大切なもののために

 こんな浅い関係一生続かないよな。

 そう吐いて捨てるほどの関係を俺はいつも結んできた。


 例えば利用するされる関係。

 例えば体だけの関係。

 例えば裏で嘲笑うだけの関係。

 例えばいじめに加担した奴との関係。そして、このクラスの一部分をいやいやながら担ってしまった関係。


 例えば、例えば……


 そんなことを上げていけばきりがない。関係性や繋がりをあらっていけば、どうやっても俺は嫌な奴なんだと分かる。観察して、何にもしない。そして、誰かを利用して嘲笑っている。


 このクラスの小さないじめだって実は俺が始めたことだなんて誰が知っているだろうか。

 面白半分にただ小さなタンポポをクラスの主要集団から孤立している奴の机に置いた。それがどれほど小さい事か分かっていた。


 誰がやったんだよ。こんなものって、タンポポはポイって捨てられると思ってた。でも、それはいじめに発展していった。思いもよらない方向だ。


 そうなってしまって怖いか、と言われればそうではなかった。ただぼんやりとそのいじめらしき行為を心では笑いながら眺めていた。


 ただ、笑っていた俺だって許せないことがあった。


 あの冬の日、命を分け与えてくれた彼女にいじめの嘲笑が降りかかるのだけはいただけなかった。

 命と言ったって、ちょっとしたポテトと言う小さなカケラだ。それがどんなに温もりがあったか今でも覚えている。俺しか知らないだろうし、彼女は忘れているだろう。しかしこの関係ばっかりは思ってしまうのだ。それでもあのポテトのお礼をしたいとずっとずっと思ってしまうんだ。


 あのお礼と言うけれど、彼女を救っても救っても結局お礼という穴は埋まらなかった。俺が納得するかどうかの問題なんだろう。


 分かってくれなくていい。それでもこんな嫌な奴の恩を感じてほしい。こうした関係を広げるにはどうしたらいいか分からない。


 例えばそれは友達。

 彼女と友達になれたらって、それは恩ではないだろうな。酷い何かの言い訳に彼女と関係を繋ごうとしているように聞こえる。


 あれから一週間も経つのに、彼女は学校に現れない。相方の目片は時折学校に姿を見せなかった。それは彼女の家に行っているからだろうけど、心配なのは変わりはない。


 誰かを利用するのはこれが初めてじゃない。今回は目片幸喜と言う友達だっただけ。


 友達を利用する、それは聞いていて良い話じゃない。ただたきつけたんだ。こうするしかやり方を知らない。


 俺はこうして、関わらずに終われるならそうしてきた人間だ。どうすることも出来ず動けない臆病者だ。全ての責任は誰かに預けるんだ。誰にともなしに責められる事じゃない。俺は俺だから、そうしたいからする。


 教室の中での菊の花だってそうだった。これは俺が発端。だが俺が始めた行為と今机に置いた行為の責任は別物だ。俺の責任じゃない。

 

 だが、その行為だって今回ばかりは心を痛める。


 菊の花が彼女の机に飾られているからだ。あの菊の花は、不謹慎だ。彼女はまだ死んでいない。お手製のヒーローが助けているところだって言うのに、これはいただけない。


 だが、俺はこの菊をどけることは出来ない。俺はこの教室の空気を壊すことはできない。しかしどうにかして、なんとかしてこの菊をどかしたい。この教室の空気を洗いたい。


 すると、彼女の席をぼんやりと見つめている子が居た。前のいじめの被害者だ。それで同情したなんて思いもない。ただ、ああこの子か、と感慨深くなるだけだった。


 教室の空気を壊すにはさすがに俺だけでは一苦労だ。なら、俺は誰かをたて、この教室を壊す。


 あの子に期待するのはいかがなものか。


 これすらも楽しみに入っているのは流石にいけないことだ。俺はこの教室の空気に同調してもいいと思っているから、そこまで憎んでいるわけでも、焦点を失っているわけでもない。この菊が違う奴にさえ動けばいい。だから、いけないことではない。


 放課後、話しかけた。ひょうひょうと笑いかけた。笑うのは癖になっている。こうしていれば俺は誰にでも受け入れられる。簡単だ。こんな表情一つで操れる。



「菊の花、多分明日もあるよ」



 あの子が一人になった時を見計らって、菊の花びらを渡した。こうして動揺を誘った。この子は俺と同じように教室の空気をよく思っていない。しかし同調する俺と違って、動ける子だ。なら今回だって動いてくれるはずだ。



「それじゃあ、明日あんたが捨ててよ」



 その返事は思ってもみなかった。彼女は凛とした表情で俺のことを見据えていた。同じ種類の人間だと思っていた。


 誰と?


