ブレザーアンドグレネード

片理若水

ブレザーアンドグレネード

高校から帰る電車で携帯が鳴った。それは一斉送信メールで知らされた。感慨はなかったが、彼女の顔がどうしても思い出せずに頭を抱えた。

揺れる車両の中に人はいない。僕だけの車内、イヤホンから流れる音楽が途切れる。電車の発車音は女性の叫び声のようだった。ウォークマンの電池は切れていた。


椅子から腰を上げると貧血で少しフラフラとした。眩暈を堪えながら電車から降りると、冬の澄んだ匂いが近づいてきた。鼻に入る空気は去年と同じように冷く、去年と同じように不味かった。



「わたしは君に殺してもらいたいの。」

今年の秋僕に抱かれたあと、Aは言っていた。

「人殺しなんてしたくはない。」

僕はそう返していた。

「殺すことは悪い事じゃないの、だってそうしたら、神様は悪人になってしまうもの。」

「神様にもなりたくない。」

「神様になれば、君も私なんかよりずっと綺麗な女の子を抱けるわ。」

「綺麗な女の子に興味はない。」

「なら君は何をしたいの?」

「貧血を治したい。」

「あはは、亜鉛を出しすぎなのよ。」

Aの笑顔は魅力的とは言えなかったが、いつも僕を安心させていた。




「昨日の夜23時30分頃、Aさんがお亡くなりになりました。ついては今週25日に通夜、27日に告別式を行ないます。出席できる人はできるだけ参加してください。」


翌日の朝、8時半頃に担任からそう話された。

「昨日学校来てなかったよね、体調よくなかったのかな。」

「いや、あいつのことだよ。普通にズル休みかもしれない。」

「先生は昨日なにか言ってた?」

どうでもいい推測たちが、朝のクラスの空気を充たした。人が死んでも彼らは、どうでもいい話に花を咲かせるらしい。

「後で職員室へ来い。」

担任は生徒の話を無視して僕にそう告げ、教室を出た。担任の目はあまりにも普段通りだった。


授業はいつも通りに進んだ。生徒の無駄話も底を尽き、すぐに受験前の空気のみが残った。暇になった授業中の生徒のヒソヒソ話は、昨日見たテレビの内容に変わっていた。強い風が古びた窓を揺らす音でうるさかった。


昼休みの始まるチャイムが鳴ると各々が弁当箱を取り出す。僕は先生に言われた通り職員室へ向かった。途中の廊下で他のクラスの生徒たちが話をしていた。

「隣のクラスのやつが死んだらしい。」

「誰が?理由は?」

「さぁ?」


職員室の扉も教室と同じだが、ノックをせよとの張り紙がある。ノックをし、扉を開けると、担任の顔が見えた。

「おう、来たか。入っていいぞ。こっちに来い。」

担任はフレンドリーに話しかける。担任のもとに歩いていく途中、他の教師が僕を見ているような気がした。

「Aの死因について誰かに話してないだろうな。」

担任は率直に切り出した。

「はい。」

僕は機械的に答える。

「それならいい。生徒の混乱を避けるためにもあまり言いふらさないように。」

「はい。」

「それなら教室に帰っていいぞ。昼ごはんをしっかり食べろ。ただでさえ痩せてるんだから。」

「はい。」


そう答えたが、教室に戻る気にはなれなかった。購買でパンを買い、屋上へ向かった。屋上は今、開いていない。鍵もない。普段人が来ず、ホコリが多いので、昼食を食べる環境としては最悪だった。しかし、1人でパンを食べるにはよい場所だ。誰も来ないような場所なのだから。明かりがドアガラスから差し込み、僕が来たことで舞い上がったホコリをキラキラと輝かせた。甘いジャムとマーガリンが塗られたパンを食べると、無性に紅茶が飲みたくなった。




「はい、紅茶。飲むでしょ?」

今年の夏、Aは自動販売機で冷たい紅茶買ってきた。僕はそれを無言で受け取り、喉を鳴らして飲んだ。Aは制服をだらしなく着崩していた。ワイシャツの上に着るべき上着を着ず、スカートが何度も折られた様がバレバレだった。汗で透けた下着が、下ろされた長い髪の間から見えていた。彼女が誘っていることは明らかだったが、別にそれが僕の引鉄となったわけではなかった。


