寂寥履歴

御薗定嘉

寂寥履歴

 とある孫と祖母の話をしましょう。

 孫は物の扱いは悪いが、物持ちは良い方なのか、電子機器―流石にメーカーの都合でゲーム機は無理でしたが―や、貴重品の類は初めて貰ったものを何年も―それこそ聞いた人が驚くぐらいには―使い続ける子でした。

 祖母も物持ちがよく、古い電子機器もそうとは思わせない綺麗さのままで使う人でした。


 ここでいう電子機器とは、携帯電話……フューチャーフォン又はガラケーと言った方が今は馴染みがいいでしょうか……の事です。


 ある夏休み前の平日の出来事です。昼休み、友達と食事を楽しんでいた孫は、ふとみた学校に持ち込んだ携帯電話に、朝にはなかった一件の不在着信が入っていることに気が付きました。ボタンを操作して電話番号を見たところ、携帯電話からの着信だと分かりました。

 問題はその番号が、孫にとって見覚えのない番号であったというところでしょう。もしくは、知っていても登録を忘れてしまった番号でした。

 突然の不在着信に驚いていた孫はそこまで頭が回らず、どこかで番号が漏れてしまったのかと慌てました。

 まあ孫は、自分をそこまで嫌う人には番号は教えないから大丈夫だと気持ちを落ち着かせ、友達に断ってからその番号に折り返しかけてみる事にしました。

 プルルルル、プルルルル、プルルルル……

「もしもし?」

 コール音が何度かしたのちに聞こえてきた声は、孫にとってはとても馴染み深い優しい声でした。

「おばあちゃん?」

 祖母の声でした。孫はそこで、年明けに会った際に祖母が携帯電話を買ったと言っていたことを思い出しました。

 なんだ、誤操作でもしたのかと安心して、二三注意ないし体調を気遣う言葉を言ってから電話を切ろうと、祖母の返答を待ちます。

「はい、もしもし? あら、どうしたの。急に電話なんて、珍しいじゃないの」

 返答は孫にとってどこか違和感を覚えるものでした。

「いやいや、おばあちゃんの携帯電話から不在着信が来てたから折り返しいれたんだけど」

「何言ってるの。私は今日、あなたから電話かかってくるまで、携帯電話なんて触ってないわよ?」

 思わず孫は変な声をあげてしまいました。電話口から祖母のからかう声が孫の耳に届きます。

 そんなはずはないのです。

 孫が持つ携帯電話の場合、不在着信があると、画面の左下に大きく不在着信を知らせるアイコンが出ます。それは画面を開くまでは持続しますが、朝に確認した際には、そのアイコンは出ていませんでした。つまり、朝から昼までの間に誰かから着信がない限り、アイコンが出現するはずがありません。

 今日の不在着信は祖母の携帯番号以外になく、彼女が電話しない限りこの記録は残らないはずでした。

「おばあちゃん、今日昼までに誰か来客でもあった?」

「そんなものあったら、電話なんて取る暇ないわよ。なあに? あなたの気のせいでしょ」

「気のせいだったらよかったのにね。残念なことに、こっちにはおばあちゃんから連絡がきたっていう履歴が残ってるんだけれども」

「それでも私は電話なんてかけてないわよっ」

 では一体誰が孫の携帯電話に祖母の番号で着信をいれたというのか。

 機械の誤作動かとも孫は思いましたが、新品であった祖母の携帯電話が誤作動を起こすとは考えられません。では孫の方かと考えてみても、精密機器の操作は購入時についてくる説明書程度の知識しかない孫が、一体どうやって自分の着信履歴に残せるというのでしょうか。

 途端に、孫は少し恐ろしくなり、帰ったら絶対に携帯電話ショップに行こう。そう心に決めました。

 このままこの話題を続けるのも恐ろしくなった孫は、適当に話を切り替えることにしました。

 最近のことで祖母が一番聞きたがる話題は何だろうと考えを巡らせていると、電話口から固い拗ねたような声が響いてきます。

「そういえば、あなたこっちに顔見せなさいとは言わないけれど、年明けに会ってから一度も電話も寄越さないっていうのはどういうことなの?」

 あ、始まってしまった。孫はやってしまったと祖母に謝りつつ苦笑しました。

 実はこの祖母は孫が小さい頃から腰が悪く、何回か手術をした経験がありました。その際に思うように歩けなくなってしまった為、家の中にこもりがちな生活を余儀なくされていました。彼女にとって孫はとても大事な存在で、小さい頃はよく遊びにきていた孫が年を取るにつれて遊びにくるどころか連絡一つ来ないことに寂しがっている節があったのです。孫もその事には気付いていましたが、いかんせん休日も忙しく、帰ってくる頃には祖母は寝てしまっている時間になってしまうので電話が出来ない状況にありました。

