第12話、恋の話

 生憎あいにくだが決意も新たな出発をした矢先、雨に降られる。辺境と似たような気候なだけに雨が多い土地だ。先を急ぐ彼らは初めは雨ざらしのまま進んでいたが、冷たい雨に打たれ続けて寒さに震えるアーゼルハイドを見たゼルベルトは、どうにかできないかと心苦しく思っていた。彼女の服は抑制的な露出を極力控えたものだが、暑い土地用なのか生地はかなり薄い。ましてや水を弾くような服ではないため、濡れ鼠もいいところだ。

 そこで木陰での休憩中に何かないかと鞄を漁ってみると、彼女にはサイズが大きいが外套が入っているのを見つけた。

「そういや、こんなのあったな。何もないよりはマシか。おい、アゼル。こいつを上に着ておけ。雨も少しは防げるだろうしよ、寒さはもっとマシになるだろ」

 ゼルベルトが渡していた布切れで水気を拭き取っていたアーゼルハイドは、体に張り付く薄い服を気にして恥ずかしそうにしていた。

 くっきりと浮かび上がるアーゼルハイドの艶めかしい肢体、それを目にしたゼルベルトは猛烈に欲情していたが、これ以上彼女に嫌われるわけにはいかないと思い、薄氷のような理性を懸命に押し固めて、何事もない風を装っていた。そしてそれは奇跡的に成功していた。

「いいのですか? ゼルベルトさんは着ないのですか?」

「俺はいつもこのスタイルだからな。どっか寒いとこにでも行かねぇ限り問題ねぇ。遠慮すんな。ほら」

 男物で紺色の野暮ったい外套はアーゼルハイドには全く似合っていないが、この際ファッションの問題はおいておこう。ところが木陰から出て歩き始めるとすぐに思わぬ効力を発見した。

 外套を着たアーゼルハイドは不思議そうに天を見上げている。

「あら、これは、どういうことでしょう? 雨が降っているのに、わたくしには感じられなくなりました」

「あ、なんだって? おおっ、本当だ。近くで見るとアゼルの周りを雨が器用に避けてやがる。もしかしてこれが古代遺産ってやつか?」

「ゼルベルトさん、どうして知らないのですか? ご自分の持ち物ではないですか」

 少しだけ疑わしげなアーゼルハイドであった。これほどの機能を持った物を持ちながら、それを知らないなど、誰かから機能も知らずに強奪した可能性が頭をよぎってもそれは常識の範囲だろう。

「死んだじいちゃんの持ち物を適当に持ってきただけだからな。俺は良く知らねぇんだよ。それにしてもコイツはすげぇな」

 感心したように超古代魔法文明の遺産の便利さを目の当たりにするのであった。なんにせよ、これで一つアーゼルハイドの負担が減ったことは歓迎すべきことだ。


 昼も夜もなく二人は常に一緒だ。退屈しのぎに色々なことを語り合う。娯楽はなく、厳しいだけの道のりだったが、ただ二人で会話をするだけで楽しかった。

 家族の話。故郷の話。将来の夢の話までも。年の近い二人は性格こそ違うものの、不思議と気が合ったらしい。互いに全く違う環境を生きてきたのに話題は尽きることがなかった。

「俺はよ、ちょっと前に辺境から出てきたんだよ。死んだじいちゃんみてぇなトレジャーハンターになるためによ。知ってるか、トレジャーハンターってよ?」

「はい、少しは聞いたことがあります。古代魔法文明の遺跡に挑む方たちのことですよね」

「そうだぜ。ここだけの話、俺はまだ挑んだことはねぇんだがな」

「クスッ、なんですか、それ」

「これからの話だよ、これからのな。アゼルはどうなんだよ。巫女頭ってのになるんだっけか? それになるとどうなるんだ?」

「わたくしは次代の巫女頭として癒し手の育成に励みたいのです。以前までの教団は癒しの奇跡は軽々に行うべきでないという主張をしていましたが、時代と共に変わりつつあります。わたくしは女神ミシュネルヴァ様の恩寵である、癒しの奇跡を世界に広く届けたいのです。それこそ世界中の誰にでも! そのためにはたくさんの癒し手が必要なのです。実はわたくしに賛同してくださる同世代の巫女や侍祭たちだけではなく、現巫女頭様や司祭様とも色々な計画を練っているのですよ」

