蝶になる

 あれから数日後、僕は、ナディアが棺の中に納まっているのを見た。

 僕は彼女の傍を離れ難かった。せめてその体が消えてしまう最後を、見届けようと思っていた。

 ナディアの棺には、白と、桃色の花が入れられた。ナディアの胸元には、僕があげた薄桃色のスイートピーが、一束だけ添えてあった。

 そして、顔の周りには、ナディアが病院で沢山折っていた、ピンク色の、折り紙の蝶々が、ぎゅっと、綺麗に並べてあった。

 ナディアの、可愛くて青白いその顔に、変わりはない。でも、彼女は、もう冷たかった。

「ナディア。」

 僕は、ナディアの棺を覗き込みながら、そう呼んだ。周りに、その声を聞く者は一人もいなかった。少しずつ、火葬の時が近づく。僕には、もうなす術はない。

 棺の中をなんとなしに眺めていると、桃色の蝶々の中に一つだけ、白色の蝶々の折り紙があることに気が付いた。僕はそれがなんとなく気になって、誰にも気づかれないように、ひょいと手に取った。

 折り目のずれ具合、不器用さからみると、この白い蝶々は、よほど後になって折られたものであることが、何となく分かった。僕は、その蝶を掌に乗せて、眺めた。

 よく見ると、白い紙の内側に、何かしら黒い線がいくつもあることに気が付く。僕はそれを確認しようと、白い蝶々の折り紙を、折り目に合わせて優しく開いた。

 中には、こんなことが書いてあった。


『有難う。大好きな、死神さん。』


 ぐにゃぐにゃとした、薄い、汚い文字だった。その文字を読んでから、僕は初めて、彼女の傍で涙を流した。

「なんで今更、こんな言い方で…」

 僕は、涙ぐんだ声で、そう呟いた。目からいくつもいくつも、涙が溢れた。体中の水分が全て、何処かへ消えてしまうのではないかと思うくらい、僕は長く泣いた。

 僕は、彼女に涙を見せたことが無かった。今も、誰にも見られることは無かった。そもそも、この葬儀自体、人が少なかった。

 その分、僕は泣いた。ひたすらに、彼女の顔の前にうずくまって、泣いていた。白い蝶々と、ナディアの頬が、点々と濡れた。


 僕は、白い蝶を、丁寧に、線通りに折りなおしてから、棺の真ん中に戻した。

 白い蝶々の中に、その辺で見つけたペンで、『有難う、僕も好きでした。』と書き加えて。



 それから僕は、棺が閉まるのを見た。そうして、遠くへ運ばれて、炎の中に、ナディアの体が入れられる最後まで、僕は、彼女を見ていた。


 僕は彼女が揚げる煙を、外から、眺めた。きっと、また彼女の体は、雨になって地に降り注ぐ。そうして、いくつもの花を咲かせるのだ。そう願った。

 ナディアはそうして花になり、きっと蝶を呼ぶ。

 違いない。あんなに綺麗な笑顔をしていたのだから。







 …きっと、これは全部、多分、恋だった。







 その後、僕は天界の、死神が住む場所へ帰った。

 そこで僕に告げられたのは「死神失格」の文字。僕は、何も感じないまま、死神を終え、ただの化け物になった。角が生えた、右手に鎌を持った、青年に化けるだけの、生き物になった。

 

 僕がとぼとぼ、宛も無く、森の中を歩いているとき、目の前を一匹のモンシロチョウが飛ぶのを見た。

 今頃、彼女の魂は何処へ行っているのだろうか。そんなことを考えて、僕は足元を見た。

 そこには、桃色のスイートピーが咲いていた。

 「蝶々みたいだね」そんなナディアの言葉を思い出しながら、僕は、スイートピーが咲き続ける方向へと歩いた。何となく、等間隔で並ぶスイートピーに、誘われるようにふらふらと歩いた。


 行きついた先には、白とピンクの蝶々でいっぱいになった、花畑があった。僕はそこにそっと足を踏み入れる。まるで楽園。柔らかい空気と、暖かい陽だまりの中、淡い色の花が沢山咲いている。やさしい風が、僕の隣を駆け抜けた。鳥が飛ぶように、勢いのよい風だ。


「誰かいるの?」


 その声に、僕は、鼓動を詰まらせた。


「すまない。綺麗な花に見とれていたもんでね。」

 僕が慌ててそう答えると、声の主であろう、白色の、薄いドレスを着た少女が、こっちを向いて笑った。手には、一本の薄桃色のスイートピーを握っている。

 僕はその表情を、久しぶりに見た気がした。桃色に輝く、花の様な笑顔だった。

「初めまして、死神さん。」

 彼女はそう言う。しかし僕は、身体を少し引くようにして、小さく告げる。

「いいや…僕はもう、死神じゃない。」

 僕がそう否定すると、彼女は一層、ふわりと大きく笑った。

「私の中では、唯一の死神さんなんだから…初めまして。ナディア・パーマフルス、改め、ローザ=パピリオです。」

 僕は、眼を見開いた。白い肌と髪と瞳、細い体に見覚えはない。でも、その表情は間違いなく、ナディアそのものだった。

「ナディア…!」

 僕は、ナディア、という名前を大きく口にした。白いドレスの彼女は困ったように微笑む。

「私はもうローザだよ。…ちゃんと、覚えててくれて有難う。アイダ…ううん、カルビン。」

 僕の体は、大きく震えた。初めて、その名を、彼女に呼ばれたからだ。

「また一緒に、遊べるね。」

 ナディアではない。過去、ナディアだった彼女、ローザは、そう言った。

「ああ、また遊んでくれ。」

「…撫でてもくれる?」

「もちろんだ。」

 僕と、ローザは歩み寄りながらそう会話する。

「私もう、夢じゃなくても飛べるようになったみたいで。」

 ローザは僕にそう言いながら、体をふわりと浮かべて見せた。彼女の微笑みが、僕の目に強く焼き付けられる。僕も笑いながら、その声に答える。

「願いがかなったか?」

「蝶々にはなれたかな。」

「十分素敵だ。僕なんかただの怪物になった。」

 僕は、彼女に右手と角を突き出して見せる。

「私は好きだよ。カルビンらしくて。」

 そう答えるローザに、僕は少し、動揺した。

「本当に、前から、可笑しなことばかり言うな。」

 僕の必死の返事に、ローザは声を出して笑った。

「だから、お互い様だと思うけど。」

 辺りは静かだった。気持ちの良い静けさだ。


「そう、そういえば、もう一回約束したいことがあるの。」

 ローザが、突然そう言った。

「なんだ?」

「約束、守ってくれる?」

 僕は、無言でローザを見た。

 ローザは、少しはにかみながら、その言葉の最後を言った。

「夜空を、一緒に見に行こう。約束。」

 彼女は僕に向けて、真っすぐと小指を出した。そういえば、夜空を見に行く約束はかなり前にしたのに、果たせず仕舞いだった。

 僕は、「今度こそは絶対だ。」と返して、その小指を、そっと握り返した。


 小指と小指で互いを引き寄せ合ったとき、周りにいた花々は大きく揺れ、ピンクと白の蝶々が、一斉に舞い上がった。

 瞳の中が、全部、綺麗な薄桃色に、染まった。

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少女と死神 ~桃色の蝶々~ これろい糖 @coletann

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