第13話、帰還と旅立ち

 ゼルベルトとアーゼルハイドの二人は揃って港町に入ると、目ざとい誰かが彼らを発見した。神聖ミシュネルヴァ教団の信徒か、熱心な聖女のファンか、どちらかであろう。

「聖女様だ! 聖女様が帰ってきたぞ!」

「なんだと、聖女様だって!?」

 聖女の帰還の知らせは瞬く間に広まっていく。教団関係者の耳に入るのも遠くはないはずだ。アーゼルハイドは聖女らしく、落ち着いたゆっくりとした歩みで声をかけてくる民衆には丁寧に応じながら、教団の拠点に向かって進んでいく。立場を考える程度の頭は働くゼルベルトは、さり気なく彼女の護衛を勤めながら影に徹する。だが彼ほど目立つ男もそうはいないのだ。結局は二人とも注目を集めながら進むことになる。

「なんと、おいたわしい。山で遭難など、可憐な聖女様にとっては苦難の連続だったろうに、気丈に振舞っておられる。さすがは聖女様だ」

「まさしく奇跡じゃ! 女神様の奇跡じゃ!」

「お、あれが聖女様か。遭難してた割には元気そうに見えるけどな」

「おい、誰なんだあの男は。聖女様と一緒に歩いてるぞ?」

「あれだろ、聖女様を救いに行った奴がいるって話だよ。イメージとは違うが、どうやら本当の話だったようだな」

 聖女たるアーゼルハイドは、短くないサバイバル生活を送っていたとは思えないほど、その類稀なる美しさを保持している。多少やつれてはいるが、それは別の方向の美しさへと転換されてしまい損なうまでに至っていなかったのだ。しかも彼女の気力は充実している。その表情こそがまた美しいのだ。

 そもそもゼルベルトの潤沢な食料調達のお陰で栄養状態は悪くなかったし、彼女は身嗜みにも毎日気を使っていたのだ。清潔も心掛けていたし、みすぼらしくなるようなことにはならなかった。聖女として何ら恥じることのない、堂々たる帰還だ。


 神聖ミシュネルヴァ教団が抱えるこの町の拠点は、入り口からそれほど遠くない場所にある。集まってくる民衆と接する時間はそう長いものではなかった。教団の小さな教会からは、聖女を待ちわびていた司祭たちが飛び出してくる。淑女とは思えぬ振る舞いだが、それを責めるような無粋な輩はいないだろう。感動の再会なのだ。

「アゼル! ああ、本当に、本当に、無事だったのですね・・・・・・よかった」

「クリス、心配をかけましたね。見ての通りわたくしは無事です。全ては女神ミシュネルヴァ様のご加護とゼルベルトさんのお陰です」

 愛称で呼び合う彼女たちは、立場を超えた友情があるのだろう。クリステルは聖女たる巫女を除いては、今回の儀式を取り仕切る司祭である。彼女はアーゼルハイドがゼルベルトに向ける信頼と愛情の篭った眼差しを見て、大まかなところをすぐに察した。女のカンは鋭いのだ。

「アゼル、ゼルベルト様、私は、いえ、私たちはあなたたちの帰りを信じて待っておりました。どうぞ本日はゆっくりとお休みくださいませ。色々とお聞きしたいことはありますが、それは明日でもよいでしょう。アゼルは宿舎の中に入って体を休めてください」

 その言葉通りにその日に面倒な取調べなどはなく、話を聞きたがる侍祭たちも我慢をして二人はそれぞれに静かな夜を迎えられた。久々のベッドでの睡眠は、アーゼルハイドだけでなく、ゼルベルトにとっても疲れが溶け出すような快適な睡眠を与えてくれた。教団の宿舎は男子禁制ゆえ、ゼルベルトは教団が押さえてくれた普通の宿での睡眠であったが。