 こちらが彼女の素の表情なのだろう。そう誇らしげに語る姿は年相応の無邪気さと希望に満ちた輝きを放っている。それはまるで言い知れぬエネルギーを周囲に向けて放出しているかのような英気に満ちたものであり、きっと教団の者たちも感化されてしまったに違いない。ゼルベルトは眩しそうに彼女を見ると、改めて惚れ直すのであった。


 癒しの奇跡を与える女神の信奉者たちである、神聖ミシュネルヴァ教団において、巫女とは特別な立場にある。巫女頭はその最たるものだ。

 まず、修行中の者は侍祭と呼ばれ、その数はそれなりに多くいるが、まだまだ女神の代行者として呼ばれるだけの実力に満たない者たちだ。修行を重ね、まずは代行者としての最低限の水準とされる力を得るべく努力する立場にあり、各地の神殿や教会で司祭の手伝いをするのが主な役割だ。侍祭の中でも細かな地位の違いはあるが、それは組織を運営する上である程度必要なものだろう。

 実際に女神の代行者として十分に癒しの奇跡を実現できるものはそう多くなく、代行者たる実力を備える者は司祭と呼ばれ、世界各地にある神聖ミシュネルヴァ教団の神殿や教会で訪れる人々に癒しの奇跡を与えている。司祭についても、やはり細かな地位の違いは存在している。

 巫女は女神の代行者たる司祭たちの中でも、ほんの一握りの卓越した能力を発揮する者に与えられる称号だ。癒しの女神を奉じる教団にあっては、まさしく特別な存在といえる。巫女たる彼女たちは教団のシンボルとしての活躍が求められ、神殿に引き篭もって民衆の治療をするのではなく、癒しの女神ミシュネルヴァの奇跡を広く普く知らしめるべく、より大きく活躍する使命がある。

 また、神殿騎士と呼ばれる教団における実力組織は、侍祭や司祭などと同様に教義上の制約もあり、こちらも女性のみで構成される。ただし、癒しの女神の教団に攻め込もうなどという不届きな者たちはいない。ゆえに実力組織とは名目上のものとなり、実際には儀礼的な意味合いの方が強くなってしまっている。通常の警備が勤まる程度の訓練はされているが、戦争はもとより、近現代においては強力な魔獣と戦うことなど想定されていない、脆弱な組織に成り下がっている。聖女の聖地を巡る旅には、騎士団の中でも例外的に実力を有する者たちを選抜して同行されていたが、頭数にしても想定外のトラブルに対処できるほどの実力はなかったわけだ。苦肉の策として、外部から護衛を雇うなど、本来ならグレーゾーンもいいところなのだが、それを決断できたクリステル司祭は保守的な教団において例外的な存在といえる。教団の資金力からして、戦力などアウトソーシングしてしまえば楽なものなのだが、教義上の制約とは簡単に覆せるものではない。

 ほかにも教団を運営する上で、様々な役職に就いている者はいるが、基本的には女神の代行者たる巫女と司祭、未熟ではあっても侍祭こそが教団内における立場は上になる。ただし、修行中の侍祭についてはあくまでも名目上のものになるが。

 癒しの女神の能力からして、世界中に大きな影響力を誇る教団であるが、その中にあって巫女頭ともなれば、教団内に限らない絶大な権威を有するといって差し支えない。アーゼルハイドは若くはあっても、聡明であり教団内の信頼も厚い聖女だ。彼女の夢は女神の意向にも適うものであり、往く手を阻むものはそう多くない。

 そして聖女とは役職ではない。それは自発的に教団や民衆から贈られる呼ばれ方だ。卓越した能力や偉大な業績だけでもまだ足りない。女神の写し身であるかの如き美しさや、清き高潔な魂、目に見えぬはずの様々なものまで揃って初めて聖女足り得る。ただし、聖女と呼ばれた者は歴史上何人か存在するが、実際にはそこまで"完璧"というわけではない。どれほど優れていようとも所詮は神ならぬ身である人間なのだから。

