臙脂色ファイトクラブ

竹尾 錬二

第1話

 私は買ったばかりの臙脂えんじ色のネクタイを片手に、意気揚々と博多のショッピングモールを後にした。

 母校の高校が学ランだったこともあり、当時大学一年生の夏休みを過ごしていた私にとって、ネクタイは未だ結び慣れない大人のステイタスシンボルである。

 だが、これこそ、翌日に控えたイベントのマストアイテム。

 深みを帯びた臙脂を胸元に締めることを考えただけで、私は溢れてくる高揚感を押さえきれなかった。


 きっかけは、高校の恩師からの一本の電話だった。


『おい、今年の玉龍旗は見に来るか?』


 少し、説明をしよう。

 玉龍旗とは、毎年の夏に開催される、100年近い伝統ある由緒正しき高校剣道の大会である。

 この大会の大きな特徴は、通常の剣道の試合は予め決まった五人と五人が一人ずつ争い、勝ち数を競う星取り戦であることに対し、玉龍旗は勝者が場に残って次々と相手と戦う、勝ち抜き戦であるということだ。

 先日、中学生棋士が将棋の連勝記録を塗り替えたことに日本中が湧き立ち、相撲の今場所は横綱白鵬が連勝記録をどれだけ伸ばせるかに大きな注目が集まった。

 玉龍旗でも先鋒が相手チームの四人を勝ち抜き、劣勢の大将が五人抜きして勝利を奪い返すような好勝負を観戦するのはもう堪らない。

 勝ち抜き戦は日本人の大いに好む所であり、玉龍旗は高校剣道で最も観戦して楽しい試合の一つであると言えよう。マリンメッセ福岡の会場には出店が並び、毎年一種の剣道の祭典と化しているのだ。


 さて、恩師からの電話に話を戻す。


 恩師は母校の剣道部の顧問である。

 もちろん母校も毎年玉龍旗に参加しているのだが、不運なことに今年に限って男女両チームの試合開始時間が重なるため、恩師は片方の試合にしか監督員として付き添うことができなくなった。

 そこで、去年の剣道部のキャプテンであるお前が、女子チームの監督を代行してくれないか、というのが恩師の電話での頼みだった。

 

 それは、私にとって重責であり、名誉な話だった。

 恩師は若手の剣道七段であり、厳格な指導は行うが生徒に不条理は押し付けない、立派な指導者だった。

 私は三年間この師にシゴキ通され、体育会系特有の、一種盲目的な尊敬をこの師に抱いていた。――否、何しろ卒業して十数年が経って尚、未だに折につけ稽古の胸を借り、酒を馳走になる関係だ。未だ盲目的な尊敬を抱いている、と言った方が正しいか。馬齢を重ね、競技者というより指導者に近い振舞いをすることも増えたが、今の私はあの頃の師の足元にも及ばないだろう。


 大学一年生の当時の私の剣道の腕前は三段そこそこ、七段の師とは雲泥万里の開きがある。

 臙脂色のネクタイとは、剣道の公式試合の場での審判員や監督員の目印であり、そんな雲上人のシンボルを、若輩者の私が身につけることになろうとは、夢にも思わなかったのである。



 監督席で試合に手を叩くだけのお飾りであったとしても、敬愛する恩師に玉龍旗の監督を頼まれたことに、私は有頂天だった。

 大学生活の滑り出しが今一つ上手くいかず、高校への回帰願望を抱いていた時期だったことが、それに拍車をかけた。


 大学生活のケチのつけはじめは、狙っていた女の子を逃したことだった。

 入学時のオリエンテーションで、”ご一緒しません?”と柔らかく微笑みかけてくれた黒髪の乙女に、惚れっぽい私はころりと落ちた。メールをしたり、時折学食で昼食を共にして、そこそこの交友は深めていたと思う。

 彼女が、アメリカのジャズ歌手、パティ・オースティンのsay you love meという曲の入ったCDを探しているという話を聞いた時には、当時全盛期だったファイル共有ソフト、WINMXを駆使して探しだし、CD-Rに焼いてプレゼントした。

 今思えば、余りに頭のおかしいアプローチとしか言いようがない。

 余談だが、私がWINMXを無修正ポルノをDLする以外の用途で使用したのは、それが初めてである。

 ナイーブでやや内気そうな彼女とは、夏を迎える前に疎遠となった。


 大学の剣道部は、思った以上にレベルが低く、学生の自治で行うサークルのようなもので、稽古とは指導者についてシゴかれるということと同義だった私にとって、まったく温いものとしか感じなかった。

