夏の辛口 –『魑魅魍魎は今もいる』
あ、あそこだ
右手の遠くに覗く青い海、それを時たま眺めながら歩いていると、目当てのバス停が左先に現れた。
聞いてた通り、休憩所のような小屋と、その隣に自販機がある。
…ん?
聞いてたのとは違う光景。休憩所のところに、ひとりの人間が立っていた。
縞の入ったカットソーに黒のキャミワンピ。その女性、背筋は伸びているのだが、顔は俯いていた。
空はこんなに晴れてるのに、陰気くさいなー
日陰になる休憩所はそこしかない。女性に一礼して、影に入らせてもらう。
「こんにちは」
声を掛けられた女性はハッと顔を上げ、急いで頭だけ下げる。
一応礼だろうか。挨拶は返されず、しばらく沈黙が続く。
…うーん、こんな感じで後30分か
結構早く着いたので残り40分かもしれない。
とりあえず駅の売店で買い水筒へ移しておいたラムネをぐいっと仰ぐ。甘く冷たい炭酸が道中で乾いた体に染み渡るのを感じた。塩も少し舐めておき、もう一杯。頭が痛くなりそうなちょっと手前のいい冷え加減だった。おかげで思考も幾分楽に、プラスに考えられるようになってきた。
もしかして脱水か?
女性を見やる。
「のど乾いてません?」
「…え?」
「ラムネです。どうですか?」
返答を待たず注いでたそれを押し付けるように渡してしまう。
しばらく水面をジッと見つめていると、一気に飲みほした。
「…ゴホ、ゴホ。炭酸は苦手です。甘ったるいし」
眉根を下げ顔をしかめている。
やっと反応が返ってきた
これでブスッと不細工な顔を続けるか黙りっぱなしなら放置だった。
さてどうするかと考える。
ウソも方便という言葉がありましてな
「実はわたし、しがないライターをやっていまして、―――― 」
やってません。
「暇ができればこうして観光してるんです」
「そう、なんですか」
疑わしげにこっちを見るが、堂々とした様子を崩さず、片手でコップを受け取る。
「それでこの暑い夏、知り合いに頼みごとをされまして」
ゆっくりと、軽く微笑みを入れながら話す。
「夏の暑さに効きそうな、不思議な体験や怪談を集めてるんですよ。
何か、友達から聞いたこととかありませんか?」
コップにラムネを注ぎ、また差し出す。手の平で遮られたので、そのままわたしが飲み干した。
「…………」
「………」
女性は少し俯き、考え込んでいた。
「……あの、そんな、大したものではないですが」
どうやら暇潰しに成功したようだ。
お互い席に座り、わたしはメモを取ってるフリをしながら、女性の話を聞く。それは「友達から聞いた話なんですが」で始まっていた。中々流暢に、思い出すように話される。
…あれ? この話って ――――
そして話し終わってからしばらく、遠くを見て考え込むわたし。
それを見て女性は少し不安そうに声を掛けてきたが、わたしは反応しない。
わたしは、わたしの過去を振り返りながら、とある記憶をつまみ上げていたのだった。
「…これは半分、つくり話なんだけど ―――― 」
そしておもむろに、女性の眼を見て話し出す。
女性はビクリと、少し反応する。
しかしその時になると、最初の様子とは打って変わり、女性は食い入るようわたしの語り文句へ、耳を傾け出してくれるのだった。
☆ ☆ ☆
この話は今でもわたしの記憶に蘇る『不思議な体験』である。
あれは正確にはいつだったろうか。夜中、特に理由もなくドライブしていたのか、コンビニの帰り、近道だからと寄ったのか、海を見た帰りだったのか。
…そうだ、あれはとある観光地からの帰り道だった。もう数年も前になる。
昼頃に解散し、わたしだけはブラブラと車で、辺りを見て回りながら帰っていたんです。
ザー ザー ザー
夕食を済ませたときには、既に雨が降っていましたね。
…あ、道 間違えた
食事も終えた帰り道。そこは高速に向かうため左折する地点。
そのところを間違え、直進してしまいました。
引き返せるところはないかスペースを探していると前方に大きめの丁字路が。
………
右折を続けてぐるっと回ることに。
周囲には松の雑木林が広がっていました。まだまだ海に近いのでしょう。
先程の直進から右折、右折、そして大きめの十字路が見えてくる手前で、
…ん?
前方で白い何かがチラついたのです。雨の中ビニール袋でも舞っているのかと、ライトをハイにしました。
白い服を着た女性が、雨の中びしょ濡れで立っていた。
なんだなんだ!? 事件でもあった?
それは十字路の真ん中ほど。
その女性、背筋は伸びているのですが、顔は俯き、表情が伺えません。
無視するわけにも、いかないよなあ
右へのウインカーを出しながら、交差点のところで止まり、車の窓を下ろします。ただ警戒して、腕が入るか入らないかぐらいの隙間だけ。声ぐらいなら届くでしょう。
結論から言うと、女性は何の反応も示さなかったです。黙りっぱなしで、これは放置するしかないかと思い、車を走らせました。
一応コンビニでも見つけたら警察へ連絡しとこう
ついでに飲み物を買っておこう
車を止めたくなかったので、とりあえずは直線に道のりを行きます。不気味なのもあったし、アクセルは強めに踏んでいたかと。
あれは何だったのか、彼女は何をしてたのか、バックミラー越しにチラチラ後ろを見ながら車を走らせました。
トタ トタ トタ
…え?
