愛と動機

国会前火炎瓶

愛と動機

 「愛」とは、一体どんなものを指すのでしょう。出来損ないの頭で、最近は答えのない問いを繰り返しているような気がします。

 無償の愛こそ、本当の愛だ。そう言う人がいます。なるほど、確かにそうだ、と一瞬は納得しかけるのですが。しかしそれは本当なのでしょうか。もし、無償の愛こそ本当の愛であるなら、何故わざわざ僕たちは「無償の愛」を表現するために「無償の」と言う前置きを必要とするのでしょう。「愛」と言う言葉に、「無償」の意味が内包されていない訳はどう説明すればよいのでしょう。或いは、元々「愛」には「無償」が内包されていたけれど、その意味が何者かによって切り離されて、今に至っていると言うのなら、その分離を良しとした私たちは、一体どんなことを考えていたのでしょう。

 誰かのために尽くすことこそ愛だ。そう言う人もいます。けれど、私は考えてしまうのです。本当の意味で「誰かのために尽くすこと」などできるのだろうかと。私たちが「誰かのため」と行う行為は、きっと多分に「自分のため」を内包しているのではないかと。「誰かのため」の行為は「その行為によってその誰かが私にとって良い方向へ価値づけられてほしい」と言う「私自身の願い」に強く結びついている気がしてならないのです。そうして、それが「その誰か」或いは「周辺の人々」に受け入れられた時にだけ、「愛」と言うものが立ち現れてくるのではないでしょうか。

 そうであるなら、「愛」と言うものは結局、その誰かとの関係性の文脈の中でしか語りえないきわめてローカルな価値観でしか有り得ないのではないのかと、考えてしまうのです。「愛」と言うものに普遍性を求めることは、どうにも滑稽なこととしか思えないのです。


 私と彼女が出会ったのは、私が中学二年生の時でした。彼女は何処からか引っ越してきた転入生で、ショートカットと笑顔の似合う、実に可愛らしい人でした。ああ、いや、可愛かったのは勿論、昔だけではありませんけれど。

 私は一目見て彼女を深く気に入りました。彼女のその太陽のような笑顔に魅入られたのです。当時の私は――いえ、今も得意とは言えませんが――人と話すのが実に苦手でした。どうにも気恥ずかしくてつい目を逸らしたり、顔を背けたりしてしまっていたのです。今考えればあの時は、思春期特有の痛々しい自意識もそれを妨げていたのかもしれません。けれども、私は彼女との接点を獲得するべく、彼女へ実に拙いアプローチを行いました。傍から見たら、どうにもむずがゆく、全身を掻き毟ってしまうような有様だったろうとは思いますが、その時の私には、それが精いっぱいの努力でしたし、その努力のかいあって、彼女と親しく会話をするところまで何とかこぎつけました。そのことに関しては、自分自身を何度でも誉めてやりたいと今でも思います。

 彼女は見た目のみならず、その性格までも可愛らしい人でした。どんな人にも優しく、その動きは小動物のようにちょこちょことして、何とも守ってあげたいと感じるであろう人でした。世話焼きが過ぎるところが玉に瑕だったかもしれませんが、それでも多くの人が理想と感じるような女の子であったことは確かです。

 しかし、彼女には悪い噂もありました。いえ、彼女の言動がどうとか、そう言う類のものでは無かったのですが、何でも彼女が転入してきたのは、彼女の父親が彼女を虐待していたことが発覚して、遠い親戚に引き取られたからだとか、そんな風な噂でした。時々、引き取られた先が、母方の祖父母であるとか、伯母であるとか、そんな風に変わっていましたが、彼女が父親に虐待されていたらしい、という部分が変わって伝わってくることはありませんでした。

