F*ckin' Shit Sweetheart

モチノモノ

第1話 断片1-千晶-

『日常に非ず、日常に有らず、そして劣情に非ず。恋という不定形を捉えるには消去法しかない。それはだれが恋をしようがーー女がしようが、男がしようが、あるいはーー変わらないのである。』(朽田夕陽)


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『これは、叶わない恋、適わない好意、適わない愛。』


市谷千晶は口ずさんだ。


『奏でない旋律、カナリアの演説、金縛りの戦慄』


黒い瞳が手元の紙束の上を舐めるように眺める。


『憂いよ、愁いよ。熟れた果実はもう売れた。お前の恋は叶わない。』



「お前の恋は叶わない…か。」

千晶は大学正面の大通りを歩きながら繰り返した。大学の4限の授業が終わったばかりのこの時間では、通りにはちらほらと人が見える程度だ。広い敷地に散らばるまばらな人影を見渡しながら千晶は座るのにちょうど良い場所を探した。

千晶は平たく言えばとある大学の二年生の青年だ。しかし青年、と言ってもその容姿は青年というに程遠い。赤っぽい茶色に染められた髪は心持ちカールしており、長さは首筋あたりほどのショートボブ。毛先にかけて白っぽいグラデーションを入れているという凝りようだ。切れ長の目はマスカラで縁取られている。目が悪いので、黒縁の大きい眼鏡をかけているがそれもまたファッションのようだ。そして男性にしては色白で細身の体は深紅で薔薇の模様織りのワンピースを纏っていた。

千晶はワンピースの汚れなさそうな綺麗なベンチを見つけて座り込んだ。読みかけの紙束を持ち直し、ずり落ちた眼鏡をぐいっと元の位置に直す。

「それにしてもダジャレの多い詩だなぁ。ダジャレっていうか、ライム?って言うのか…。」

彼は猫背気味に紙束を眺めて残りを読んでいたが、何回も紙束をめくって冒頭に戻った。詩が気になるようだ。

「…わからないなぁ…ここだけ」

「あ、ちーくんじゃない?」

ベンチの後ろの方からよく通る声が響いた。千晶は振り向く。少し遠くの道から緩くパーマがかった髪の女性が小走りでよってきた。千晶のサークルの先輩の小倉果世である。

「小倉先輩、なんでまだ大学にいるんですか?今日四限の後用事だって言ってませんでした?」

前の会話を思い出しつつ、訝しげに問う千晶に果世はあっけらかんと答えた。

「あったけどサボった!」

「いいんですかそれ…。」

「大丈夫だよ、それよりしたいことあったし。」

果世は千晶の横にすとんと座り込む。少し顔を傾けて千晶の読んでいる紙束を覗き込んだ。

「あっ、それは随研の新刊だね?」

「よくわかりましたね、これまだ装丁前なのに」

千晶がひらひら紙束を振る。随研とは千晶達の通う大学にあるサークルで、随筆研究会の略である。月に一度程度、部員の書いた文章を載せて発行しており、様々な学部の生徒が書いた独創的な文章で人気がある。

「同じクラスの子に頼まれて、装丁前に誤字脱字が無いか探してるんですよ」

といいつつも千晶は読む事自体を楽しんでいたのだが。

「ははーん、だからそんな装丁前なんていうレア物持ってたのか」

「でもよくわかりましたね、見ただけじゃわからないじゃないですか、これは公開前の文章だし。」

「その一番上の詩」

「え?」

千晶は果世の指さす所を見た。彼が何度も読み直していた詩だった。果世は少し胸を張りながら自慢気に言う。

「その詩は私のゆうちゃんが書いたんだよ」

「私のって…ああいつもの」

千晶自体は本人を知らないのだが、果世には"ゆうちゃん"という親友がおり、果世はそのゆうちゃんをめざして一浪してまでこの大学に入ったのだ。″ゆうちゃん″は現在院試で来てはいないが果世と千晶と同じサークルに所属しており、去年の冬にサークルに入った千晶を除くサークルメンバーはだいたいその存在を知っている。果世が"ゆうちゃん"を連呼するので本人を知らなくともその存在は割と知られていた。

「そう。っていうか今日さぼったのもゆうちゃんが焼き肉奢ってくれるっていうから…」

と言いながら果世がはっとした。急いで鞄からスマホを取り出して時間を確認し、笑顔のまま青ざめた。

「そうだよもう行かなきゃ!ごめん、次のサークルでね!」

果世は弾みをつけてベンチから飛び上がった。約束の時間を忘れていたのだ。いきなり大声を出されて驚きつつあっけにとられている千晶を背に、果世はヒールでは考えられないくらいの高速で走り去った。途中で段差に蹴躓いた。その様子を千晶は見送った。

「…忙しい人だな」


果世が去った後、もう一度千晶は詩に戻る。

「なんか、思い出すんだよな」

千晶はふとスマホを取り出して待ち受けを眺めた。高校のブレザーを着た千晶と、同い年くらいの青年の姿が待ち受けに映っていた。青年は、千晶の片思いの相手だった。

千晶の恋愛遍歴は少々一般的ではない。千晶は、所謂ゲイである。彼は常日頃女性のような格好をしているために″オカマ″と間違われやすいが、彼自身の性自認は女性ではない。彼は「トランスベスタイト」と言われる異装趣味の嗜好を持っていて、かつ男性が好きなのである。このようなややこしい性質を持つため彼の恋愛は叶うことも少なく、彼もともとの性質ー感受性が極めて強いーも相まって、彼は″メンヘラ″といわれるような言動を多々繰り返していた。今もまだ数年前の思い人の写真を待ち受けにしているのもそのうちの一つである。

「お前の恋は叶わない…か。」

だからこの一文がやたらと胸に刺さるのか、千晶は繰り返し呟いた。


「"お前"の恋は、叶っているのか?」


千晶は作者に問うように呟いた。

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