追記の第9話 悲劇
ある日のことである。
午後2時頃だったと思う。
僕は外出先から帰宅し、ハチの巣がどうなっているか確認をするため、駐輪場に向かった。日頃からハチの巣の様子を確認するようにしており、今回も何気ない気持ちで「観察しよう」と思ったのだ。
しかし――
「何か、騒がしいな……」
いつもより巣の周辺にハチが飛んでいる。その数が尋常じゃない。巣の中にいる何十匹ものハチが一斉に飛び立ったような感じで、駐輪場周辺はどこもかしこもハチだらけだ。屋根付き駐輪場の中はブンブンという羽音でいっぱいになり、かなり騒がしかった。
これは確実に、巣に異常があったな。
そう直感した僕はハチが飛び交う空間の中を進み、巣を覗いてみた。
まさか、家族に見つかって殺虫剤でも撒かれたのだろうか。そんな不安が頭を過ぎる。
そして、僕がそこで見たのは――
「あいつのせいか……」
巣の主であるキアシナガバチよりも一回り大きなハチが巣に張り付いている。
濃い橙色と黒の警戒色。
間違いない。
あれはオオスズメバチだ。
スズメバチといえば、アシナガバチ類の天敵である。彼らはアシナガバチの巣を発見次第、そこから幼虫やら蛹やらを肉団子にして連れ去っていくらしい。
我が家にひっそりと建設された巣も、とうとう発見されてしまったのだ。
僕が発見した当時、そのオオスズメバチはたった1匹。顎と前脚を使い、黄色っぽい何かを丸めて肉団子を作っているようだった。おそらく、あれがキアシナガバチの幼虫なのだろう。丸め切れなかった肉片が下にボタボタと零れている。
ネットで調べた情報どおり、彼らは巣から幼虫を引きずり出していたのだ。
ここで読者の皆様は「キアシナガバチの成虫は幼虫を守るために抵抗しないのか」と思うかもしれない。
それが、ほとんどしていなかったのである。
働きバチたちはオオスズメバチのいない場所に集まって、幼虫が食われていく様子をじっと眺めていた。平和で幸せな家庭に突如殺人鬼が乱入してきたが如く、彼らは怯えているようにも見える。
巣の周辺を飛んでいるハチも、オオスズメバチから逃げていたのだろう。「もう、どうしたらいいのぉ!?」と言わんばかりに、空中で右往左往していた。
巣の中に残ったハチも抵抗しようと一度はオオスズメバチに接近するが、一瞬で追い払われた。強靭な顎による攻撃を警戒しているらしい。
おそらく、彼らはオオスズメバチが自分たちよりも強いことを本能的に分かっているのだ。それを感じさせるほど、彼らは大人しく、これといった手を打たない。
やがてオオスズメバチは去り、巣に部外者はいなくなった。
徐々に巣へ働きバチが戻り始める。
ああ、これでまた平穏が戻るかな。
そう思ったとき――
ブーン!
再び、オオスズメバチが。
しかも、今回は2匹である。
これは確実に巣を崩壊させに来ている。たった1匹であの混乱状態だったのに、2匹になったらどうなっちゃうんだ……。
先に到着したオオスズメバチがキアシナガバチを追い払い、巣の物色を始める。
少し気になったのが、オオスズメバチ同士で喧嘩があったことだ。空中で取っ組み合う。別々の巣からやって来た個体なのか、狩場を1匹で独占する習性があるのかは不明だが、仲は悪いらしい。
その後、先に到着していたオオスズメバチが、顎で巣を破壊し始めた。バリバリと巣に穴を開けていく音が聞こえる。巣の中にいる蛹を肉団子にするため、外壁を削っているのだ。
再び、巣から幼虫やら蛹やらが引きずり出され、ヤツの餌食となった。巣の下には何匹もの幼虫の死体が無残に転がっている。肉団子にされる過程で落下したのだろう。酷い映像だ。慈悲はない。
キアシナガバチたちは激しく抵抗することもなく、その状況に耐えていた。
その観察の最中、何匹かの働きバチが僕に寄ってくる。「これは見世物じゃねぇんだぞ!」と言わんばかりに僕の周りをブンブン飛んだ。刺されたり、噛み付かれたりすることはなかったが。
ハチの隣人であるクモも大迷惑を受けていた。何匹ものハチが飛び回り、糸に当たるせいで、巣がボロボロになっていたのだ。クモも巣の中を右往左往と動き回る。
そのオオスズメバチによる蹂躙はしばらく続いた。
* * *
その日の夕方。
僕は再び巣を覗いてみた。
しかし、そこは閑散としている。
巣の拡張や幼虫の世話をするハチたちはほとんど消えた。オオスズメバチもいない。
あのキアシナガバチたちはどこに行ったのか、と探してみれば、結構近くにいた。
家の軒下である。彼らは何匹かのグループとなってまとまり、風雨を凌げる場所に身を潜めていたのだ。
巣の位置が敵に割れてしまった以上、あの巣を使いたくないのかもしれない。再びあそこで営巣したところで、味を占めたオオスズメバチが来襲する可能性は十分にある。
もしかすると、再びどこかで巣をすぐに建設するために、敢えて逃げる戦略をしているのだろうか。逃げて働き手を温存しておけば、別の場所に集合して急ピッチに巣の建設をすることができる。彼らはそういう生活を送るハチなのかもしれない。
だが、それまでは宿なしだ。
突如消えた我が家と、殺された子どもたち。人間から見れば、悲劇もいいところである。
こうして、キアシナガバチたちは不安な夜を迎えた。
残酷な話だが、これが自然界だ。
自宅に建築されたハチの巣は、僕にその厳しさを教えてくれたのだ。
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