 翌日はゆっくりとした朝になったが、ここからは事情聴取が始まる。そうはいっても、語れることはそれほど多くない。事の起こり以外は、サバイバル生活を送りながらの渓谷踏破を成し遂げたくらいで、プライバシーに触れる内容は語れるはずもない。

 事情聴取が終わってアーゼルハイドが侍祭に取り囲まれる中、クリステル司祭がゼルベルトに向かって改めて礼を述べる。

「ゼルベルト様、アゼルを救っていただき、心よりお礼を申し上げます。彼女は私の友人でもあるのです。このご恩は忘れません。それから、聖女を救っていただいた功績に対して、当教団から近々正式な贈り物が届けられます。ぜひお受け取りください」

「礼か。アゼルを助けるのに一々礼なんていらねぇがよ。まぁ、くれるってんなら、貰っとくぜ」

 この事件は神聖ミシュネルヴァ教団の本拠地まで伝わっており、教団関係者一同だけでなく信徒にまで大きな動揺を与えていた。しかし、クリステル司祭が強硬に神々のご加護を主張し、聖女の絶対生存を喧伝して譲らなかったのだ。行方不明の期間も長く、諦めていた関係者も少なくなかったが、クリステル司祭の主張は現実となった。

「あの、もしよろしければ、ゼルベルト様の奉じられている神をお聞きしても?」

 クリステル司祭はゼルベルトが一時見せた力の源泉が気になるようだ。あの赤黒いオーラを纏ったような力は神の代行者の中にあっても、特別な者しか発現し得ない特別なもの。教団であれば、巫女の能力に相当するものなのだ。

「おう、構わねぇぜ。俺はおめぇらほど熱心な信徒じゃねぇが、武神を担ぐクニの出だ」

「ご謙遜を。武神様ですか、どうりでお強いはずです。武神様の代行者であれば女神ミシュネルヴァ様との相性もいいはずです。どうかこれからもアゼルをよろしくお願いします」

「あ? よく分からねぇが、まぁ、よろしくな!」

 ここでクリステル司祭は重大な勘違いをした。伝承によれば、武神と女神ミシュネルヴァは仲の良い兄妹であったとされているが、その武神とは武神アトールのことである。だが、ゼルベルトが住んでいた辺境が奉じているのは武神ヴァハテュールなのである。全く違う神なのだが、世間一般で武神といえばアトール神のことを指すほどに圧倒的な知名度の差がある。悲しいが、武神ヴァハテュールは非常にマニアックでマイナーな神なのである。ほかにも武神はいるが、アトール神こそが最も有名であり、その他の武神は一部の地域を除いては研究者くらいにしか知られていない。

 クリステル司祭の勘違いは、のちに大きな影響を及ぼすことになるが、それは後々のずっと後の話である。


 それからアーゼルハイドの本来の目的であった、神聖ミシュネルヴァ教団における、巫女頭の代替わりの儀式は結局のところ頓挫してしまった。

 だが、これは所詮は教団のスケジュールの都合によるものにすぎない。また次の機会にやればいいだけであって、既に通った道をもう一度繰り返す面倒さは否めないかもしれないが、しかしそれだけの話だ。

 彼女の道は絶たれていない。それどころか、奇跡の生還を果たした聖女アーゼルハイドは、教団にとって格好の宣伝材料になる。次代の巫女頭の地位は、聖女として既に他に変わりがいないほどであったが、それはより磐石となった。


 聖女は不慮の事故により儀式の失敗をしたが、それ自体は特に大したことではない。しかし、聖女たる身の巫女にはいくらでも仕事がある。世界の聖地を巡る儀式がなくなったのであれば、教団の本拠地に戻らねばならないのだ。

 そして、それは同時に別れのときでもある。

 ゼルベルトとアーゼルハイドの二人には互いに夢が、目的がある。それを果たすためには、この先ずっとではないかもしれないが、少なくとも今は一緒にはいられない。また、互いにそれを約束できるほど無邪気でもない。ゼルベルトはともかく、アーゼルハイドには聖女として、神聖ミシュネルヴァ教団の巫女としての立場も勤めもある。

