約束のプレイボール Switch

青銭兵六

第1話

 この島には、二種類の猿がいる。

 一つは、毛むくじゃらで、こちらの食料(それも新鮮な野菜や果物ばかり)を狙って掠め取っていく猿。

 もう一つは、軍服を着て銃を持ち、軍艦や飛行機や戦車を使って、戦争を仕掛けてきた、日本人とか言う猿だ。

 奴らはひどく卑怯で、獰猛で、残酷で、狡猾で、勇敢で、そして誇り高い、恐るべき相手。そう聞かされて来た。

 だが、この島にいる奴らは、少し違っていた。

 腑抜けている訳でも無いだろうが、陣取って辺りを警戒している以上の事をしようとはしていない。

 まあ、解らないでも無い。

 太平洋の外れにあるこの島は、何で戦争の舞台となっているのか、一兵卒には見当もつかないくらいにちっぽけで、何も無い島なのだから。連中も、来たは良いが、それ以上をやる事を無駄だと思っているのかも知れない。

 それはそれで助かる。

 何しろ、こっちの上官と来たら、ウェストポイントから直接来たんじゃ無いかと思えるくらいに、使えない将校なのだから。

 少なくとも、あんな奴の指揮で死ぬのはたまらない。

 兵士達の一致した意見だった。

 噂じゃ、とても偉い人に縁のある奴らしく、ここに来たのは、絶対に死なない場所で箔をつけるためだ、そう言われていた。

 兵達は陰口を叩いたものだ。

「あの将校様は、何もしないで勲章をいただくんだぜ」

「良いじゃねえか。俺達を殺して勲章をもらうより、ずっと良い」

 まったくだと思う。

 今日も、その件の将校様は、後方の司令部へと行っていた。

 名目は色々だが、尻尾を振りに行っている事は、部隊の全員が知っていた。

 皆それを馬鹿にはするが、不平は言わなかった。

 将校様が尻尾を振っている間は、好んで殺し合いをしないで済むのだから。

 さらに入れ替わるように慰問品が届いたとあれば、そんな事に一々構う者などいなかった。

 様々な慰問の品が取り出され、兵士達の間で分配が始まる。

 煙草、酒、名も知らぬ子供からの手紙。

 今回の担当者は「解っている」奴だったらしい。緩衝材として「グラビア」が使われている事が解ると、皆が口笛を吹いた。

「おい……」

 そんな時、大ぶりの箱を覗いていた奴が、声を発した。

 見ろよと言いながら取り出したのは、少し古びてはいるが、しっかりとした作りのバットだった。

「グラブもボールも、二チーム分あるぞ」

 添えられていた手紙によると、送り主はテキサスの田舎町で結成された老人チーム達で、もう歳で試合も出来なくなったので、道具を送るとあった。

 少しくたびれたグラブやバットを手に、皆、少年の目の輝きを取り戻していた。

「どうせ暇なんだ、一試合やろうぜ」

 誰もが頷く中、一人が水を差す。

「だがよ、人数足りないぜ」

 その言葉に、皆押し黙ってしまった。

 もちろん、少ないなら少ないでやりようもあるが、どうせならちゃんとやりたいからだ。

 妙な空気が流れる中、誰かが何の気もなく呟いた。

「人数なら、いるじゃねえか」

 どこに? の問いに、そいつは顎でとある方向を示した。

 多分、冗談のつもりだったのだろう。

 そいつが示した先、それは、あの猿共の居場所だった。

 だが、他の奴の反応は違った。

「それだ。連中を何人か連れてきて、試合やろうぜ」

「だけどよ、あの猿共、野球できるのか?」

「大丈夫だ。何年か前、ルースやゲーリックが教えに行った」

「なら、最低限の事は知ってそうだな」

 ここまで来ると、後はあれよあれよ。

 一番怖い軍曹様に、煙草とグラビアとを差し出すと、軍曹様は煙草だけを受け取って「一日だけな」と、目を瞑ってくれた。

 暇をもてあましていたからか、彼らの動きは早かった。

 昼過ぎくらいには、数人の日本兵が連れてこられていた。

 彼らの様子を見ていて、思わず笑いそうになった。

