光堂顧客名簿ーコウテイの闇ー

夕星 エリオ

コウテイの闇

「おい、あれ皇帝こうていじゃないか」


「本当だ、皇帝じゃん」


「え? 皇帝って?」


「あいつの中学からの異名だよ。あいつのとことあたるチーム終わったな」


「だな。マジで同情するわ」


 高校サッカー、夏のインターハイ初戦。


 たまたま聞こえた他校生の会話。

 何回こんな会話を聞いただろう。


 別に自分でつけた異名じゃない。

好きでそんな風に呼ばれたいわけじゃない。


 なんで、俺なんだ。


 俺は……ただ……。




──今日も暑いですね。


──まったくだな


──君は余計に暑いんじゃないのかい?


──わかっているなら、気を使え


──あはは、ご冗談を。そう言えば……今日なんじゃないですか?


──ああ。今日だな


──カミサマってホント自由ですよねー。まあ、現世にいれるだけありがたいんでしょうけど。


──お前は本当に恩知らずな奴だな


──よく言われなくもないですね。ほら、もう時間じゃないですか? 僕が何と言おうと、君はどうせ行くんでしょう?


──当たり前だ。俺たちはそのためにここにいるのだから




 夏真っ盛りの暑い日曜日。俺はとある貼り紙に出会った。


「自分について知りたい人は、一週間後、ここで見知らぬものを見つけてください」


 廃ビルの誰も見ない側面の壁。そこにその貼り紙はあった。

 俺だって間違って硬貨を落とさなければ、見ることなんて一生なかっただろう。そんな低確率の中、俺は出会ってしまったのだ。


 人間というものは非日常的なものに出会った時、バカバカしいと思うか……もしくは、好奇心がうずうずするものだ。

 そう、俺の場合、後者だったのだ。


 そして一週間経った今日。

 俺は貼り紙の書いてあった通りに、あの廃ビルの前までやって来た。

 廃ビルの面している道はもともと人があまり通らず、見渡しても、老人夫婦が仲良く歩いているだけだった。

 はぁ、と落胆のため息を吐き、俺は来た道を戻ろうと後ろを振り返った。


 その時、チリーンと綺麗な鈴の音がなった。

 足元を見ると、アスファルトにえる純白の毛をした猫が一匹、お座りをして俺の方を見つめていた。


「ニャー」


 猫は一度鳴いてから、廃ビルの張り紙の前まで行き、俺の方を見て、


「ニャー」


 もう一度、鳴いた。


 そして猫が廃ビルの側面の狭い道を歩いて行ったやいなや、俺の好奇心は異様にかきたてられた。なぜだかその猫を追いかけなくてはならない気がして、俺は猫の後をついていった。


 廃ビル横の長い道を抜けると、猫は一件の洋風な平屋に入っていった。


光堂ひかりどう


 そう大きく看板が掲げられたその平屋に、俺は迷うことなく足を踏み入れた。

 カランコロンとドアベルが心地のいい音を鳴らす。


「珍しいですね、お客さんなんて」


 カラスのような漆黒しっこくの髪に、あかい目をした青年が、店の奥から顔を出した。


「いらっしゃいませ、光堂へようこそ」


 青年は俺に向かって、優しく笑った。


「ニャー」


 よく見ると、あの猫が青年の足元にいる。


「その猫を追いかけてたら、ここまで来てしまって……」


「ああ、そうでしたか。この子が、ねぇ……。よく抜け出すんですよ。まあ、ゆっくりしていってください」


「あ、はい」


 店の中は真昼にも関わらず少し薄暗くて、レトロな照明たちがほのかな光を放ちながら並んでいた。

 せっかくなので、暇つぶしにでもと思い、俺はその店を見ていくことに決めた。


 店内に並んだ照明たちを見ていくと、その中に一つ、薔薇ばらつぼみがモデルらしい作品があり、俺はその前で立ち止まった。

 とげとげした茎の内部にコードが入っているのか、ガラスで作られた薔薇に淡い青色の明かりが灯っている。


「おやおや、それが気に入りましたか?」


「あ、いえ。なんかすごく、悲しい感じがして……」


「そうですか……。やっぱり、君は……」


「やっぱり?」


「いえ、何でもありません」


 それからその青年は店の奥へと戻ってしまった。


 その後も、俺はその作品を見続けた。


 どれだけ見つめていただろう。しばらくたち、俺は妙な感覚に襲われた。


 なんだ、気持ち悪い……。


 そう思った次の瞬間、俺の瞳は大きく見開かれた。


「自分のことが嫌いですか?」


 いつから立っていたのだろう。下から俺の心を見透みすかすような目で、中学生くらいの男の子が俺を見ていた。


「は……?そんなの……」


「そんなの……何ですか?」


 また男の子が俺に問いかける。


「……そんなの、知らねーよ」


 一呼吸ひとこきゅうおいてから、俺は答えた。

 そして、答えはわからなかった。


「僕は知っていますよ、今野こんの大地りくさん」


 俺の答えに対し、返ってきた言葉は信じられないものだった。


「何で俺の名前を……」


「そりゃもちろん、知っていますよ」


 さも俺がおかしいような口調で、男の子は笑いながら言った。


「1999年4月24日生まれで、面倒くさいことが嫌い。サッカーが大好きで、『無敵皇帝むてきこうてい』なんていう異名をもつくらいの実力もある。けれど、チームメートとの関係は最悪。それに伴って周りとの人間関係も悪化した」


