第14話、いつかの遠い日の出来事 前編
聖女とそれを守った英雄が別れてから、どれほどの月日が流れただろうか。
ついにゼルベルトは神聖ミシュネルヴァ教団の本部を訪れていた。
「ここか。アゼルもすげぇとこに住んでんだな」
ここは世界的な癒しの女神の教団の総本山なのだ。神聖ミシュネルヴァ教団の神殿は外観だけでも荘厳きわまる威厳に満ち、訪れる者をより敬虔な気持ちにさせる素晴らしい造りをしていた。建築のいろはなど知らず、また癒しの女神ミシュネルヴァの信徒ではないゼルベルトでも、不思議と神妙になるほどの雰囲気があった。
総本山だけあって訪れる人々は多く、かなりの賑わいを見せている。癒しを求める人だけでなく、敬虔な信徒たちが祈りを捧げにきているのだ。
ゼルベルトは神殿そのものに入るつもりはなく、まずは敷地内にある事務所を訪れるつもりだ。教団の総本山である敷地には、神殿のほかにも宿舎や教団関係者のための施設が色々とある。また、外から見ても神聖な雰囲気の漂う神殿には、どうにも立ち入る気にはなれないという気持ちもあった。彼のような無頼漢が訪れるには、いささか場違いであるし、賢明な判断であるともいえる。
神殿へと続く大階段を迂回して事務所を探すためにそこらをうろつくゼルベルトだが、敷地内を歩き回る分には咎められることはない。敷地内には見ごたえのある庭園や水場などがあり、観光に訪れる者も多いのだ。彼はその内の一人としか見られていない。ところどころ警備に巡回する神殿騎士も、目立つ風貌をしている彼に視線を向けることはあっても、それ以上気にする素振りはない。
なんとはなしにゼルベルトが見て回っていると、どこからか視線を感じた。
「・・・・・・誰だ、あいつか?」
足を止めて視線の主にいぶしかげな視線を送ると目が合って、その人物は淑女らしく走ったりはせず、それでも足早にゼルベルトの傍にやってきた。
「おめぇ、どっかで」
「ゼルベルト様、ですよね。お久しぶりです」
急ぎ足で傍まで来たせいか、少し紅潮した、すこぶる美人の女だ。
脳みそをフル回転させて記憶を呼び覚ますゼルベルト。彼が美人を忘れることなどない。
「もしかしてよ、クリステル司祭だったか。アゼルの友達のよ」
「はい! そうです。覚えていただいて光栄です。アゼルが首を長くして待っておりますよ」
「そうかそうか、俺も楽しみだぜ。でも、なんつうかよ、綺麗になったな。前よりも、大人びたっていうかよ、色気が出てきたな」
無遠慮にクリステル司祭の頬に手を添えて瞳を覗き込む。ついでに逆の手はしっかりと、彼女の手を握り締める。二人の距離は抱きしめんばかりの近距離だ。ゼルベルトは自然に、スリが懐に手を伸ばすかのように、クリステル司祭の懐に忍び込むように一息の間に接近してしまったのだ。相手に一切の反応も許さない恐るべき早業だ。
神聖視される女神の代行者たちは、基本的に敬われる立場にあるため、憧れや恋慕の目で見られることはあっても、そのように露骨に口説かれることは滅多にないし、ましてやセクハラや痴漢行為など受けることはない。大抵の巫女や司祭、侍祭たちは皆が
「あ、そ、その、いけません! ゼルベルト様、アゼルが待っています!」
たまっていたゼルベルトは、うっかり強引にいきそうになって、クリステル司祭の言葉に危うく思いとどまる。ついでに周りには人目があるので、思いとどまらないと大変なことになってしまっていたのだが。
「おっと、いけねぇ。なぁ、クリステル司祭よ」
「その、ゼルベルト様、私のことはクリスとお呼びくださいませんか?」
顔を赤らめたままのクリステル司祭が何を考えているのかは誰にも分からないが、アーゼルハイドの友人である彼女は、きっとゼルベルトとも仲良くなりたかったのだろう。そうに違いない。
「あ? ああ、じゃあクリスよ、アゼルに会いに来たんだがよ、どこに行けばいいんだ? とりあえず、身分証明を見せろって前に言われたから、事務所っぽいとこを探してたんだけどよ」
