ループする少女はいつも年上の男を好きになる

近藤近道

ループする少女はいつも年上の男を好きになる

 まだ希望進路が書けていない白いプリント越しに瑠加は青空を見ている。

 高校三年生の夏休み。

 将来の自分を思い描く儀式の振りをしているだけで、答えはもう決まっているんじゃないかと俺は怪しんでいた。

 冷房をがんがんに効かせて外の暑さを想像できなくなるほど冷えた部屋。

 俺はクッションを枕にして寝転がって、窓辺に座っている瑠加と青空を見ていた。

「よし決めた」

 瑠加はそう宣言して、俺の方を見る。

「もっかいタイムリープする」

「そうか」

 六年後、俺は三十歳になる。

 次のループでは瑠加と付き合えないだろう。

「ごめんね、由高君。さようなら」

 ハイハイで傍に寄ってきて、瑠加は俺に物語のようなキスをした。

 俺も目をつぶって、引き寄せるでもなく離すでもなく、じっとする。

 久しぶりに君付けで呼ばれた。

 前のループ以来だった。

 あの時俺は瑠加と同い年で、今のループでは俺が六歳上。

 唇が離れる。瑠加が離した。

 俺はゆっくりと目を開いてから、

「別に今すぐ跳ぶわけじゃないだろ。半年以上ある」

 と言う。

 瑠加の顔はまだすぐ近くにあった。

 喋ると、瑠加の目が語っているような気がするくらいだ。

「でも決めたから。いつか別れることが決まっているなら、それはもう恋愛じゃないでしょ」

「そうなのかな」

 俺も目で喋っているのだろう。

 どうせ別れるとしても、俺は今君に欲情している。

 たぶん別れの日が来ることなんて忘れて、その日まで触れ合っているつもりなんだ。

 それが俺の思う恋愛なんだけど、俺が単に発情してばかりの男だってことなのかな。

 本当に目で喋ることができたら、そんなふうに考えていることも伝わるのだろうけど、俺の口は少しも声を発していなくて、瑠加にはなにも伝わらない。

「永遠じゃないのに恋愛はできない」

 と瑠加は言った。

 まだ永遠じゃないと決まったわけじゃない。

 食い下がるセリフは浮かんだけれど、言わなかった。

 俺にとっても、この恋は永遠じゃない。

 そんな気がしてしまったのだ。


 瑠加のループは彼女だけのループだ。

 彼女だけが時間を跳んだみたいに若返る。

 ループしている瑠加の周りには似たような人たちが集まり、似たような日々を過ごすことになるのだけれど、彼女以外は同一人物じゃない。

 ただ似ているだけで、毎回少しずつ違うことが起きている。

 だけど瑠加はいつも年上の、大学生くらいの男に恋をする。

 俺は彼女のループを二回見たからそのことを知っている。


 初めて瑠加と会った時、瑠加は俺より六歳上の近所のお姉さんだった。

 遊んでもらったわけではないが顔見知りで、友達と遊んだ帰りに下校途中の瑠加と遭遇すると、テレビの話などして家まで一緒に帰った。

 一度だけ、当時の瑠加の彼氏を見たことがある。

 それもやっぱり一緒に帰る途中のことで、瑠加の彼氏は軽自動車に乗っていた。

 瑠加を乗せたその人は、

「来るかい?」

 と笑顔で俺にも言った。

「早く帰らないとお母さん怒るから、いい」

 そう断ったのは気を利かせたわけではなくて、本当に母から怒られるのを避けたかったためだった。

「そっか。そりゃそうだな」

「休みの日とか、もっと早くに誘ってよ」

 瑠加に言ったつもりだったのだが彼氏の方が、すまない今度からそうする、と応えた。

 そして俺は手を振って、二人を送り出した。

 遊園地とか、楽しい所に連れていってもらえるんだろうなと思って羨ましがるくらいまだ恋愛には疎かったけれど、俺はたぶんこの頃から瑠加のことが好きだ。


 俺がループのことを初めて知ったのは、五年生の時だった。

 面白いこと教えたげる、と近所の墓地に俺を連れ込み、知らない誰かのちょっと豪華な墓石の前で手を合わせつつ、瑠加はループのことを説明した。

「次跳んだ時は由高君と同い年になるからよろしくね」

 五年生にもなれば、サンタがいないことや、猿も犬も雉もきびだんごじゃ仲間になってくれないことをもう知っていて、だから瑠加の話も嘘だと思った。

 だけど中学生になったら同じクラスに瑠加がいて、びびった。

「君はいつも信じない」

 呆れたふうに瑠加は言った。

 これまでのループでも同じようなことが起きていたらしい。

 でもこれまで信じなかったそいつらは俺じゃないんだから、俺を責めてもらっても困る。

 そう思った。

 中学で一番記憶に残っているのは、修学旅行だ。

 夜、瑠加が俺の部屋に押しかけてきた。

 そして先生が見回りに来るような時間になっても全く帰らず、結局部屋のメンバーと瑠加はしばらく先生の部屋で正座させられた。

「私、修学旅行の時はいつもこうしてる。こんなふうに怒られるのも醍醐味って気がする」

 正座している最中に瑠加はそう言った。

 先生も周りの男子もその発言に呆れてしまって、部屋の空気が緩んだ。

 何度ループしているのにあえてこれを回避しないなんて馬鹿だと俺も思ったけれど、それよりもこんな繰り返しの中に瑠加は何を求めているのか不思議だった。


 高校生になり、瑠加には彼氏ができる。

 新しい彼氏も車に乗る人だった。

