領域

「ふあぁ……おはよぉございます……」

「おーおー、おはようさん。随分眠そうだな」


 ふらふらと階段を下りてきたルシャに既に朝食を取り終えたらしいガストが話しかける。

 その声が響いたのかルシャが顔を顰めて頭に手をやる。いつもよりも力なく垂れる桃色の髪がくしゃりと更に乱れた。


「だって昨日はずっと飲みっぱなしだったじゃないですか……情報交換のはずだったのに、最後にはただの宴会になって……うぅ、頭痛い……」

「目的は果たせただろ? それより一杯付き合えよ」


 ぐいと突き出されたコップを見てルシャは苦々し気に顔を歪める。

 対するガストの表情は可笑しげで、それがまたルシャの眉間の皺を深くする。


「何でまたお酒飲んでるんですか、信じらんない……もう匂いだけで気持ち悪いからやめてください……」


 そう言う彼女の声にはいつもの凛とした響きは一切なく、カラカラと笑いながらガストは杯の中身を胃へと流し込む。

 するときしりと軽い音が階段の方から響き、二人は何の気の無しにそちらを見る。

 目に映るのは朝日に輝く金色。突然現れたチームメンバーの魔女に二人は僅かに驚きの色を浮かべる。


「あれ、サラさん。おはようございます。珍しいですねこんな時間に」

「ええ、まあね」


 さらりと答えるサラは特に会話を続けるつもりは無いらしく、二人を無視して周囲をきょろきょろと見回している。

 その様子を不思議に思い、ルシャとガストを少しだけ顔を見合わせる。

 沈黙に耐えかねたようにルシャは少しだけ気合を入れて声を出す。


「どうかしましたか?」

「…………あの子供は居ないのかしら?」


 間を空けて質問を返されてルシャはその内容に再び驚く。

 自分たちの中で子供といえば大抵一人の少年を指す。だが、彼女サラリアンに関心を持っている場面というのは初めて見た気がする。


「えっと、リアン君なら昨日からクエストでフィフィさんと一緒に出かけてますよ。今日には戻る予定ですけど、どうかしたんですか?」

「……いえ、何でもないわ。それならいいの」


 そう言うとそそくさと、という表現が似合うような足取りでサラは階段を上っていく。

 普段魔法材料採集のためクエストに赴くか最低限の食事を取る以外では部屋の外に出ることがない彼女にしては異例の行動に二人はきょとんとするばかりだ。


「……どうしたんだあいつ」

「さあ……でも、リアン君とフィフィさん、大丈夫ですかね」


 少し心配そうに言うルシャの言葉をガストは軽く笑い飛ばす。


「大丈夫だろ、悪くないペアだと思うぜあの二人は」

「そうですか?」


 ルシャはその言葉に少しだけ眉をひそめる。

 決して二人の実力を侮っている訳ではない。それでもまだリアンは仲間に加わってから日が浅い。フィフィの能力はかなり尖っているし、戦法もトリッキーなものだ。連携を取るには、流石に苦労するのではないだろうか。

 だがそんなルシャの心配を他所にガストはぐびりと朝から何杯目か分からない酒を煽ってから笑う。


「二人とも森育ちのチビだからな!」

「……ほんと死ねばいいのにこの人」


 そう吐き捨ててルシャは階段へと向かう。頭痛が倍増したので二度寝をして回復するために。

 一人残されたガストは食べ終えた皿に残った骨を口に放り込みぼりぼりと噛み砕く。

 そしてまだ朝早く人の少ない食堂でぽつりとつぶやくのだった。


「ま、実際似た者同士ってのは強いんだよな」



      ◇      ◇



 結界内への侵入は拍子抜けするほどスムーズだった。

 どうもそれは侵入を拒むような障壁ではなく、周囲から認識されなくなるフィルターのようなものだったらしい。

 だが結界の役目はそれだけでは無かった。本来の役目はむしろそのもう一つにあると言ってよかっただろう。


(こ……れは……!)


 結界の内側へと立ち入った瞬間全身を襲った怖気に一瞬でフィフィの全身の肌が粟立つ。

 周囲に溢れる余りに冒涜的な邪気。一つ呼吸をすれば肺に流れ込んできた空気さえも澱みきっており、身体の中から犯されているような気分になってくる。

 碌なものが待っていないということは直感していたが、流石にこれほどまでとは思っていなかった。

 同時に判断の甘さを悔やむ。やはりリアンは連れてくるべきではなかったと。


「リアンッ……!」

「は、はいっ!」


 間近から返ってきた力強い返事にフィフィは目を丸くする。対するリアンは困惑した様子でフィフィの言葉を大人しく待っている。

 信じられない。その思いだけでフィフィはじろじろとリアンを見つめてしまう。


「……大丈夫、なの?」

「……? え、ええ、特に問題はないです」


 困惑の色を深めるリアンをフィフィは注意深く観察する。

 嘘をついてるような様子はない。顔色も先ほどまでと変わらない。きょとんとした表情は酷く幼く、血色の良さすら感じられる。


 一体どういうことなのか。まさかこれだけの邪気を感じていないのか、それとも感覚が麻痺しているのか。

 だが一切の悪影響が見られないというのは腑に落ちない。

 不可解な状況を理解できず、フィフィはリアンに直接尋ねる。


「ここに入って、何か感じない?」

「ええと、魔力密度が妙に高いですね。ドロドロした感じで、少しだけ気持ち悪いです」


 自分がこれまでに感じた中でも最上位にあたる程混沌とした気配を少し気持ち悪いだけとあっさり断じられて、フィフィはリアンの顔をまじまじと見つめ返す。

 リアンは何故そんなに見られているのか分からない様子で、落ち着かなさそうに身をもじもじとさせるばかりだ。


(……どうする、進む? 引き返す?)


