第15話、いつかの遠い日の出来事 後編

 行動を開始したゼルベルトは慎重に歩みを進める。バレてはならないが、バレなければいい。

 教団の敷地内には、夜間であっても警邏中の神殿騎士がいる。いるにはいるが、それは良くないことに形骸化されたものだ。癒しの女神の教団に対して、不届きを働く者など滅多にいないのだ。それこそ神殿騎士がその任期中に、一回たりとも活躍する機会がないほどに。

 そしてゼルベルトは並外れた身体能力を持っているし、元狩人として気配の消し方も抜群に上手い。警邏中とは言え、腑抜けて油断しきった者が発見できるものではない。彼は悠々と目的の宿舎に到着することができてしまった。

 神殿騎士は以前、聖女の護衛に失敗していることもあって、大幅な意識改革が行われている。その甲斐もあって戦闘訓練は充実し、錬度は高まっていた。だが、退屈なルーチンワークである夜間の警備にまでは、その錬度の高さは反映されるに至っていなかったようだ。

 さて、警備を潜り抜けあとは中に進入するだけなのだが、彼にはトレジャーハンターとして磨いてきたスキルがある。特殊な仕掛けのない扉の鍵開けなど造作もないことだ。

 慎重にドアノブを回してみるが、恐ろしいことに鍵は掛かっていなかった。無用心にもほどがあるが、不届きな輩などいないのだから、こんなものなのだろう。だがゼルベルトには不満があるようで少し怒っていた。まぁ不審者である彼自身がまんまと侵入できてしまうザル具合だ。もしもの事があったら、アーゼルハイドもただでは済まないかもしれいない。怒って当然であろう。

 ちなみに現巫女頭は既婚者であるので、アーゼルハイドたちの巫女と司祭専用の宿舎では寝泊りをしていない。広大な教団の敷地内には、既婚者用の施設もあるのだ。教団関係者はある程度まで年を取ると皆が結婚するので、目的の宿舎には比較的若い女しかいないことになる。


 静まり返り暗闇に染まった宿舎の中であるが、夜目の利く元狩人の男の道を阻むことはできない。クリステル司祭によれば、アーゼルハイドの部屋は最上階にある。最上階のどこかは分からないが、あとは地道に探すしかないだろう。

 忍び足で最上階に辿り着くと、出歯亀のように部屋を覗いていく。どうしようもない変態的な行動であるが、ゼルベルトは真剣だ。

 鋭い眼光で慎重に対象を見極める。髪の色、肌の色、体型、体臭、どんな手がかりでもゼルベルトは間違えない。一部屋一部屋、慎重に覗きを繰り返し、目的の女かどうかを確かめる。

 ある地点で、見覚えのある特徴を発見した。なんと、それは眠りにつくクリステル司祭だ。

「クリスか・・・・・・ごくっ」

 彼女は常とは違って無防備な姿をさらしている。就寝中なのだがら当然だが、それでも意外な事に寝相が悪いようで、掛け布団をはだけ、寝巻き姿が露になっているのだ。闇を見通すゼルベルトの目は確かに、彼女のスレンダーだが魅力的な肢体にクギ付けになっていた。

「・・・・・・もったいねぇが、今はアゼルだ」

 ギリギリ踏みとどまったようだ。もし、もう少しだけ寝巻きがはだけていたとしたら、彼の砂糖菓子のように脆い理性はあっさりと砕け散り、全てを忘れてクリステル司祭に襲い掛かっていただろう。紙一重で危機は去ったのだ。世界とはなんと、数奇で酷薄なバランスの上に成り立っているのだろうかと考えざるを得ない。


 何度か理性の決壊の危機を迎えながらも、ゼルベルトは最後の部屋の前に立っていた。非常に危険な試練の連続であったが、最後なのでもう間違えようがない。ここが目的地にして彼の黄金郷エルドラド、アーゼルハイドの寝室だ。

 間違えようはないが、念のために慎重に行動するゼルベルトだが、少し違和感を覚えていた。部屋の中で人が動く気配がするのだ。アーゼルハイドは寝ていない可能性がある。こっそりとでも無断で扉を開けば、無用な驚かせ方をしてしまうかもしれない。そこで一計を案じ、勝手に扉を開くのではなく、小さくノックをすることにしたのだ。