 故に、二人が心に秘めた言葉を口にすることは、少なくとも今はない。

 だが、これで縁が切れてしまうというわけでもないのだ。短期間とはいえ、心を通わせた二人は再会を信じている。

 聖女とそれを守った英雄は、ろくな挨拶もできないまま別れることになるが、互いに言葉に出さずとも通じ合っている確信があった。

 慌しく旅立つ聖女と英雄の最後の別れは、アーゼルハイドの周りを人々が囲んでいたこともあって、ゼルベルトが近寄るどころか言葉を交わすことすらできなかったが、熱いまなざしを交わすことはできた。それだけでは不満もあるが、逆に十分であるともいえた。


 当事者の聖女と英雄の二人以外は誰も知らぬ秘められたロマンスは、ここで一旦幕を閉じる。

 しかし、やはりゼルベルトはゼルベルトなのであった。彼は一つの恋をしたはずだが、何も、そう、何一つ変わってはいなかった。

 彼は神聖ミシュネルヴァ教団から聖女救済とは別に、最初の護衛の分の謝礼を受取ると、さっそく散財する。いつものように、食事と酒と女だ。

 アーゼルハイドとはしばらく会うことは難しくなるが、女は世の中にたくさんいる。そしてゼルベルトは女が大好きだ。ためらう様子は全くない。

「おう! デニーゼ、久しぶりだな。よぉ、これからどうだ?」

「あんたと寝るのも久しぶりよね。いいわよ、行きましょ」

 それから連日連夜に渡って、プロの女を組み伏せながら、自慢げに聖女との熱い日々を語って聞かせてやる。もちろん、それをまともに信じる者はいないが、彼はそれでも構わないのだ。


 聖女が旅立ってしまって久しくなった頃、クリステル司祭が言っていた"お礼"とやらが届いたとゼルベルトの元に知らせがやってきた。

 稼ぐ端からついつい誘惑に負けて使ってしまう彼は未だアルバイト生活だったので、何が貰えるのかと少し楽しみにしながら、教会へとのこのこおもむくのだった。

 世界的な教団の聖女を救ったことで、お礼とやらは結構豪勢なことになっているようだが、教団はその規模に相応しい資金力がある。聖女を救った英雄への贈り物がしょぼいとなればメンツが立たない。

 この港町フェルカンの教会は、北にある大きな街にある教団が持つ神殿の出張所のような役割がある。聖地である山の近傍にある町ゆえに教会が設置されている経緯があるのだ。いくら世界的な教団といえども、世界中の全ての町や村にまで教会を設置して司祭を置くことは不可能だ。少なくとも今のところは。

 ゼルベルトが仰々しい体裁の招待状を持って港町の教会を訪ねると、これはまだ前段階的な謝礼であって、本格的なものは教団本部において正式に執り行いたいと、ここの責任者である中年熟女の司祭は告げたのだ。困惑するゼルベルトだが、そこに行けばアーゼルハイドに会えるので、一先ずは了承する。

「教団本部ってとこに行かなくちゃなんねぇのか。ちと面倒だが、アゼルに会えるならそれもいいか。それに、そろそろ潮時でもあるしよ」

「潮時、ですか?」

「なに、こっちの話だ。それで、謝礼ってのは何があんだ?」

「はい、こちらです」

 そしていよいよ、お待ちかね。前段階の謝礼とやらを受取る。

 まずは金だ。これは即物的な人間にとっては一番ありがたい。しかもこれは一時金にすぎない。贈られたのは小金貨30枚だが、これは彼のアルバイトの日当の100倍に相当する。ゼルベルトは圧倒的な働き振りから通常の3倍程度の日当を得ているので、実はかなりの稼ぎがあるのだが、当然のように貯金はほぼゼロである。