目の錯覚かと思い、鏡を使わず、後部座席をちらりと確認する。
トタ トタ トタ
間違いない。後ろに何かいる。
奇妙だな、と用心していたからか、少し焦りつつも現状の確認をしていました。幸いなことに、車には運転手のわたししか乗っていません。他の方がいてパニックにならず良かったと、前向きに考えて置きました。
アクセルはもう強めでしたので、踏み込みはそのまま。時速70キロは出ていたでしょう。
トタ トタ トタ
………
トタ トタ トタ
…………
トタ トタ
…どうやら大丈夫なようです。ゆっくりとそれは遠ざかっていきます。
浮遊霊みたいに範囲のない魑魅魍魎ではないようでした。
ただ気を緩めるわけにもいかず、周りに民家や他の車が増え出すまで注意して車を走らせます。
コンビニへ着くと、一応警察に電話して置きます。女性が立っていたことを。
そして立ち読みしたり、飲み物を買ったりして気分を落ち着けると、そこからも安全運転でわたしは家に帰ったのでした。
はい、そこからは特に何もなかったと思います。
では果たして、わたしがみたものは何だったのか。
家に帰るなりネットで調べてみました。
どうやらあの交差点では交通事故が頻繁に起こるようです。長い道のりなため、アクセルを強く踏みがちなのだとか。
しかし、魑魅魍魎の類は全く噂されていませんでした。
これだ、と強く断定はできませんが、あの時わたしの車を追いかけてきた、『黒く長い脚を何本も伸ばした赤い巨体』に該当する妖怪を、ひとつ、見つける。
トタ トタ トタ
バックミラー越しに、そして肉眼で確認した、ドタバタと車を追いかけてくる不気味で巨大な影。その足音は車内においてトタトタと響いていました。
…あれは『牛鬼』でしょう。
まず、西日本でよく見付かること。
次に海の近くなどの『淵』で現れること。
また言い伝えでは、蜘蛛の胴体を持つ姿で描かれることが多いこと。
そして濡女の格好で人を騙すこと。
ええ、ほぼ牛鬼で間違いありません。
ただ牛の頭と角もあるらしいのですが、あれにあったかどうか…。そこはうろ覚えでした。
非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好む、だそうです。恐い恐い。下手したらわたし、死んでいましたね。
一方で、牛鬼は神社やお祭りで祀り上げられたりもするとか。
祀られる姿には牛のイメージが強く、角が大変立派でした。牛のような牛鬼です。牛、角。わたしがみた牛鬼には目立たなかった部位ですね。人間と同じように、牛鬼にも色々いるみたいです。
蜘蛛のような牛鬼に関し、江戸時代などではまず逃げられず食い殺されたそうです。
車で走って逃げたからいいですが、最高時速50キロはあったのではないでしょうか。そんなの当時の人にはどうしようもありません。
しかし、どうやら現代でなら一般人でも対処できる魑魅魍魎のようです。わたしのように、車かバイクがあれば。
もし出会ってしまっても、慌てずアクセルを蒸かし、安全運転でお逃げください。
そんなわけで、昔からいる海辺の妖怪、牛鬼にご注意を。
もし出会ってしまっても、最後まで諦めないでくださいませ。
以上、『魑魅魍魎は今もいる』でした。
☆ ☆ ☆
「 ―――― そんな不思議体験でしたー」
「…………」
内容が少し異なるだけで、彼女の話で出てきた妖怪も、牛鬼だとわかる怪談だった。
「…………」
「…………」
…あれ? 話す怪談 間違えた?
「…あ、あなたは、死ななかったんですね?」
「…わたしが幽霊か何かに見えますか」
「……いえ」
そして彼女は両手で顔を覆い、さめざめと泣きだす。
「……よかった。私、あんな体験して恐くって。
いつか……いつか…… ――――
………でも、あなたは死んでいません」
「えーと…」
しばらくの間、彼女は泣き続けた。
そうこうしている内にバスが来た。
わたしはバスへ乗り込もうとする。が、
「乗らないんですか?」
「ええ。私にはもう、用事がなくなりましたから」
彼女は長椅子に座ったままわたしを見送ろうとする。
「…そうですか。
では縁がありましたら、またどこかで」
わたしと彼女は互いに手を振って別れを告げた。
ブロロロロ
「…………」
バスが走り出した。
わたしは少し気になって、窓から先ほどのバス停をちらりと振り返る。
するとそこには、背筋を伸ばし、顔を上げて、遠く遠くの青い海を見つめている彼女の姿が。その横顔はわずかに微笑んでいたかもしれない。
「………」
視線を戻し、やれやれと思いながら席に座り直す。
怪談が恐怖を払拭する、なんて、そんなまさか
「…はは」
…まったく、やってみるまで、夢にも思わなかった
わたしと彼女。
この話は今でもわたしの記憶に蘇る『不思議な体験』である。
とりあえず『これは半分つくり話なんだけど』で始まる怪談 矢多ガラス / 太陽花丸 @GONSU
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