 穏やかな雰囲気の、いつもにこにことしている人で、瑠加の彼氏を見たクラスメイトはみんな彼を気に入った。

 だからだろう、彼が下校中の瑠加を迎えに来ると、俺たちはみんなで敬礼して瑠加を送るというルールができた。

 そして瑠加の彼氏に敬礼したがるやつらがいつも瑠加と共に下校しようとするので、集団下校さながらに賑やかになる。

「こんなふうになったの初めてだよ」

 十人ぐらい集まってしまって、瑠加はげらげら笑った。

 ループしていても、いつも同じことばかりじゃない。

 そしてこんなふうに初めてのことを重ねていって、彼女はループをやめるのだろう。

 俺はそう思ったのだけど、高校を卒業すると瑠加は中学生に戻っていた。


 今回のループでは、瑠加の彼氏になれる。

 これまで俺が見た二回のループで、瑠加は大学生くらいの男と付き合っていた。

 だからこっちからアプローチしていけば絶対にそうなると確信していた。

 瑠加が高校生になるまでの三年間のうちに、俺はバイクを買った。

 車じゃなくてバイクにしたのは、これまでの彼氏と全く同じだと癪だったからだ。

 バイクはヘルメットが二つ収納できるものを買って、そして俺は例によって下校中の瑠加を誘って、遊びに出かけたり体を交わらせたりした。

 下校中の瑠加の周りには、近所の小学生も敬礼をしたがる集団もいなかった。

 だけど中学からの仲良しグループという、男二人と女一人とよく一緒にいた。

 グループから瑠加を連れ去って、あの二人のうちどっちかと次のループでは付き合うんだろうか、と俺は思った。

 もしかしたらこれまでの彼氏も、以前のループで接点があったやつだったのかもしれない。


 こんなふうに思い返してみると、俺は今回が瑠加と付き合う絶好の機会だとしか思っていなくて、彼女のループを終わらせようとはさして考えていなかったようだと気が付く。

 あるいは努力なんてしなくても、瑠加が俺のためにループをやめるんじゃないかと夢想しているだけだった。

 瑠加に別れを告げられたことは、そう悲しむことでもない。

 一度そう思ってしまうと、失恋の悲しみを心の中からつかみ出せなくなってしまった。

 それがなんだか寂しかったので、水位の下がった悲しみを元に戻すため、俺は感傷に浸る旅に出た。

 瑠加を後ろに乗せるために買ったバイクで、電車なら三十分くらいかかる町まで走る。

 その町には海水浴場があるのだ。

 そこへ一人で行こうと思った。

 日差しが強く、海に着くと空が青かった。

 目に付く駐車場はどこもいっぱいで、仕方なく俺は海沿いの広い歩道でバイクを駐めてそこから海を眺める。

「夏だ」

 と呟くけれど、そう言って興奮し合う相手は今の俺にはいない。

 だから、夏じゃなくても空は青い、と俺は思った。

 冬でも空を見上げれば、きっととても青い。

 今すぐ海水浴客たちの声が聞こえなくなって、景色が冬の青空になってくれれば、それが確かめられるのに。

 冬になったら空を見よう。

 今日よりも青い空を見つけてやるのだ。

 そして青空が夏のものだと思っている瑠加と離れる。

 俺は今までループの中にいた。

 瑠加が回り続けている輪っかの中に、俺もずっといた。

 それが終わる

「大丈夫ですか?」

 俺に声をかけたのは、俺と同じかそれよりちょっとだけ上に見える、髪を水色に染めた女だった。

「え?」

「バイク」

「ああ、大丈夫です。ただ休憩してただけです」

 顔を伏せたまま答えるのだが、

「うわ、めっちゃ泣いてるじゃないですか」

 と俺の顔を見た彼女は目を大きく開いた。

「失恋? 失恋ですか?」

 なんでそう決めてかかるのだろう。

 でもそのとおりだったので俺は、

「そうです」

 とうなずく。

「小さい頃から、二十年くらい好きだった子と別れたんです」

「えっ、二十年」

 女の目が輝いた。

「なんか面白そう。詳しく聞かせてくれませんか」

「いいですけど」

「ファミレス行きましょう。ちょうど私お腹減ってたんですよ。おごってあげるんで、全部話してくださいね」

 全部と言うけれど、ループのことを話したら彼女は信じてくれるだろうか。

 しかしそれを隠して話すとなると色々骨が折れそうだ。

 どちらにしても彼女の誘いを断る気はなくて、俺は女にヘルメットを渡している。

「二十年ってことは、初恋ですよね」

 ヘルメットを被りつつ女は聞いた。

「はい」

「すごい。私の初恋なんて二週間で終わりましたよ」

「たった二週間?」

「そう、なかなか早いでしょう。で、次の恋は三ヶ月」

 彼女はどんなふうに恋をしてきたのだろう。

 俺の話だけじゃなくて、彼女の話も聞いてみたいと思った。

 話すうちに、聞くうちに、俺は瑠加のループから遠ざかっていく。

 そしてまた誰かに恋をして、いつかは子どもができる。

 何人か生まれて、そのうちの一人は男の子。

 彼はきっと瑠加に出会うだろう。

 そうして俺は瑠加の永遠と再会するけれど、俺の子もすぐにその輪から外れる。

 ループから抜けた自分の子に、冬の空も真っ青だという話を俺は絶対にする。

 けれどそんなことには彼もとっくに気づいていて、そういう話はもっと小さい時にするもんだろ、と笑われるのかもしれない。

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