 当たり前と言えば当たり前だが、連中、殺されると思っているようだった。

 やがて、チーム分けがなされ、グラブを渡されると、ようやく連中も理解が及んだらしい。

 その内、思っていたよりもスムーズにボールを回し始めた。

「結構やれそうだ」

「ああ。しかし、思ったより素直だな、あいつら」

「そりゃ、殺されるのと野球やるのどっちが良いかって言われりゃ、野球するだろう?」

「違いない」

 こうして、世にも珍妙な試合が始まった。

 どちらも素人に毛が生えたようなもんだから、リトルリーグの方がまだましじゃ無いかって思えるくらいだったが、気にしない。楽しいのだから。

 そんな中動きがあったのは、回が少し進んだ時だった。

 一人の日本人が守備位置を離れ、ピッチャーの所に向かった。

 遠目では良く解らないが、どうやら代われと言っているらしい。

 言われた方は断っていたが、やがてあんまりにもしつこいので、何球か投げさせてやる事にしたらしい。

 だが、皆が息を呑んだのは、それからだった。

 その日本人が投げる球は、それまでとはまったく違う音を立てて、キャッチャーのミットに突き刺さったのだ。

 数球投げて、その日本人はピッチャーの方を見た。

 ピッチャーは肩をすくめると、さっきまでその日本人がいた守備位置へと移っていった。

 そこからは日本人ピッチャーの独壇場だった。

 ストレートも伸びがあったが、何よりも切れのあるカーブに、誰も手が出なかった。

 最初はお遊びのつもりで始めた試合が、気付ば両チーム本気の試合となっていた。

 片や絶対にあのピッチャーを攻略してやると、片やあの好投を無駄にはさせないぞと。

 白熱した試合の時間はあっと言う間に過ぎ、気付ば試合は最終回となっていた。

 最後のバッター、ジョーンズは打席に立つと、ピッチャーの日本人に「Hey!」と大きく呼び掛けた。

 手で、自分の前にゆっくりと曲線を描き、指を三本立てる。

 三球、あのカーブで来い。そう言っていた。

 日本人も解ったと言うように大きく頷き、この試合で最高のカーブを三球投げてきた。

 三球目を狙ったバットが空を切り、ボールがミットに収まった直後、張り上げられたアンパイアの声で、試合は終了した。

 それが許されるのなら、もっとやっていたかったが、間も無く日没だ。これ以上は無理だった。

 ジョーンズは、堂々と立つ日本人の所に歩み寄った。

「お前、名前は何と言う」

「次郎」

「ジローか。お前の投球はパーフェクトだった。だけど、次はお前のカーブも含めて、俺が打ってやるぞ」

「打たせるもんか」

 二人は固く握手を交わした。その約束の確かさを示すように。


 あの試合から、しばらくの時間が経っていた。

 話によると、連中の本国はもう焼け野原同然で、降伏は時間の問題となっているらしい。

 もうすぐ、国へ帰れる。

 そんな空気が部隊に流れていた。

 戦争が終わったらさ、あいつら誘って、もう一回試合しようぜ。

 そんな事を言う奴もいた。

 だが、こんな時に限って部隊に戻っていた指揮官は、非情な決断を下していた。

 この島の日本軍陣地を攻略する、と。

 夜中に呼集がかかり、軍曹は兵達に有無を言わさぬ口調で命令を伝えた。

 不服を言う者は怒鳴りつけ、殴り飛ばして、命令に従わせた。

 貴様らは合衆国軍人だ。合衆国の命令のまま、合衆国の為に戦え。拒否は許さん!

 誰もが、もうすぐ終わる戦争で、ろくに手柄を立てていない事に焦った指揮官が逸ったのだと思っていた。

 だが、軍人である以上、命令には従わなければならない。

 そう、彼らは軍人であり、この島には戦争に来ているのだから。

 極力音を立てず、ジャングルの中を進む。

 気付かれぬよう、悟られぬよう。

 だが、彼らは失念していた。対日本軍のマニュアルにある文言を。

 ―奴らは、夜目が利く!

