第3話 ユキムラ・ナギサは扉を開いたみたいです。Ⅱ
気づけば私は、往来の真っ只中にいた。
交差点のド真ん中。色の消えた世界で、誰も彼もが早足に駆けていき、ぶつかりそうになる。しかし、
「きゃ――」
ぶつかることはなく、私の身体をすり抜けた。
信号が変わり、人の往来が絶え、代わりに車が猛スピードで迫ってくるも……やはり、私にぶつかることはなかった。
「まさか、ここにケイトが……!」
「いや、いないよ」
ある希望を見出した時、すぐにそれを遮る声があった。
それはいつの間にか私の眼前に立っていて。
「ここは彼が見ていた世界だ」
モヤがかかったかのようにハッキリとしない、黒い人影はゆっくりと私に近づいてくる。
「ケイトが、見ていた?」
「そう。彼がいつも付けていた左目の眼帯の下には、ずっとこんな景色が広がっていた。ほら、あそこで信号待ちをしているサラリーマンを見てご覧?」
「……?」
人影が指す方、そこにはスマホを弄りながら、信号が青に変わるのを待つサラリーマンがいて――い、ない?
「消えたんだ。ここではない、どこかへ」
「消えた……」
「そう。彼は……アイバ・ケイトは、こんな光景をもうずっと見てきた。さっきまでいたはずの人間が突然消えて、この世界に元からいなかったことになる。そんな光景をね」
もしその話しが本当だとしたら、ケイトはあの笑顔の裏で、どれだけの死を見てきたのだろうか。
……いや、これは死なのか? それすらも曖昧で、あやふやで、そんなものをずっと見てきて、ケイトはなぜ気丈に振る舞えたのか?
「気丈に見えたのなら、それは彼なりの強がりだと思うよ。キミたちには弱いところを見せられないっていう、男としてのね。……さて、前提としての話はここまでにしよう。そうやって強がっていた彼だけど、ついに限界が来てしまった。こんな世界を見ていられない、見ていたくないという、思春期の少年ならばもっと早くに抱いていいはずの感情だ」
ここまで説明されれば理解するのも容易い。要はそういうことだ。
ケイトは飛び降りる直前に言っていた。
『俺は、もうこの世界では生きていけない』
「じゃあ、ケイトが自殺しようとしたのは、」
「うん、簡単な話、疲れちゃったってこと。よくある動機だ。……でも、ここからが違った。直接目撃したキミならわかるだろう? 彼は、死に損ねた」
飛び降りたはずのケイトの遺体はどこにもなく、綺麗さっぱり消えてしまった。ではどこへ消えたのか。
そして、死に損ねたのならば。
「ケイトは、まだ、」
「ああ、そうだとも」
黒いモヤのかかった人影は、しかし口元にニヤリと笑みを浮かべたように見えた。
「――アイバ・ケイトは、今も異世界で生きている」
◆
どうも、イズミです。相も変わらず、今日も今日とてスマホゲーに勤しむ毎日でありたかったけれど、この日は少しばかり毛色が違った。
「おはよう!
「へ、はあ」
「おはよう……?」
「
「お、おっす……」
さて、このひたすらに明るい挨拶を繰り返し、クラスメイトを困惑させているのはどこの誰でしょうか。
……事もあろうに、ゆっきこと、ユキムラ・ナギサなのである。
昨日までの重苦しい雰囲気はどこへやら。これにはさすがの僕も開いた口が塞がらないというやつだ。
「あ、おはようシマダさん!」
「おはよう……どうしたの、えらく機嫌が良いね」
「そうかな、……やっぱり、今までの私って暗く見えた?」
暗く見えるというか、演出しているのかと思うほどに暗かったように思えるが。まさか本人が気づいていないはずはないし、これはあれか、ボケなのか、フリなのか。
僕が上手い返しを考えている間にゆっきはスキップしながら離れていき、なんとミヤコの前で立ち止まった。
ミヤコもクラスのみんな同様、呆気に取られているようで、ギンと見開いた目でゆっきを見つめている。
そんなミヤコに対しゆっきは、こんな挨拶をした。
「おはようございます、ケイトの元カノさん!」
「――――」
クラスの時が、止まった。
◆
「ねえ、ちょっと……シマダさん、どうしたの?」
「良いからこっち来て!」
クラスメイトであるシマダさんに強引に手を引かれ、私は旧部室棟、現在は倉庫として使われている木造の建物の裏まで連れてこられた。放課後ならばいざしらず、昼休みにわざわざこんなところまで来る生徒はほとんどいない。つまり、助けを求めようにも求められない状況なわけだけれど。
「もう、離してって……!」
私の手を握る力があまりにも強いため、そろそろ痛みが許容できなくなっていた。シマダさんも、ここまで来れば良いと判断したのか、あっさりと手を離してくれた。
クラスではあまり見せない険しい表情を伴って、彼女は私に問うた。
「それで、誰に何を吹き込まれたの」
「……なんのこと?」
とぼけてみせるも、たぶん意味はない。あまり関わったことがないから憶測になるけれど、きっとシマダさんは周囲のことをよく見ているタイプだ。観察眼に長けているというのだろうか。だから、きっと嘘をついたところですぐバレる。
どうやらそれは正解みたいで、
「とぼけないで。怪しい宗教か何かに勧誘されたのか知らないけど……率直に言って、今のゆっきちゃん、普通じゃないよ」
「そりゃあ、普通じゃないかもしれないけど……少なくとも、塞ぎ込んでた今までに比べたらマシじゃない?」
「客観的に見て、なんの脈絡も無くいきなり周囲に愛想振りまき始めたら、誰だって変だって思うし心配もする。変わるって言ったって、限度があるんだ」
「じゃあなに? 私は今日も暗く振る舞っていれば良かった?」
「そうじゃなくて――」
シマダさんはそこで言葉を切って、頭をガリガリと掻き、
「今のキミは、一年前のアイバみたいなんだよ……」
そんなことを宣った。
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