 ゼルベルトに自覚はないが、現役の聖女であるアーゼルハイドを守ることは、世界中の騎士や戦士が一度は夢見る途轍もない栄誉なのである。ましてや聖女の窮地を救い、さらなる危機から脱するために守り導くなど、夢見る騎士でも想像しえない領域だ。しかも、なんといっても二人きりなのだ。それをどのように思い、感じるかは人それぞれだが、運命神も悪戯がすぎるというものだろう。



 二人は渓谷の底を進み、一日一日を繰り返す。先の見えないゴールを目指してただ前進する。

 しかし、ここで完璧なパートナーであった二人の明暗が分かれる。

 ゼルベルトにとっては、この過酷な状況はピンチであってもピンチではない。彼には余裕があり、むしろ好きな女と一緒にいられる状況を楽しんでさえいた。

 だがアーゼルハイドは違う。今まで贅沢な生活を送っていたわけではなくとも、さすがにサバイバルの経験はない。彼女は先行きの見えない毎日と慣れないサバイバル生活に徐々に疲弊していった。初めは気丈に振舞っていた彼女だが、所詮は蝶よ花よと育てられた温室育ちだ。多少の生活力があっても、やはりまだまだ若いお嬢様にすぎず、サバイバル生活に適性があるはずもない。少しずつだが、輝く笑顔はやつれ、弱音を吐くとはまではいかないが、確実に弱っていた。

 そもそもアーゼルハイドは教団に入る前は良い家柄の生まれだった。そこで淑女として育てられていたのだ。自らの意思と才能と努力をもって教団で現在の地位にあるが、温室育ちが3日も歩き通しであれば、疲労困憊にもなろうものだ。

 卓越した癒しの奇跡の使い手であっても、疲労はどうあっても誤魔化せない。7日も経てば気丈な女が弱音を吐いても一体誰が責められようか。


 慣れない歩き通しのサバイバル生活に疲弊していくアーゼルハイドをゼルベルトは根気強く励ましながら、少しずつでも先に進む。当てはなく、先は見えないが道はある。ならば進むだけだ。

 ゼルベルトは心底惚れた女だからか、この状況だからか、手を出すこともなく真摯に彼女を励ましながら、手を引いて遅々としながらも道を進み続ける。だが、ずっと頑張り続け、ついぞ助けを求めることをしなかった聖女についに言ってしまう。

「アゼル、無理すんな。俺が背負ってやるからよ。俺なら問題ねぇ、惚れた女をおぶって歩くのなんてよ、男の憧れじゃねぇかよ。なぁ?」

「・・・・・・いいえ、ゼルベルトさんがそう仰ることは分かっていました。だからこそ、これ以上甘えるわけにはいかないのです。女神ミシュネルヴァ様は、きっとわたくしの行いをご覧になっておられます。ですから、本当にわたくしが歩けなくなるまでは、どうかこれ以上甘やかさないでください。ゼルベルトさん、あなたの優しさはもう身に染みて分かっていますから」

 まともに歩くことも難しくなってきたアーゼルハイドを背負おうとするゼルベルトだが、聖女たる彼女は薄く微笑んでそんな楽を自分に許さない。困難に打ち勝とうと、遅々としながらも自らの足で歩くことを選択し続ける。差し出されるゼルベルトの手をしっかりと握り締めながら。

 心強き敬虔なる聖女のあり方そのものの振る舞いだが、余りに頼りになりすぎるゼルベルトに対して、徐々に弱っていくアーゼルハイドの心は口にする言葉とは裏腹にどんどん彼に依存していく。これは仕方がないことだろう。ゼルベルトとて、狙ってやっているわけではない。男として当然のことをしているだけだ。

 元よりアーゼルハイドは女性に囲まれた生活を送っていたのだ。男と接する機会はあっても、近しい関係にまでなる機会は皆無であった。頼りになる同年代の男に対する免疫など期待するだけ無駄だろう。今までに見たことがない、ゼルベルトの強く逞しく男らしい姿に強烈に惹かれていった。


