おかえりなさい、おじいちゃん

仁野久洋

 それは毎年起こる、ただのありふれた出来事


 母の実家は、岐阜県の岩村というところにある。大昔には岩村城に仕えていた侍の血筋だと母は言っていたが、なにしろ田舎で、兄弟やら住み込みの丁稚やらまでが一緒くたになって住んでいたという話も聞いた覚えがある。家庭がまるで一つの社会を形成しているようだったから、関係が複雑すぎて当時の僕には理解出来ていなかった。


 僕が5歳の頃のことだ。母の実家へ、家族揃ってお盆の帰省、主にお墓参りをしに行った。母は父と駆け落ち同然で今住んでいる愛知県に出てきた、という事情もあり、結婚してから初めての帰省だったと記憶している。まぁ、これは大人になってから聞いたのだが。思い返せば、確かに父は肩身が狭そうだったような気がする。


 覚えているのは、やけに大きいお城のような一軒家。なのに、トイレ(というよりは厠。汲み取り式で、溜まった便はなんと畑の肥料となる。子供はここに落ちるのがお約束)が外の別棟にしか無かったこと。おまけに、家の裏手は思いっきり墓地だったので、夜一人でおしっこに行くことすら出来なかった。ここに来る前、母からこの墓地で何度も人魂を見ただの、まだ土葬のお墓もあって、下手な所を歩いていると人骨の埋まっている穴へ落ちるだの散々聞かされていたからだ。大人になった今でも、あのトイレに夜一人で入るなんて無理だと思う。それほどに、あの家のロケーションやインパクトは強烈だった。これもトラウマと言うのかも知れないが。


 まぁ、それはともかく、我が家では女系の霊感がすこぶる強い。姉は看護師をしているが、霊を見るなんて毎日だと言っていた。仕事場が病院なので無理もない。よりによって、な仕事である。母ももちろん強く、しょっちゅうなにか見ては悲鳴をあげている。その度、父も兄も当然僕も、頭に「?」を浮かべている。それもこの母の実家を見れば納得だった。


 さて、その実家での初日のことだ。親戚一同が集う、賑やかな晩餐(宴会)が済んで、さぁそろそろお風呂に入りなさいと言われた僕が、母に服を脱がせてもらっていた時に、それは起こった。


 家にはとんでもなく大きくて立派な、金ピカ仏壇のある仏間があった。花は豪勢に飾られ、大皿には山盛りのお供え物が並べられていた。母はその仏間を背にする格好で、僕の上着を「はいばんざいしてー」などと言いながら脱がせようとしていた。


 その時だ。


「あ」


 と、僕は間抜けな声を出していた。

 仏間の襖が、音もなくするすると開いていく。仏間には誰もいない。向こう側から襖を開ける者も無い。こちら側は、僕と母だけ。仏間だけ自動ドア化されているなんてことももちろん無い。


「どうしたん? ほら早くばんざい」

「あ、だって、でも」


 僕は母の後ろを指さした。襖は、今度はまたしてもするすると閉じてゆく。しかし、「ん?」と母が振り返ったところで止まり、少し隙間が空く格好となった。


「後ろ、なんかあった?」

「襖が開いて閉じた。でも、誰もいないよ」

「はぁん?」


 何を言ってんのこの子は、という顔を母がしたところへ、ちょうど廊下から通りかかったおばさんが「ああ、襖が開いたの?」と話しかけてきたので、僕は「うん」と頷いた。


「それね、おじいちゃんよ。お盆になると帰って来るの。毎年、ちゃあんと襖を開けて、お仏壇に行くのよね」

 

 おばさんは、ころころと笑う。事も無げに、むしろ嬉しそうですらある。母も「あー、なんだ、おじいちゃんか」と納得し、僕の服を脱がせにかかった。


 納得できないのは僕である。それはつまり、幽霊ということだ。現代の科学をもってしても解明出来ない怪奇現象を目の当たりにしたことになる。それをそんなに「ああ、雨が降ってきた? 梅雨だしね」みたいなノリで説明されても困ってしまう。そもそも霊なのだから、襖なんか開けなくてもすり抜けたり出来ないのかとか、いろんな疑問も湧いてくる。そこからの記憶は無いのだが、僕は多分そのままお風呂に入ったのだろう。母の実家へはこの時限りで、その後行っていない。


 僕もすでに中年と呼ばれる歳になり、父はもう他界した。母もすっかりおばあちゃんとなったが、あの襖が開き、閉じた時の光景は、今でもはっきりと覚えている。


 今年もきっと、おじいちゃんは帰って来るのだろう。大好きな家族のもとへ。


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おかえりなさい、おじいちゃん 仁野久洋 @kunikuny9216

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