夏の日と透けたブラウス

成瀬なる

僕らには勿体ないくらいの夏だ。

 僕たちの出会いを運命とか奇跡とか飾り映えの良い言葉で言い表したくはない。

 あの梅雨の日――意味のない反抗心と馬鹿みたいな幻想を胸に抱えていた僕と彼女の関係は、今でもまだ続いている――本物の青空のなかで太陽が笑い、それに寄り添うようにして雲が流れるそんな季節になっても。


   *


 梅雨が明けても同じ学校に通い、同じ学年である僕らは、何回か顔を合わせることがあった。でも、声をかけることはしなかった。僕からも彼女からも。

 決して、思春期特有の恥ずかしさではない。いつだって、僕は、彼女とくだらない幻想を語り合いたいし、彼女だってそれを望んでいる。

 でも、僕らは、梅雨の日に一つの約束を交わしているのだ。

 ――もしも、透明人間が現れたら、僕だけが透明人間の正体を知っている。

 この約束がいくら非現実的であり、雨の日の幻想と言っても、僕らにとっては大切な約束だ。だから、僕にとっての彼女は<透明人間>であって、彼女にとっての僕は<それを唯一知る人物>に過ぎない。

 つまり、僕たちが顔を合わせて話をする時は、『彼女が透明人間でなくなり、僕が「楽しかったかい?」と尋ねる時』ということ――学校のあるなんでもない日なら、それは、彼女が「透明人間に飽きちゃった」とヒグラシがなく放課後の昇降口で意地悪く微笑みながら声をかけてくる日。

 でも、今は、八月一日。夏休み真っただ中だ。

 夏休みの子供はヒーローになれる、と彼女は七月二十四日に言った。

 僕がその意味を問うと「透明人間がイタズラをやめて、ヒーローになる日なんだよ」と彼女がピースサインを作りながら答えた。

 透明人間が青空と太陽を味方につけて、どんな悪にも立ち向かえ、わざわざ透明人間にならなくても強い存在になれる日があるというのなら、田舎の小さな駄菓子屋さんの店前に置かれたベンチが、僕たちの秘密基地になるのだ。


   *


 時計の長針がカチリと音を立て、てっぺんを指す。それに合わせるようにして、夏の太陽が頭上に上り、音を立てずに停止する。僕は、アナログラジオからのノイズ交じりの熱中症情報と扇風機の唸り声が聞こえる駄菓子屋を背にして、ラムネを飲みながらベンチに座っていた。べたべたとした汗のせいで肌にくっつくTシャツの不快感をラムネの炭酸が綺麗に拭い去っていく。 

 だけども、意地悪に僕へとスポットライトを当て続ける太陽から逃げることはできない。

 目立つことは嫌いだ。文化祭の暖色のような騒がしさも、遊園地の耳に残るテーマソングも、全部が。僕は、ステージの影でスポットライトを浴びる誰かへ静かに拍手を送っているだけでいい。

 手のひらで影を作り、青空を睨みつけた。

 僕は、強くない。誰かを守ることのできる物理的強さもなければ、屈することのない精神的強さも持ち合わせていない。彼女と僕の間で作ったルールの中でなら、最強であり、ヒーローだ。でも、僕は、二人きりのヒーロー戦隊のブラックでしかない。

 ヒーローという隠れ蓑に紛れて、自分自身の悪を隠そうとするずる賢い奴――

「悲観主義はヒーローには、相応しくないぞ」

 僕の思考を遮るように、風鈴の音のような凛とした声が肩を叩く。視線を声に向け、微笑みながら「僕の心が読める能力者?」と尋ねた。

「違うよ。 私は、夏を武装するヒーローだよ」

 そういうと、梅雨の日の長袖のブラウスとは違い、夏服用のブラウスを着た彼女はピースサインを作る。そして、こう続けた。

「ヒーローは、いつだって、悲しい人の太陽になってあげなきゃいけないんだよ。 夏の空を睨みつけてるなんて悪者だね」

 拳を僕の鼻先まで伸ばす彼女の演技じみた行動に思わず吹き出してしまう。

「君は、すごいよ。 ヒーローで言ったらレッドだ」

 僕は、彼女のために買っておいたラムネをベンチの下から取り出して手渡す。夏の温度とラムネの温度差で結露した瓶から雫が滴りアスファルトが濡れる。

 彼女は、ラムネを受け取り、澄ました顔で言った。

「違うよ。 私たちに色はない、それに味方でもない」

 ラムネが爽快な音を立てて泡を吹き出す。瓶の中のビー玉が光を受け、宝石のように輝いている。彼女は、喉を鳴らしてサイダーを飲んでから続けた。

「結局は、夏に飲むサイダーのためだけに戦うんだよ。 喉を刺激する嫌じゃない痛みとか安っぽい甘みを守るために……さっ!」

 彼女は、勢いをつけて僕の隣へと座った。彼女の制汗剤の匂いや肌には慣れたが、時折触れる彼女の二の腕の感触は、否定しようがなかった。

 僕は、暑くなった顔を隠すように、また空を見上げ「全くだ」と答えた。

 その後、心の中でこう付け加えた。

 

 ――君と過ごす夏の日を守ることも僕にとっては正義かもしれない。


 照りつける夏の太陽は嫌いだ。僕が、ずっと隠している本質を見破られてしまうような気がするから。でも、今だけは影がかからないで欲しい、と思った。そう願うことも僕のヒーローなのかもしれない。

「僕には、勿体ないくらいの夏だ」

 そう言って隣を見ると丁度目が合った。そして、彼女は、夏にピッタリな笑顔で

「私にも、勿体なすぎるよ」

と答えた。


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夏の日と透けたブラウス 成瀬なる @naruse

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