 毎日続く強行軍と野ざらしの野宿でアーゼルハイドの疲れが限界に近づいているのをゼルベルトは痛烈に実感せざるを得ない。彼女は無理をしすぎている。

 超古代魔法文明の遺産である寝袋なども例によって鞄から発見して彼女に使わせていたが、最早、彼女は自力で歩くことが困難になりつつある。休養が必要だ。それも数日は要るだろう。どこかに拠点を構えて本格的に休む必要があった。進むだけならゼルベルトが背負えばいいが、彼女はきっとそんな自分を責めてしまうだろう。それは彼女の心に消えない傷や負い目をつけてしまう可能性がある。

 そこでまたもや運命神は彼らに手を差し伸べる。ゼルベルトは目ざとく少しだけ高いところの崖の壁面にぽっかりと開いた洞窟を見つけることができた。渡りに船と、慎重に洞窟を調べるが魔獣がいる気配も虫が集っている様子もなにもない。彼はアーゼルハイドが気力と体力をある程度まで回復するまでは、そこを拠点と定めて生活することを決断した。

「おい、アゼル。しばらくここで休憩だ。まぁ休憩ってよりは、しばらく住むぞ。いいな?」

「・・・・・・え、住むのですか? 休憩ではないのですか?」

「そうだぜ。ちっと疲れちまってよ。せっかく屋根のある場所を見つけたんだ。いいだろ?」

「はい。ゼルベルトさんがそう仰るのであれば、わたくしはそれで構いません」

 疲れきってやつれ疲労に苦しむアーゼルハイドを早く町に帰してやりたいのは山々だが、まだ先が見えない道のりだ。どれ程掛かるのか分からない道ならば、焦っても仕方がない。気ばかりせいて疲弊してゆく彼女を説き伏せることにゼルベルトは悩んでいたが、いざ提案してみればあっさりと受け入れられた。体力の限界を理解していたのか、ゼルベルトの提案であればなんでも受け入れるつもりであったのか。それには理由がある。

 ともかく、屋根のある環境で眠る夜などいつ振りになるだろうか。


 頑健な辺境育ちの男であるゼルベルトとて疲労はある。決して表に出すことはしなかったが、アーゼルハイドを守りながらの道程だ。彼女と周囲に常に気を配り、食料調達や野営の準備もほぼ一人で行ってきたのだ。夜も警戒して眠りは浅く、その疲労は計り知れない。彼自身もリフレッシュすべく、拠点の整備に力を注ぐのであった。

 そしてアーゼルハイドは無能な女ではない。死ぬほど疲弊していても聖女とまで称される癒しの女神の代行者だ。彼女はゼルベルトの状態を把握、いや、推し量ることが出来ていた。どんなに強く頼りなる男でも疲労はあるはずで、彼の常識外れさを目の当たりにしていれば、ついつい忘れがちになってしまうが、どれだけ上手く隠そうとも常識的に考えれば思い当たる。

 自らの限界を超えた疲労の具合から、より凄まじい体力の使い方をしているゼルベルトの状態をきちんと考えられるアーゼルハイドは、やはり聖女と呼ばれるに相応しい。それゆえに彼の提案を簡単に受け入れたのだ。

