「何故、Gさんはその時、其処に現れたのか?」
神田 るふ
「何故、Gさんはその時、其処に現れたのか?」
そもそも、幽霊や怪異という存在や状況を扱う以上、怪談とは非現実的、あるいは超現実的なものである。
だが、その一方で怪談とは極めて論理的かつ実証的なものでもある。
なぜなら、ある理由によって霊は登場し、逆に怪異の発現がある理由によって説明されるという構造を怪談は本質的に持っているからである。
原因と結果。それぞれの出発点は違うものの、心霊現象という結果とそれが発生するに至った原因は筋の通った説明とロジックによって結ばれることが殆どだ。
そうでなければ、恐怖という感情は発生しないからである。
ただ単に、「霊が出ました」では怪談にはならない。
霊が出る上で聞き手や読者が納得できるような原因が説明されなければならないのだ。
異常な存在と現象が、とある理由によって説明されることで原因と結果が結びつき、因業因果の結実を思い知った時、聞き手や読者は恐怖という感情を抱くのである。
原因と結果、そしてこの二つを結びつける説明が欠けた怪談は、おそらく怪談足りえない。
だが、時として、この怪談の概念を否定する話が多々あることも事実である。
なぜこんなことが起こったのか。
いったい何が原因なのか。
原因と結果が結びつかない、論理的な説明を排除した怪奇というのもまた存在する。
私が今から披露するのはまさにそのような話である。
大学時代の友人Mから聞いた話である。
大学三年生の時、Mの家で同じゼミの仲間同士が集まって宴会をしたことがあった。
午後六時から始めた宴会は大いに盛り上がり、午後九時を回っても未だに収まりが付きそうになかった。残りの酒もおつまみも先行きが怪しくなってきたので、私とMは近くのスーパーまで買い出しに出かけることになった。
時節は三月の中旬、まだ肌寒さの残る夜道をMと談笑しながらスーパーに向かい、スーパーに着いたのは九時四十五分頃。午後十時に閉店するスーパーの店内には蛍の光が流れていた。早く買わないと店が閉まってしまう。慌てた私たちは急いで買い物を済ませ、閉店ギリギリの時間で店の外に出た。
何とか間に合ったと安堵の息を漏らした私に、ふと、Mが問いかけてきた。
「蛍の光って好きか?」
「うん。大好きだけど」
何故、いきなりそんな質問をしてきたのか見当もつかなかったが、蛍の光がお気に入りの歌であることは事実だった。今でも、好きな歌の一つである。
Mは私の返答に軽く頷くと、彼自身が体験したある話を話し始めた。
Mが高校二年生の時の話である。
当時、Mは生徒会の役員を務める一方で卒業式の実行委員も兼務していた。
責任感の強いMにはまるで苦にならなかったようだが、万事いいかげんな私には全くもって御免こうむりたい状況である。
そのMにとって一大イベントの卒業式がいよいよやってきた。
Mは式の進行、準備等に中心的な役割として精力的に働いた。夜遅くまで学校に残ることも珍しくはなかったという。
式を翌日に控えた夕方。
Mは最後のチェックをしようと会場の体育館へと向かった。
座席の並び方やカーテンの位置など、会場のセッティングをもう一度確かめたかったらしい。
黄昏時の校内を抜けて、体育館の入り口に着いた時だった。
「……のゆき。ふみよむつきひ、かさねつつ」
体育館の中から、歌声が聞こえてきた。
蛍の光だった。
女子の声だ。それも、どうやら一人だけらしい。
誰かまだ残って練習しているのだろうか。
プログラムでは蛍の光は三年生が歌う歌だった。全校生徒で歌う校歌が式の最後の歌で、蛍の光はその前に歌う流れだった。
Mは体育館の扉をゆっくりと開けて、中を覗き込んだ。
「いつしかとしも、すぎのとを」
少女が一人、入り口に背を向けて起立したまま、歌っていた。
席の場所は卒業生が座る前方、前から二番目の列、端から数えて五番目の席だった。
「あけてぞ、けさはわかれゆく」
薄暗い体育館の中で、少女が蛍の光を歌っている。
明らかに、“よくない”状況である。
私なら脱兎の如く逃げ出しただろうが、Mは逆に体育館の中に足を踏み入れた。
少女の声に、聞き覚えがあったからだ。
「とまるもゆくも、かぎりとて」