「いい場所ね。」

僕にますます乱された制服を直しながらAはそう言った。

「うん。」

「ねぇ、ご飯を食べる時に何を考える?」

Aはこんなことを言い出した。

「お前の事ではないな。」

つまらない質問に対しての非難の意味を込めていた。

「私も君のことは考えない。何かを食べる時に男のことを考えるなんて猟奇的で猥褻だもの。」

「じゃあ何を考えてるんだ。」

「何にも。」

「だろうね。」

その日、2人は夏期補習には行かなかった。




授業開始のチャイムが鳴る。僕は猟奇的に、急いでパンを食べた。授業に遅れることも厭わず、自動販売機で冷えた紅茶を買った。


午後の授業のときには、Aの生きた痕跡は無くなっていた。授業間の休憩でも彼女に触れる人は居らず、恐らくほとんどの人は、関数のことを考えていただろう。1つ多かった机は片付けられ、空気はいつもと同じように、クソまずかった。数学の授業は僕にとってあまりにも眠く、いつの間にか居眠りをしていた。いつも通りのことであった。


夢を見ているときに、それが夢だと分かることがある。しかし授業中の浅い眠りは、現実と夢の狭間に自分を追いやる。これは判別できるものではない。

頭を持ち上げてやると黒板に書かれている文字は外国語だ。この時、外国語であることは分かってもそれ以上は認識が出来ない。夢の中では情報量が少なくなる。その文字はそれが外国語であるという情報しか与えてくれない。

腕の下には教科書という概念だけが置かれており、それは机という概念の上に置かれている。何語かは分からず、何の教科書なのか分からず、机が何で出来ているのかが分からない。


その黒板の中から、Aがぬるぬると出てきて何かを訴えてくる。何を言っているのか、聞こえたわけではなかったが私は確かに、彼女が何を求めているのかが分かった。


机に突っ伏していた頭を持ち上げてやると、放課後のチャイムが鳴る直前だった。いそいそと使わなかった勉強道具を片付ける。まとめてロッカーへ入れて、すべきことの準備を始めた。




「ねぇ、檸檬って小説あるでしょ。」

今年の春、最寄りの駅までの下校中、彼女は珍しく本の話を始めた。

「その小説、好きだな。」

「なんで彼はレモンをあそこに置いたの?」

「わからん。」

「好きなのに?」

「うん。」

「ビー玉を口の中で転がすシーンがあるでしょ。」

「うん。」

「あれでいつも喉にビー玉が詰まる気持ちになるの。」

「ちょっと分かるかも。」

「最近は、いつもそんな気分だけどね。小さな頃はもっと楽しかったのに。」

「そうだね。」




高校は汚く、昼でも薄暗くて嫌になる。無駄に大きな校庭から舞い上がる砂埃もあり、マスクを手放すことは悪手だ。校舎も広く、人の目が届かない場所では色んな悪さが行われていていた。

だから簡単に仕掛けることができた。高校が完全に崩れ去り、数人が死に、気持ち悪かった世界も終焉を迎える。

彼女との思い出の場所に一つずつ丁寧に檸檬を置いていく。埃舞う、あの踊り場にも一つ置く。最後の場所は…



彼女が死んだあの時、僕は学校に来ていた。11時20分だった。侵入の仕方は知っていた。Aと何度も忍び込んでいた。彼女があんなことを言うのだから、どうしても、彼女を止めに行かなければならないと思った。止めに来てほしかったから、僕に言ったのではないのか。

しかしこう思ったのだ、Aを止める資格が果たして僕にあるのだろうか、と。屋上から落ちていく人影が、見えたような気がした。11時30分だった。



「何をしているんだ。」

担任が後ろに立っていた。驚きはするが、こんな事態だって想定済みだった。ネットで買ったスタンガンで担任を眠らせようと、腕にそれを押し当てる。しかし担任は大の男だ。スタンガンを一度試しておくべきだったか。気を失うことはなかった。