 そして物品。これは現時点では目録だけで実物はあとで贈られるのだが、アーゼルハイドの助言が反映されているようで、トレジャーハンターとしての装備に使えそうな、それも超一級品を用意してくれるらしい。ただし、ゼルベルトは物への関心が薄いので反応は特になかった。これがアーゼルハイド自身からの贈り物であれば別の反応になったかもしれないが。

 続いて、短剣。これは教団が功労者に向けて贈る、大変に名誉ある一品なのだが、ゼルベルトにとってはどうでもいい物である。

 最後に銀の花を模したペンダントが贈られた。これも実は仮の物であるらしく、正式な物は後日、式典にて与えられる。これが何かといえば。

「なんだこれ? 俺はあんまり首輪だの腕輪だのをつける趣味はねぇんだが」

「そちらは教団本部を訪れる際に身に着けておいていただけますと、ゼルベルト様の身分証明となるはずです。招待状と共に、教団の係りの者へご提示ください」

「なるほどな。アゼルに会うには必要なもんってことか。失くさねぇようにつけとくか」

 慣れない手つきでペンダントをつけるゼルベルトだが、可愛らしい銀の花のモチーフが悲しいほど似合っていないのは気にしない方が賢明だ。

「ぜひそうしてください。そちらは女性のみが運営する我が教団で、男性に贈られる最高の栄誉を象徴する物でもあります。男性は教団に勤めることは適いませんが、類稀な貢献を果たされた方には称号が贈られます。それはその中でも最高のものなのですよ」

 嬉しそうに語る中年熟女の司祭だが、話を聞くにつれゼルベルトの顔は曇りだす。

「ちょっと待ってくれよ、称号だって? そいつは一体どんなのだよ?」

「はい、それは"聖者"様です。そちらのペンダントは聖者を象徴する物のレプリカですね」

 首に掛けたペンダントをいじりながら聞いていたゼルベルトだが、説明を受けた反応は劇的だった。

「聖者だあ!? なんだその偉そうな称号はよ! いらねぇ、いらねぇ、そんなもんいらねぇよ! ロクに喧嘩もできなくなっちまうよ! 聖者様だなんて冗談じゃねぇ、俺はそんなもんいらねぇぞ!」

 ややこしそうな話に、ゼルベルトは一気に面倒臭くなり全力で断りを入れる。金なら今貰った分で十分だ。元々、謝礼になど大した期待はしていなかったというのもあるし、アーゼルハイドを助けた謝礼など別にいらないという気持ちもある。彼にとっては当然のことをしたまでなのだから。その他の贈り物だって、彼にとっては特別欲しい物なんて別にない。聖者などといった面倒なことになりそうな称号など、はっきり言って迷惑なだけだった。

 ゼルベルトを教団本部に招いて執り行いたいというのは、新たなに誕生した"聖者"を大々的に喧伝するためでもある。聖者は聖女と同様に、歴史上でも数人程度しかいない非常に名誉ある称号なのだ。ひっそりと、などさせるはずもない。政治の都合という奴だ。

「じ、辞退されるのですか? それでは教団本部へは行かれないのですか?」

「辞退もなにもねぇよ。俺が聖者様なんてガラじゃねぇのは、あんただって見りゃ分かんだろ? アゼルには会いてぇから教団本部には顔は出すがよ、式典とやらには絶対に出ねぇぞ。むかつく奴がいたら殴っちまいそうだしな。そんな事になったらよ、そっちも迷惑だろうよ」

 ゼルベルトは適当に言っているだけだが、実はその可能性は低くはない。神聖ミシュネルヴァ教団は女性のみの団体だが、式典ともなれば来賓が必ず参加する。そこには周辺国や近隣の男性のお偉方が多数含まれるし、全員が心からの祝福を贈るとは限らないのだ。やっかみ半分で余計なことを言い出す輩がいないとは限らない。残念ながらゼルベルトの見た目は高潔な騎士や紳士の類ではないのだから、聖女を救ったその行いそのものを疑う者も多いはずだ。非常に残念なことに、人間、見た目が大事なのはどこの世界でも変わらない。

