トイレの白い手
全部彼女の策略だと考えると怖い
トイレの白い手
晩春だというのに妙に蒸し暑い夜だった。
コンビニでビールとつまみを買い、俺は一人暮らしの部屋に帰る。
妙にがらんとした部屋に照明をつけ、リビングのテーブルにビール缶とつまみを置いてゆく。
飲みながらネットのチェック。
しばらくしてそろそろ寝ようかとゴミを片付けている時、スマホからメッセージの着信音がした。
昨日、別れた女。偶然入った店のキャバ嬢で、面白い子だった。数回通ってから口説いた。
つきあうようになって、萌奈美がメンヘラだったのが判った。彼女の友人(?)にも『あー、ヘラ美ね』なんて言われる始末。
なんかこう、俺には判らないスイッチが萌奈美の頭の中にはあって、怒るわ泣くわ暴れるわの行動が読めないのだ。
相手するのに疲れて、俺は萌奈美と別れることにしたのだった。
『お知らせです。昨日、もなみんは不慮の事故により他界しました。娘を支えてくださった方々に深く感謝いたします。もなみんの親より。近々このアカウントは閉鎖します』
死んだ?
萌奈美が?
電話してみようと思ったが、ビールのせいで
とりあえずトイレだ。
俺は小便でも座面を下ろして座りながら用を足す。飛び散りが少ないとラジオで誰か──福山雅治だったか? が言ってたからだ。掃除するのが自分ということもあって、余計な手間は省きたい。
その時。信じられないが、確実に、ドアをノックされた。
コン……コン……。
俺は脳をフルスピードでぶん回した。帰った時にドアの鍵は閉めた。ベランダに出るガラス戸は風を入れるために少しだけ開けてあるが、ここは二階だ。
いったい誰が?
ゴンゴンゴンゴンゴンゴン!!
ドアを連打される。
「誰だ!?」
「……ナオト……」
暴力的な音が止み、対称的な、か細い女の声がした。
萌奈美か? 彼女に合鍵は渡していない。部屋に入れるはずが──ついさっき届いたメッセージを思い返す。萌奈美が死んだ、というメッセージを。
「萌奈美……?」
俺はそろそろとトイレのドアを少し開けて様子をうかがう。
白い手が──派手な赤いネイルをした女の白い手が隙間からねじ込まれる。
「うわあっ!!」
反射的にドアを閉めようと──しかし、ものすごい、人間とは思えぬ力でドアが引っ張られた。
萌奈美。
萌奈美は俺の腕をつかむと俺をトイレから引きずり出した。
そして、代わりにトイレの中に。
──え?
俺は萌奈美の悲痛ともいえる叫びを聞いた。
「ウンコ漏れちゃうぅぅぅ──」
バタン。
閉じられたトイレのドアの前で、俺は呆然と立ち尽くした。
水洗の音が聞こえた後、萌奈美が出てきた。幽霊ではなく、本物の、萌奈美。
「ごめぇん。なんか便秘の薬が急に効いてきちゃって。ナオトの部屋で漏らす訳にはいかないから──」
「どうやって入ったんだよ!」
「裏の酒屋、ビールのコンテナ置きっぱなしでしょ。積んでベランダから入ったの」
俺はベランダに出て、下を眺める。確かに階段状にプラスチックのコンテナが積んであった。
「あのメッセージは……あ、自作自演」
俺は大きくため息をついた。
「はあぁぁぁぁ……」
とりあえず、幽霊ではなかったわけだ。
「あ、土足だわ。ごめん、切羽詰まってたから。上るときに腹に力入れたし──」
「そんな事はどうでもいいんだよ。俺を刺しにでも来たのか?」
「ううん」
萌奈美は首を振った。
「最後にこれだけはどうしても言いたかったの。昨日はほんとに取り乱しちゃったから。私は本当に、ナオトを愛してた。それだけは疑わないで」
萌奈美の両眼から涙が溢れ落ちる。マスカラが流れて少し黒ずんだ跡になった。
「さよなら、ナオト。帰るね」
そういうと萌奈美はベランダの方へ向かった。
あれ? 玄関じゃなくて?
俺もうっかり、ベランダの手すりを乗り越える萌奈美をぼうっと見送っていた。
ガラガラガッシャーンと、派手な音がして、我に返る。
落ちたな。ベランダから来たからって、ベランダから帰らなきゃならない義理はないだろう。
「まったく、融通の利かない女だな!」
大きな怪我をしてなきゃいいが。
まったく面白い女だ。俺は口の端をひんまげ、作業机の引き出しからアレを探す。玄関を出て階段を駆け下りた。
幸い萌奈美はかすり傷で。
俺たち二人して酒屋の親父に散々怒られた。
「ほらよ」
「何……鍵?」
「次からはちゃんと玄関から入ってこい、馬鹿」
「どうせ馬鹿だもん」
退屈だけはしないで済むな、と俺は星空を見上げて思った。
ホラー単品集・赤子石 連野純也 @renno
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