「邪魔な岩は退かしちまわねぇとな。おう、アゼル、小石は除けちまってくれ」

「はい、小石はわたくしが除けておきます。終わったら布を敷いてしまいますね」

「ここは結構平らで寝心地も悪くなさそうだな。なぁ、あとで枕も用意しようぜ」

「枕ですか。その様なものは持っていなかったですよね? まさか作るのですか?」

「近くに林があったからよ、多分なんとかなるぜ。なるべく快適に過ごしてぇじゃねぇか。まだ夜までは時間もあるしよ、一緒にやってみようぜ」

「わたくしにもちゃんと作れるでしょうか」

 二人で行う寝床の整備は思いのほか楽しく、アーゼルハイドも笑顔を浮かべていて、久しぶりにポジティブな雰囲気が二人の間を流れ始める。


 洞窟を住処として、二人きりの生活が始まった。

 歩く。歩いて先の見えぬ道を進む。ただそれがなくなっただけで、サバイバル生活はそのままであったが、なんとも気楽になった。何よりアーゼルハイドが明るくなった。

 ゼルベルトは朝起きると、食料の調達に出かけて昼には戻る。アーゼルハイドは極小規模拠点防御の超古代魔法文明の遺産によって守れらた小さな洞窟で、体を休めたり身嗜みを整えたりしながらその帰りを待つ。ゼルベルトが帰ると、二人で炊事と洗濯を仲良く行う。夕暮れまでは二人で川遊びをしたり、手先が器用なゼルベルトの指導によって、簡単な生活用品を自作したりもする。

「ほら、簡単だろ? アゼルもやってみろよ」

「はい、でも結構むずかしそうです。あれっ、ここはどうなってるんでしょう?」

「ははっ、案外不器用だな、おめぇもよ」

「もうっ、ひどいです! 次は上手くやってみせますから」

 籠を編むといった、存外に高度なことをやってみせるゼルベルトと、苦戦するアーゼルハイドは結構楽しそうだ。枕に続いて色々な物にチャレンジしている。

 夕食のあとは焚き火を見つめながらの語らいの時間だ。アーゼルハイドは女として、ますますゼルベルトに強く惹かれていった。


 そんな彼女が身も心も全てをゼルベルトに対して捧げるようになるには、大して時間は掛からなかった。そしてゼルベルトがそれを拒むはずがない。惚れた女に対して手も出さず、真摯に接していたものの、向こうから来るのであれば当然受け入れる。むしろ必要以上に気を使って彼女を拒めば、この場合は良くない結果をもたらしてしまったかもしれない。彼の行動や判断の是非は軽々に語られるべきではないだろう。

 そうするとアーゼルハイドは二人きりの生活に幸せを見出すようになる。信仰や教義に従順な彼女だが、神聖ミシュネルヴァ教団の教義上、婚姻には何の問題もない。むしろ奨励すらされている。それは巫女とて変わらないのだ。現巫女頭は既婚者であるし、彼女が遠慮をする要素はどこにもない。実際には彼女ほどの聖女の立場ともなれば、少しばかり事情は異なるのだが。

 束の間の幸せを享受する二人だったが、ゼルベルトは忘れない。彼女が語った夢の話を。それを語った時の彼女の眩しい笑顔を。彼は決して忘れていない。

「ゼルベルトさん、わたくしは幸せです。あなたとこうしていられるだけで心が温かくなるのです。この渓谷の景色も今となっては、より愛おしく美しくすら見えてしまいます」

 寄り添って焚き火に当たりながら彼女が言う。男冥利に尽きる話だ。惚れたとびきりにいい女がそこまで言ってくれるのだ。

 だがしかし、ゼルベルトは思う。夢を見るように幸せを語るアーゼルハイドだが、そこに漂う微かな危うさをも見出していた。だからこそ彼は言う。愛おしい女に向かって決定的な言葉を投げかける。

「だったらよ、ここでずっと暮らすか? 毎日毎日、俺に抱かれてよ。俺ならアゼルを守ってやれる。それこそ俺たちが爺さんや婆さんになるまでだってな。故郷や仲間も何もかも忘れてよ、二人きりでずっとな。それも悪くはねぇよ」

「そ、それは・・・・・・」

「そうだぜ。アゼルには夢があるはずだ。やりてぇことがよ。俺に嬉しそうに話してくれたじゃねぇかよ。俺はあの話をしてた時のおめぇの顔の方が好きだぜ。前向きで力強さがあってよ、なんて魅力的な顔をする女なんだってな。そんなおめぇによ、俺は改めて惚れ直したんだ。弱気になった今のアゼルも悪くはねぇがな。だがよ、俺が惚れたとびっきりにいい女はよ、今のおめぇじゃねぇ。だから俺は連れて行く。必ず連れて帰る。アゼル、信じろ。俺はおめぇを必ず連れて帰る。だからよ、泣き言ばっかり言ってねぇでとっとと行くぞ。もう休憩は十分なはずだぜ。なに、心配はいらねぇよ。俺に任せとけ!」