胸元で揺れる銀の花を模したペンダントをもてあそびながら、当初の目的に立ち返る。
「そのペンダントをお持ちでいらっしゃるなら話は早いですね。では、一緒に参りましょう。こちらです」
聖者の称号を象徴するペンダント、そのレプリカでしかないが、威力は絶大であるようだ。
クリステル司祭は懇切丁寧に、ゼルベルトの手を引きながら事務所まで案内するのだった。
若干の周辺案内などされつつ、観光気分でクリステル司祭に案内されたそこは、教団の敷地の中でも目立たないように端っこの庭園の陰に隠れるようにして配置された、年季の入った建物だった。ありていに言えばボロかった。人目に触れない身内だけの施設にはそこまで気を使わないのだろう。普通の来客は事務所などではなく、神殿の受付を訪れるのだから、あえて取り繕う必要はないのだ。資金力が豊富な教団にあっても、無駄なコストは省く性質らしい。
クリステル司祭は、ゼルベルトの神殿を避けたい意図をきちんと汲み取って、このオンボロな事務所に案内してくれたのだ。本来なら部外者には見せないであろう施設にも、こうして案内してくれるところを見ると、友人を救ってくれた彼を身内のように感じているのかもしれない。それに、堅苦しいことが嫌いなところも十分に分かっているのだろう。
「なかなかいいところじゃねぇか。表の立派な建物もいいがよ、俺はこっちの方が落ち着くぜ」
ゼルベルトはなんだか、ほっとした様子だ。
「そう言っていただけると安心しますね。それでは、中へどうぞ」
重そうな扉を開いて中に入ると、意外とゆったりした空気の部屋の様子。
「こちらには、まだ見習いの侍祭たちしかおりませんので、どうぞ楽になさってください」
「そうか? 堅苦しくねぇのは助かるな」
ここには事務所詰めの侍祭しかいない。また、教団内部のささいな事務処理を行う場所であって、外部のことや重要なことが絡むような事務処理は、神殿内の別の事務所で専任の者たちによって行われるのだ。本来ならば、聖者の称号を贈られるような者が訪れることは決してない場所だ。クリステル司祭はとても気が利くが、豪胆な性格でもあるようだ。
「クリステル司祭様? そちらの方はどちら様ですか?」
「あ!? もしかして、あの時の」
当時、聖女の聖地巡りに同行していた侍祭もいたのだろう、ゼルベルトに気が付く者もいた。
「みなさん、お静かに。こちらの方はゼルベルト様です。みなさんも良くご存知ですね?」
「あっ、聖女様がいつも話してくれる、あのゼルベルト様ですか!?」
「うわー、すごい! 本当にあのゼルベルト様なんですね! 服の前が開いてます!」
なにやら若い少女たちに囲まれてしまうゼルベルトなのであった。
「こらこら、みなさん、ゼルベルト様がお困りですよ」
かつて、聖者の称号を贈られることを断ったとはいえ、それでも数十年ぶりの極めて名誉ある称号を贈られることになったほどの功績をあげた男だ。聖女救済の功績は伊達ではない。非公式で私的な訪問であったが、教団の若い侍祭には大層歓迎された。彼のファッションスタイルに、ちょっと恥ずかしそうにしている娘もいるようだが、誰もが興味津々だ。
大層な歓迎振りだが、それは肩書きだけによるものではない。それは聖女であるアーゼルハイドが時間のあるときに話して聞かせる定番の一幕による賜物でもある。一幕とはもちろん、聖女とそれを守った英雄による、二人で絶体絶命の窮地から脱した冒険譚を、恋する少女目線で時と共に美化された現実以上に素敵に格好良くした物語で、純真無垢な少女たちの心を瞬く間に射止め絶賛せしめる内容となったものだ。アーゼルハイドは作家の才能も持ち合わせているのかもしれない。
「おう、おめぇら、ちっとは落ちつかねぇか。俺は逃げたりしねぇからよ」
ちやほやされて嬉しそうなゼルベルトだが、囲んでくる少女たちはまだ彼の守備範囲外だ。ここにいる少女たちは、まだちょっとだけ少女すぎたのだ。彼はロリコンではないからして、食指は動かない。