 フィフィはそう思案したところで、先ほどまで自分が目の前の少年に対して何を言っていたかを改めて思い出す。


(……はあ、自分が迷ってちゃ示しが付かない、か。年上ぶるなんて、柄じゃないのだけど)


 再びリアンの様子を窺うが彼は大人しく直立不動の姿勢を保っている。おそらくは自分の思考の邪魔をしないようにしてくれているのだろう。

 その様子は忠実な兵士のようでもある。あるいは忠犬だろうか。

 少年に重なって浮かんだ小動物のイメージに思わず笑みが浮かびそうなるが、状況を思い直して懸命に顔を引き締める。


「中心の方へと向かおう。戦闘は極力避けるけれど、何があるか分からないから備えておいて」

「はいっ!」


 小さな声で、それでも力強い返事に頷いて音を立てないように歩き始める。

 邪気の影響か少しだけ身体は重いが、行動に支障が出る程ではない。後ろを付かず離れずの距離でついてくるリアンの様子も先ほどまでと変わりない。恐らくではあるが、この領域の影響を殆ど受けていないと言っても過言ではないのではないだろうか。


(……それにしても)


 リアンのことは若干まだ気になるが、問題はこの領域を生み出した存在が何かだ。

 自然発生ということはあり得ないだろう。ここまで明瞭に区分けされた結界だ。何者かが何らかの意図をもって作り出したとしか考えられない。

 とはいえ、目的の検討はついている。というかそれ以外は考え辛い。


「魔獣や魔物の凶暴化は、やっぱりここが原因なんでしょうか」


 同じことを考えていたのだろうか。リアンが小さく潜めた声で尋ねてくる。


「……多分そう。まあ、ここに入ったら大抵の獣は狂ってもおかしくない」


 元より凶暴な魔物は大して影響がないかもしれないが、もしかすると活性化はしているのかもしれない。

 先ほど入っていったグゥシィはどうなのか。既にここに立ち入っていたのか、それとも何かを嗅ぎ付けてきたのか。

 辺りを窺うがそれらしき気配はない。ただ、空間が歪んでいるように錯覚するほどの邪悪な空気に邪魔されて知覚能力は大きく落ちているので確信は持てないのだが。


「……リアン、周囲の気配は探れる?」

「えっと、近くには何もいないと思いますが」


 さらりと言うリアンにフィフィは驚きを隠しながら頷き思案する。


(やっぱり、リアンはこの領域内でも普通に動けてる。理由は分からないけど……)


 魔力の保有量が関わっているのだろうか。だが魔法を使えるからというだけの理由でこれだけの邪気を無効化出来るとは思えない。

 では彼の持つダガーか。確かあれは乳デカルシャ付与エンチャントをしていたはずだ。それによる加護という可能性はある。


「……リアン、ダガーを見せてもらえる?」

「……? それは構わないですけど。どうぞ」


 差し出されたダガーをリアンから受け取り観察する。使い込まれてはいるが、よく手入れのされたダガーだ。小さな傷があちらこちらにあるが、刃こぼれは一切ない。持ち主の性格が表れているようである。

 その内側に込められている力はフィフィでも分かる程に強い。それほど長時間は続かないはずの聖付与だが、そこは術者の力という訳だろう。


(……というか、どれだけ念入りに付与してるんだ)


 余りに強力な付与に若干引きつつも、フィフィは一通りの観察を終えてダガーを持ち主へと返す。

 分かったことはチームの若き回復術士ヒーラーの過剰ともいえる偏愛ともう一つ。ダガーには持ち主を加護する力は無いということだ。

 

(神聖な力は感じるけど、持っているだけで邪気から守られるという訳ではなかった。ダガーをこちらに渡している間もリアンに様子の変化はなかったし……)


 とすれば、やはり彼自身に邪気から身を護る何かがあるということだ。


「ど、どうかしたんですか?」


 リアンが不思議そうにこちらへ問いかけてくる。どこか不安そうにしているのは、彼自身に落ち度があったのではないかと疑っているのだろう。

 この弱気なところが無くなれば、いい冒険者になると思うのだが。


「ん、何でもない――いや、キミはやっぱり面白い子だと思って」


 気付けば自然と笑みが浮かんでいた。リアンが驚いたような表情を見せつつ、首を傾げる。

 素直に感情を見せる子だ。だからか、つい釣られてしまう。感情の起伏は少ない方だと思っていたが、この二日で随分と表情が豊かになった気がする。


「頼りにしてる、リアン」

「――っ……! が、頑張ります!」


 その返事に気を良くしてフィフィは再び歩き出す。

 後ろに続く足音が、先ほどまでよりも少しだけ心強く感じられた。

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アドベンチャーズライブ! ~新米冒険家がトップチームに拾われた場合~ 野良なのに @ginga999

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