 アーゼルハイドはずっと黙って聞いていたが、俯いたままゼルベルトの腕を強く抱きしめていた。

 しばしの時間、焚き火の爆ぜる音を静かに聴いていたが、ゼルベルトの言葉に思うところがあったのだろう。顔を上げた彼女はとてもいい顔をしていた。彼が惚れ直したと言った、あの時の顔つきだ。もう弱音を吐いていた彼女はどこにもない。拠点の生活で疲労も取れ、体調はかなり改善されたはずだ。

 そんな彼女の晴れやかな様子を見ていたのだろう。ゼルベルトは続ける。

「それによ、アゼルだけじゃねぇ。俺にだって夢があるからな。じいちゃん以上の世界最高のトレジャーハンターになって伝説を作るってよ。俺はよ、俺なら出来るって信じてるんだよ」

 ニッと力強く笑うゼルベルトに、アーゼルハイドは今度は思い切り抱きついた。

「はい、はい! ゼルベルトさん、わたくしにも夢があります。それを必ず叶えます。約束します!」

「おう! アゼル、やっぱりいい女だぜ。だめだ、たまらねぇ。今日は寝かせねぇからな。いっそのこと、もう子作りでもしちまうか」

「ちょ、ちょっと、待ってください! 赤ちゃんはまだ早いです。それに早く帰らないといけないのに。あっ・・・・・・」

 彼ら以外は誰もいない渓谷に、聖女の嬌声が一晩中響き渡った。余計な体力を使った彼らが再び出発するのはまた遅れるが、それは些細な出来事だろう。

 余談になるが、神の恩寵厚き世界では子宝は神の祝福と、それに通ずる本人たちの意向が強く反映される。つまり、望むか望まないか。それだけが子宝を授かるかどうかに掛かっている。望まない場合は神の祝福を受けられず、子宝を授かることはできないのだ。転じて、生まれてくる全ての人々は、神の祝福を受けているとも言える。


 幸せな二人の生活拠点を放棄して、決意を新たにした彼らは再び歩み始める。

 完全回復したゼルベルトは元より、アーゼルハイドの足並みも力強く逞しい。彼女はもう無理をせず、歩行が難しい箇所では素直にゼルベルトを頼るのでペースも上がる。気力も充実している二人の歩みは順調そのものであった。険しい道のりのはずだが、仲睦まじく進む二人の様子を見てしまうと、まるでピクニックか散歩中でもあるかのようだ。

 そうすると僅かな日数で、まるで二人を祝福するかのように、旅路の終わりを唐突に迎えた。

「おい、アゼル。上を見てみろよ。低くなってねぇか?」

「え、ほ、本当です! もしかして、もしかして!」

 切り立った崖が急激に低くなっていくのだ。もしかして、と思い二人は揃って走ると道を曲がった先の向こうに光り輝く大海を見た。

 海と砂浜だ。進んできた道は白い砂浜に繋がっていたのだ。見詰め合って歓喜に沸き立つ二人は砂浜まで手を繋ぎながら一気に走ると、そこに勢いよく倒れこむ。

「アゼル、愛してるぜー!」

「な、なにを叫んでるんですか! わたくしだって・・・・・・」

 性格上、はっちゃけることができないアーゼルハイドは恥ずかしそうであったが、何ともいえない開放感と共にとても満足そうであった。

「あっ、ゼルベルトさん、あれって何か分かりますか!?」

「ん、どれだ? おいおい、アゼル、やったぞ!」

 さらに朗報は続く。距離はあるが目視できるところに港町が見えたのだ。泳ぐ必要はない。町までは霞むほどの向こう側だが、これまでの道のりに比べれば、この程度の距離の徒歩など、何の問題にもならない。

 かくして二人は絶体絶命の危機から、奇跡の生還を果たしたのであった。

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