追記の第10話 ハチの巣の終わり
オオスズメバチ襲撃事件から一夜経ち、正午頃には避難していたキアシナガバチたちは元の巣に帰還していた。先日の事件を感じさせないほど、たくさんのハチが戻ってきた。閑散としていた巣の表面は黄色と黒の警戒色に覆い尽くされ、六角形の部屋が見えなくなっている。どうやら、まだ彼らはここで営巣を続ける気らしい。
だが、もうそこに幼虫や蛹はいないはずだ。彼らは子育てを再スタートしなければならない。
そんなときである。
あの事件が起こったのは――。
* * *
とある日曜日の昼頃。
僕が恐れていた事態に発展してしまう。
「おい、あそこにハチを巣を作られてる」
とうとう親父に巣を発見されてしまったのだ。駐輪場周辺で何か作業をしていたところ、気付いてしまったらしい。
案の定、親父はすぐに祖母に報告し、巣を撤去する方向で話を進めていく。
「あの巣は放置しても大丈夫だって」
僕は彼らに提言したが、彼らはクソ頑固だ。僕の言葉など聞く耳持たない。
そんなことだから、僕が卑屈な性格に育ったんだと思う。
どうやら、親父はハチの活動が鈍い朝方を狙って駆除作業を開始するらしい。
親父や祖母を巣の破壊を中止するよう説得しても無駄だろう。彼らは種類関係なしにハチを危険生物と完全に見なしている。
親父を止める方法は、ハチよりも先に親父を駆除するしかない。半分冗談であり、半分本当だ。それだけヤツらは頭が固く、自分と異なる価値観を持ちたがらない。
オオスズメバチよりもヤツらは強敵だ。傍若無人に気に入らないものを排除しようとする。
オオスズメバチの件に続き、再びハチの巣を災難が襲った。
まさに、
だから僕は、親父が駆除を実行する前に、あのハチたちを遠くに避難させることにしたのだ。
* * *
親父が「巣を壊す」と言い出した日は、オオスズメバチ襲撃の翌日であった。あの巣の中に幼虫や蛹はほとんど食われて消えているはず。つまり、働きバチと女王バチさえいなくなれば、巣は空の状態になる。
この状態なら、彼らだけをうまく移動させれば、巣を破壊しても犠牲は最小限で済むはずだ。
タイムリミットは親父は巣を破壊し始める朝方。
僕はそれまでにハチたちを遠くに追い払わなければならない。
しかし、殺虫剤を使って追い払うことはできない。それでは彼らが死んでしまう。なるべく、こうした化学薬品には頼りたくない。
僕の描いた目標としては、「女王バチ・働きバチが生きたまま遠くに避難し、避難先で巣を再建築する」というが条件だ。
おそらく、親父は巣の破壊の際に殺虫剤を使用してくる。それを巣へ散布し、ハチが死んだところで撤去に移るつもりだ。
それだけは阻止したくて、僕はこの方法を選んだ。ハチたちを守るために、彼らをここから逃がさなければ。
そこで僕は、煙で巣を燻してハチたちに山火事と勘違いさせる――という作戦に出た。
テレビ番組の「鉄腕DASH」を見て知った方法である。木からハチの巣をもぎ取るために使用していた手段だ。煙を嫌ってハチたちは逃げていくらしい。
それを僕も実行してみようと思う。あまりやってみたくはないのだが。
この手段を実行するため、僕は耐火性のある底の浅い植木鉢を用意し、そこに新聞紙を入れた。さらにその新聞紙の中にマツの葉やら雑草やらを詰め込んだ。この新聞紙に着火すると、新聞紙が燃えて大きな炎が形成され、葉から煙が上がる仕組みである。
使用しているのはそこら辺の草木と新聞紙だけなので、殺虫成分などは含まれていない。ハチたちの命が奪われる心配はないだろう。彼らがこの装置から上がる煙を嫌って遠くに逃げてくれればそれでいい。
読者の皆様は「巣が消えてしまうのに、ハチは生きていけるの?」と思うかもしれない。
多分、大丈夫だろう。移住能力は長けていると思う。
本来の自然環境、山奥などの天敵が多い場所では、頻繁に巣が襲撃される。山火事や土砂崩れなどで巣が消えてしまうこともあるだろう。何らかの原因で巣を離れなければいけない状況は何度も発生するはず。移住能力がなければ、あのハチはとっくの昔に滅んでいる。
* * *
もうすぐ日が傾く時間帯。
僕は新聞紙入りの植木鉢を巣の下にセットし、ハチの巣を見上げた。ハチたちはいつものように巣を覆い、ちょこちょこと動きながら作業を行っている。相変わらず、僕のことなど見えてないように……。
これが、彼らの姿を見る最後の機会となるだろう。
ごめんよ。オオスズメバチに襲撃されたばかりで大変だろうに。
お前たちも、もっと平穏に暮らしたいよな……。
僕はこの巣がどうなっていくのか見守りたかった。
しかし、これで終わりだ。彼らがこれ以上ここにいても、親父に殺されるだけ。
――カチッ!
僕は新聞紙の端にチャッカマンで火を点け、その様子を見守った。
徐々に大きくなる炎が新聞紙をじわじわと飲み込んでいく。その熱によって、詰めていた草木から白い煙が出始める。鼻にツンとくる臭いだ。それが上へ上へと昇っていき、巣に到達した。
やがて、煙と炎の存在を感知したハチたちは巣を飛び去った。数十匹ものハチが一斉に。まるで、逃げ出す動作が連鎖したかのように。
その後、しばらく炎は煙を出し続け、巣にはハチが1匹もいなくなった。そして、彼らが戻ってくることもなかった。
みんな、どこかに逃げ出してくれたのだ。
これでいいんだ。
ここから早く逃げて、どこかで子孫を残してくれ。
もう、こんな家に関わるんじゃないぞ……。
僕はしばらく、誰もいなくなった巣を見つめていた。
巣にはオオスズメバチによって破壊された跡があり、巣の歴史が刻まれている。
地球上に生息するどの生物も、平穏に暮らすのは難しい。
そんなことをハチたちは教えてくれた。
自宅にできたハチの巣を放置したエッセイ ゴッドさん @shiratamaisgod
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