第四話 その不思議な博士⑴

 「まったく……人間はどうして自分の命に関係のないものを、ああも一生懸命に研究しているのだろうね。まったく、あんなことをちびちびと検証しているうちに、当の本人は確実に死へと進んでいるのに」


 リュードはやれやれと首を振る。彼は一日中わたしの後ろに控えていた。醜い蛮族の彼を一向に気にしない研究員たちの意識は、むしろリュード自身を驚かせた。


「娯楽の一種さ……きみだって、何の益にもならないやり取りをわたしと交わしているじゃないか」

わたしは手箱と手巾をかばんに放り込んで部屋を出た。一日中電球が煌々としている室内では分からないが、小窓から黄昏の空が覗いていた。足下を、黒い蟲が横切る。


 「おおい、リュード……底なし沼の大鰐! 」

細い声が聞こえたのは、もう数十メートルで我が家というところであった。わたしとリュードはキョロキョロとあたりを見渡した。


と、ちょうど道脇の夏茱萸の陰から、沢山のたんぽぽの綿毛が飛び立った。声はその白い群体から広がっている。


「どちらさんかな」

リュードとわたしはそれぞれ綿毛を捕まえた。

「私です……リッヒ。博士の使いの者。リュード、今すぐに来ないと……博士がかんかんに怒っていますよ」

叫ぶように綿毛が震える。


 わたしとリュードは目を合わせた。彼は苦虫を噛み潰したような顔になる。

「まいったなこれは」

「きみ、何を抜け出して来たんだい」

「朝言っただろ、例の薀蓄博士だよ。彼は小難しいことを並べ立てるくせに、肝心なことは何も知らないんだ。そのくせぼくには実験やら調査やら観察やらを押し付けてくるんだ」


彼は心底その博士を嫌っているようであった。また続けて言う。

「おまけに妙に哲学的なんだ。ブロッホのマルクス主義やら、シェーラーのナントカ学とか、もう人間がいかにすばらしいか、どのような性質なのかを会話の端々に挟んでくるんだ。まったく、ぼくが人間らしい人間を心底軽蔑していることを知らないのかね」


 綿毛は何も言わないところを見ると、どうやらそれは事実のようだった。

「ほぅ……。ならば、そんなお呼び出しは無視したまえ。気の合わない人間なんて、黙殺するか口を縫い付けさせるに限るよ」


 わたしは手をひらひらさせて玄関の框を上った。が、無数の綿毛はリュードに纏わりついて離れない。哀願しているようだった。

「待ってください。エルバルト博士が怒りに任せて物にあたっているのです。おねがいです」

「立ったら尚更行かないね。なにが嬉しくて彼のご機嫌取りをしなければならないのだ。あんな研究所、自壊させてしまいなさい」

 リュードは五月蝿そうに綿毛を払った。ふわりふわり。


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星を観る人 筒井井筒 @tsutsunonaka

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