帰りの会
シャボン玉みたいに、割れてしまいそうな少年だった。
自信のなさを隠すように伸ばした前髪。
同い年の女の子よりも細い腕。
よく見れば美少年とも言える顔をしていたが、どことなく覇気のない様子が、彼のルックスにマイナスの印象を与えていた。
そんな彼を見て、エミはこう思った。
『私に似ている』、と。
この子は分かってくれる。
私の世界を共有してくれる。
そんなワガママを押しつけるために、エミは少年にこんな言葉を投げたのだった。
「はじめましてミツルくん。『ここ』は勉強さえできればすべてが手に入る場所なのよ」
それはエミの目から見える世界を、他人の目に映すための最初の言葉だった。
×××
「ねえ答えてよ先生。『スズモト ミツル』と僕たち、どっちがいい子?」
顔のない子供たちから彼の名前が聞こえたとき、エミは凍ったように動けなかった。聞き間違いであってほしいと、心の中で願ったほどだ。
「……どうして、あなたたちがスズモトくんのことを知ってるの?」
エミは、教室のルール以外で、初めて子供たちに何かを尋ねた。
「質問に質問はダメだよ」
「まずは僕たちの質問に答えてよ」
「「「スズモトミツルと僕たち、どっちがいい子?」」」
子供たちは同じことしか聞かない。
「……そんなの比べられないわ」
無難なことを言ったつもりだったが、それは間違いだった。
「あーあ。四つ目」
ぞわりと、鳥肌が立つ。
「先生、また目が片方なくなっちゃったよ」
「嘘をつくから」
「嘘をつくから」
「「「嘘をつくから」」」
エミは唇を噛む。そして理解した。
この教室は、自分に与えられた罰なのだと。
「先生、質問を変えるね」
「何?」
「先生はスズモトミツルくんが好きだった」
「……そうね。けれどそれはほかの生徒も一緒」
「自分に似ていたから」
「そうね」
否定をしない。嘘をつけば顔のパーツを奪われるから。
子供たちがニタニタとした笑いをやめる。
そしていっせいに自分の顔を両手で隠す。
一瞬の静寂が訪れる。
手がひらりと降りた。
子供たちの顔を見て、エミは膝から崩れ落ちた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい......」
今度の子供たちには顔があった。
全員、同じ顔が。
いつも睨んでいるように見える細い目。
少し反抗的に見える尖った鼻。
頬の肉は、削ぎ落ちたようにやつれていた。
「どうして先生は僕を裏切ったの?」
「ミツル、くん……」
それは見間違うこともなく、スズモトミツルの顔だった。
×××
入塾テストの点数はさほど高いわけではなかったが、スズモトミツルの成績はエミが担当した後にぐんぐん伸びた。
彼はよく、エミに質問をした。エミはそれにちゃんと答えた。
そうして、スズモトミツルは圧倒的な偏差値を手に入れた。
しかし、彼が求めていたのはそんなものではなかった。
エミは塾生の中でも人気のある講師だった。
それゆえ、塾生の間では「アンドウ先生といかに親しいか」ということが教室内での序列をあげる判断基準にすらなっていた。
「俺はアンドウ先生からこんなことを聞いた」「私はアンドウ先生の秘密を知ってる」「アンドウ先生は映画を観るのが趣味なんだ」
そんな話を全員が自慢げにした。
エミもそれを分かっていた。
分かっていて、遊んだ。
意識的に、成績の良い子を可愛がり、教室内の序列を上げさせた。
スズモトミツルの欲しかったのは偏差値ではなく、教室内での序列。
学校世界で上手くいかない自分を、塾は輝かせてくれる。
「朝から塾にずっと通っていたいな」
スズモトミツルが、エミと同じことを言いだすのに時間はかからなかった。
×××
「そして、スズモトミツルは学校に行かなくなった」
顔のない子供は
子供たちとの会話によってエミの過去が暴かれていく。
エミの両親は、中学に入学する前に離婚した。
経済的な困難を理由に、エミは私立の中高一貫校を諦めて公立の中学校に通うことになった。エミは学力で塾の特待生制度を獲得。結果的に中学校も輝かない時代が続き、塾だけがエミの居場所となった。
それは結局、公立トップ校に移ってからも変わらなかった。
予備校の特待生制度で塾を利用し始め、朝から塾に通った。
高校を中退し、本当にエミの居場所は塾だけになった。環境が思い込みを悪化させ、エミの世界はどんどん狭くなっていった。
そんなエミを、母親は快く思わなかった。エミは納得しなかった。
納得させるには、自分と同じ考え方の人間を増やすしかない。
エミはそのために、生徒たちを育成しようと心に決めた。
子供たちの顏が変化し、過去に教えた様々な生徒の顔を映し出す。
その全てがエミの魅力に惹かれて不登校になった生徒だった。
「私、学校でいじめられてるんだ」
「塾だけがボクの世界だ。ボクの味方は先生だけだ」
「なのに先生は」
「「「先生はスズモトを優遇した」」」
否定。エミの鼻がなくなる。
「先生は都合の悪い世界を排除して、自分の得意なことだけで生きていける世界を作ろうとしたんだ」
否定。エミの視界が真っ暗になる。
暗闇になったことでエミの精神が崩壊。叫んでしまう。
しかし、叫び声はすぐに止んだ。
エミの顔から唇が失われたからだ。
どうすればいいの、とエミが心の中で問うと子供たちは答える。
先生は先生が理想とする塾だけの世界で生きればいいんだよ、と。
そうしてエミはその申し出を受け入れる。
×××
場面は変わり、新しい教室に先生がやってくる。
先生は生徒の顔を観て、泣き叫ぶ。
二つだ、と言った
生徒の声が前とは違った。
それはかつて同じ教室で顔を失った大学生講師の声によく似ていた。
カオナシ――ルールを破ると顔がなくなる教室 TARUTSU @tarutsu2
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