 俺が傍観者と観察を決め込んでいるあのクラスの奴らと、だ。彼女は違う。孤立している意味がよく分かった。


「俺がやったところで、どうなる」

「あんたがやっても、私がやっても変わらないよ」

「それもそうだ」


「私もあの空気が嫌」


 孤立する性格をしているが、その空気に今の彼女はよく教室の空気に同調している。仕方がない。彼女もよく分かっているはずだ。此処に居るには、そうするしかないから。


 しかし、そこから外れるには一苦労する。それを行える人は限られている。こいつは出来るのを隠している。だから、俺はこいつをたきつけて……



「嫌なのは、あんたもでしょ?」

 鋭い指摘にごくりと唾をのむ。


「はは、どういったことを」


「そんな笑みを浮かべているけど、一回として目立ったことないよね。あんたって。池谷」


 彼女の瞳は真剣に見据えていた。俺のことをよく理解している風にしているだけだ。彼女は菊を明日手折る。そうするはずだ。


「約束しよ」


 彼女は小指をさしだした。

 昔、していた関係を結ぶお遊びだ。小さな関係だ。口だけで脆く崩れ去る、馬鹿らしいもの。約束なんて破ったもんが勝ちだ。


「私が明日ね、菊の花を、この教室をぶち壊したげる」


「ぶち壊す?」


「言ってやる。『この教室は腐っている奴らばっかだ。こんな腐った奴らならいないほうがいい。私が殺してやる』カッターを向けて、その場の空気を壊す」


 それは軽く傷害事件で、彼女はそれを本気でやるとは思えなかった。

 

 嘘だ。そんなことをするのなら、今までだってする機会があったはずだ。本気なら、俺にこんなことを喋らないはずだ。


「だから代わりに、池谷は今日菊の花を供えた奴を殴ってよ」


 嘘をつく者として知っている。これは嘘の約束だ。


「そんなことできるわけない」

「ほら、またへらへらしてる」


 彼女は小指を折る。ぐっと握りこぶしを作り、俺に突き出す。その矛先は俺へ。


「殴っていい? そしたら信用してもらえそうだから」

「なんで」

「私は、この菊の先を千鶴に向けたのが気に食わないの」


 彼女は支離滅裂。しかし、何故か一本芯が通っている。


 俺が動け。さもなければ、山岡千鶴もこの教室の空気も変わらない。

 俺が動け。そうしたら、この教室の空気が変わる。明日変わらないのなら、明後日俺が動くことで変わる。

 明後日ダメなら、明々後日変わる。


 どうして?

 

 それは俺と言う人物の位置が変わるからだ。そうしたら、この教室の位置配置は一変される。それまで観察して自分から動かなかった奴が、以前から裏で人を利用したことをクラスメイト達は知り、菊を供えていた奴は驚き、畏怖するだろう。

 

 そしたらこの空気は収束する。


 案外彼女だって知っていたのかもしれない。

 空気なんて簡単に壊れるのだって。位置配置さえ変えてしまえば。


「あの子に私は救われた。少しの間だったけど、一緒に登校してくれた」


 俺はあの子に昔救われた。彼女の大切なものだった、ポテトをくれた。


「その救いはこの空気を壊す者だった。あの子だけだった。この教室の空気を変えようとしたのは。だったら私もやってやる」

「俺が殴れば、この空気は壊れると本気で思っているの?」

「もちろん」


 本当はこういうことは目片に任せたい。でもあいつじゃ、無理なんだろう。俺がそれをやることに意味を見出しているのだ。


 俺が?

 この俺が?