 音が響かないよう、静かな部屋の中にだけ僅かに聞こえる程度のノック音。

 ゼルベルトにとっては深夜というにはまだ早い時間だ。だが、この宿舎の人々は、この部屋を除いて全てが眠っている。起こしてしまったり、気づかれるわけにはいかない。

 夜の訪問者にアーゼルハイドも不審に思うだろう。だが、彼女が無視をするはずがない。ゆっくりとだが、扉に近づいてくる気配がする。

「・・・・・・どなたですか?」

 小さく問い掛ける声。懐かしい声だ。ドア越しでも分かる、可憐で綺麗な愛しい声。

「アゼル、俺だ。開けてくれねぇか?」

 はっと息を飲む気配がしたのは気のせいではあるまい。続けてそっと開けられる扉。

 開いた扉の隙間から見詰め合う二人。

 ゼルベルトは素早く隙間から部屋に入ると、後ろ手に扉を閉めた。

「ゼ、ゼルベルトさん、どうしてここに」

 実はアーゼルハイドはまだ知らなかったのだ。クリステル司祭はサプライズを目論んでいたらしい。まだ起きていた彼女の部屋の様子を見るに、ランプを灯された机の上には本が広げられていて、読書中だったのか、勉強中だったのか。努力家の聖女、ここに極まるといったところか。

 困惑するアーゼルハイドだったが、ゼルベルトはお構いなしに彼女を抱きしめる。

「あっ」

 さらに何事かを言おうとする彼女の唇を強引に塞いで、静寂が満ちる中、二人は唇の感触と体温だけを確かめ合った。

 そして、もちろんそれだけで済むはずがない。


 愛の女神へ捧げるワルツを踊る二人だが、最初は抑えていた声も、夢中になるにつれ我を忘れて二人は没頭する。

 なにせ、久々に再開した男女なのだ。燃えるものがあって、然るべきであろう。自然なことなのだ。それは自然の摂理であり、ひいては神のご意思とまで言っても過言では・・・・・・・ないはずだ。いや、無理があるか。


 そして二人は朝方になるまでハッスルを繰り返し、疲れ果てては睦言を交わしながらの幸せな眠りにつくのだった。



 幸せな時を過ごした二人であったが、もちろんこれは問題である。大問題である。

 男子禁制の宿舎内、しかも神聖ミシュネルヴァ教団のシンボルにして聖女、女神の代行者たる次期巫女頭、そんな彼女の秘密の逢瀬。全然秘密になっていなかったが、ともかく超重要人物の大スキャンダルである。

 教団の宿舎は気の利いた防音措置などは取られておらず、そこに寝泊りする他の巫女と司祭たちは、まさかの聖女の熱い夜の嬌声を一晩中聞かされる羽目になったのだ。かなりの声量で漏れ聞こえてくる特徴ある美しい声。信じがたいことに、紛れもない聖女の声だ。ほぼ全てが純潔を守っており、清純で純情な彼女たちの胸中や如何ほどのものであるか。これには癒しの女神も同情せざるを得まい。

 だが、聖女のあられもない声を聞かされまくった彼女たちであったが、誰もそれを口外することはない。口にできないと言った方が正しいか。まさかの事態に混乱し、心は千々に乱れて当惑するばかりである。もじもじしながら赤面し、寝不足のクマを作った酷い顔で朝からいつもの日常に戻るのであった。

 そして、それに気が付いていないのは当事者だけである。アーゼルハイドは寝不足にも関わらず、一人だけ艶々とした色気を放っており、気力も充実していた。素知らぬ顔でゲスト用の宿舎に戻ったゼルベルトも暢気に朝食を要求するのであった。


 クリステル司祭は頭を抱えていた。アーゼルハイドに嬌声をあげさせた人物は間違いなくゼルベルトである。それくらいは二人を知る彼女であれば当然の帰結だろう。しかも彼の名前を呼ぶ聖女の甘い声まで響いてくるとなれば間違えようがない。

 非常に心乱れていたが、この日に二人を引き合わせる時間を作るといった約束を破るわけにもいかず、ゼルベルトの泊まっているゲスト用の宿舎にアーゼルハイドを招き入れるのだった。