少女の声にMの足音が重なった。
普通ならMに気が付いて振り向くはずだが、少女は一向に歌うのをやめない。
「かたみにおもう、ちよろずの」
とうとう、Mは少女のすぐ後ろにまで辿りついた。
「こころのはしを、ひとことに。さきくとばかり……」
「あ、あの」
Mが発した呼びかけに、少女の歌声が、止まった。
ずっと背を向けたままだった少女が、Mの方へ振り返った。
Mが予想していた通りだった。
歌っていた少女は、同じクラスのGさんだった。
何故、Gさんがこんな時間に蛍の光を歌っているのか。
しかも、まだ二年生のWさんが卒業生の席で。
Mが問いかけようとした時だった。
「おい、M!まだ残っていたのか?」
体育館の入り口から野太い声がこだました。
体育教師のY先生だった。体育館の鍵を管理しているはずだから、おそらく戸締りに来たのだろう。
「お前が頑張ってるのは知ってるが、そろそろ家に帰れ。でないと、俺が帰れん」
「はい、わかりました!Gさんも……」
Mが振り返った先には、Gさんの姿は無かった。
「あの、先生。体育館にいたのは……俺だけですよね?」
「お前と俺以外に誰がいるんだ。疲れてるんじゃないのか」
大笑いするY先生に、Mは半笑いで応えた。
翌日。
卒業式は無事に終了した。
先生や卒業生、同学年の友人たちから称賛や感謝の声を思う存分もらったが、Mの気は何処か晴れなかった。
頭の中にあったのは、当然、Gさんのことだった。
Gさんは弓道部に入っていたが、同じ部にMの一つ下の妹も入っていたので、それとなくGさんの最近の動向を聞いてみた。
妹からは特に変わった様子はないという安心できる情報を得た。MがGさんを見た卒業式前日の同時刻、GさんはMの妹を含めた部活仲間でカラオケに行っていたらしい。そして、Gさんが一月から大学生の男性と付き合い始めたという有難くない情報が追加でもたらされた。
MはGさんに思いを寄せていたのだ。
あまり気持ちのいい体験をしたばかりではなく、失恋までしてしまったMにとって、その年の卒業式はあまりいい思い出とはならなかった。
その翌年。
Mは三年生となり、無事に学業を修了し、卒業式を迎えることになった。
だが。
その卒業式に、Gさんの姿は無かった。
卒業式の一か月前、付き合っていた大学生の男性に殺害されたのだ。
動機や理由は不明である。
心の中にぽっかりと穴が開いたまま、卒業式当日、Mは式場の体育館に足を踏み入れた。
ふと、卒業生が座る体育館前方、前から二番目の列、端から数えて五番目の席に目が行った。
其処には、Gさんの小さな遺影が置かれていた。
ここまで話し終えたMは大きなため息をついた。
しばしの沈黙のうち、眉間に固い皺を立たせながら、Mは語り始めた。
「俺にはわからないんだ。何故、Gさんは一年前の卒業式の前日に蛍の光を歌っていたんだろうか。自分が卒業できないとわかっていたからだろうか。だったら、何故、その男と別れなかったんだ?もし仮に、別れ話がもつれて殺されたとしても、そうなるのがわかっていれば別れることはなかったはずだろう?そもそも、あの時、体育館に現れたGさんは何者なんだ?」
「わからないな、どうにも」
私は素直な感想を口に出した。
「実は卒業式の後、俺は体育館に行ってみたんだ。ひょっとしたら、またGさんが出るんじゃないかと思って。暫く待ってみたが、やっぱり現れなかったよ。できれば、心残りを晴らしたかった」
「心残りだって?」
Mは、再度、大きなため息をつきながら深く頷いた。
「もし仮に、あれがGさんの想いが形になって現れたものだったとしたら、蛍の光を歌い切りたかったんじゃないんだろうか。俺は、それを止めてしまった。……心残りだよ」
高校卒業後も、Mは毎年母校の卒業式に足を運んでいるらしい。
おそらく、Gさんに再び会える日までMは卒業式に行き続けるはずだ。
Gさんの謎とMの心が晴れる日は来るのだろうか。
私には、わからない。
「何故、Gさんはその時、其処に現れたのか?」 神田 るふ @nekonoturugi
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