 けれども、私がその大学の剣道部にとって有望な新人であったかというと、そんなことはまるでなく、粘着質に取り組むことだけが取り柄で試合はまるで弱い私は、同期のエンジョイ勢の中で居心地の悪さを感じていた。


 誰もが知っているように、大抵の男は大学生になった途端、頭の中は変わりはしないくせに、大人ぶって振る舞いたがる。

 大学を卒業して十数年経った今の私も、頭の中は中高生とそう変わらないないのだから、大人になるということは、要は殻を被って立ち振る舞いを変えることであり、そういう意味で、社会に出る前に与えられたモラトリアムとしての大学生としての彼らの振る舞いは至極真っ当なものだったのだが、格好つけやがって、と彼らを見下す冷めた思いが、私の胸中には燻っていた。


 代々先輩達から受け継いできたという、黄ばみきったボロボロのエロ本のまわし読み。

 合宿先の風呂場での性器の大きさの比べ合い。

 BLANKEY JET CITYの『悪い人たち』を歌いながら坂を下った帰り道。

 剥きだしの蛮性を恥じることなく晒し合っていた、高校時代に戻りたかった。



 私の出身は福岡の隣の目立たない県で、進学した大学は福岡を挟んだ更に隣県だった。

 玉龍旗の観戦程度は、日帰りで十分足るのだが、満を持して、前日から福岡に泊まりこむことにした。

 宿泊するにあたって、カプセルホテルやネットカフェなど、学生にも手頃で現実的な手段は幾つもあったはずだ。

 しかし、私は敢えて、ラブホテルに宿泊してみようと思い立った。小旅行とも言える博多行き、非日常的な浪漫を求めていたのである。

 キャッチの男達の間をすり抜けながら、博多は中州の色街を冷やかして、目を付けたのは、場末にある最も値段の安そうなうらぶれたラブホテルだった。

 受付に座っていたくたびれた老婆は、白目の黄ばんだ瞳で私を胡散臭げに睨め回し、お一人はお断りしているんですよ、とすげも無く言った。

 ラブホテルを利用したことの無かった私は、そんな規則が存在していたことに驚きを覚えた。

 この辺りで、泊れる所はないですかね、と尋ねると、さあ? ラブは全部一人じゃダメなんじゃないですか? と木で鼻を括るような態度で鬱陶しげに老婆は首を振った。

 別段、ラブホテルが全てお一人様お断りというわけではない、と知ったのは後のことだ。今思い返してみるなら、ラブホテルに一人で泊まろうとする高校生そこそこの若い男に不審を感じ、適当な口実をつけて追い払いたかった、というのが老婆の本音だろう。

 私は老婆に短く礼を告げて、色街を後にした。


 さて、ラブホテルに宿泊するという冒険の試みはあてが外れた。

 かといって、今更カプセルホテルなどに潜り込むのも、興冷めである。

 こうなったら、いっそ野宿でもしてやろうと一念発起し、私は福岡中央区の、大濠公園へと足を向けた。

 冷静に考えてみれば、分不相応の名誉な大任を翌日に控えた身であるなら、しかるべき寝所で身ずまいを正すべきだったのだろうが、その時の中の私には、重責を正しく果たさねばという思いと、ドラマチックな外泊を味わってみたいという歪んだ思いの二つが、矛盾することなく併存していた。



 大濠公園は、福岡城址の近隣にある、巨大な池をぐるりと取り囲む都市公園である。

 日本庭園や能楽堂、ボート乗り場など、様々な施設が存在するが、私が野宿の場所に選んだとは、くじら公園という児童遊園の一つだった。

 公園のベンチに腰を下ろし、夏の夕日がゆっくりと沈んでいくのを眺めているうちに、青臭い冒険心はどこへやら、私はただ何もせず公園に野宿するということが、思った以上に退屈であるということに気がついた。

