クラクション

stella

第1話

 10年程前、専門学校に通うため、一人暮らしを始めた。

 ワンルームの賃貸マンションの1階。風呂・トイレ別、シャンプードレッサー付き。部屋は北向きだが、帰宅時にはどうせ夕方だ。日当たりよりも、綺麗なトイレと風呂を選んだ。

 マンション自体は20階くらいまであったと思う。上の階は分譲で、高速と幹線道路のすぐ横に建っており、最寄りの地下鉄駅まで徒歩5分。スーパーとコンビニも駅に併設されている。幹線道路の下の地下歩道を通れば、信号待ちもない。

 女らしい家具やインテリアは全くないが、わが城はなかなかの物件だった。

 学校と自炊にも慣れ、生活に落ち着きが出てきた初夏の朝にあの体験をした。


「パァーーーン」


 うつぶせ寝の身体が、びくっ、と大きく跳ねる。心臓がばくばくしていた。

 そのまま、パイプベッドの頭側、机の上の目覚まし時計を見上げる。

 6時45分きっかり。セットした時間の10分前だ。

 トラックのクラクションのようだった。目覚まし時計のベル音といい勝負の大音量だ。

 こんな朝から何なんだ。起きれたのはいいが、小心者の自分にはいい迷惑だ。

 上半身だけ起こして、机の上のメガネをかけ、ベッドの向かいのテーブルからリモコンをたぐり寄せ、アナログテレビをつける。

 プツンと電源が入る音がして、星座占いのコーナーが始まる。身支度をして学校へ向かい、一日を終えた。


 翌日。

 

「パァーーーーーン」


 また、どきっとして目を覚ました。

 頭だけ目覚まし時計のほうを向ける。

 6時45分。

 昨日と同じ時間だ。

 何なのだろう。布団の中で、びくびくした心臓を落ち着けつつ考えてみる。

 昨日と全く同じ音に聞こえた。

 幹線道路だから、配送のトラックが同じ時間を通過しているのだろうか。

 にしても、クラクションを鳴らすとはよほど危ない運転をする車がいたのか、誰かが飛び出してきたのか。

 偶然、2日続けて同じ時間に。

 トラックのクラクションだと感じたのは、刑事ドラマでよくある『道路に飛び出してきたこどもに、運転手が慌ててクラクションを鳴らすシーン』で見聞きしたような音だったからだ。実際に聞いたのは昨日が初めてだが。

  念のため、事故が起こっていないかを確かめる。

 起き上がり、カーテンを開ける。

 窓の外はマンションの駐車場になっていて、入居者の車の天井部分が見える。自分の部屋の左側が、高速と幹線道路だ。

 私の部屋はマンションのちょうど真ん中あたりにあるので、ここからだと木々や車に阻まれてよくは見えないが。

 やっと頭が冴えてきて、クラクションが鳴った直後に衝突音やブレーキ音もなかったことを思い出した。

 田舎と違って、都会は色々なことが起こるようだ。そういえば、昨夜は暴走族らしき車の音も聞いた。

 テレビをつけると星座占いが始まっていた。


 そして、さらに翌日。


「パァーーーーーン」


 まただ。まったくもっていい迷惑だ。

 だが、3日目ともなると少し慣れたように思える。

 今朝は横向きになって目が覚めた。ぼやけた目に、テレビが見える。

 テレビの左側には食器棚。さらに左に冷蔵庫がある。

 そこにいた。

 女が、歩いている。

 いや、歩いているポーズをしている。

 冷蔵庫の左にシンクがあり、さらに左に玄関との仕切りのドアがある。

 そのドアに向かって、いや、玄関に向かって外に出ようとしているのか、女が、私に背を向けてその場にいる。

 自分の目が大きく開いているのがわかる。

 身体が、がちんと固まってしまって、見たくないのに、目を閉じたいのに、動かない。耳が急に詰まったようで、きいいんという音がする。


「・・・パシン・・・」


 アナログテレビを消した音がした。

 瞬きができた。と、同時に無意識にテレビを見る。

 なぜか、しまった、と思った。

 もし、女が、こちらを向いていたらどうしよう。

 でも、このまま固まっていても、どうしようもない。

 なるようになれ、と、再び、女のいた位置を見る。


 ・・・誰もいなかった。


 ばくん、ばくんと、やっと心臓が動いたかのように大きな音をたてている。

 女がいた場所をすり抜けるようにして家を出て、最寄り駅に向かう。

 地下鉄に乗りこみ、ドアの前に立ったまま、ついさっきの出来事を思い返す。

 あれが、幽霊なのか。

 初めて見た。

 怖い話は好きだが、霊感もない自分が体験するとは。

 少し、嬉しくなった。怖いが、自分が体験する側になったなんて。

 忘れないうちに思い出そう。

 あの女、どんな格好をしていただろう。

 グレーのジーンズだった。ふくらはぎあたりから下は、ベッドからは見えなかったが・・・

 茶色のTシャツを着て、左手にビーズのブレスレットもしていた。

 ここで少しどきっとする。

 おかしい。なにかおかしい。でもなにがおかしいのだろう。

 服装に見覚えがある気がする。あのTシャツ、つい最近見かけた。

 いや、その前に、何故『女』と思ったのだ。


 頭は、見えなかったのに。


 ぶわっと汗がにじむ。カバンの持ち手がじんわりと生温くなる。

 体つきで女と思った?

 違う。スカートをはいていたわけでもないのに。

 ブレスレットをしていたから?

 いや、男の人だって、ブレスレットをつける。

 そうだ、あのブレスレットも、あのTシャツも、ジーンズも。

 私の持っている服だ。

 今左手につけているこのブレスレットは、クラスメートが手作りしてくれて、もらったばかりのものだ。つい、寝るときもはずさずにつけてしまっている。


 頭が見えなかったのは、ベッドから私が私?を見ていたから?

 それとも、私の服を着た、なにかだったのか?

 というか、テレビ、つけてもないのに何故消したときの音がした?

 普段の生活では全く回らない私の頭が、ものすごい速度で答えを探している。

 探せば探すほど怖い。

 喜んでいる場合じゃない。


 帰ってきて、少し身構えつつ玄関のカギを開ける。

 誰もいなかった。何故かダッシュで靴を脱ぎ、クローゼットを開ける。

 タンスの上に、あれが着ていたTシャツとジーンズがちゃんとあった。

 たしか、例のクラクションが鳴りだす前に洗濯して片付けた。

 袖を通したような跡はない。

 だが、なんとなく気持ち悪くてしばらくは着れそうにない。


 翌日からは、クラクションも聞こえなくなった。


 今年の春先に、某動画サイトの生放送で『怖い話凸募集』とあり、この体験を思い出して放送主の方に話してみた。

 あの後、特に変わったこともなく卒業し、あのマンションからは引っ越した。

 放送主の方や視聴者の方が、怖いね、とか、なんだったんだろうね、とか、いろいろと感想を述べてくださった。

 その中のひとりの視聴者の方が、

「よかったね、最初の日に見なくて」

 とコメントした。

 どうしてですか?と問うと、

「3日目に背中を見たんでしょう?だったら、最初の日に見ていたら、位置的に窓から入ってきたそれを正面から顔を見たかもしれないね」

 




























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クラクション stella @stella0901

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