 男の子は、俺の事実を淡々と述べた。


「そして……自分が大嫌いで、自分なんか死んでしまえと思っている」


 はっきりと、男の子は言いきった。


「違う……」


 こんなものは、俺の事実じゃないのに。

 こんなことは、考えたことがなかったのに。

 こんな事実は、誰も知っているはずがないのに。どうして……………………。


「違うわけがない。僕は……」


「だから違うって言ってるだろ!」


 店に響く俺の声。

 だが、その声を聴いて俺を見る人は一人もいない。

 ただ、俺の声が一方的に響くだけ。


「俺は……、俺は……嫌いじゃない……」


 心臓が破裂しそうなくらい、胸が痛かった。

 それでも俺は……自分のことを、肯定こうていしたかった。


「そうですか……。あなたは、こうして自分の闇を知ってもなお、自分を肯定するのですね」


 男の子は寂しそうに言った。


「それでは、さようなら」


 男の子は俺に悲しげな笑みを向け、俺がまたたきをした次の瞬間には、店とともに跡形もなく消えていた。


目の前には、あの貼り紙の貼ってあった廃ビル。側面を見てもあの貼り紙の姿はなく、通ったはずの狭い道も草が伸びたい放題で、とても人が通れる状態になかった。



 それからというもの、俺は俺ではなくなった。


 俺は俺を肯定したのに、何か失ったような感覚に襲われるのだ。だから俺は、自分が生きていることを実感したかった。


どくどくと俺の体から血液が溢れ出てくる。ああ、俺は……生きているんだ……。綺麗な朱色に自分が満たされていくのを感じる。

 もう、生きていたくなかった。




──ほら、君が連れてくるから。


──俺は助けようと思っただけだ


──それが悪い。彼の寿命を縮めただけじゃないか。


──……


──まったく君は……。


──……なぜ、人間は世界が闇に呑みこまれているなどと考えるのだろうな


──それが今の人間なんだ。闇に囚われ、逆に光を恐れている。現に光を具現化ぐげんかしても、彼は己を肯定したじゃないか。


──それでも俺は助けたいんだ


──まあ、それは君の自由だよ。僕らができるのは未来の道に、一本の道を増やすくらいしかないのだから。


──お前も随分なお人よしじゃねえか


──君みたいに猫の姿をとってまで、救おうとは思わないけどね。


──猫の方が楽なんだよ


──僕は絶対に御免ごめんかな。さてさて、彼生きてるかなあ。


──さあな。すべてはおのれ次第だ


──そうだね。


──己の光でしか、己を闇からは救えない。今も昔も


──見つけてくれるといいね、彼の光を。


──ああ、そうだな




自分のことが嫌いですか?この質問はYes《イエス》かNo《ノー》の二択なのか、それ以外もあるのか、それすらも俺にはわからない。だが、どれだけ否定されようとも、俺は自分のことを肯定するだろう。


 自分をただ、守るために。


 それと同時に、俺は自分を失うのだ。



「自分のことが嫌いですか?」

──ああ、大嫌いだよ……


「死んでしまいたいですか?」

──そうだな…でも少しは生きていたいと思うよ


「僕が誰だかわかりますか?」

──当たり前だろ。お前は……


「やっと、見つけてくれたね。ずっと、待っていたよ」

──待たせて、ごめん


 俺は生きたいと望んだ。

 俺の光がそう、望んだ。


 さわやかな風が病室に流れ込んでくる。前より少し冷たくなった風が、夏が終わりかけていることを教えてくれる。


「お兄ちゃん、お花のお水変えたよ!」


千花ちか、ありがとう」


「風、気持ちいいね」


「ああ、心地いい風だな」


 光を取り戻さなかったら、俺はきっとここにはいなかっただろう。そんなことを思いながら、夕暮れ色に染まる空を見上げる千花の姿を見た。


 二度と自分の光を失わないように、俺はこれからを生きていく。




──やったな……


──よかったですね、救うことができて。


──ああ、本当によかった


──泣かないでくださいね。君が泣くと気持ち悪いので。


──うるさい、このろくでなしランプ屋


──君は天使、僕は悪魔、そしてどちらも人間ですよ。


──もう死んでるだろうが


──あはは、そうでした。でもまあ、生きてるじゃないですか。おっと……どこに行くんです?


──……ちょっと行ってくる


──りない人ですね……。自分が傷つくかもしれないのに。僕らはいつまで救いの手を、差し伸べ続ければいいのでしょうね。


──人間が存在する限りずっとだ


自分の光が最後のとりでとなって、闇から救おうと自分に問いかけてくるとき、自分を否定しその手を握れるか。


 自分の偽りのない心を目の当たりにしたとき、否定せずにいられるか。


この世に光と闇があるように、人間の内にもそれは存在する。

 光と闇、どちらか一方のみで生きることはできない。


 だから勇気を持って欲しい。

自分の真実を認める勇気を。

 自分の闇と戦う勇気を。


 なにせ俺たちが生きることのできなかったこの世界は、真昼に降る流星群のように、黄金一色おうごんいっしょくに輝いているのだから。


「ニャー」


 さあ、変えていこうじゃないか。

 一人一人がもつ物語を。


 君の世界は、きっと、君の想像以上に美しい。

                      

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