海軍の鉄道(概要と沼への入り口)

 リアルの方が忙しかったのであまり書けてはいませんが、適当に情報を集めたので短く書きます。


 今回は海軍の鉄道のお話。

 軍隊と鉄道だと、有名なのは津田沼にあった陸軍の鉄道連隊だと思います。(まあ、津田沼以外にも連隊はありましたが……)

 映画『戦場に架ける橋』で有名な泰麺鉄道は鉄道連隊の敷設した路線ですし、満州方面で装甲列車の運転や軽便鉄道(小さくて簡易な鉄道)の敷設に国鉄(当時は違いますが便宜上)から分捕った機関車を使って中国大陸で鉄道輸送をしていました。

 戦後、この鉄道連隊の演習線が新京成電鉄になったのはまた別のお話です。

 で、ようやく本題。

 海軍の戦場は海なので陸上交通機関たる鉄道と縁もゆかりも無さそうですが、実際には四つの鎮守府(横須賀、呉、佐世保、舞鶴)と海軍専用炭鉱、飛行場、それに一部の警備府にはそれぞれ専用線がありました。

 ここで使われていたのは、有名なD51 の様な大型のテンダー機関車(きかんしゃトーマスで云うところのゴードンとか)ではなく、貨車の入れ換えなどで使用される小型のタンク機関車(きかんしゃトーマスで云うところのトーマスとかパーシーとか。国鉄のC11 やC12よりも一回り小さい産業機)が用いられていました。

 彼らの主な仕事は、船から荷揚げされた物資を倉庫に運ぶときの運搬に、鉄道で全国から集められた軍需品を国鉄から貨車ごと引き受けて専用線で船に運んだりといった仕事をしていました。

 また、ネタとしてはなんと『魚雷専用』の貨車が存在していた事です。確かに魚雷は重いですし、危険物。

 例えば呉から舞鶴まで運ぶとして、船だと大回り。でも鉄道なら早く運べる。と言った塩梅です。これもまた、道路事情が悪かった戦前ならではだと思います。

 飛行場の専用線、この場合で有名なのは厚木飛行場専用線です。この場合、運ぶのはもっぱら燃料。飛行機はとにかく燃料を喰うので効率的に輸送できる鉄道が選ばれました。

 海軍専用炭礦。有名なのは山口県の大嶺炭鉱ですが、ボイラーを重油炊きするようになると、需要が減って民間に払い下げされました。

 で、戦後。これらの需要が蒸発しましたが、専用線はしぶとく残りました。なぜなら相変わらず道路事情がよくないし、占領軍の需要が出来たからです。もっとも、占領軍はなんと機関車を持ち込んだのです。

 ここで持ち込まれたのが米ゼネラル・エレクトリック社製のDD12。鉄道に詳しい方ならわかると思いますが、日本では初期の世代に当たるディーゼル機関車です。こいつらが占領軍専用線(旧海軍専用線)に入線し、仕事をはじめました。

 と、なるとこれまで専用線で活躍していた機関車達の多くが仕事を失ってしまいました。ですがまあ、そこは戦後の混乱期。海軍で使われていた機関車達の多くが、大蔵省経由で地方の私鉄に払い下げられました。

 その払い下げられた各私鉄で様々な歴史を築くのはまた別のお話。 


 因みに自衛隊最後の鉄道は呉(の対岸の小島の江田島)にあった弾薬庫専用線でしたとさ。

  

 この辺りは資料が少ない(ネットよりも文献漁った方が情報がある)ので、気になった方は近くの図書館に有る地方私鉄の蒸気機関車についての本を読むと良いと思います。

 もっとも、解るのは来歴とスペックだけでまだまだ研究が進んでいない事がバレてしまうかと思いますが……。

 誰か書いてくれないかなぁ……(他力本願)。

 短めでしたが以上!次回は……はい、いずれ書きます……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

役に立たない海軍のお話 カレリア @kareria

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