 今ではスマホさえあれば大抵の暇を潰すことができるが、文庫本の一冊さえ持たなかったその晩は、無聊を慰める手段がまるでない。

 私は、福岡に住む友人を大濠公園まで呼び出すことにした。

 この友人、名を幸太郎といい、小学校低学年の時以来の友人であり、親が転勤族で福岡に転校した後も交友が続いている、腐れ縁の男だった。

 小学生時代は「クレヨンしんちゃん」の真似をして尻や性器を出してはしゃぐ悪童で、「ハイチュウ苺味みたいで美味しそう」という理由で、ルビーロウカイガラムシをテイスティングしていた幼き私には似合いの悪友であった。

 博覧強記なる読者諸賢ならば、当然ルビーロウカイガラムシ程度はご存じだろうと拝察するが、もしご存じないなら、目の前のPCやスマホでルビーロウカイガラムシと検索するのは控えておくのが賢明だろう。


 バイトを終えて大濠公園に訪れた幸太郎と私は存分に久闊を叙し、コンビニで買い込んだ菓子とジュースを貪りながら、猿の毛づくろいのような他愛も無い話に花を咲かせた。

 話ながら、ふと思い立った。今晩はこんな場所に泊らずに、幸太郎の家に泊めてもらえばいいのではないだろうか、と。真っ先に思いつくべき選択肢だった。

 幸太郎は両親と暮らしていたが、泊めて貰ったことは何度もあり、夜間に突然泊めて欲しいと押しかけるのは礼を失した行為だろうが、それも許されるだろうと思うぐらいには気の置けない仲であった。

 しかし、幸太郎は首を横に振った。お前は野宿すると決めたのなら、初志貫徹してここで一晩を明かすべきだ。そんな馬鹿なことをするのはお前ぐらいだから、是非感想を聞かせて欲しい、と。

 長年の私の友人だけあって、幸太郎も相当に変わった男だった。


 ジュースはやがて酒に代わり、夜も更けていく大濠公園で、私達は様々なことを語りあった。

 私が最も熱く語ったのは、当時から興味を持ち始めていた、哲学思想のことについてだった。

 初心者向けに哲学を紹介するwebサイト、「哲学的な何か、あと科学とか」を切っ掛けに、当時の私は哲学に心奪われていた。通っていた大学の学科も、哲学を履修する為に選んだ程だ。

 人間の理性の及ぶ範囲が如何に狭く、我々がどれほど矮小な価値観の中で生きているかを、私は幸太郎に熱く説いた。

 何のことはない。コーヒーの美味しい淹れ方に腐心する連中を見下しながらも、私もかぶれる所が違っただけの、間違った意識高い系大学生の一匹に過ぎなかった。

 尤も、その後の私は初志の通り言語哲学を専攻し、卒論の題材にまでしたのだから、抱いていた熱意は本物であった。病膏肓に入ったとも言う。

 就職活動時に、親戚には随分と潰しの効かないものを勉強したものだと笑われ、面接でその勉強が我が社に勤める上でどのような役に立ちますか? と尋ねられて返答に窮したのは、また別の話である。

 尚、私を哲学に傾倒させたwebサイト「哲学的な何か、あと科学とか」の管理人の飲茶氏はその後哲学入門者向けの名著を幾つも執筆され、初学者の為の哲学作家として一角の人物となれていることを追記しておく。

 

 閑話休題。


 酒飲みの話にありがちなことだが、話題も尽きると不満や愚痴が口をつく。

 大学でも不満も大きかったが思った以上に物事をスマートに捌けない自分への自己嫌悪も積み上がっていた。

 酒で薄まった理性によって、私の大学時代指折りの恥ずかしい台詞が口が零れた。


「なあ、自分に似た奴を思いっきりブン殴ってみたい、って思ったことあるか?」

 

 恥ずかしい。

 今思い出しても、枕に顔を埋めて足をバタつかせたい程恥ずかしい。

 ドラえもんにタイムマシンを出して貰い、当時の自分を殴りにいきたい。

 あの晩の大濠公園ならデロリアンでも十分に持ち込めた。

 中二病、高二病、大二病と成長過程に応じて被ってきた皮がビリビリと剥がれて、中から転がり出してきたのは中学生相当の幼稚な魂であった。

 幸太郎は、返答として私の頬に拳をぶち込み、ファイティングポーズをとった。


「やろうぜ、つまり、こういうことだろ」


 格好をつけてそう告げて、彼も子供じみた笑顔をみせた。

 繰り返すが、長年の私の友人だけあって、幸太郎も相当に阿呆な男であったのだ。

 