「クリス、誰がお待ちなのでしょう?」

 ニコニコ笑顔のアーゼルハイドであるが、誰がいるのか知らぬ振りをしているらしい。クリステル司祭は恨めしそうな顔をしながらも、その猿芝居に付き合ってやることを決めたらしい。

「・・・・・・ふふっ、アゼルにとって、とっても大事な方ですよ」

「まぁ、楽しみですね!」

 白々しい顔で再会の挨拶を交わしつつ、抱きしめあう二人をクリステル司祭は引きつった顔で見るしかなかった。

 多忙であるアーゼルハイドは、久しぶりの再会でも急遽差し込んだスケジュールの隙間程度では、満足な時間をとることはできない。慌しく次の予定に向けて去っていくアーゼルハイドとクリステル司祭を、ゼルベルトは大変だな、などと思いつつ見送るのだった。


 さて、また夜が訪れた。

 一晩だけで満足できるほど、彼らは年老いていない。年老いるどころか、彼らはむしろ若い。若さに溢れているというのが正解だ。久しぶりに再会を果たした情熱溢れる男女を止めることなど誰にもできはしないのだ。

 ゼルベルトは当然のように、アーゼルハイドの部屋に侵入を果たしていた。そして、また存分に愛を確かめ合う。

 今夜の愛の女神に捧げる激しいワルツは朝までとはいかなかったようだが、それでも深夜に及ぶ二日連続の重大事件だ。口外するつもりがなくとも、甘い嬌声を聞かされる方の身にとってはたまったものではない。しかも、この二日で終わる保証もないのだ。いや、放っておけば明日も明後日も、いつまで続くか分からないのだ。

 いくら聖女であるアーゼルハイドを敬愛していても、聖者の資格を持つゼルベルトを敬っていても、我慢できることとできないことがある。

 甘美な嬌声、いや、もうぶっちゃけて言って、エロボイスを聞かされまくった巫女と司祭は堪忍袋の尾が切れかかっていた。穏やかで優しい性格の彼女たちをして、いい加減にしろと怒りたくなるくらいには。

 その矛先に立つのは、渦中の二人の友人であるクリステル司祭だ。聖女に対して直接、エロボイスが気になって眠れないから止めろと注意をする度胸は誰にもなかったのだ。ましてゼルベルトに対して言えるはずもない。そこでクリステル司祭に、注意をしろとの要請が殺到したのだ。

 クリステル司祭は非常に嫌そうであり、しかし仕方ないかと引き受けざるを得なかった。想像すれば分かる。友人に対して、そのような行為や声の注意を促すハードルの高さは如何ほどのものであろうか。しかも彼女はどこに出しても恥ずかしくないほどの清純派であり、純情なのだ。心中察して余りある。


 会食などの予定がなく、日が暮れてからは時間のあったアーゼルハイドは、クリステル司祭によってゼルベルトの部屋に連れて来られていた。

 ゼルベルトは訪問を知らされていたので、応接用の小さなテーブルの前に座っていた。

 部屋に入るや否や、クリステル司祭は前置きなどせず直球で使命を果たそうとしていた。

「ア、アゼル! そこにお座りください!」

「どうしたの、クリス。ゼルベルトさんも交えてのお話でしたら、お茶の準備もしないと」

 普段は察しの悪いゼルベルトだが、クリステル司祭の様子から大体の想像はついていた。初日は夢中になっていたからともかく、二日目の夜はアーゼルハイドの声の大きさが気になってはいたのだ。だが、彼女の声が大好きな彼はもういいやと開き直っていたのだ。

 ゼルベルトは彼にしてはすまなそうな、迷惑掛けたなというような顔で黙っていた。

 アーゼルハイドがゼルベルトの隣に座り、その対面にクリステル司祭が座ると、おもむろに切り出した。

「いいですか、アゼル、ゼルベルト様。おふたりに苦情が入っています。分かりますね?」

「苦情、ですか? なんでしょう、ゼルベルトさん」

 ゼルベルトは苦笑しながらクリステル司祭を労った。

「クリス、アゼルには俺から言っとくからよ。おめぇからは言いにくいだろ。それからよ、今日はもうアゼルには仕事はねぇんだったよな? 今日はここに泊まらせるがよ、いいな?」