 多くの人は彼女を嫌っておらず、むしろ好いていましたからその噂で付き合い方を変えるなんてことはありませんでしたが、でも何処か彼女を見る目に哀れみや同情の色があることを私は見逃しませんでした。勿論私もその噂で彼女との付き合いを考え直すことなどありませんでしたし、むしろ時間が経てば経つほど、私の中の彼女への好意と下心は激化していくように感ぜられました。私は感情の昂ぶりとともに彼女へのアプローチをより積極的に行うようになり、学年が一つ上がる頃には交際にまで持ち込みました。私の告白を、彼女が受け入れてくれた時のことは今でも鮮明に覚えていますし、あの時の言い表せない喜びも今がまさにその時のように感じることができます。


 それから、私たちは同じ高校、同じ大学へと進学しました。多分彼女のほうが私よりもおつむの出来は良かったと思うのですが、私に合わせて進学先を選んだのではないかと思います。勿論、私の自惚れかもしれませんが。高校生時代の話は、あんまりしなくてもよいかな、と思います。その話をしても、結局大の男の惚気話を延々とするだけのことになってしまいますから。勿論、聞きたいと言うなら話しますけれど、ただ一言で表すのであれば、本当に幸せな高校生活だったと思います。

 大学へ進学してから私と彼女は同居を始めました。同居については彼女のほうからの提案でした。勿論、私は断る理由など全く持ち合わせていませんでしたから、すぐに承諾しました。

 大学生になって、初めての前期が終わる頃でしょうか、彼女から、大切な話がある、と切り出されました。私たちの愛の巣で、彼女が語りだしたのは、彼女自身の過去のことでした。どうやら、彼女が父親から虐待を受けていた、と言うのは本当だったようです。しかし、こう言っては何ですが、このタイミングでその話をされるのは正直不思議でした。だからもう別れよう、となるならもっと早い段階で話すだろうと思ったからです。その時、私には彼女が私との結婚を考えていてくれているのかもしれないと言う甘い妄想が膨らみました。彼女自身が虐待を受けていたからこそ、実の子供を虐待してしまうかもしれない、だからこれから先ずっと一緒になるとしても子供は持てない、とかそう言う話なのかもしれないと思ったのです。しかし、私のそんな砂糖菓子のような空想は、予想を遥かに超えた彼女の言葉で打ち消されることとなりました。

 彼女は言ったのです。私を殴ってほしいと。


 彼女はどうやら、暴力によって自分自身の体が害されることに愛を感じてしまうようでした。それは幼い彼女が受けた虐待を、どうにか彼女の中で消化しようとした結果の、歪んだ防衛機構なのかもしれませんでしたし、或いは、彼女と、彼女の父親の関係性の中では本当の意味で暴力こそが愛の発露のなのかもしれませんでした。私には、それは分かりません。

 彼女は私の暴力以外の言動から愛を感じていないと言うことはありませんでした。私が、彼女のことを愛していることは、彼女自身も良く理解していてくれていました。しかし、だからこそ強い実感がほしい、と彼女は言ったのです。そしてその実感は、彼女にとっては暴力による痛みと傷跡によって得られるものだったのです。

 勿論、私は最初はそんなことは拒否しました。愛する人を殴りたがる人間など、そうは居ないと思います。しかし、まるで縋る様な、藁をも掴むような彼女の瞳に、どうにも言い様の無い何かを感じて、ついに私は負けてしまったのです。今思えば、それが泥沼への一歩目だったと思います。その時点でもう、私たちが抜け出す道はきっと残されていなかったのでしょう。

 私は、彼女が言うように、彼女の腹部を思い切り殴りました。半ば、やけくそだったようにも思います。彼女が蹲った瞬間、酷い罪悪感を感じ、彼女の温もりの残る自分の握り拳をじっと見つめました。そうして、彼女のほうに目をやると、本当に幸せそうな顔をしていて、キュッと心臓をつかまれたような心地がしたのを今でも覚えています。そして、そこに、歓喜の色が紛れていることをどうしても否定できなかったのです。