だが、どこにでも例外はあるものだ。具体的な年齢は分からないが、少女にたちに混ざって一人だけ大人びた巨乳の少女がいたのだ。ゼルベルトは自分のことを憧れの視線で見てくる巨乳の少女に手を伸ばしかけて辛うじて自重することに成功した。今日は他の女に構っている暇はない。本命にして極上の女に会いに来たのだから。
「さ、ゼルベルト様、冷たいお茶です。手続きはこちらで済ませておきますので、しばらくお待ちください。アゼルの予定も調べてしまいますので、それまでどうぞごゆっくり」
「おう、すまねぇな」
身分証明うんぬんといっても、直接の知り合いであるクリステル司祭が手続きをしてくれるのでゼルベルトには面倒なことはなにもない。正面から神殿を訪れていたとすれば、今頃は大事になっていただろう。
ただ待つだけなのだが、それを放っておく周りの侍祭たちではない。せっかく、聖女が話して聞かせる冒険譚の英雄が目の前にいるのだ。ロマンチックな話に興味津々な少女たちによる、尋問じみた質問攻めは想像以上の気疲れを彼に感じさせた。
大した時間ではないはずだが、ゼルベルトがいい加減面倒に感じ始めたタイミングで、クリステル司祭が別室から戻ってきた。
「お待たせしました。まずアゼルの今日の予定なのですが、申し訳ないのですが面会時間を確保するのは難しいです。現在は高貴なお方と面談をしておりまして、このあとも会合や会食の予定が詰まっているようです。せっかくお越しいただいたのに申し訳ないのですが、明日であれば時間は作れると思います。今日はぜひ、宿舎にお泊りになってください」
「さすがに聖女様ともなりゃあ忙しそうだな。クリスも悪いな、急に来ちまってよ」
「そんなことはありません! アゼルも心待ちにしているのです。いつ、お出でになっていただいても構いません。ただ、面会には少しお待たせしてしまうことがあるのですが・・・・・・」
「そんなに気にすんなよ。別に急ぐ旅をしてるわけじぇねぇ。ゆっくり待たせてもらうからよ」
当然のことだが、聖女アーゼルハイドは暇ではない。神聖ミシュネルヴァ教団のシンボルたる彼女は、教団の運営を担う一翼として近隣、時には遠方のVIPに招かれて外出することもあるし、本拠地の神殿にいる時でも、来賓対応や訪れる多くの信徒への顔見世に忙しい。もちろん、癒しの女神の代行者としての働きもあるし、侍祭たちへの指導、自分自身の修行などもある。ちょっと会いにきたからといって、簡単に会えるような人物ではないのだ。通常であれば、それなりの立場のある者であろうと、何ヶ月も待ってようやく面会が叶うほどだ。
しかし、それはそれとして例外はある。特にアーゼルハイド自身の希望があれば。ゼルベルトの来訪は、その例外に該当する。
さらに、せっかく訪ねてきたアーゼルハイドの思い人を、忙しい彼女にちょっと会ってとんぼ返りさせるほど酷くはない。クリステル司祭は友人のためにきちんと考えてくれている。
ここ、神聖ミシュネルヴァ教団には来賓用の宿舎は当然あるし、教団関係者の家族用の宿舎もある。来賓用の宿舎は高級感漂う立派な建物だが、ゼルベルトが好むかといえばそうでもないし、そちらを利用するためには手続きが面倒だ。だが、教団関係者の家族用の宿舎ならば、今いるここで手続きができるのだ。教団にはまだ少女の侍祭が大勢いるので、家族が様子を見にくる機会は多い。しかも遠方から訪れる人もいるため、その為の宿舎がきちんと用意されているのだ。そしてそこは無意味に豪華ではなく、とてもアットホームで落ち着く空間となっている。クリステル司祭は聞かずとも、どちらが良いかくらいは分かる女なのだ。そして彼のために部屋をしばらく押さえるくらいはわけのないことだ。
好奇心旺盛な少女たちに囲まれるのはもう面倒に思っていたゼルベルトは、早々にクリステル司祭に宿舎への案内を求めた。
来客、それも身内用の宿舎は、ボロい事務所からそれほど遠くない場所にあった。あらかじめ説明されていた通りの至極普通、中堅どころの宿屋のような佇まいだが、温かみのあるよく掃除されて清潔感のある建物だった。
