コンビニへ行こう!
片理若水
コンビニへ行こう!
空は少しずつ明るくなり始め、月は薄い雲に隠れていた。コンビニまで10分。小銭が入った財布を持って家を出る。買いたいものがあったというよりは、散歩がしたかった。出発してすぐに、また同じドアが開いた。既に私がボロアパートの階段を降り始めたときだった。
「ねぇ、待ってよ。」
立ち止まり、振り返り、目線をあげると、まだ少し目の充血した女がいる。小さな手さげバッグを持ち、急いで追いかけてきたのか綺麗で長い黒髪は少し乱れている。
「あぁ。」
私は素っ気なく答えた。
「何を買いに行くの。」
「コーヒーかな。」
すぐに思いついたのがそれだった。朝食にマーガリン入りのパンもほしい。パンとコーヒー、ならベーコンでも焼こうか。
「私も連れて行って。」
「あぁ。」
コンビニに行くのに10分は少し長い。しかし男女がどうでもいい会話をするにはとても短い時間だった。
「今日は何時からなの。」
「2時限目。」
ひぐらしが鳴いているのが聞こえる。あの蝉は早朝でも鳴くのか、とどうでもいいことに想いを巡らせた。
「ひぐらしって朝でも鳴くのね。」
彼女はエスパーのようだ。
「朝は涼しいからな。」
8月の中盤だった。
「少し肌寒いわ。」
彼女はノースリーブの青く薄い服を着ている。
「上着を持ってくれば良かったな。」
特に何も無い住宅街の道を駅の方へ進むと電柱の下に蝉の死骸が落ちていた。
「これ、ひぐらしね。」
「そうなのか。」
ひっくり返って静かに眠る蝉は、また今にも動き出しそうで、気持ち悪かった。
「さっきまで鳴いていたのにね。」
「さっきのとは別のやつだろ。」
ひぐらしの声はまだ聞こえている。
2人は立ち止まって、死骸を見、また歩き出した。彼女は悲しそうな顔をしていた。
「セミはどうして生きるの?」
彼女が聞いてくる。
「子孫を残すためだろ。」
私はつまらない答えをした。
「ねぇ、じゃあなんで人は生きるんだと思う?」
彼女は出会った頃、私に名乗ってきたように、俯きながら言った。
「何故そんなことを?」
私は彼女の方を見ながら言った。
「だって、悲しいじゃない。」
彼女は俯いたままだった。
「今、珈琲を飲むために生きてる。」
私は空を見ながら言った。明るくなり、月は見えなくなっていた。
「どういうこと?」
彼女は私の方を見た。
「今は珈琲を飲むことしか考えていないから、多分飲み終えたら死んでしまうと思う。」
私は冗談めかして言った。
彼女はクスクスと笑い、少し先へ走って行った。
「なら早くコンビニに行きましょう。」
私を早く殺したいのか、そう言いかけた。
彼女を追いかけて少し走ると、すぐにコンビニに着いた。駆け足だったとき、私たちの間に会話はなかった。二人の息は上がり、ぜえぜえという声だけはしていた。店には、外国人の店員以外には誰もいない。私は迷わずにコーヒーを手に取った。パンも買おうかと悩んでいると、彼女も買うものを悩んでいた。
「何か買うのか?」
私が急かす。
「卵、買おうかな。」
彼女は1個の生卵を持っていた。
「それをどうするの?」
「スクランブルエッグにしようかしら。」
「コンビニで卵なんて買うの?」
「丁度切らしてるの。」
コンビニのクーラーは冷たかった。
「帰るの?」
私は尋ねた。
「そうね。」
彼女は素っ気なく答えた。
コンビニから出、缶珈琲を飲む。勿論アイスコーヒーだ。コンビニが寒かったせいか、外の温度は気持ちよかった。朝日が住宅街の隙間から視線を覗かせている。結局パンは買わなかった。彼女の変な買い物のセンスのせいで、忘れてしまったのだ。
「シロップを入れておけばよかったな。」
私が呟くと彼女はフフフと笑った。珈琲を飲み干しても、私が死ぬことはなかった。
「この後は何のために生きるのかしら。」
「他の誰かのために生きるさ。」
私も笑った。
「もう行くわ。」
彼女は私の家とは反対方向、駅の方向へ足を進めた。
「あぁ。」
私は素っ気なく答えた。
「楽しかったわ。元気でね。」
彼女の目はもう赤くはなかった。駅へ歩き出す彼女の背中を、私は見ずに逆方向へ歩き出した。ひぐらしではない、別の蝉が喚いていた。
帰路の途中、あの死骸はもう見当たらなかった。
醒めて初めてその眠気に気づき、彼女は夏が見せた夢だったのではないか、と思った。階段を上る脚は重く、ひどく気怠かった。部屋に戻ると彼女の甘い匂いが少し残っていて少し安心をしたけれど、胸が少しだけ痛んだ。やっぱり今日は和食にしようと思った。
コンビニへ行こう! 片理若水 @henry_jackson
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