 それから、私が彼女を殴ることが習慣になりました。殴るのはいつも腹部でした。理由は簡単で、どんな季節であっても洋服が私たちの狂気を隠してくれるからです。最初の頃は、殴るまでに何分かの心構えが必要でしたが、その内に彼女に頼まれると、まるでリモコンか何かを取って渡すかのような手軽さで、彼女に暴力を振るうようになっていきました。勿論、罪悪感が無くなることはありませんでしたが、それ以上に私の手によって、彼女が幸福に浸れることのほうが大切のように思えたのです。もうその頃には、私の倫理は随分と麻痺してしまっていたのでしょう。

 気が付けば、暴力とセックスが結びつくようになりました。私が腹部を殴って、蹲った彼女を半ば犯すように、行為へと及ぶようになりました。何故かは、よく覚えていません。最初は彼女に誘われたような気もしますし、ただ単に私の暴力性が覚醒しただけなのかもしれません。彼女は父親から性的虐待は受けていないようでしたが、それでも、まるでレイプのような行為中の彼女もまた、殴られた時のような多幸感に満ちた表情していて、それが余計に私をいきり立たせました。流石に、行為中に暴力を振るうようなことはしませんでしたし、出来ませんでしたが。全てのセックスはレイプであると言い放ったフェミニストが居たように記憶していますが、私たちにおいてはその論理が完全に成り立つように感じます。セックスは暴力でした。双方向的な、暴力でした。


 ついにその日が来ました。その日は、本当によく晴れた日で、雲一つない晴天だったように思います。私も彼女も大学がなくて、私はぽけーっと呆けた顔で対して面白くもないワイドショーを眺めていました。そんな私の隣に彼女はちょこんと座って、それから私に寄りかかってきて言うのです。今までありがとう、と。まるで今生の別れの挨拶のようで私はつい笑ってしまいました。どうしたの、と私が聞くと、彼女は、今まで貴方に愛してもらえて嬉しかった、これからもずっと愛してほしい。

 だから私を殺してほしいと。

 今生の別れの挨拶のようではなく、正にそうだったのです。彼女にとって究極の愛とは、究極の暴力でしか達成しえないものだったのです。そして、彼女を深く深く愛し、泥沼に頭の天辺まで浸かりきっている私にとっても。引き返すことはおろか、ここで立ち止まることももう出来なくなっていたのです。彼女をこの手で殴ったあの日から、この日はきっと運命づけられていたように思います。

 私たちは互いに向き合って、それから私は彼女の首に手をかけました。ゆっくりゆっくりと力を込めていく中で、私は決して彼女から目を逸らしませんでした。ただ、彼女の瞳をじっと、じっと見つめ続けていました。彼女もまた、じっと私の目を見つめ、決して逸らそうとはしませんでした。ゆっくりゆっくり首が締まり、気道が狭められていく中でも、彼女は実に幸せそうに見えました。気が付けば、私たちは何故か泣いていました。けれど流れる涙を止めようともせず、私はただ彼女を殺すことに、彼女は私に殺されることにだけ心を奪われていました。そして、彼女はこと切れる直前に、囁くような、か細い声で言ったのです。

 ごめんね、と。

 動かなくなった彼女を胸に抱きながら、私はまだ泣いていました。悲しくはありませんでした。愛した故の結果だという確信もありました。けれど、涙を止めることはどうにも適いませんでした。そうしてから、私がもっと幸せそうな顔で殺してやれば、彼女の最後の言葉が、ありがとう、になったのかもしれない、とそんなことを考えていました。


 私と彼女の関係は、きっと歪でどうしようもないものだったと思います。しかし、その中でも私は彼女を深く愛していたし、彼女もまた私を深く愛してくれていたことは確信しています。私が彼女を殺したのは、憎悪だとかそう言ったものでは無くて、むしろ真逆の、真正の愛の故だと断言できます。私と彼女にとって、暴力こそ愛だったのです。そうして、私と彼女の愛は永遠となったのです。間違っていても、狂っていても、私たちにとっては疑いようのない愛だったのです。それを、分かってはもらえませんか。

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愛と動機 国会前火炎瓶 @oretoomaeto1994

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