5:奔流

一瞬の後、結局、私は音もたてずに素早い動きでその金属バットを手にしていた。予想していたよりも重さがあった。うまく使いこなせない、全力で殴打しても即座には殺しきれないと思った。それに疲れすぎている。こんなことなら、日ごろからもっと鍛えておくべきだった。


私がバットを手にして振り返ろうとするのと同時に、老婆は先端が鋭い裁縫用のハサミを手にしていてこちらに接近していた。そのハサミを見て、この部屋に入った時点で私はすでに殺され始めていたことに気がついた。

「あなたを救済します」老婆はつぶやいていた。


こちらの武器は小回りが利かない。距離があるうちに仕留めないとやられる。

私は振り返る勢いを利用して、こちらの手の内が完全に明らかになる前に、人を呼ばれる前に、老婆の横っ腹めがけて渾身の一撃を放った。



――そこから先は、無我夢中で、よく覚えていない。



気がついたら、辺りには老婆とあの女の2人分の赤黒い血液の痕が、自分の腕には不愉快な肉と骨の感触がこびりついていた。

死体はなかった。あの2人は傷を負いながらも、どうやら命からがら逃げていったようだ。あるいは私がとどめを差さなかったのかもしれない。


どちらにせよ、嫌なものと出会ってしまった。胸の内に後悔と喪失が漂っていた。複雑、あるいは混沌という言葉でしか今は表せない、境界線が不明瞭な感情が渦巻いていた。その感情は動的なものであり、私を侵食して変色させていった。やはり私は真の意味で"樹里"にはなれなかった。自分を全うすることができなかった。


しかしなぜ、あんなところにバットが置かれていたんだろう。私がこうすることを誰かが予測していたのだろうか。私は乗せられているのだろうか。誰かの意図だったのだろうか。それともただの偶然か。


いくら正当防衛でも、憎くとも、殺そうとしたのはやりすぎだったのだろうか。相手がいくら悪くとも、その罪は死刑に値したのだろうか。殺すか殺さないか、その2つからしか選択できなかった自分自身を恥じる気持ちが生じ始めていた。

さらには、恥じている自分自体が嫌になり、他にも過去のたくさんの失敗や齟齬・衝動的な行動が脳裏に思い浮かんでいた。終わることのない負の循環だった。


だとしても、許せないな。自分だけが正解で、そこからのずれを不正解と判断して他人に押し付けようとする態度は。しかもそのことに自覚的でないことがさらに腹立たしい。個性の否定は許せない。やっぱり息の根を止めておかなければならなかった。ああいう害虫は駆除しておかなければならなかった。それを最も悔いている。私は未熟な人間だし、間違いも犯すけど、あいつらの言うような人間ではないんだよ。



部屋の灯りが消えていたことに気がついた。つまり、私はいま暗闇の中にいる。生きているのか死んでいるかもわからない。何もかもがわからない。何もかもが不愉快で仕方がない。そういう暗黒の世界だ、ここは。

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残空 @zan-ku

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