「そ、それはそうですが・・・・・・。本当によろしいのですか? 私としましては、ゼルベルト様の行いは聖者に相応しいものであったと確信しています。それが正しく評価されないのは、女神ミシュネルヴァ様のご意向にはそぐわないと思いますし、何より聖女様が納得されないのではありませんか?」

「おう、ありがとよ。俺も自分がやったことは胸を張って自慢できると思ってるぜ。だがよ、それとこれとは話が別だ。聖者だなんて御免被るぜ。それによ、アゼルならこうなるって分かるってるはずだぜ。こんな話を聞かされて俺がどうするかなんてなぁ、あいつにはお見通しだろうよ」

「・・・・・・そこまで仰るのでしたら、もう何も言えませんね。無理強いをしたいわけではありませんし、教団本部へは私から伝えておきましょう」

「悪いがよ、そうしてくれ。あんたに迷惑が掛からねぇよう、しっかりと俺が絶対に嫌だって言ったって手紙には書いといてくれよ。別の奴に説得に来られても面倒だしな。ああ、式典やら聖者やらは断るが、教団本部にはその内行くからよ。それはついでに伝えといてくれ。まぁいつになるかは分からねぇが」

「聖女様に会いに行かれるのですね。でしたら、ペンダントはそのままお持ちください。称号は辞退されても、それは既にゼルベルト様の物です。身分証明としての効力はなくならないはずですし、私からも伝えておきます」

「そうか。じゃあ遠慮なくもらっとくぜ。あんたには面倒なことを頼んじまったかもしれねぇがよ、あとはよろしくな」

「いえ、あなた方が克服された困難に比べれば、どうということもありません」

「ははっ、この教団にいるのはよ、いい女ばっかりだな!」

 本来であれば教団の運営を担っている知恵者たちはゼルベルトを聖者として祭り上げ、また聖者の立場に縛り付けることによって、実力者であり聖女と懇意である彼を上手く利用する腹積もりであったのだが、その思惑は見事に外された格好だ。

 だが結果的には教団としてもその方がよかったに違いない。

 聖者であろうがなんであろうが、ゼルベルトのやることは変わらない。

 手当たり次第に女を抱き、酒を飲んでは喧嘩をし、立小便をすれば野グソだってする。そんな男が聖者様でございといったところで、教団の権威に傷がつくだけだろう。



 港町フェルカンからの手紙が届いた、神聖ミシュネルヴァ教団本部の事務方が働いている作業部屋は喧騒に包まれていた。

「返事が届いたようですね。久しぶりの聖者様の誕生です、盛大にお祝いしなければ。あの方は、いつ頃おいでになられるのですか?」

「・・・・・・ちょ、ちょっと、お待ちください、司祭様。その、返事が届いてはいるのですが」

「どうしたのですか? なにか問題でもありましたか?」

「それが、フェルカンの司祭様からの手紙によれば、あの方は、その、辞退したいと・・・・・・」

「じたい、辞退!? まさか、お断りになると!?」

 その様子をたまたま居合わせたアーゼルハイドが見守っていた。彼女の様子は、仕方なさそうな、納得しているような、はたまた彼らしいなと面白がっているかのようだ。

「アーゼルハイド様! 彼は一体、どのような方なのですか!? 聖者の称号を断るなんて、それこそ前代未聞ですよ!?」

「・・・・・・やはりこうなりましたか。あの方はそのようなものに縛られる方ではないのです。無理に押し付けようとしても、怒らせてしまうだけかもしれません。手紙には他になんと?」