「そ、それは・・・・・・分かりました。あとはゼルベルト様にお任せしますが、周囲にはどうかご注意ください」

 顔を赤くしながら言葉少なにそれだけ告げると、クリステル司祭は去っていった。

「ゼルベルトさん、クリスはどうしたんでしょう?」

「アゼル、気づかねぇか? おめぇのよ、あの時の声が聞こえちまってるんだろうぜ。夜の宿舎の中は静かだからよ、多分、みんなに聞こえちまってたんじゃねぇか?」

「え、それって・・・・・・・えっ!?」

 そこまで言われてようやくアーゼルハイドも遅まきながら、非常に遅きに失しながら思い当たったようだ。羞恥に身を焦がして悶えている。

 それを見て欲情したゼルベルトは二人きりなのを幸いにベッドに押し倒して、今日も愛の女神へ捧げる激しいワルツが朝までハッスルされるのであった。ただし、声には注意をして。



 いつまでも続くかのような幸せな時間だったが、運命神は引き際をも定めてくれるのか、聖女であるアーゼルハイドに対して緊急の仕事が舞い込む。

 それは国境を越えた先の高貴な方、それも大スポンサーに当たるVIPが重病に罹ったいうものだった。政治的な理由により聖女が必要とされており、アーゼルハイドは出かけなければならないのだった。

「ゼルベルトさん、すみません。また出かけなくてはならなくなってしまいました」

「なに、また会いに来るからよ。俺もトレジャーハンターとして行く所があるからよ、どっちにしろ行かなくちゃならなかったしな。アゼル、こっち来いよ」

 名残惜しげな彼女を抱きしめて最後の逢瀬を満喫する二人。だが、今回再会できたように、また再会する日は来るのだろう。それまでの辛抱だ。

「そうだ、こちらを用意しましたので、ぜひ受け取ってください」

「銀の花? こいつは」

「ふふ、それはレプリカじゃなくて本物になります。凄い力があるんですよ? 巫女頭様も承知されていることですから、どうか受け取ってくださいませんか? もちろん堅苦しいのはなしです」

 アーゼルハイドは聖者の証のレプリカではなく、本物をこっそりと渡す。

 それには癒しの女神の奇跡が特別に込められた、神聖ミシュネルヴァ教団の技術と信仰の粋が集められた、極めて優れた秘術が込められている。その効力は"魔除け"だ。それは病魔を退け、毒を退け、呪いの類を退ける、癒しの女神の奇跡を顕現させたかのような、特別な効力がある。

 もちろん、量産などできる物ではなく、長い時間を掛けて準備される物だ。しかも、誰にでも効力があるわけではない。あらかじめ定められた対象者のために準備される物なので、作ってしまったら他の誰かにというわけにもいかない。ゼルベルトが受け取らないと、意味のない物なのだ。貴重な物ではあるが、倉庫で腐らせておいても意味がないのだ。

「アゼルからの贈り物を断るはずがねぇだろ。もらっとくぜ。そういや、俺からも土産があったんだったな。渡しとくぜ」

 ゼルベルトはお礼に貴重な超古代魔法文明の遺産を気前よく渡してしまう。彼の祖父の形見ではなく、トレジャーハンターとして彼自身の手で手に入れたものだ。

 再会後の最後の二人きりの時間は、愛を語るよりもトレジャーハンターとしての活躍や聖女としての活躍を語り合う健全で楽しい空間で終わるのだった。



 このしばらく後、何の因果か滅多に起こらないはずの事件が起こる。

 それは、さる邪教の信徒が不遜にも癒しの女神の教団に対する、夜間の侵入事件を起こしたのだ。しかもその輩は武装までしていた。

 ゼルベルトの狼藉とアドバイスによって警備体制を大幅に見直していた教団は、見事に不逞の輩を早期に発見、確保することに成功していたが、以前のままではそれが成しえたかどうかは非常に危ういところだったのだ。

 感激するアーゼルハイドと複雑な胸中を隠すことのできない巫女や司祭だったが、いずれにせよ図らずもゼルベルトの貢献は無視できないものとなった。

 運命の数奇さとは、かくも不思議であり分からないものだ。

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無頼の花道 ~天下無双のトレジャーハンター~ 内藤ゲオルグ @georg_naitoh

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