 かくして、人知れず深夜の児童遊園での殴り合いが始まった。

 人に見られれば、即通報ものの光景だっただろう。

 幸太郎との殴り合いは、私をとても愉快な気分にさせた。

 こんな無意味な愚行、こんな傾いた奇行、こんな幼稚な蛮行こそが、私の高校生活にあって、大学生活に欠けていたものだった。

 しかしながら、大切な親友を本気の拳で殴りつけるのは忍びなく、力加減は四割程度にセーブしながら、やや酒のまわった足どりで、形もなく技もなく、子供の喧嘩のようにボコスカと殴りあった。

 幸太郎と殴り合いの喧嘩をするのは、小学生時代、不注意で彼の弟を泣かせて謝る暇もなく殴りかかられ、殴り返して以来だった。

 下手糞な殴り合いの喧嘩は、恩師のシゴキに比べれば児戯に等しく、さしたる痛みも感じなかった。

 後に、飲み会の帰りにスーパーの駐車場にたむろしていた絶滅危惧種の暴走族の姿に大笑いし、写メを取って顔面をブン殴られた際には目の周りの青タンが一週間引かなかったことを考えれば、幸太郎も私同様、相応の手加減をしていたのだろう。

 次第に手数は減っていき、どちらが止めるともなく、殴り合いは静かに幕を引いた。

 おお痛い、と幸太郎は血の混じった唾を吐きだし「体育会系が本気を出すなよな」と少しだけ怨みがましい視線をこちらに向けた。相当に加減をしたつもりだったが、それでもインドア系の幸太郎と私の体格と腕力には大きな隔たりがあった。

 どの口で言うか、と突っ込まれそうだが、私にも不要な暴力は振るわないという武道家としての矜持があったので、すまんかった、と自分の未熟を詫びた。


「何やってんだろうな、俺達」


 幸太郎はそう言って夜空を見上げた。

 全くの同感である。しかし、奇妙な充足感があった。


「分かったことがある」


 幸太郎は、神妙な顔をして言った。


「実戦では、拳で殴るよりも掌底の方が効果的だ」


 格闘漫画にハマった中学生のようなことを真顔で口にする親友に、思わず笑いが零れた。

 



 夏なので防寒にはまるで気を配らなかったが、携帯のアラームで目を醒ますと朝の空気の冷たさに身ぶるいをした。

 コンクリートに背中を預けて眠ったことも、身を震わす寒気の一因だろう。

 ベンチに寝相を晒すのも憚れ、私が寝床へと選んだのは、くじら公園にあるドーム型の遊具だった。

 正式名称はよく知らない。大きな半球を地に伏せた形の、子供が登って遊べるように幾つも丸い穴を空けたアレである。

 その壁に背中を凭れ、胡坐をかいて眠ることにしたが、どうやら、間違いだったようだ。

 立って背筋を伸ばすと、背骨が音を立てて鳴った。深く湾曲している場所に背中を預けて眠ったため、一晩を通じて相当に無理な姿勢をしていたことが祟ったらしい。

 夏の公園の朝にふさわしく、一人でラジオ体操などをやってみる。


 昨晩の乱痴気騒ぎは忘れて、くじら公園のトイレで顔を洗い、身だしなみを整えた。

 ジーパンからスラックスに履き替え、糊の効いたカッターシャツに袖を通す。

 臙脂色のネクタイをきりりと締めれば、何者でもない自分が、鏡の中で何か一角の人物であるかのような顔をしてこちらを見つめていた。

 

 夏の日差しを浴びて蝉が五月蠅いほどに鳴き声を張り上げ始めた。

 私は、一晩を過ごした大濠公園に別れを告げ、玉龍旗の会場に向けて歩き出す。

 マリンメッセ福岡に渦巻く若き剣士達の情熱が、私を待っているのだ!


                  


              ――幸太郎にこの作品を発見されないことを祈って。



 追記:この作品を執筆するにあたり、当時をことを回想する一助とするため、大濠公園の現状を検索してみた。

 すると、2017年3月14日に、大濠公園内の児童遊園、くじら公園に設置されてあるドーム型遊具の中で、男性の焼死体が発見されたというニュースを目にした。

 写真にあった青いドーム型遊具は、まさにあの夜の、私が選んだ一晩の仮宿だった。

 奇妙なこともあるものである。

 


 

 

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