クリステル司祭に部屋まで案内されて落ち着くと、ゼルベルトは些細な疑問をぶつける。
「クリス、ちっと気になったんだがよ、夜はアゼルに会えねぇのか? 会食だってそんな夜中までやるわけじゃねぇだろ?」
「確かにそうなのですが、ここは朝が早いので就寝時間も早いのです。それに、夜間に男性と二人で会うのは、ゼルベルト様といえども外聞がありますので・・・・・・」
クリステル司祭の中では『二人きりで会う』というのは確定事項のようだ。間違いではないが、二人きりが拙いのあれば自身も含めるなどの対応があっても良さそうに思えるが、それはしないらしい。二人の再会に水を差すべきではないと考えているのだろう。
「そういうもんか。あっと、そういやアゼルやクリスたちはどこで寝泊りしてるんだ?」
「私たちは巫女と司祭専用の宿舎がありまして、そこに自室を持っています。この宿舎とは敷地の反対側にありますね。女神ミシュネルヴァの彫像が入り口に立てられた、素敵な建物なんですよ。アゼルは次期巫女頭なので、最上階の一番良い部屋を宛がわれていますし、私生活には不自由ないと私が保証します。私たちの宿舎の隣には侍祭用の宿舎などもありますが、どこも男子禁制ですので残念ながらご招待はできません」
クリステル司祭はゼルベルトがアーゼルハイドの生活を心配したと思ったのか、色々と教えてくれる。だが、ゼルベルトは全然別のことを考えていた。
それは、なんとしても今夜中にアーゼルハイドに会いたいと。極上の女を目前にしてお預けなど絶対に無理であると。クリステル司祭が語る会えない理由も、特に気にするほどのないではないと、聞いてみてむしろ強く感じていた。
アーゼルハイドは夜まで予定が詰まっている。それは結構なことだ。
だが、その後は?
夜間に会うと外聞が悪いならば、こっそりと会えばいい。要はバレなければいいのだ。
宿舎が男子禁制?
大勢の年頃の女たちが男のひとりも引っ張り込まずに、おとなしくしている道理がない。
ゼルベルトは彼自身の身勝手で歪んだ常識によって、完全に間違った判断を下していた。いける、と。
用事があるというクリステル司祭は名残惜しげに去っていったが、一人残されたゼルベルトにはやることもない。旅の疲れはそれほどでもなかったが、寝転がっているうちに寝てしまうのだった。
夕食の時間もひっそりとしたものだ。ゼルベルトのために食事は良いものが準備されていたが、彼を歓迎するような宴はない。それは彼が半ばお忍びのように訪れているためだ。クリステル司祭は、せめて自分が一緒に夕食をとろうとしていたのだが、間の悪いことに彼女にも会食の予定が入ってしまった。
そしてゼルベルトが面識のない巫女や司祭との食事や、侍祭たちと楽しく食事会というわけにもいかない。ゼルベルトにとってはそれでも構わなかっただろうが、肝心のアーゼルハイドを差し置いて楽しくやるのもおかしいだろう。ゼルベルトには申し訳ないと思いつつも、友人のアーゼルハイドを気遣うクリステル司祭なのであった。全ては彼女の差配による。気の利く女である。
部屋で寂しく一人で夕食をとるなど、今までにしたことがないゼルベルトであるが、女の園に入って我がままを言うつもりもなかった。おとなしく、もりもりと食事を平らげ静かに時を待つ。
そのつもりはなかったが、しっかりと昼寝をしたお陰で眠気は全くない。気力、体力、精力も充実している。あとは行動を起こすだけだ。
神聖ミシュネルヴァ教団の夜は早い。いつものゼルベルトなら、飲んで騒ぎ始めるような時間帯にはもう就寝を始めてしまう。夜間は締め切られた敷地内には、教団関係者以外は正式に宿泊の手続きを踏んだ部外者が僅かにいるだけだ。その部外者とて、夜の静寂を乱すものではない。
いざ、決行の時である。
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