「あ、はい。えっと、式典や称号は辞退なされますが、教団本部には聖女様に会いに来られるようです。時期については分からないようですが」

「まぁ! そうですか! んっ、おほん。残念ですが、わたくしとしては彼のご意向を最大限に尊重するべきかと思います。巫女頭様も交えて皆さんで改めて検討いたしましょう。それから、彼がもしここを訪れることがありましたら、必ずわたくしにも伝えてくださいね」

 既に式典に向けて準備を始めていた教団の事務方は大わらわだ。まさか、名高い癒しの女神の教団から贈られる最高の名誉を蹴り飛ばす人間がいるなんて想像の埒外だったのだ。


 そもそもゼルベルトは人から与えられた肩書きによって生き方を変えるような男ではない。変えようともしないし、変えられるほど器用な男でもないだろう。

 どちらにせよ清く正しい癒しの女神の教団から期待されるような真似事など、とてもではないができたものではないだろうが。人間には多くの可能性があるが、それでも、できることと、できないことがあるのだ。

 なんといっても、彼は無頼者なのだから。



 行くと言った以上は、行くのがゼルベルトの信条だ。それがいつになるのかは分からなくとも、形だけでも見せておかなければ格好がつかない。

 長く居ついてしまった港町フェルカンからの旅立ちの時だ。いつものメシ屋を貸し切っての、ささやかな壮行会が開かれていた。集まっているのは、顔なじみの漁師や港の関係者を中心にした男たちと、散々ゼルベルトと遊びまくったプロの女たちだ。

「親方、色々と世話になったな。あんたに受けた恩はいつか返すからよ、何かあったら飛んでくるぜ。そんときゃ、また酒でも奢ってくれよ」

「お前がいなくなると寂しくなるな。嵐のような男だったぜ、まったくよ。で、どこに行くのかは決まってんのか?」

「おにいちゃん、どこかにいっちゃうの?」

 ゼルベルトに色々と世話を焼いてくれた網元の親方との会話に割り込む幼い声。見覚えのない子供を不思議に思う。

「あ? おう、嬢ちゃん、男ってのは旅に出るもんだぜ。ところで、おめぇ、誰の」

「おう、ゼル! 俺の娘だ。どうだ、可愛いもんだろ?」

 日に焼けたゴツイ男が幼い少女の手を握りながら、そう紹介した。彼は当時、港町に到着したばかりのゼルベルトに対して喧嘩を売った漁師の男、ボーデヴィンだ。彼とゼルベルトは幾度も喧嘩を繰り返した間柄だが、なぜか険悪な仲にはなっておらず、こうして壮行会にも出席している気のいい男だ。

