廃墟巡り 第3話

その日は、あいにくの雨だった。事前の予報では曇りのはずだったが、朝から天気は崩れ、時折、雷が鳴っていた。乗り込んだバスは、時間通りに仙台駅を離れて高速道路を走る。今回訪れる予定なのは、遊園地である。ただし、すでにテーマパークとしての機能を終えた、廃遊園地ではあるが。


外を見ると、相変わらず続く激しい雨がガラスを打ち付けていた。来る日を間違えたかもしれないな、と内心舌打ちしながら、バスの騒音に身を任せ、私は目を閉じた。それからさらにしばらくの間バスに揺られ、高速を下りて別のバスに乗り換える。こちらは数時間に一本しかないような目的地へ向かう路線で、今回の廃遊園地へアクセスする際の最も簡単な(ただし不便ではある)手段だった。廃遊園地の名前が冠された停留所で私は降車する。ここには何もない。寂れて、人がいなくなった遊園地以外、何も。運転手は無表情なまま小銭を確認し、ドアを閉めてすぐにバスが発車した。


樹々に囲まれた小径を進むと、ボロボロになった入り口のアーチがあり、入場者を拒むように鎖がかけられている。そこに入場料無料と書かれた小さな札がかけられている。この廃遊園地は、地権者の理解のもと、不定期で公開されており、今日もそのような貴重な機会で、合法的にこの廃遊園地を探索することができる。今日は天気のせいもあってか、訪れているのは私だけである。足元はぬかるんでいるが、ここの元従業員が、この場所が営業をやめて廃遊園地になった後も時折清掃しているそうで、雑草は多少生えているものの、人が歩くには問題ない程度である。


事前に代理人へ連絡すれば地権者でもある元経営者からの話も聞くことが出来るそうで、是非に、と思ったのだが、高齢ということもあり、体調が思わしくないということで、残念ながらそれは断られた。アーチをくぐって園内へ入る。夏場ということもあり、入り口から続く樹々は緑に色づいていて、雨に打たれながら揺れている。


開業していた当時は非常に賑わっていたそうだ。宿泊施設や遊技場、そして、日本では珍しかった海外から輸入してきた最先端の遊具たち。立地的な不便はあったものの、多くの家族を笑顔にして、地元の人々にも、そして従業員にも愛された施設だった。今も昔の従業員がここを掃除しているというのも、人々に愛されてきた場所であるが故だ。もっとも、崩落しそうなアーチや、ボロボロになった今の建物の姿からは想像できないかもしれないが……。


入り口から少し進むと、売店があり、その反対側には人が乗れるほど大きな飛行機の模型が置いてある。子供に人気だっただろうそのセスナ機は、雑草に囲まれて佇んでいた。売店の看板は屋根から落ちて地面に転がっている。扉を開けて中へ入ると、古びた雑貨品がいくつか棚に残り、コルク板には色あせた写真が貼られていた。写っている人物たちは、みな笑顔である。


そこからさらに奥へ進むと、宿泊施設がある。いつもは鍵がかかっているそうだが、鍵は前もって開けてもらってある。入り口には型式の古いタバコの自販機が置かれている。入って左手にはバーカウンターがあり、正面奥には宴会場が存在する。営業当時は、立派な場所であったことが伺える。だが今は、屋内は薄暗く、横たわった椅子や、布がかぶせられている機材などから、ここは生きた場所ではないことが分かる。宿泊施設内のそれぞれの部屋は、畳と障子のある和室だ。部屋によっては、窓から湖を眺めることが出来るが、今はあいにくの雨である。どの部屋でも、ガラスが割れていたり、畳がカビで黒ずんでいたりして、大なり小なり荒廃した様子だ。ある階段では天井が抜けていて、雨が降りこんでいた。私はこれを写真に収める。


屋上へ出ると美しい湖のパノラマが見られるが、激しい雨と風は相変わらず続いていて、数枚だけ写真を撮り、逃げるように屋内へ戻った。雨宿りもかねて、施設内をさらに見て回る。浴場には開いたままのロッカーがある。女湯のガラスは無事だが、男湯のガラスは大きく割られていて、辺りにその破片が散らばっていた。そうしてしばらく経って入り口へ戻り外の様子をうかがうと、いつのまにか風も収まり、雨はかなり小降りになっていた。雲もだいぶ薄くなっているようで、もしかしたら夕暮れ頃には晴れ間が見られるかもしれないと、少しだけ期待した。


野外ステージや遊技場などを撮影していると、声をかけられた。振り返ると、そこに老人がいた。身なりの良い老紳士で、ずいぶん高齢に見えるが、よく通る声をしていた。


「何を撮っているんですか」と尋ねられる。廃墟となってしまったこの遊園地の施設を撮影しているんです、と私は答えた。うんうん、と彼はうなずく。

「営業をやめてしまった後でも、まだこうしてこの遊園地へ来てくれる人がいて、うれしいですよ。たとえそれが、廃墟ブームのようなものであったとしてもね」と彼は言い、公開してみるものですね、と付け加えた。ふと思い当ることがあり、この遊園地のオーナーですか、と尋ねた。彼は、そうだと肯定した。

「今日は体調がよくてですね、抜け出してきたんですよ」そう語った。


それから、この遊園地の話を彼に聞いた。様々な人を笑顔にしてきたこと。時代の移り変わりと共に、惜しまれながらもこの遊園地が役目を終えたこと。閉園後にテレビ局の心霊番組に取り上げられて迷惑したことなど……。


「私の遊園地ではね、幽霊なんか出ませんよ。事故が一度もなかったのが自慢なんですから」

大きな観覧車とメリーゴーランドのある場所へやってきた。そのころにはもう雲が晴れ、辺りには涼しい風が吹いた。日は沈み始め、空が赤く染まっていた。


「この遊具たちはね、私が海外へ行って買い付けてきたんですよ。当時の一番新しい遊具たちですよ。本当に、みんなが楽しんで乗るのが嬉しかった。今ではもうそれを見ることはないですが、このボロボロの遊具たちも、天井が崩れた宿も、私にとっては大切なものなんです。宝物なんですよ」彼はそう語った。私はうなずく。観覧車が、夕日を受けて輝いていた。私は何枚も、何枚も写真を撮り続けた。やがて、日は暮れ、バスの時間が来た。彼に別れの挨拶をする。彼は入り口まで見送ってくれた。


「今日は、来てくれて、本当にありがとう、この遊園地が最後まで人に愛されているのを見れてよかった」私は、こちらこそありがとうございますと礼を言い、廃遊園地を後にした。


後日、改めて礼を言おうとふと思い立って、例の代理人へ電話を掛けた。少し話をすると、彼は重々しい声で、経営者の男性は既に亡くなったと私に告げた。詳しく聞くと、私があの廃遊園地を訪れていたまさにその日、体調が急変し、日暮れに息を引き取ったという。信じられない思いだった。私は月並みなお悔やみを言い、電話を切った。私は時折、あの場所で撮影した彼の宝物たちの写真を見ながら、あの時の事を思い出す。


あれから何年も経ってから、もう一度だけあの廃遊園地があった場所を訪れた。

彼が大切にしていた宝物は、解体されて今はもうない。

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