 ……無理に決まっている。


「私はやるよ。やったら、何かが変わる気がするんだ」

「変わらないよ」

「変わるよ。少しは変わる。変わらなかったら、今度は池谷の番だ。自分がやりたくないなら、やらない。それじゃあ、私は動かない」


 彼女は頭をふる。嫌々じゃない。そこまでしなければ、動かないと言う約束を取り付けてきた。ほとんど暴力に近い何かだ。この約束を断れば俺は殴られる。気絶する。その後彼女は暴力沙汰を取り上げられ退学する。


 どうなっても知らない。


 むしろ彼女の暴力の使い道が間違っている気がする。それなら俺が動いて、あの菊の花を別の誰かに移すために動いた方が賢明なのではないか。


「ああ」

 分かった。今だけ嘘だらけの約束をしてやろう。

「あんたが明日菊の花を壊したら、やってやるよ」


 こんな口約束、今だけにしたらいい。簡単だ。彼女を利用してやるんだ。明日、菊の花を空気を刈り取った後、俺は何気ない登校を決めこむ。そして、帰る。その次の日には何食わぬ顔で彼女の前に現れる。騙される方が悪いんだって、笑ってやる。













 ぶっ













 殴ると、相手の鼻から血が噴き出した。


 人ってこんなに簡単に血が出るんだ。それが殴った時のありきたりな感想。

 今は明日。昨日の明日だ。


 体育館裏に居た菊を机に供えた奴を殴った。チンピラと言うには真面目そうな恰好をしていた。


 金色の髪……なんて染めた髪じゃなくてただの黒髪。かけていた眼鏡がきらりと光る。

 耳たぶには穴をあけた跡が……なんてものもなくて、まっさらな耳と、まだエロも知らなそうな生真面目な男だった。


 これが同じクラスの奴だ。俺から始まった机に供えられた菊の正体だ。こいつだって空気にやられたのだ。勉強の鬱屈した空気と、どうしようもない成績と言う地獄に。俺は一切味わったことのないものだ。


 そうだろ?


 そう告げるように目で訴えた。だが逆に睨まれる。そこは許してくださいじゃないんだな。


 菊の犯人は瞬時に起き上がり、俺の顔面にお返しだと言わんばかりに殴り返してきた。俺の鼻からも奴と同じ鼻血が噴き出す。俺は一発殴っただけだったのに、奴はもう一発、いや二発と殴り返してきた。口の中が切れた。血の味しかしなくなる。歯を食いしばって奴の殴打に耐える。これ以上奴に仕返すつもりはなかった。


 元々そんなことと縁がない性分だ。これ以上は握った拳が痛む。


 されるがままに殴られ、蹴られた。



 気がついたら、意識が飛んでいた。



「お前馬鹿だろ」


 そんな目片の声で目を覚ました。


 どうせなら女子が助けに来てほしかった。こんな童貞で鈍感な男よりは、幾分か痛みも癒されただろう。ヒロインが駆けつけて、ヒーローは立ち上がるんだ。そういうセオリーはないのか。









 ……ないか。


「馬鹿じゃなかった。今日の朝まで」


 俺は小さくうめく。


 今朝、確かにあの子は約束通りに動いた。あの叫びも、痛みも、隣に居た山岡は苦しげに見つめていた。


 山岡は結局あの子と同じように教室の空気が嫌いだった。教室全体が変わらなければ、また山岡はいなくなる。恩も返せなくなる。


 それでも、俺はしばらく動かなかった。


 教室に何にも変わらない日常が過ぎていくことも知っていた。その中の彼女は変わらない。あの子はすっきりした顔をしていたが、それでは終わらないのだ。


 明日、明々後日、山岡はまたポテトを相手に上げてしまう。命の炎を燃やして、此処から去っていく。


 そんな光景まっぴらごめんだ。


 教室から帰って来た、あんな辛そうな山岡見てしまったんだ。俺は動かなざるえないだろ。放課後に殴りに行きたくなるだろう。


 頬が腫れていて、笑うことすら痛くて出来ない。


 どうしようか。この傷、帰って何て説明しよう。どうせ元を辿ればあの菊の犯人は俺なんだ。あんな暴力耐えられるはずだった。あんな俺のレプリカすぐにボコって帰るつもりだった。案外レプリカもやるもんだ。ともすれば俺に弱みを握られたことがそんなに嫌だったのか。




 はは




 ……っつ。

 普通に痛い。


 こんなに約束通り動いたのはただの、恩だ。恩の内だ。そうだろ。


「どうしたんだ、その傷」


 目片が手を差し出して来る。


「転んだ」

「わかりやすい嘘だ」


 明日から変わるぞ。あの教室と言う空気が。

 そうじゃなければ、俺は目片をまた動かして、山岡千鶴に告白させてやる。

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千羽鶴 千羽稲穂 @inaho_rice

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