 その気のいい男と、幼い少女の顔を、ゼルベルトは大げさに驚きながら何度も見比べる。そして非常に失礼なことを吐き捨てた。

「バカ野郎! おめぇみたいなブサイクに、こんな可愛いガキができるか!」

「ブ、ブサイクだと!?」

「もっとマシな嘘つきやがれっ! おい、この嬢ちゃんは誰のガキだ?」

 もっともらしい顔つきで周囲を見渡すが、信じられないことに、ボーデヴィンの言っていることは本当であるらしい。それでも納得できないのか、不審顔のゼルベルトであった。

「て、て、てんめぇ、ゼル! 今日という今日こそは勘弁ならんぞ、表に出やがれ!」

「おお、いい度胸だ。最後だからって手加減しねぇぞ!」

 親方や漁師たちは付き合いきれないとばかりに顔を背けて飲み始め、メシ屋の店主も外で喧嘩をする分には文句もない。黙っていないのは、かしましいプロの女たちだった。

「ゼルさん! こんな時にまで喧嘩なんて止めなさいよ。余計な体力使っちゃダメじゃない。このあと私たち全員を相手にするんでしょ?」

「ボーデヴィン、あんた結婚して子供まで出来たからって調子に乗ってんじゃないの!? 見せ付けるように連れてきちゃってさ! 昔はあんなに泣かせてやったのに!」

 最後に即席ハーレムを楽しもうとしていた計画をばらされたゼルベルトと、秘めた過去を暴露されたボーデヴィンが狼狽する。

「ちょ、おい、バカ、それを言うなって! 男の別れに水を差すんじゃねぇよ!」

「な、なんのことか分からねぇな。そもそもお前となんて寝てねぇぞ!?」

 ここに集った男たちの情けない秘密を知るプロの女たちによる暴露を恐れた一部有志たちは、そのあとは壮行会とは違った方向へ舵を切り、訳の分からないプロの女を労う会にシフトチェンジしてしまった。

 この混沌としたメシ屋にいる幼い少女はなぜか大はしゃぎしていたが、それは救いのある光景だった。こうして騒がしい夜は更けていく。



 最後の夜に思う存分ハーレムを堪能したゼルベルトは、黄色い朝日を拝みならも予定通りに港町フェルカンを出発していた。

 最初の目的地は、徒歩で北に3日ほど進んだ所にある近隣では最も大きな街、エッセルントだ。馬車を使えばもっと早いが、ゼルベルトは自分の足で未知の場所を歩いてみたかったのだ。

 道はなだらかな平原が続き、整備もされている。魔獣の危険は少なく、行きかう馬車もそこそこあるし、徒歩で移動する集団も見受けられる。なんとも穏やかな街道の光景だ。

 一先ずの目的地はエッセルントだが、元々の目的地はもっと北にある。エッセルントからさらに北上すると王都がある。そこからさらに北上して国境を越えると、帝国に入ることになる。そして国境からいくつかの町を通過して至るのが世界有数の大都市、帝都だ。ここはゼルベルトの祖父であるフリートベルトが長らく拠点としていた場所で、ゼルベルトはまずはそこを目指していたはずなのだ。本来ならば。最初の一歩で盛大に躓いてしまって今に至るのだが・・・・・・。

 一応、帝都に拠点を置く方針は変わっていないようだが、そこまで辿り着くのにはどれ程掛かるのか、無軌道なゼルベルトの行方は、ひょっとしたら神でさえも分からないかもしれない。

 今回の目的地である、アーゼルハイドがいる神聖ミシュネルヴァ教団の本拠地は、帝都からさらに北上した国境を越えた先にある。遠い遠い道のりだ。

 ゼルベルトには脇目も振らずに進むつもりは全くない。なるべく自らの足で歩いて進み、訪れる町々をきっちりと見て周り、できることなら今度こそトレジャーハンターとしての活動をしながらの旅にするつもりなのだ。最初に訪れた港町フェルカンの近くには、古代遺跡や魔境や秘境などはなく、トレジャーハンターとしての仕事にはありつけない。そんなところで足を止めて遊び呆けるとは、ゼルベルトの気質を知る故郷の辺境の人々ですら予想の範囲外であっただろう。

 エッセルント近傍の森林地帯には、大部分を攻略済みの古代遺跡があるのだが、新米トレジャーハンターが訪れてみるのには丁度いい場所かもしれない。


 足の速いゼルベルトは、前を行く集団に追いつくと、そこに女の後姿を見てなんとはなしに目で追いかける。

「ちっ、いい尻してやがるぜ。たまんねぇな。顔が気になってしょうがねぇや」

 すると女の隣を歩いていた男が、ゼルベルトの視線を察知したわけでもないだろうが、女の尻を触り始めたのだ。情熱的な触り方に、女の方も満更嫌でもなさそうだ。

「なんだ、デキてやがんのか。おっ、あっちの尻も、たまんねぇいい尻してんなぁ」

 すぐに目先を切り替える節操のなさは、きっと死ななきゃ直らないだろう。


 次の街では一体なにが待ち受けるのか、運命神の悪戯心がざわつくのを人の身であるゼルベルトには感じられる余地もない。

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