心霊実話 カタカタさん
来栖千依
心霊実話 カタカタさん
これは、わたしが数年前に体験した出来事です。
暮らしていた一軒家は古く、引き戸の多い間取りでした。
中でも引き戸がいちばん多かったのは、日当たりのいい縁側にそって作られた長廊下でしょう。離れへの渡り廊へつづくまっすぐな廊下には、そろいのデザインの雪見障子が八枚ほど並んでいました。
雪見障子というのは、障子戸の下段にはまったガラス窓から外を眺められるもので、我が家のものは着物のしぼのような模様の磨りガラスがはまっていました。
これがある日から、風もないのにカタカタ、カタカタと小さく揺れるようになったのです。
鳴るのはいつも、夜も更けてそろそろ床につこうかと家人が準備しはじめる頃あいでした。
時間は一定ではありませんでしたが、誰からともなく「これはおかしい」と気づいきました。
なぜなら、カタカタと音を立てるのは、並んだ障子のうちの一枚だけだったからです。もしも夜風が吹き込んでいるなら、全ての戸が同じように揺れるはずなのに。
奇妙に思ってそれぞれ目撃談を口にしたところ、さらに不思議なことが分かりました。ガラスがカタカタと揺れる現象は、雪見障子だけではなかったのです。
ある日は、茶箪笥にある見せ戸棚の左側だけが。
つぎの日は、右側だけが。
さらに明くる日は、その部屋から渡り廊に出るまでの風取り窓だけが。
さらに翌日は、前日に鳴った窓の、となりの窓が。
カタカタ、カタカタと音を立てて、日ごとに家のなかを進んで来るのでした。
手探りで歩いてくるような現象に、わたしと妹は「カタカタさん」と名付けました。
カタカタさんは、ガラスを鳴らす他に異変は起こさなかったので、怖くはありませんでした。
漠然と、出口を探し当てたら家から出て行ってくれるだろうと思っていたのです。
カタカタさんは離れから奥の間に、そこから二階に上って一階に戻り、キッチンの食器棚を鳴らすようになりました。
そんなある冬の夜。
わたしは受験勉強のため、自室で数学の問題集を開いていました。
午後十時を過ぎて、そろそろ寝る準備をしようと机を離れたわたしは、洗面所に行って歯を磨き、髪をまとめて、テレビを見ている家族に「おやすみ」を言うために居間に向かいました。
近づいていくと中からは、バラエティ番組の音声と、楽しげな笑い声が聞こえてきます。お笑い好きな妹と、それに付き合う母がいるようです。
わたしが居間を閉じる引き戸に近づいた、そのとき。
突然、全面にはまったガラスが、音を立てて揺れ出したのです。
折しも、春先に大きな地震を経験したあとでしたから、わたしの脳裏には余震の文字がよぎりました。
真っ先に、このままでは家族が閉じ込められると思いました。
戸を片側に寄せて、母と妹をガラスが飛び散らない場所に誘導して、自分も安全な場所へ――。
考えながら取っ手に手を伸ばすと。
ふ、
と指先がナニカに触れました。
おどろいて見ますが、戸と指のあいだには十㎝ほどの空間があいていて、触れるようなものは何もありません。
しかし指先には、どろどろに攪拌した冷めかけの寒天のような、柔らかく、生あたたかい感触がたしかにするのです。
わたしの全身は、総毛立ちました。
地震のことも、家族のことも、すっかり頭から吹き飛んで、逃げるように自室へと駆け戻りました。
閉めた部屋の戸に背中をあずけて座りこんで、ようやく息を止めていたことに気づくくらい、動揺していました。
いま、自分は何に触れたのだろう。
なにも見えなかったけれど、なにかがいた。
あれはいったい何なのだろう。
分からないなりに、わたしは、人が触れてはならないものに手を出してしまった事だけは理解していました。
呼吸を落ち着けて冷静になると、居間にいる家人が心配になりました。
意を決して部屋を出たわたしは、廊下を早足ですすみ、居間の引き戸におそるおそる手を伸ばしました。
また同じようになるのではと不安でしたが、今度は、なんの感触もなく取っ手に指が届きました。
戸を開くと、妹と母が和やかにテレビを楽しんでいました。
ガラスが揺れたのにも気づいていませんでした。
安堵したわたしが泣き崩れるのを、不思議がるくらいでした。
その夜を境に、カタカタさんは、我が家から姿を消しました。
正体は、今でも分かっていません。
神様だったのかもしれませんし、妖怪だったのかもしれません。
けれど、触れてしまったわたしは思うのです。
カタカタさんが、家中のガラスを覗きこんでくまなく探していたのは、出口ではなく、『わたし』だったのではないかと――。
心霊実話 カタカタさん 来栖千依 @cheek
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