「このっ、何をっ…」

担任は呻きながらも抵抗する。僕が一旦距離を置こうと後ろに下がった隙を、担任は見逃さなかった。

担任は僕の体を掴むとそのまま押し倒す。僕は受け身を取って頭を守るが、担任は馬乗りになる。

「何をしている!何故こんなことをした!」

担任が怒鳴る。これ以上はマズイ。ほかの先生に来られたら終わりだ。しかし動くことができない。どうにかして逃げようとするが、担任の体重はどうやら僕とは比べ物にならないようだ。どんなに足掻いても逃げ出すことができない。もう終わりだ。



「どうしてこうなっちゃったんだろうね。」

彼女は泣きながらそう言った。傷だらけの細い体に涙が落ちていった。

「またやられたのか。」

僕は確認をとることしかできなかった。慰めの言葉も、非難する言葉もでてはこなかった。

「どうしてこうなっちゃったんだろうね。」

彼女は壊れた玩具のように繰り返した。僕は怒りとか、悲しさとか、そういったものを表現できずに、ただ彼女の意味の無いその言葉を聞いていた。ただ、悔しかった。

「私が悪かったのかな。」


事実、彼女は悪くはなかった。高校は夏の腐った料理と、タバコと、それから得体の知れない何かの臭いがした。この学校はあってはならないと思った。彼女が死ぬ必要はなかった。絶対に。



「観念したか。」

担任が言う。そのまま彼は僕のスタンガンを取り上げた。しかし僕は担任がふと息をつき、油断したのを見逃さなかった。ポケットに入っていたカッターナイフを相手の肩に刺す。

「アアアアアアア!」

担任の叫び声が廊下でこだまし、スタンガンが床に落ちる音が響いた。その隙に担任のホールドから抜け出すと、転がったスタンガンを急いで拾いにいく。

「よくもやりやがったな!あのいじめられっ子と同じようにしてやろうか!」

僕はスタンガンを拾い上げた。しかし担任は僕に殴りかかってくる。スタンガンを担任の腹に思い切り当てた。

「ウッ」

という言葉とともに担任は硬直する。急いで逃げ出し、最後の仕掛け場所に向かう。この爆弾の数では校舎全壊にはならないかもしれない。担任が叫んだせいか、学校内はいつもよりザワついていた。すぐにでも警報が出るだろう。その前になんとか終わらせたかった。



僕はあの春の日、屋上で寝ていた。澄み切った青空はプールのように表面が揺れ、風が雲を少しずつ動かしている。自由な風に鳥が飛んでいた。屋上に上がることは禁止されていたが、職員室にある鍵は簡単に盗み出すことができる。昼の1時間だけ、少し借りるだけだ。何も問題はないだろう。

「ここは立ち入り禁止だよ。」

Aとの出会いはそのときだった。勿論教室で会うことはあったが、話したこともなければ名前も覚えてはいなかった。

「その言葉、そのまま返すよ。」

僕は屁理屈を言った。こんな人間だから教室に居場所がないのだ。

「すごい綺麗…」

僕の屁理屈を無視して彼女はそう言った。

「何がだよ。」

僕はちょっと苛立った。

「だってこの学校から出たら、こんなに綺麗な青空があったんだもの。日曜日だけじゃない。平日でも外ではこんな綺麗な青空を見ることができたのね。」


その後誰かに告げ口をされて、屋上の鍵の管理が厳しくなった。僕たちはまた、灰色の世界に閉じ込められてしまった。彼女の言葉の意味はそのときはよく分からなかった。平日でも体育はあるし、教室の外からも青空は見えた。



階段を駆け上がると屋上へ行くための扉がある。扉の前にそっと爆弾を置き、僕はゆっくりと階段を下りていった。少しずつスピードを上げて、下に下に行く。無意識に彼女がよく口ずさんでいた鼻歌を真似していた。どこかのジャズだったか、それとも流行りのポップスだったか、説明されたことはあったが覚えてはいなかった。でも久しぶりに、良い気分だった。小説のキャラクターの真似をして、階段のゴムになっているところを踏んで駆け降りる。そうすると音が小さくなるのだ。


一階の、灰色の世界から出るための扉を出る。彼女は屋上から出ていってしまったので、僕は正規ルートを使うのだ。でも空は少し曇っていて青空は見えなかった。彼女が旅立ったときの空は何色だったのだろうか。深い夜の闇の色か、それともそれ以外の色だろうか。

「まぁ、またすぐに会えるさ。」

スイッチを押した。

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