2.5丁目
僕と祐樹の家は近く、歩いて5分強程の距離だ。二人とも町の三丁目に住んでおり、今では家族ぐるみでの仲でもある。どの道を通ったとしても祐樹の家に先に着くので、祐樹と僕はいつも祐樹の家の前で別れる。
「シュウジ、明日俺の野球の試合あるから見に来いよ。いつものBグラウンドでやってるから。朝9時からな」
「見に行く」
間もなく僕は答えた。
僕は祐樹を見ているのが好きだ。だから今回も祐樹の誘いを断る理由はない。祐樹は少年野球をやっていて、低学年の時からクリーンナップを張るほどの腕前だ。この前日本代表にも選ばれたとか言ってたような言ってなかったような。僕にはその世界のことはいまいち分からない。実のところ野球には何の興味もない。祐樹に興味があるだけだ。ともかく祐樹は本当に何でもできるスーパー小学生だ。いつか成長しきれていないその小さな体が悲鳴を上げるのではないかと心配してしまうくらい小学生離れしている運動能力の持ち主だ。もし体が現に悲鳴をあげていたとしても本人は決して口には出さないと思う。だから余計に心配だ。
今日もいつものように祐樹の家の前で別れ、そのあと僕は自分の家に向かった。祐樹の家から僕の家までの5分強程の距離には3回の曲がり道がある。最初の曲がり道は右、次は左、最後に左。曲がった後の20m先に僕に家が左手にある。この順番を変えたことは今までにない。小学校の入学式の日に母親と一緒に帰り、教えてもらった帰り道だ。僕はこれ以外の道を知らない。僕は人より道を覚えることもひどく悪いようで、それは自分でも理解している。だから他の道を通ろうという衝動にはかられない。その先には恐怖しかない。幼稚園児のときだったろうか、いつもは母親の手に連れられて外を歩き回っていたが、ある日その命綱を離してしまったことがあった。あれは今でも鮮明に記憶に刻まれている。いつでも思いだそうとすれば容易に当時の情景と心情を思い出せる。ただ思い出したくはない思い出の一つであることは言うまでもない。たいてい思い出す時は体は汗ばみ、頭は真っ白になり、胸が苦しくなる。それはあまり好ましいものではない。
母は高級品が好きだ。母が所有するものはたいてい目が眩しくなるぐらいにキラキラしたものでいっぱいである。ある一定のステータスというものと充実感というものを得るために母は月に何回かは銀座の老舗デパートに出かける。周りの人より優位に立つことで自分の存在意義を見出す類の世間体というものがこの世の中には存在するみたいだが、母にとって生きて行く上でそれは非常に重要な要素の一つのようであった。僕が下の方の成績の順にいることを自分の居場所として安心していることに近いのかもしれない。母はいつもだったら母の友人とその充足感を得に街に繰り出しているみたいだが、その日はドタキャンされたらしく、一人で行くのがさびしかったのだろうか、急きょ僕を代役として引き連れた。もちろん僕はそのようなところに行くのはあまり好きではない。あまりというよりも絶対に行きたくない。家で静かに絵を描いていたい。誰にも邪魔されず自分の世界に浸っていたい。どうかこんまま僕を見つけないでほしい。しかし母はそういったことを許さない。母がYesといえば全てのことはYesに塗りつぶされてしまう。僕に逆らう余白はない。電車を乗り継ぎ、母の手に連れられ、母がいつも通っている銀座の老舗デパートに向かった。その日は日曜日のため、街はにぎわい、たくさんの人でごった返していた。歩きながらタバコを吸う男性、その隣に寄り添う金髪で丈の短いスカートをはいた女性、足元がおぼつかなさそうに歩く老夫婦、一人先を走りゆく少年を追う若い夫婦、街には様々な人が行きかっていた。僕はおおよそを下向きで歩いているため、母の手に連れられながらもたくさんの人とぶつかりながら、目的地へと一直線に歩いた。母はといえば目的地である老舗のデパート以外は全く目に入らないようであった。ゴールにたどり着くまでにどれだけの人とぶつかっただろうか。母が足を止めたときには僕の体はずたぼろだった。体の至るところがずきずきと痛む。このような人ごみに何を好きでみんなは集まるのだろう。僕はどう考えても求める答えにはいきつくことはなかった。母はその答えをおそらく知っているのだろうが、そのようなことを聞いてどんな答えが返ってくるだろうか。僕は母からどのような答えが返ってきても自分が傷つきそうでとても恐くて、聞くことなんてできなかった。
しばらく足を止めてから母は一目散にデパートの中の目的のお店にさっきよりも早足で向かった。デパートの中もたくさんの人があっちへこっちへと行き来しており、普段学校の授業で行う体育以外で運動をしない僕の手の握力は母の向かう目的地までもたなかった。
Orange ペンギン @kenmori2
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