ商会の商品を互いに利用させてもらう事で、相互に利益を出しています。


クロエさんは私より一歳年下で、小柄な身体にふわふわとした金髪と透き通った青い瞳をした可愛らしい方です。ですがその外見から想像出来ないほど財務に通じた才女でもあります。私がお屋敷でお世話になり始めて一月後に、彼女は跡取り修行の為にと、カナタ商会の門を叩かれました。今では彼女以上に商会の財政を知る者はいないほどです。


最後はとてつもない方々です。どなただと思います? なんとアムネスの国王陛下と王女殿下です! カナタ商会の噂を聞きつけた王室が、長らく伏せられていたブリジット王女殿下の病に効く薬を求められたのがきっかけでした。


お出しした薬で見事回復したことで、亡き女王陛下との一粒種であるブリジット様を溺愛されていた国王陛下は驚喜され、カナタ様は王国お墨付きの商人となられたのでした。


ブリジット様もカナタ様を大変気に入られ、良くお屋敷にいらっしゃるようになりました。今年一六になられたブリジット様は、薄桃色の頬に波打つような金髪、王族の方々しか持たない紫の瞳と、神々しいまでにお美しい方です。お元気になられて舞踏会などに出席されるようになったブリジット様が、カナタ商会のドレスや宝石を身につけられていた事で、憧れの王女様に少しでもあやかろうと、今も貴族の奥方様、お嬢様方から注文が殺到しています。


皆様とても頼もしいお方ばかりなのですが、一つだけ困った事があります。女性の皆様がカナタ様を大好きな事です。ルー姉さんが時々乙女な表情でカナタ様を見守っているのは、屋敷に住む方なら誰もが(カナタ様を除き)知る事実でありますし、クロエさんはカナタ様が好きと公言しています。ブリジット様もしばしばカナタ様に叙爵のお話をされているそうです。


私だって、大好きです。お救いいただいた恩義だけではなく、お側にお仕えしてそのお人柄にどんどん惹かれていきました。先頭に立って力強く導いて下さりながらも、時たま振り返られて決して私たちを置いてけぼりにはしない。そんな思いやりにあふれる方です。


誰よりも大好きです。身分違いな想いですが、この気持ちは先のお三方にだって負けません!


このたび、カナタ様のお側で商談を見てきた経験から、秘書の一人としても働く事になりました。恩義をお返しするためにも、お隣に立つという夢の実現の為にも、今までも、これからも全力でお支えします。


これから寒い時期なのでお身体にはお気を付けて。お薬などが必要な時は仰って下さいね。


追伸

勢い余ってお恥ずかしい事を書いてしまいました。大好きだなんて、本当に大好きですけれど……


ご厚意で頂いたワシに書いたものなのでこのままお送りしますが、絶対に、絶対に他の方には見せないで下さいね!

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狐耳メイドのご主人様自慢 橋立 読虫 @hashidate

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