「テキシューッ!」

 ジョーンズには見えない奴が、聞き慣れない叫びを発する。意味は解らなくとも、見つかったのだと直感で解った。

「あそこだ!」

 誰かの声にそちらを見やると、日本兵がこちらに銃を向け突撃してきていた。

 ジョーンズは反射的に引き金を引いた。仲間も同じように撃つ。

 集中砲火を浴び、日本兵は地に伏した。

「アタック! アタック!!」

 照明弾が闇を照らす中、軍曹の叫びが響く。

 発見されてしまっては奇襲は望めない。敵がその態勢を整える前に、一気に押し切る強襲が、最も勝率が高いのだ。

 撃ちまくりながら、彼らは日本軍の陣地を目指す。

 彼らはこの夜、噂に聞く勇敢さ、精強さを、存分に発揮した。

 ただ一人も逃げる事無く、ただ一人も諦める事無く、立ち向かって来たのだ。

「ジョーンズ!」

 軍曹に肩を掴まれた。

「病院施設がある。貴様が突入して抑えろ。いいか油断するな。こっちを巻き込んで自決する、クレイジーな連中がいるって話だ」

「イエス・サー!」

 ジョーンズは、赤いマークが描かれた建物へと入る。

 軍医も戦闘に参加していたのか、中は蛻の空だった。

 いや、ベッドの上に、一人、いる。

 銃を構えた時、窓から差し込んだ照明弾の光が、その日本兵の顔を照らし出した。

 覚えがある。ジローの友達だ。名前は確か……、

「待つんだ、サンペー。戦いは終わった。止めてくれ、俺はもう、知っている顔を殺したくない」

 言いながら、ジョーンズの目からは大粒の涙がこぼれだした。

 お願いだ、頼む。

 その気持ちが通じたのか、サンペーは手にしていた手榴弾を置き、両手を持ち上げた。



 戦闘は終わった。

 アメリカ側に若干の戦傷者、日本側は一名を除いて全滅。

 マラリアを罹患していたサンペーは捕虜となると同時に昏倒。回復した時には、既に日本はポツダム宣言を受諾していた。

 その事を告げられると、サンペーは「理解した」と言うように頷き、ベッドの上でドゲザとか言うものをして見せた。

「一つ、お願いしたい事があります」

 サンペーは申し出た。

「戦友を、葬ってやりたく思います。許可を」

 軍曹は少し考え、その申し出を受諾した。

 ジョーンズがその手伝いを申し出たのは、当然であったかもしれない。

 彼に続き、我も我もと申し出るのを、軍曹はぴしゃりとはねつけた。手伝いはジョーンズだけだ。俺達には、他にもやることがあるのだから。

 少し間を開けて、

「それに貴様ら、人数がいると、また野球をするだろう」

「いえ、しませんよ。もう、人数が足りません」

 ジョーンズの返答に、軍曹は素っ気なく「そうか」と言って、どこかへと行ってしまった。


 ジャングルの中に、サンペーとジョーンズは深く穴を掘る。

 浅く掘っては、動物に掘り返されてしまう。時間と体力の許す限り、深く深く掘る。

 掘った穴に、物言わぬ姿となった戦友を、一人、また一人と横たえていく。

 最後にジローを横たえたところで、やって来た軍曹がジョーンズを呼び、何事かを話して、去って行った。

 戻って来たジョーンズは、手に大事に持って来たものを、サンペーへと差し出した。

 古びた、野球のボール。

「ウィニングボールだ。ジローに渡してやってくれ」

 ボールを受け取ったサンペーは、もはや力の無いジローの手に握らせる。

「次郎、お前、すごいなあ……。アメリカに勝ったぞ」

 涙ぐみながらサンペーは、もう一度、改めて力の無い手に、ボールを握らせた。


 埋め戻された土の上に、墓石代わりの石を置き、最後に二人で頭を下げた。

 その時、静かにジローが歌い出した。



 兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川

 夢は今も巡りて 忘れ難き故郷


 如何にいます父母 恙無し友がき

 雨に風につけても 思ひ出づる故郷


 志を果たしていつの日にか歸らん

 山は青き故郷 水は清き故郷



 ジョーンズの聞いた事の無い歌だった。

 だが、不思議と穏やかな気持ちになれる、そんな歌だった。

「その歌は?」

「小学校で習った歌だ」

 そう言うと、ジローは聞かせてくれた。

 生まれ育った故郷を思い、そしていつの日にか帰ろうと言う歌なのだ、と。

 もう一度だけ歌ってから、ジローは静かに口を開いた。

「なあ、ジョーンズさん。色んな事が終わったら、一度、俺達の故郷に来ちゃくれないか。いや、詫びろとか、そう言うんじゃ無いんだ。ただ、俺達の故郷を見て欲しい、そう思ったんでね。多分、次郎もそう思っている」

 少しの時間をおいて、ジョーンズはしみ出すように言った。

「不思議だ。俺も今、同じように俺の故郷を、お前に見て欲しいと思っている」




 戦争が終わってから、半世紀以上が経った。

 色々を終わらせるには、それだけの時間が必要だった。

 そんな中でも、辛うじてジョーンズは、サンペーと連絡はとれていた。

 数度の手紙のやり取りを経て、とある夏の日、ジョーンズはサンペーの家を訪れた。

 思い出話もそこそこに、サンペーは近くにジローの孫が住んでいることを告げた。

「会うか」

 との問いに、一も二も無く頷いたジョーンズを案内して、サンペーはとある一軒家へと向かう。

 開け放たれた縁側から、中に向かってサンペーは呼び掛けた。

「よう、健ちゃん、いるかい?」

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