 祖母は家に常に一人である為、より寂寥の感が募ってしまうのでしょう。他愛のない話でもややとげがある言葉に孫は相槌を打ちながら、見えないと分かっていながらも苦笑するしかありませんでした。

 孫は自分が悪いと知っているのです。時間がないと言い訳をして、自分が時間を作らなかったことに。

 ちらりと横目で昼休みの残り時間を確認して、孫はそろそろ切り上げないと授業に遅れてしまうことを伝えると、祖母はやはりより一層寂しげな声で了承して、

「あなた、夏休みはいつからなの?」

 と聞いてきました。

「今試験期間だから、後一週間ほどかな」

「そう。なら、夏休みの間にちょっとは顔を見せに来なさい。わたしも同じマンションの人と遊ぶことはあるけど、やっぱり一人じゃ寂しいのよ」

「うん」

「おばあちゃん待ってるからね」

「うん」

 試験頑張ってねの激励の後に、電話はすぐに切れました。バッテリーの使用期限切れが近い所為か、三つある充電アイコンが一つに減っていました。

 これはもう今日は遊んで使う余裕はないなと画面を閉じてから、孫は教室へと足早に向かいました。


 ここまでであれば、単なる勘違いか何かで済んだ話でしょう。


 試験が終わり、夏休みに入った孫は、早速祖母に連絡を取り、次の土曜日に遊びに行く事になりました。

 祖母の家は年老いた人独特の匂いが部屋中からあふれていて、孫をなんだか懐かしい気分にさせます。

 元気そうで何よりよとにやついた祖母にお土産を渡して、洗面台で手を洗って、孫はテーブル前の椅子に座りました。

 ふと目に付いた祖母の真新しさを感じさせる携帯電話を手に取り、慣れない機種であることを感じさせない操作で、発信履歴を画面に映し、とある日まで遡って、

「あれ、おばあちゃん、履歴消した?」

「ちょっとあなた何を勝手に見てるのよ。履歴を消すなんて、私にそんな芸当は出来ないわよ」

 ちょうど夏休み前に電話した日、孫に対する発信履歴だけありませんでした。その前と翌日には孫の父や親戚にかけた記録がしっかりと残っているのですが、孫だけはありませんでした。また操作して着信履歴を映すと、孫が折り返した記録は残っていたのです。

 不思議に思った孫は、鞄から自身の携帯電話を取り出して着信履歴を画面に映しました。

 着信履歴には、しっかりと、祖母の携帯番号が記録されていたのでした。

「どうしたの。顔引き攣っちゃってるわよ」

 孫が持ってきたお土産を皿に取り出してテーブルに置いた祖母は、不思議そうな顔しながら両手の人差し指で自分の唇の端を上へと押し上げました。

「ああ、いや、何でもないよ」

 孫は二つの携帯電話をそれぞれ元に戻しました。思えば祖母は、今日これからそちらに行くという連絡を入れてから、寂しそうな声をしていない。

 ならば、それでいいじゃないかと、孫は急須に二人分のお湯を淹れはじめ、それが終わる頃には、着信履歴の事を気にしないようにしたそうです。


 そんな不思議な事があった日から数年経った今までで、同じようなことが数回起きたと孫は言います。

 決まって祖母が寂しいと思ったときであり、孫が長い間、祖母に電話越しでも会っていないことが前提にあるそうです。電話は必ず受け取れない時にかかっては不在着信を残し、こちらからかけるように仕向けてくるのだと孫は笑うのです。

 塗装が剥げつつあり、スタンドを除いた充電口が使えず、側面ボタンが利きにくくなって、画面側面が割れ始めて尚、現役で役目を果たす孫の携帯電話が、誇らしげに輝いているように見えました。


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