第4話 ユキムラ・ナギサは扉を開いたみたいです。Ⅲ



 私は、心が凪ぐのを感じた。この女がケイトの何をわかっているのだというのだろうか。途端、これまで明るく振る舞えていたメンタルがまっさらになり、本当に静かに、静かに……表情を作れなくなるくらい、平静になってしまった。


 一年前のケイトがどこか様子がおかしかったのは私だって把握している。だからこそ私は常にケイトの近くにいて、相談に乗ろうとなんども話を聞こうとして、しかし、示されたのは明確な拒絶だった。


 私は、ケイトがわからなくなってしまった。


 ケイトと幼馴染で、ずっと長い時間を共に過ごしながら、姉弟のような関係でありながら、私は、ケイトのことが……。


 だが今は違う。もう一年。あまりにも気づくのが遅すぎた。姉では駄目だったのだ。無論、妹であっても駄目だ。そういう、近すぎる距離感であっては駄目なのだ。

 もっと適切な距離であれる関係、それは。


「シマダさんが、いったいケイトの何を知っていると言うの?」

「え? ……何を、って」

「いいえ、知らないはずなの。あなたは何も知らない。。だってそれは、ケイトのことを知ることが許されているのは――恋人だけなんだから」


 私はケイトの元カノであるミヤコちゃんの顔を思い浮かべ……鼻で笑う。

 彼女は恋人関係でありながらケイトのことをわかってやれなかった。本来であれば元カノと呼ぶことすらおこがましい、浅薄な存在。でもケイトが彼女のことを恋人だと呼んでいたから、私もそれに合わせているだけで。


 でも、この女も一応はケイトと親しくしていたはずだ。ケイトの口からはあまりシマダさんの話が出てこなかったため、その関係性は正しく把握していないが、一緒に楽しそうに雑談しているのを何度か見たことがある。

 だったら、これくらいは教えてやってもいいか。


「一つ、教えてあげる」


 何やら険しい顔で、私何を口にするのかと身構えるシマダさん。きっと、さぞかし驚くに違いない。


「ケイトは、今も生きてるよ」


 私の圧倒的な自信を携えたその言葉に、シマダさんは、たしかに驚きの表情を露わにした。


 ◆


 そうしてゆっきが去った後、僕は一人天を仰いだ。見上げた空には、そのまま空色が広がっていて、点々と存在する白が雲を表していた。そんな、普通の空だ。

 でも僕は、時折その空に血のような赤色を重ねてしまう。


「ケイトの何を知っている、か……」


 シマダさんのことを、一年前のケイトに似ていると言ったが……どちらかと言えば、彼女が似ているのは、


「僕、なのかもしれないなぁ」


 とはいえ、このまま彼女を見過ごせるはずもない。今のゆっきは、まず間違いなく『異常』である。ケイトが生きている、なんて言い出して、且つそれを心の底から信じてしまえたのがその証拠。

 そして恐らく、それを吹き込んだのは。


「今はケイトは居ないし……はぁ、この一年、何もなかったから油断してたのかも」


 一つ、ため息をつき、これからどうしたものかと頭を回転させ、とりあえず、


 ――キーンコーンカーンコーン……


 午後の授業をサボることだけ決めて、僕は学校の裏門へ向けて走り出した。


 ◆


 朝から午前へと呼称が変わる時間、または午前から昼へ、はたまた昼から午後へ、そして午後から夕方、あるいは夕方から夜、そしてまた夜から朝へと、曖昧にして軽薄、それでいて誰もがそうであると認知する時間。彼は狙いすましたかのように現れる。

 それまでの時間をどこでどのように過ごしているのかはまったく謎である。しかし彼はこう主張する。


「我々は、どこにでもいるよ。遅刻を免れようと走る学生、通勤電車の中で腹痛を催すサラリーマン、家事を放り投げ昼ドラを貪る主婦、あるいは――」


 そんないいかげんな存在であるところの彼は現在、図書館の一角にて僕と顔を合わせ――るのを避けていた。


「なんで顔を上げない」

「我々はその存在を正しく認知されては困るのでね。顔なんて見られたら、『我々はこういう存在だ』という定義付けが為されてしまう。それは困る、大いに困る」


 だったら顔を隠すなりなんなり方法はあるだろうに、チラと見える限りではマスクもサングラスもしていない。

 まあそれはいつものことなので今更だ。今更ではあるのだが、それでも気になってしまうのは人間として普通ではないだろうか。


 さて、戯れるのもほどほどにして、本題に入ろう。


放狼ホウロウさん、聞きたいことがある」

「ああ、それは当然の切り出しだ。午後の授業をサボって、しかし黄昏時まで何をするでもなく、この場でただ淡々と暇を潰していたんだ。その行動の意図するところは、我々に会うこと。それでいて、我々に会おうとするということは、何か聞きたいことがあるから」


 仰々しい物言いで、しかし面を上げることはなく、彼は言う。


「さあ、我々に何を問う?」


 図書館の一角、夕日が差し込み影が長くなる時間帯。

 黄昏時。

 ふと、放狼ホウロウさんから伸びる影を見やると――そこには、ただ一人の影が伸びるだけではなく、何人もの影を伴った、まさしく異形と形容すべき影が伸びていた。


 ◆


 すっかり暗くなった図書館の外、僕は内心で一言断りを入れてから不法駐輪されていた、鍵のかかっていない自転車にまたがりペダルに力を入れた。

 帰宅途中の就業者達をそこかしこに見かける。きっと彼らはこのまま家に辿り着き、家族の温かい歓待を受け、あるいは薄暗く寂しい部屋を見て項垂れるのだろう。そうして寝て起きて、また新たな一日を始めるのだ。


 しかし、それが許されない者もいる。


 それは得てして偶然であり、何もそうあることを望んだがゆえの結果ではない。少なくとも、普通に生きていれば明日は誰にでもやってくると、一般的で普遍的な日常を送るものならば考える。


 しかし、それが許されない者はいる。


 まったく、運の悪いことだ。今日は近道をして帰ろう。ちょっと寄り道をしよう。娘にプレゼントを買っていこう。そんな後ろ向きな理由から前向きな理由まで様々ではあるが、そんな気の迷いが原因で、彼らは迷子になってしまう。


 しかし、僕はそれが許せない。


 そうして僕は現場に辿り着く。やたらと薄暗く、ともあれば立ち込めた霧によってむしろ明るく見えるかもしれないその現場に。

 そこは、街の中心部からやや外れた住宅街の真ん中に位置する、広々とした公園だった。

 乗ってきた自転車からブレーキもかけずに飛び降り、迷わず霧の中に突っ込む。自分の周囲五メートル以上が見えない濃い霧の中、時折躓きそうになりながら、やがて僕は辿り着いた。


 そこには。


「シマダ、さん……?」


 十字架に繋がれると、その他多くの見知らぬ一般人。

 加えて。


「……ちゃん」


 酷く冷たい視線を僕に向ける、スミダ・ミヤコの姿があった。


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アイバ・ケイトは異世界へと旅立ったみたいです。 三ノ月 @Romanc_e_ier

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